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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第2章:白亜の魔都と、偽りの防衛線

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第40話:巨悪の算盤と、国家の損切り

 パチ、パチ、パチ。

 凍りついた王都の中心、太陽の広場に、場違いなほど優雅で、そして背筋が凍るほど冷たい拍手の音が響き渡っていた。


 数万という民衆が息を呑んで見守る中、漆黒の重厚なローブを纏った男――財務卿ヴァレリウスが、ゆっくりと歩みを進めてくる。彼が磨き上げられた石畳を一度踏みしめるたび、見えない巨大な手に弾かれるように、群衆が左右へと道をあけていく。エマの解析眼は、彼が歩くたびに石畳にかかる圧力が 1 平方センチメートル あたり 12.5 キログラム で寸分の狂いもなく一定であること、および彼の周囲 3 メートル の空気密度が、魔力の重圧によって 1.12 倍 に圧縮されていることを冷徹に算出していた。


 彼が放っているのは、むき出しの刃のような魔力による威圧ではない。国家の血脈であるカネをすべて握り、この国の生殺与奪を数字一つで決定できる者が放つ、絶対的な権力の質量そのものだった。


 ヴァレリウスは、足元で無様にのたうち回る特務騎士ガウェインを、路傍の石ころでも見るような一瞥で見下ろした。かつて彼自身が「英雄の代理」として祭り上げ、年間国家予算の 4.2 パーセント を注ぎ込んで維持してきた模造聖剣(もぞうせいけん)の担い手に対する、あまりにも冷酷な視線だった。


「……見事な手際だ、エマ・ルミナス。まさかこの模造品のメッキを、こうも鮮やかに、および衆人環視の中で剥ぎ取るとはな。おかげで我が国が誇る最高の看板(ブランド)は、一瞬にして紙屑になってしまったよ」


「おい、そこのゴミを片付けろ。王都の美しい景観という固有の資産(アセット)が損なわれる」


 ヴァレリウスが指を軽く鳴らすと、影のように現れた漆黒の装束の特務部隊が、へし折れた偽聖剣の残骸ごと、意識を失ったガウェインの身体を無造作に引きずり、裏路地へと消えていった。特務騎士団という巨大な虚飾の最後は、帳簿の隅から無駄な 1 行 を消し去るような、あっけない特別な損失(とくべつそんしつ)の処理に過ぎなかった。


「……随分と、冷たい損失の切り捨て(そんぎり)ですね、財務卿」


 エマ・ルミナスは、乱れた呼吸を整えながら銀縁眼鏡のブリッジを事務的に押し上げた。極度の演算負荷と限界を超えた魔力行使の反動で、彼女の細い足首は 2.2 ミリ ほどの幅で震えており、立っているのもやっとの状態だった。だが、彼女の灰青色の瞳だけは、ヴァレリウスの底知れぬ闇を真っ直ぐに射抜いていた。エマの脳内では、現在も広場の魔力残滓と財務卿の周囲の重圧から、彼の保有魔力量(キャピタル)を 0.1 パーセント の精度で算出し続けていた。


「この模造聖剣もまた、貴方が『国民の命』という莫大な原価を支払って製造した金融の商品(きんゆうのしょうひん)の一つだったはずですが?」


「如何にも。だが、維持費用が利益を上回った以上、ただちに廃棄するのは経営者として当然の判断だ。……それに、バルガス工房の変換効率が最近 4.23 パーセント も低下していたことには、私も頭を悩ませていてね。君たちが物理的に不備を開示してくれたおかげで、無駄な設備投資を打ち切る口実ができた。感謝するよ」


 その言葉に、背後に控えていたアリアがさっと血の気を失い、ヴォルフが大剣の重厚な柄をガチリと鳴らした。


「てめえ……あの地下で、何十人の人間が電池代わりに生きたまま搾り取られてたか、数値で知ってて言いやがるのか」


 ヴォルフの琥珀色の瞳から、純粋で濃密な殺気が放たれる。歴戦の騎士ですら身すくむほどの重圧だったが、ヴァレリウスは微風を受けた程度にしか感じていないように、薄く、酷薄に笑った。


「知っているとも。だがね、執行者ヴォルフ。この王都の人口は 600,000 人 だ。この 600,000 の雇用と秩序を維持するためには、辺境の貧民や身寄りのない孤児を 60 人 ばかり焼却するのは、極めて適正な必要経費なのだよ。 0.01 パーセント の犠牲で全体を救う。これほど効率的な数式が他にあるかね?」


 ヴァレリウスは両手を広げ、広場で恐怖に震え、自分たちの生活が崩壊する予感に怯える民衆たちをゆっくりと見渡した。


「彼ら大衆は、高尚な真実など求めてはいない。今日食べるパンが 205 グラム あり、明日も魔獣に怯えることなく平和に眠れるという『保証』さえあれば、喜んで重い税を納める。……私が作っていたのは、その安価な平和を買うための小道具――模造聖剣だ。 600,000 を救うために 60 を切り捨てる。これほど美しく、完成された経済政策が他にあるかね?」


「……不適切な計上による、単なる詭弁(きべん)です」


 エマの冷たく、どこまでも透き通った声が、財務卿の演説を断ち切った。脳が焼き切れるような熱を帯び、視界の端が白く明滅する。

 この極限状態において、ヴォルフは無言のままエマの肩を支え、懐から取り出した小さな氷砂糖(こおりざとう)の一片を、彼女の唇の隙間へと滑り込ませた。この緊迫した包囲網の中で、最も目立たず、かつ即効性の高い純粋な糖分。


「……感謝、します。演算回路の再起動、完了まで 1.4 秒」


 エマは事務的に氷砂糖(こおりざとう)を噛み砕き、脳へ強引に燃料を送り込んだ。彼女はヴォルフの腕の中で再び目を見開き、ペン先をヴァレリウスへと向けた。


「貴方の計算式は、根本的な変数を見落としています。他者の命を担保にして得た平和は、利益ではなく膨大な負債(ふさい)です。……貴方は国を経営しているのではない。未来の国民の命を前借りして、今日の帳簿の穴を埋めているだけの、巨大な自転車操業(じてんしゃそうぎょう)に過ぎない。その不一致、私が 1 ゴールド の誤差もなくすべて清算します」


 完全なる静寂が広場を包み込んだ。

 一介の少女が、国家の最高権力者に対して放った、逃げ場のない宣戦布告。

 ヴァレリウスは数秒間、エマの灰青色の瞳を見つめ返し……やがて、喉の奥で低く、不気味に笑い始めた。


「……クックック。素晴らしい。本当に、あの堅物だった父親にそっくりだ。……エマ・ルミナス。君のその類まれなる計算能力、私の手駒に加えないか?」


「お断りします。私は不渡り(デフォルト)寸前の不良な債権(ふりょうさいけん)を買い取る趣味はありません」


「そうか。ならば……ここで退場してもらうしかないな。私の帳簿から、君という不純物を抹消(デリート)する」


 ヴァレリウスの目が、一切の感情を排した捕食者のそれに変わった。

 彼が右手を高く掲げた瞬間、広場の四方を囲む建物の屋上から、数百名規模の特務魔導騎士団が一斉に姿を現し、エマたちへ向けて魔導弓の狙いを定めた。

 さらに、ヴァレリウスの足元から漆黒の魔力陣(まりょくじん)が展開し、広場全体の空間が、泥のように重く、粘り気を帯び始める。


資産の凍結(しさんのとうけつ)。……我が領域内における、あらゆる物理的・魔導的流動性を禁ずる。……さあ、エマ。君のその貧弱な肉体で、国家という名の巨大な力にどう抗う?」


 空間そのものが凝固し、エマの華奢な肩に、標準重力の 1.62 倍 に相当する質量が圧しかかる。

 膝が折れそうになる彼女を庇うように、ヴォルフが前に出る。だが、周囲は完全に包囲されており、強引に突破しようにも空間の粘性が彼らの動きを 82 パーセント 以上阻害していた。一歩でも動けば無数の矢が降り注ぐ、絶体絶命の包囲網。


 ――だが、エマは微かに口角を上げていた。


「……抗いませんよ。私はすでに、強力な外部の投資家から、脱出のための資金を調達済みですから。……ヴォルフ、座標 12-8 。魔断(まだん)の執行を。空間の接合点を断ち切りなさい」


「了解だ! 供給路を叩き切るぜ!」


 ヴォルフが叫び、大剣を空間の歪みの(ノード)へと叩きつけた。エマが算出した空間の脆弱性を、ヴォルフの純粋な破壊力が物理的に断ち切る。

 その瞬間だった。エマたちの足元にある白亜の石畳が、突如として眩い黄金色の魔力光を放ち、泥のようにドロドロと溶け始めたのだ。


「な、何だ!? 石畳が……空間ごと溶けている!?」

「陣形を崩すな! 足元からの転移術式だ!」


 特務騎士たちが動揺し、弓を構え直す。

 ヴァレリウスが構築した絶対的な空間拘束を、外側から流し込まれた桁違いの魔力の質量が、強引に上書きし、抉り開けていた。それは高度な魔法技術などではない。ただ純粋に、王宮の防衛結界すら焼き切るほどの莫大な人造魔石を、躊躇なく使い捨てたことによる暴力的な干渉だった。


 溶け落ちた空間の底から、通信用の魔導結晶が浮かび上がり、艶やかで、酷薄な女の声が広場に響き渡る。


『……ご機嫌よう、財務卿。貴方が市場を凍結させるというのなら、私はその足元の権利ごと買い取って、強引に穴を開けるだけよ。差額は私の奢りにしてあげるわ』


 王都の裏経済を牛耳る投資家、ビアンカ。

 王宮の防衛網を破壊するという国家反逆の罪と、数万ゴールド の違約金すら「はした金」として笑い飛ばす、圧倒的な資本力による暴挙だった。足元の空間が完全に抜け落ち、地下水路へと続く底なしの暗闇が口を開ける。


「……迎えが来ました。ヴォルフ!」


「しっかり捕まってろ、エマ!」


 ヴォルフはエマの細い身体を片腕でしっかりと抱え上げた。その腕の中で、極限まで演算を繰り返したエマの身体は驚くほど軽く、氷のように冷たかった。彼女は糸の切れた人形のようにその体重をヴォルフの胸に預ける。

 ヴォルフは彼女を大切に抱え込んだまま、もう片方の手で呆然とするアリアの腕を掴むと、黄金に縁取られた空間の穴へと、躊躇なく身を投げた。


「逃がすな! 撃て!」


 財務卿の怒号と共に、数百の魔導矢が一斉に放たれる。しかし、彼らの身体が空間の裂け目に沈み込んだ直後、転移術式が凄まじい爆発音と共に弾け飛び、矢は空しく石畳に突き刺さった。


 残されたのは、莫大な魔力を焼き捨てた残滓の焦げ臭い匂いと、静まり返った広場だけだった。

 財務卿が微かに眉間を歪めて暗闇を見下ろす中、床に転がった通信結晶から、エマの掠れた、しかし決して折れない声だけが冷たく響き、直後に結晶自体が粉々に砕け散った。


『……本日の市場はこれにて閉場です、財務卿。次に会う時が、貴方の決算日です。 1 ゴールド の誤差もなく、すべてを清算して差し上げます』



査定員エマの業務日誌:今回の用語解説


特別な損失(とくべつそんしつ)

通常の業務活動とは関係なく、臨時的、および偶発的に発生した巨額の損失のことです。財務卿は、維持してきた「模造聖剣」という看板を、修復不可能と判断するや否や、一瞬の躊躇もなく廃棄物として処理しました。彼の冷徹な損切りは、経営判断としては正しいですが、人倫という名の変数を無視しています。


自転車操業(じてんしゃそうぎょう)

資金繰りがつかず、新たな借金で以前の借金を返済し続ける、破綻前提の経営状態です。財務卿の政策は、未来の国民の命を前借りしているだけであり、いずれ必ず国全体が回復不能な不渡りを起こします。その時、誰がその負債を背負うのか。彼は答えていません。


資産の凍結(しさんのとうけつ)

対象の流動的な資産を強制的に使えなくする処置です。転じて、絶対的な魔力と権威によって空間そのものの動きを封じる財務卿の切り札ですが、今回はビアンカの「空間の強引な買収」によって物理的に上書きされました。資本の力は、時に物理法則さえもねじ伏せます。


魔断(まだち)

不正な魔力供給路や空間の接合点を物理的、および魔導的に切断する執行プロセスです。エマが空間の脆弱な座標(ノード)を算出し、ヴォルフがそこを断ち切ることで、財務卿の「凍結」という術式に一時的な不一致を生じさせました。


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