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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第4章:不渡りの王国

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第87話:真っ当な祈りと、封印された聖典

 大議事堂を満たす赤黒い魔力の暴風の中、元聖女アリアの足取りには、一切の迷いがなかった。


 彼女が静かに進み出るたび、王都の冷たい月光が、彼女の若草色の瞳と、その胸に大事に抱えられた古びた分厚い書物を淡く照らし出す。

 それは、神殿の最下層――血塗られた大金庫の奥底で、何百年もの間、意図的に埃を被せられ、誰の目にも触れぬよう封印されていた『真の聖典(オリジナル・テキスト)』だった。


「……愚かな。神殿から逃げ出した欠陥品の聖女が、この私に魔法で抗うとでも言うつもりか?」


 宰相ギルフォードは、自身の足元から噴き上がる莫大な「命の熱量」を背に、アリアを見下して嘲るように鼻を鳴らした。


「貴様ら神官の魔法は、地下の魔導炉から吸い上げた『国民の命』という燃料があって初めて成立するものだ。魔導炉とのパスを絶たれ、神殿の巨大なシステムという後ろ盾も失った小娘一人に、一体どれほどの魔力が捻出できる? ……せいぜい、指先に弱々しいマッチの火を灯すのが関の山だろう!」


 ギルフォードの嘲笑と共に、赤黒い魔力の波がさらに質量を増し、議場の空間そのものをミシミシと軋ませた。

 床に這いつくばる貴族たちは、その圧倒的な死の気配に悲鳴すら上げられず、ただ絶望に顔を歪め、互いの身を寄せ合って震えている。


「……ええ、貴方の言う通りよ、宰相ギルフォード」


 アリアは、吹き荒れる暴風の中で静かに立ち止まり、ゆっくりと聖典の重い革表紙を開いた。


「貴方たちが作り上げた『命の搾取回路』に繋がっていなければ、見栄えのいい派手な奇跡も、巨大な防壁も作れない。……だって、貴方たちの魔法は、他人の命という薪を、ただ力任せに《《燃やしているだけ》》なのだから」


「何だと?」


「神殿の書庫の奥で、私はずっと絶望していたわ。……教会の祈りが、ただの『命の焼却炉のスイッチ』でしかないことに」


 アリアの瞳に、かつての痛切な記憶がよぎる。

 豪奢な祭壇で、民衆に向けて美しく祈りを捧げるたびに、地下の暗闇で誰かの命が消えていく。その耐え難い罪悪感に苛まれながらも、彼女は神殿という巨大で残酷なシステムから逃れられず、心を殺して偽りの聖女を演じ続けてきた。

 だが、エマという「数字の絶対的な番人」に出会い、彼女の冷徹な論理によって神殿の最深部を暴いたことで、アリアはついに《《真実》》に辿り着いたのだ。


「でも、違った。本当の魔法は、命を燃やすような燃費の悪い欠陥品じゃなかった。……ただ、貴方たち権力者が、世界と共鳴する『労力』を惜しみ、手っ取り早く他人の命を搾取する『手抜き工事』を選んだだけよ」


 アリアの手が、聖典の黄ばんだ羊皮紙を愛おしむようになぞる。

 そこには、現代の神殿では完全に失われた、魔法の「基礎にして真髄」たる高度な数式と祈りの形が、びっしりと書き込まれていた。

 魔力を強制的に引き出すのではなく、大気や大地、星の運行といった「自然界の波長」と自らの波長を同調させ、無駄なくエネルギーを紡ぎ出すための、精緻極まる技術。


「……見せてあげるわ。誰の命も燃やさず、ただ世界と共鳴するだけの、100パーセントの『真っ当な祈り』を」


「ほざけェッ! ならばその貧弱な祈りごと、圧倒的なマクロの暴力で圧し潰してやる!!」


 ギルフォードが激昂し、両腕を高く振り下ろした。

 瞬間、大議事堂をドーム状に覆っていた赤黒い魔力の奔流が、一斉に牙を剥き、巨大な津波となってアリアたちへと襲いかかった。


 数千人の命を強制的に燃焼させた、絶対的な死の波。

 それが直撃すれば、アリアも、エマも、ヴォルフも、大理石の床ごと塵一つ残さず消し飛ぶはずだった。


「――聖典・第 1 章、第 1 節。……『光は遍く満ち、静寂は世界を包む』」


 アリアの透き通るような声が、轟音の議場に、波紋のように静かに広がった。


 彼女は目を閉じ、深く息を吸い込む。

 怒りでも、恐怖でもなく。ただ、静寂。

 己の心臓の鼓動を、足元の床、議場を吹き抜ける風、そして窓から差し込む冷たい月光の波長へと、正確にチューニングしていく。


 彼女の組まれた手の中から、淡く、しかしどこまでも純粋な「白銀の光」が生まれ落ちた。

 それは、勇者の魔法のような網膜を焼く派手な閃光でも、宰相の魔法のような息苦しい熱量でもなかった。ただ、冷たい水が乾いた砂に染み込むような、極めて静かで自然な光の広がりだった。


 直後。

 宰相の放った巨大な赤黒い津波が、アリアの放つ白銀の光と激突した。


 ガァァァァンッ……!!


 議場を吹き飛ばすほどの爆発が起きる――誰もがそう思い、床の貴族たちは耳を塞ぎ、固く目を閉じて悲鳴を上げた。


 しかし。

 数秒が経過しても、いつまで経っても、爆発の熱も、衝撃波も、彼らの身を焼くことはなかった。


「……な、何だ、これは……!?」


 ギルフォードの驚愕に満ちた掠れ声が響く。

 恐る恐る目を開けた貴族たちが見たのは、物理法則を無視したかのような、信じられない光景だった。


 アリアの周囲に展開された、ごく薄い白銀の光の膜。

 その膜に触れた瞬間、宰相の誇る絶対的な質量の赤黒い魔力が、まるで「熱湯に放り込まれた淡雪」のように、音もなくシュウゥゥと溶け、霧散していくではないか。


「馬鹿なッ! 私の圧倒的な魔力が、なぜ弾き返されるどころか《《消滅》》していく!? これほどの質量の差があって、あり得るはずがないッ!!」


 ギルフォードがどれほど顔を真っ赤にして魔力を注ぎ込もうとも、どれほど「大局の犠牲」を増やそうとも、赤黒い波はアリアの静かな光の前に届くことはない。ただ、見えない壁にぶつかった水のように、虚しく空間に溶けて消えていく。


 何が起きているのか。

 圧倒的な暴力が、数千人の命を燃やした絶対の熱量が、なぜ一人の少女の静かな祈りの前に手も足も出ないのか。


「弾き返しているのではありませんよ、前・宰相閣下」


 誰もが呆然と立ち尽くす中、暴風の中でも微塵も姿勢を崩さない少女の、氷のように冷徹な声が響いた。

 スレート・グレーの制服を翻し、銀縁眼鏡の奥の『魔導式解析眼(トレース・アイ)』を青白く発光させている査定員、エマ・ルミナスだ。


「……私の解析眼を通した計算式を、特別に開示して差し上げましょう」


 エマは真鍮の万年筆を指先で回し、ただの事務手続きのように、淡々と現象の解説を始めた。


■元・査定員エマの業務日誌:用語解説


真の聖典(オリジナル・テキスト)

 アリアが神殿の地下大金庫から回収していた、本物の魔法の教えが記された書物。現代の神殿の僧侶たちは、この「世界と共鳴する高度な技術」を学ぶのを面倒くさがり、他人の命を強制的に吸い上げて魔法の代わりにするという『手抜き工事(命の搾取回路)』に依存しきっていました。アリアはこれを解読し、本物の祈りの力を取り戻したのです。

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