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さえないおっさん魔術師は役不足と初心者パーティーを追放される  作者: 水源


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第1話 おっさんは魔術師である

 ゴブリン。


 それは、人間に害をなす亜人である。一匹だけなら、それほど強くはなく、剣の訓練を積んだ者なら、そう苦労せず倒せる程度の相手だ。


 だが、厄介なのは、その数だった。


 ゴブリンは独自の言語を持ち、仲間同士で意思疎通を行ううえ、部族を作って集団で狩りをする。しかも繁殖力が異常に高いため、一度住み着かれてしまえば、完全に殲滅することは難しい。


 森の奥、洞窟、廃鉱、遺跡、そして人の住まなくなった廃墟など、ゴブリンは人間の生活圏から離れた場所なら、どこにでも住み着き、数が増えれば人里へ降りてきて、家畜を襲い、畑を荒らし、ときには人間そのものまで襲う。


 辺境の村にとって、それは決して笑い事ではなく、だからこそ、そうした厄介事を引き受ける連中がいる。


 酒と煙草の煙が充満する、酒場兼宿屋兼賭場――酒場(サルーン)。

 そこに集う荒事師たちは、自らを――宿無渡鳥(ワイルド・ギース)と呼んでいた。

 貴族や商人の家に生まれた三男、四男。相続権を持たない者。家を勘当された者。身分を失った者。そして、他に生きる道がなかった者。そんな連中が、己の腕一本で食い扶持を稼いでいる。


 そんなサルーンの壁に、一枚の依頼書が貼られていた。

 ――ゴブリンに村の家畜が襲われています。

 ――どうか助けてください。


「またゴブリン退治か」


 依頼書を眺めながら、一人の若者が小さく呟いた。革鎧に身を包み、腰にはショートソードを下げている。


 彼の名はアレクサンダー。まだ若い戦士だった。


「報酬、安いな」


 そう言って眉を寄せるアレクサンダーの隣で、別の男が依頼書へ顔を近づけるようにして内容を確かめる。革のジャケットを身につけ、投げナイフを装備した身軽な男で、斥候のベネディクトだ。


「でも、俺たちにはちょうどいいんじゃないか?」


 ベネディクトは依頼書から視線を外すと、軽く肩をすくめながらアレクサンダーを見る。


「初仕事には悪くないだろ」


「そうだな」


 アレクサンダーも頷き、それから少し離れた席にいる青年へ目を向けた。


「シーザーは?」


「ゴブリンの数次第だな」


 僧衣をまとった青年が、落ち着いた表情で答える。修道士のシーザーだった。


「五匹程度なら問題ないだろう。二十匹、三十匹となると話は変わるが」


 シーザーは依頼書を見ながら、必要以上に楽観視しない口調でそう告げる。


「依頼書には五匹程度って書いてある」


 アレクサンダーが指で依頼書を軽く叩くと、シーザーは一度頷いた。


「なら受けてみるか」


「ああ」


 三人は顔を見合わせ、それぞれ頷いた。


 彼らは、まだ駆け出しだった。だからこそ、ゴブリン退治はちょうどいい。危険はあるが、いきなり命懸けの依頼を受けるよりは経験を積みやすい。そんな考えだった。


「……ただな」


 アレクサンダーはそこで何かに気づいたように眉をひそめ、周囲を見回した。


「一人足りない」


「魔術師か?」


 ベネディクトが察したように尋ねると、アレクサンダーは頷いた。


「ああ」


 前衛の戦士、斥候、修道士。悪くない。

 だが、遠距離攻撃がない。


「誰か、ゴブリン退治を手伝ってくれる魔術師はいないかー!」


 アレクサンダーは両手を口元に当て、サルーン中に聞こえる声で叫んだ。しかし、誰も手を上げない。周囲の冒険者たちは酒を飲みながらこちらをちらりと見るだけで、興味がないとばかりに視線を戻していく。


 当然だった。魔術師は貴重である。魔法を覚えるには金がかかるし、そんな人間が、わざわざ安いゴブリン退治を受ける理由はない。


「……やっぱり無理か」


 アレクサンダーが肩を落とし、諦めたようにため息を吐いた、そのときだった。


「あー」


 少し離れた席から、間の抜けたような声が聞こえた。


「よければ、私が加わりましょうか?」


「え?」


 三人が同時に振り返る。


 そこにいたのは、白いローブをまとった男だった。


 手にはワンドを持っている。だが、それ以外に目立った装備はない。魔術師なら持っていることの多い魔法書すらなく、身体もひょろりとして細い。髪には白いものが混じっており、どう見ても冴えない中年男にしか見えなかった。


「魔術師……?」


 アレクサンダーが少し警戒するように男を見つめる。


「はい」


 男は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。

 そのとき、シーザーはふと違和感を覚えた。

 この男は、いつからそこにいたのだろう。


 酒場はそれほど広くない。しかもドレヴァンツの席は三人のすぐ近くではなかった。それなのに、さっきまで彼がそこにいることを、シーザーはまるで意識していなかった。


「本当に?」


 ベネディクトも不思議そうに尋ねた。


「ええ」


 男は慌てる様子もなく頷き、椅子から立ち上がる。

 その動きは、見た目の年齢から想像するよりずっと軽かった。


「私はドレヴァンツと申します」


 男は丁寧に一礼した。

 その所作を見たアレクサンダーは、妙に古風だな、と感じた。


「……ドレヴァンツ、ね」


 名前を聞いたベネディクトが首を傾げる。


「どこかで聞いたような気がするんだが……」


「気のせいでしょう」


 ドレヴァンツは笑って流した。

 あまりに自然な答えだったので、ベネディクトもそれ以上は追及しなかった。

 アレクサンダーはしばらく男を眺め、それから仲間たちとも視線を交わしたあと、まあ断る理由もないか、といった具合に肩をすくめた。


「……まあ、助かる」


「ありがとうございます」


 ドレヴァンツは嬉しそうに軽く頭を下げる。


「ところで、どんな魔法が使える?」


 アレクサンダーが確認するように尋ねると、ドレヴァンツは少し申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「火炎弾だけです」


「……だけ?」


「はい」


 そう答えると、ドレヴァンツは恐縮したように小さく頭を下げた。


「それ以外は、まともに使えません」


「火炎弾って、どのくらいの威力だ?」


 ベネディクトが聞くと、ドレヴァンツは少し考えるように顎へ手を当てた。


「そうですね……調整次第ではありますが、一般的なものと大差ありませんよ」


「調整?」


「ええ。火の温度や密度を変えたり、飛ばし方を変えたりする程度です」

 ドレヴァンツは何でもないことのように答えた。


 ベネディクトは一瞬黙ったが、「まあ、火炎弾が使えるならいいか」と肩をすくめた。


「なるほど、その歳で初歩的な魔法である火炎弾しかつけないから、誰も組んでくれないのか」


 アレクサンダーは納得したように頷いた。


「まあ、遠距離攻撃があるだけ助かるな。

 よろしくな、おっさん」


「こちらこそ」


 ドレヴァンツは気を悪くする様子もなく、にこやかに答えた。


 こうして、四人目が決まった。

 ただし、この時点で、シーザーはひとつだけ気になっていることがあった。


 ドレヴァンツがワンドを持つ手だ。

 細いく、老人のように皺もある。


 だが、指先には妙な力があった。

 杖を握っているというより、長年使い込んだ道具を身体の一部として扱っているような、そんな自然さだった。


 シーザーは一度だけその手を見つめ、それから視線を逸らした。

 ――まあ、気にするほどではない。

 このとき、三人はまだ知らなかった。

 この冴えないおっさんが――自分たちの想像を遥かに超える化け物だということを。


     ◆


 村までは徒歩だった。


「馬車に乗る金がないってのも悲しいな」


 アレクサンダーは歩きながら苦笑し、腰のショートソードへ手を添える。


「鎧を着て歩くのは疲れる」


「おっさんは魔術師だし大丈夫か?」


 ベネディクトが振り返り、少し冗談めかした笑顔を浮かべて尋ねる。


「私は大丈夫ですよ」


 ドレヴァンツは涼しい顔で答えた。


「本当か?」


「ええ」


 そう答えるドレヴァンツの足取りには、疲労らしいものがまるで見えなかった。

 ベネディクトやシーザーは歩くことに慣れている。だが、魔術師は普通、こんな長距離を歩かない。


「結構体力あるんだな、おっさん」


 アレクサンダーが感心したように言うと、ドレヴァンツは照れたように笑った。


「まあ、それなりには」


 その直後、ベネディクトが振り返った。


「……ん?」


「どうしました?」


「いや」


 ベネディクトは首を傾げる。


「おっさん、さっきから足音がほとんどしないな」


「そうですか?」


「俺より静かだ」


「長年の癖ですよ」


 ドレヴァンツは笑って答えた。

 ベネディクトは納得したようなしないような顔をしたが、それ以上は追及しなかった。

 その一方で、ドレヴァンツは何気なく周囲へ目を向けていた。


「……風向きが変わりましたね」


「ん?」


 アレクサンダーが振り返る。


「何か分かるのか?」


「いえ、ただの気配ですよ」


 ドレヴァンツは笑って誤魔化した。

 だが、シーザーはその言葉を聞いて、少しだけ眉を寄せた。

 風向きが変わっただけで、ここまで分かるものなのか。


     ◆


 村に到着すると、四人は村長から話を聞いた。

 家畜が襲われたこと、何匹かは殺され、何匹かは持ち去られていること、そして目撃されたゴブリンは五匹ほどだったという。


「五匹なら何とかなるな」


 アレクサンダーが自信ありげに言うと、ベネディクトは腕を組んだまま首を振った。


「足跡が五匹ってだけだろ?」


「ああ」


「なら、実際にはもっといるかもしれない」


「十匹?」


「二十匹くらいいるかもしれない」


 ベネディクトがそう言うと、シーザーも慎重な顔で頷いた。


「その可能性は考えておこう」


 すると、それまで黙っていたドレヴァンツが、森の方を見ながら口を開いた。


「二十匹程度なら、問題はないでしょう」


「おっさん?」


 アレクサンダーが怪訝そうな顔をする。


「いや、まあ……戦力的には、という意味ですよ」


 ドレヴァンツは笑った。


「そうか?」


「ええ」


 その言葉に、ベネディクトが少しだけ眉を上げた。

 まるで森の中のゴブリンの数を、すでに知っているかのような言い方だった。


「まあ、行ってみるしかないな」


 アレクサンダーは気に留めることなく腰の剣に手をやり、四人は森へ入った。

 先頭はベネディクト。その後ろにアレクサンダーとシーザーが続き、最後尾をドレヴァンツが歩く。

 森へ入ってしばらくすると、ベネディクトが何度か立ち止まって周囲を確認した。

 だが、ドレヴァンツのほうが早かった。


「右です」


「え?」


 ベネディクトが驚いた顔で振り返る。


「ゴブリンは右の斜面を通っています」


「なんで分かる?」


「……匂いですかね」


「匂い?」


 ベネディクトは思わず鼻を鳴らした。

 自分には何も感じない。


「まあ、長く生きていると色々分かるようになるものですよ」


 ドレヴァンツは笑って答えた。

 ベネディクトは納得できない様子だったが、言われた方向を調べてみると、実際に小さな足跡が見つかった。


「……本当にいた」


 ベネディクトが驚いた顔で呟く。

 ドレヴァンツは何も言わず、ただ微笑んでいた。

 しばらく進んだところで、ベネディクトが突然足を止めた。


「……」


 彼は片膝をつくようにして地面を調べ、やがて顔を上げる。


「ゴブリンの足跡だ」


 地面に残る小さな足跡を指差しながら、ベネディクトが低い声で告げた。


「こっちだ」


 四人は、さらに奥へ進んだ。

 森は静かだった。

 いや、静かすぎた。

 鳥の声も、獣の気配もほとんどなく、木々が揺れる音さえ、どこか遠く感じられる。


「……森が、ざわついてますね」


 ドレヴァンツが足を止め、周囲へ視線を巡らせながら呟いた。


「ん?」


 その声に気づいたシーザーが振り返る。


「何かいるのか?」


「ええ」


 ドレヴァンツは穏やかな表情のまま周囲を見回した。


「近いですね」


 シーザーは眉をひそめた。

 自分には何も感じない。

 ベネディクトですら周囲を警戒しているだけだ。

 だが、ドレヴァンツだけは妙に落ち着いていた。


「どのくらい近い?」


「そうですね」


 ドレヴァンツは少し考えたあと、森の奥へ視線を向けた。


「……十数秒ほどでしょうか」


「十数秒?」


「ええ」


 その答えを聞いて、三人は意味が分からず顔を見合わせた。

 そして。

 次の瞬間、草むらが弾けた。


「GYAAAAAAA!」


 三匹のゴブリンが一斉に飛び出し、錆びたナイフを振りかざしながら、最後尾にいたドレヴァンツへ襲いかかった。


「おっさん!」


 アレクサンダーが咄嗟に剣へ手をかけ、声を張り上げる。


「危ない!」


 だが、ドレヴァンツは動かなかった。

 いや。

 正確には――動き出した。


「……活動筋力」


 迫るゴブリンを見ながら、ドレヴァンツが小さく呟く。


「三十パーセント開放」


「反射神経増幅」


「骨組織置換」


 その言葉を聞いた瞬間、シーザーは目を見開いた。

 詠唱。

 魔法の発動にしては、あまりにも短い。

 そもそも、そんな術式を聞いたことがない。

 ヒュッ、と一陣の風が吹いた。


 アレクサンダーたちが何が起きたのか理解するより先に、ドレヴァンツの姿がゴブリンの間へ滑り込む。

 バキィッ!


「GAAAAA!」


 一匹目の膝が、あり得ない方向へ折れ曲がった。ドレヴァンツの蹴りだった。


 続いて、ズドンッ!

 二匹目の腹部へ蹴りが突き刺さる。


 巨体でもない。大振りでもない。

 ただ、軽く踏み込んで足を出しただけに見えた。


 それなのに、その一撃を受けたゴブリンの身体は、まるで木の葉でも吹き飛ばされたように宙を舞った。


「GA……」


 そして。


 パァン!


 三匹目の頭部が弾けた。


「……」


「……」


「……」


 三人は、目の前の光景を理解できず、その場に固まっていた。

 ドレヴァンツはそんな三人を気にする様子もなく、何事もなかったかのようにローブを整える。

 その表情には、誇らしさも驚きもなかった。

 ただ、少し困ったような顔をしていた。


「ふむ」


 そして、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。


「まだまだ駆け出しとはいえ、足技の魔術師と呼ばれた私を侮ってもらっては困りますな」


「……足技の魔術師?」


 アレクサンダーの声が裏返る。


「ええ」


「魔術師って、普通こう……」


 アレクサンダーはドレヴァンツのワンドへ視線を落とした。


「魔法を使うもんじゃないのか?」


「もちろん使いますよ」


 ドレヴァンツは不思議そうに首を傾げた。


「じゃあ、さっきのは?」


「肉体強化系魔術です」


「……」


 シーザーは何かを言いかけたが、言葉にならなかった。

 肉体強化魔術。

 その言葉自体は知っている。

 だが、それをあれほど瞬時に複数重ねて使う術者を、彼は見たことがない。


「ゴブリンの強さが分からなかったので、三十パーセントほど筋力を開放してみました」


「三十パーセント……」


 アレクサンダーは信じられないものを見るような目でドレヴァンツを見つめる。


「二十パーセントでも十分だったかもしれません」


「……」


 その言葉を聞いたアレクサンダーは、とうとう片手で頭を抱えた。


「じゃあ、普段のその身体は?」


「これですか?」


 ドレヴァンツは自分の腕を持ち上げて眺める。細い。ひょろい。とてもではないが、さっき三匹のゴブリンを蹴り殺した人間には見えない。


「ああ。筋肉は維持するだけでもエネルギーを使いますから」


「うん」


「普段から活性化させていると食費が馬鹿にならないんですよ」


「そこを気にするのかよ……」


 呆れたようにアレクサンダーが呟くと、ドレヴァンツは真顔で頷いた。


「冒険者は経費も重要ですから」


 その答えに、シーザーだけが複雑そうな表情を浮かべた。

 どう考えても、この男は自分が知っている「普通の魔術師」ではない。

 だが、そんな疑念を確かめる暇はなかった。


「妙に現実的だな!」


 アレクサンダーが両手を広げた、そのときだった。

 森の奥から、これまでとは比べ物にならない咆哮が響いた。


「GYAAAAAAA!」


「何だ!?」


 四人が一斉に奥へ目を向けると、木々の間から巨大な狼が飛び出してきた。その背には、ゴブリンが乗っている。


 ゴブリンライダーだ。

 しかも一匹ではない。

 その後ろから、ぞろぞろとゴブリンたちが姿を現してくる。


「数が多い!」


 ベネディクトが目を見開きながら叫ぶ。


「おっさん!」


 アレクサンダーも振り返り、今度は迷いなくドレヴァンツへ声をかけた。


「今度こそ魔法を頼む!」


「お任せください」


 ドレヴァンツは静かな笑みを浮かべたまま、一歩前へ出た。

 そして、敵の数を見てほんの少しだけ目を細める。


「……これなら、少し強めでも大丈夫でしょうか」


「何?」


 アレクサンダーが聞き返したが、その時にはもうドレヴァンツは魔法を発動していた。


「火球生成」


 すると、その手のひらに小さな火球が生まれる。


「……小さいな」


 アレクサンダーが思わず呟くと、ドレヴァンツは申し訳なさそうに頷いた。


「ええ」


「私がまともに使える攻撃魔術は、これだけですから」


 しかし、シーザーは火球を見ていた。

 小さい。

 あまりにも小さい。

 火炎弾というなら、もっと大きくすることもできるはずだ。

 なのに、この男は、あえてこれほど小さな球体にしている。

 まるで――。

 小さければ小さいほど、扱いやすいとでも言うように。

 ドレヴァンツは何気なく火球を地面へ落とした。


「……?」


 三人が揃って首を傾げる。

 その瞬間、ドレヴァンツが足を振り上げた。


「火球よ」


 その声は穏やかだった。

 まるで、長年連れ添った相棒へ語りかけるようだった。


「もっともっと――」


 足が勢いよく振り下ろされる。


「熱くなれよおおおおおおおおおおおおおお!」


 ズドォン!

 火球が蹴り飛ばされた。


「いけぇ!ファイヤーショット!」


「ファイヤァァァァァァァァァァァァ!」


 炎の弾丸が森を駆け抜ける。

 赤かった炎が黄色へ変わり、黄色が白へと変わっていく。

 そして――。

 青白い閃光へと変わった。


「……え?」


 ベネディクトが呆然とした顔で呟いた。

 シーザーは目を見開いたまま、ただ飛んでいく光を見つめていた。

 この魔力密度。

 この速度。

 この制御。

 こんな魔法を、こんなふざけた方法で。


「ありえない……」


 シーザーが小さく呟いた。

 だが、その声は爆音にかき消された。


 次の瞬間。

 世界が白くなった。


 ドゴォォォォォォォォォォォン!


 爆音が轟き、猛烈な熱風と衝撃が森全体を薙ぎ払った。ゴブリンライダーが消え、狼も消え、その後ろにいたゴブリンたちもまとめて消えた。


 木々が吹き飛び、地面が大きく抉れ、森の奥まで炎が走る。


 そして、その炎に巻き込まれたものの中には、本来なら人類そのものを脅かす存在へ成長していたゴブリンエターナルチャンピオン、ゴブリンアークメイジ、ゴブリンダークハイプリースト、そんな化け物たちも含まれていた。


 その中の一匹は、消滅する直前、何かを察したように空を見上げていた。

 まるで、自分たちより遥か上にいる「何か」を見つけてしまったように。


 しかし。

 誰も知らない。

 世界の危機は、誰にも知られぬまま消滅した。


     ◆


「……」


「……」


「……」


 四人はしばらく黙っていた。

 あまりに凄まじい光景を前に、誰も簡単には言葉を出せなかったのだ。

 やがて、アレクサンダーが恐る恐る周囲を見回しながら呟く。


「……終わった?」


「終わったな」


 ベネディクトが乾いた声で答える。


「うむ」


 シーザーも頷いた。

 ただし、その表情は明らかに先ほどまでとは違っていた。

 彼はドレヴァンツを見ている。

 何かを理解しようとするように。


「……どうしました?」


 ドレヴァンツが首を傾げる。


「いや……」


 シーザーはしばらく黙っていたが、結局首を振った。


「何でもない」


 今ここで聞いたところで、答えが返ってくるとは思えなかった。

 だが、ひとつだけ確かなことがある。

 この男は、ただの「火炎弾しか使えない魔術師」ではない。

 そんな確信だけが、シーザーの胸に残っていた。


 だが、問題はその後だった。

 討伐報酬には、証明部位が必要だった。

 耳でも、牙でも、魔石でもいい。とにかく討伐した証拠が必要なのだ。


 アレクサンダーは周囲を見回した。

 何もない。

 炎と破壊の痕跡ばかりが広がり、先ほどまで大量にいたはずのゴブリンの姿は、影も形も残っていない。


「……三匹分しか残ってない」


 アレクサンダーが乾いた声で言うと、ベネディクトも辺りを見回しながら頷いた。


「そうだな」


「他は?」


「消し飛んだ」


 シーザーが淡々と答える。


「……」


 結果、村へ持ち帰ることができたのは、最初に倒した三匹だけだった。


 報酬も三匹分。

 世界を救った。

 しかし、報酬は三匹分。


「……申し訳ありません」


 ドレヴァンツが申し訳なさそうに頭を下げる。


「私がほとんど消してしまったので」


「いや……」


 アレクサンダーは複雑そうな顔でドレヴァンツを見つめ、しばらく言葉を選んだあと、ため息をついた。


「おっさん」


「はい」


「悪いけど、俺たちとはもう組めない」


「……!」


 ドレヴァンツが目を見開く。


「ゴブリン退治は――」


 そこでアレクサンダーは、できるだけ傷つけないようなつもりで言葉を選びながら続けた。


「おっさんには役不足だ」


「…………」


 ドレヴァンツの顔から、すっと笑みが消えた。


「そう、ですか……」


「ああ」


「私には……役不足……」


 ドレヴァンツは肩を落とし、視線を地面へ落とす。


「申し訳ありません」


 そして、トボトボと歩き去っていった。


 その背中を見送りながら、シーザーが怪訝そうな顔でアレクサンダーを見る。


「……なあ」


「何だ?」


「お前、ちゃんと『役不足』の意味分かってるか?」


「分かってる」


 アレクサンダーは自信ありげに胸を張る。


「本当に?」


 シーザーが眉を上げながら念を押す。


「ああ」


 しかし、シーザーはため息をついてから、呆れたように説明した。


「役不足っていうのは、本人の実力に対して役が軽すぎるって意味だぞ」


「……」


 アレクサンダーが固まった。


「つまり……」


「あのおっさんには、ゴブリン退治なんて簡単すぎるってことだ」


「……」


「もっと強い相手と戦え、って意味になる」


「…………」


 アレクサンダーは言葉を失い、遠ざかっていくドレヴァンツの背中を見る。


「お前、そういう意味で言ったんだよな?」


「もちろんだ」


 そう答えたアレクサンダーの声には、妙な強がりが混じっていた。


「ならいいんだが」


 シーザーもドレヴァンツの背中へ目を向ける。


「……でも、たぶん逆に受け取ってるぞ」


「まさか」


「『ゴブリン退治をする実力もない』って」


「そんなわけないだろ」


「だよなぁ」


 二人は顔を見合わせた。

 しばらく沈黙したあと、シーザーはドレヴァンツの背中を見ながら小さく呟いた。


「……それにしても」


「何だ?」


「最後の魔法、妙だったな」


「そうか?」


「ああ。あれほどの威力なのに、本人は驚いていなかった」


 アレクサンダーは少し考え、それから首を傾げた。


「自分の魔法なんだから、普通はそんなもんじゃないか?」


「……いや」


 シーザーは苦い顔で首を振る。


「普通なら、自分が何をしたのか分からないほどの魔法なんて使えない」


「まあ、確かに」


 ベネディクトも腕を組みながら頷いた。


「でも、本人は『少し強めでも大丈夫でしょう』って顔だったな」


 三人はしばらく黙り込んだ。

 しかし結局、答えは出なかった。


「まあ、報酬を受け取りに行こう」


 アレクサンダーが気まずそうに咳払いをして言う。


「ああ」


「三匹分でも金にはなる」


「そうだな」


 三人は村へ戻った。

 ささやかな報酬と、村人たちが開いてくれた小さな宴。それだけだったが、彼らにとっては十分だった。


     ◆


 一方、山道を歩く男が一人。

 ドレヴァンツだった。

 しばらく歩いたところで、彼はふいに立ち止まった。


「役不足……か」


 そう呟きながら、ドレヴァンツは自分の手をじっと見つめる。


「そうか」


 やがて、口元に小さな笑みを浮かべた。


「私は、まだまだ弱いのだな」


 その言葉は、先ほど村人たちから聞いたどんな評価よりも、本人にとっては嬉しいものだった。

 ドレヴァンツは拳を握る。

 その瞬間、細い腕の筋肉がわずかに膨らんだ。

 だが、すぐに力を抜く。


「確かに、最近は少々自分を過大評価していたのかもしれません」


 ドレヴァンツはそう呟きながら、自分自身へ言い聞かせるように頷いた。

 そして、少しだけ楽しそうに笑う。


「しかし……なるほど」


「私の力では、まだあの程度が限界ということか」


 彼の脳裏に浮かんでいるのは、先ほどの爆発だった。

 当然、彼は自分が何をしでかしたのか正確には理解していない。

 ただ一つだけ、彼には気がかりなことがあった。


「火球の温度も、もう少し上げられそうだったな」


 そう呟く。


「次は、もう少し丁寧に調整してみるか」


 それは、どう考えても普通の魔術師がする反省ではなかった。


「よし」


 ドレヴァンツは顔を上げる。


「また山へ籠もろう」


 先ほどまでの重い足取りが嘘のように、その足取りは軽くなっていった。


「五十年……いや、百年でもいい」


「もっと修行しよう」


「もっと強くなろう」


 その言葉を口にするたび、ドレヴァンツの表情は少年のように明るくなっていく。

 彼は知らない。

 つい先ほど。

 たった一発の蹴りで、世界を滅ぼしかねない存在をまとめて消し飛ばしたことを。


 彼は知らない。

 自分が弱いと思っているその魔術が、人類史上、誰一人として再現できないほどの威力を持っていることを。

 彼は知らない。


 自分が「火炎弾だけ」と呼んでいる魔術が、本来なら何代もの研究者が人生を費やしてようやく触れられる領域の技術だということを。

 そして。


 彼は知らない。

 この世界で古い魔術師たちが語り継いできた、ある禁忌の理論。


 人体そのものを魔力で再設計し、筋力、反射、神経、骨格の限界すら超えてしまうという、ほとんど神話のような技法。

 それを、彼が何の気なしに使っていたことを。


 ましてや。

 彼は知らない。


 今から五十年、山に籠もって修行するということは――世界最強の魔術師が、さらに五十年間、修行を続けるということなのだ。


「もっともっと、高みを目指さねば!」


 ドレヴァンツは笑顔で山を登っていく。

 その背中を見れば、誰も世界最強の魔術師などとは思わないだろう。

 むしろ、新たな修行の目標を見つけたことが嬉しくて仕方がない、そんな老人そのものだった。


 ――だが。


 本人だけは、本気で思っている。

 自分は、まだ弱い。

 まだ足りない。

 まだ届いていない。

 だからこそ、もっと修行しなければならない。


 その思いだけを胸に抱えて、ドレヴァンツは山の奥へと消えていった。


 ――こうして、世界を救った男は。


 自分を「弱い」と思ったまま、再び山へ帰っていった。

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