星空の下で
1
新一とアミルナは、まだ抱き合っている。もうそろそろ、抱き合って十分ちかくがたとうとしているのに、だ。
理由は単純、お互いに相手を離す、離れるタイミングを逸してしまい、離れるに離れられなくなってしまっているのである。
傍目には、今も熱烈な抱擁と映っていても、二人とも心のなかでは、いつ離そうかと、そればかりが考えられていた。
むろん、離れるためのきっかけをなににするべきか、まったく考えられずにいる、というわけではない。
二人とも、答えを見いだしてはいた。
だが、アミルナのほうから行動したのでは新一の面子が立たないと同時に自分の純粋さを疑われてしまうのでは、との懸念があり実行するわけにはいかず、新一が動いてくれるのを待つしかない。
一方、新一はというと、それをするべきであることはアミルナと抱き合う以前から判っており、自然にそうなるはずだった。
しかし・・・これじゃぁな。
心の中に冷や汗を掻きつつ、先走りする心を理性で抑え続ける新一。
本来あるべき、その自然な心の成りゆきを阻害しているのは、抱きしめているアミルナの温もりを感じていてさえ、背中に突き刺さってくるのを否定できない無形の矢、120万人分の視線である。
別に見られたからといって、どうということはない。この時点で、二人の結婚は規定の事実なのだから、どこからも文句のつけられるいわれはないのだ。
しかし、見られていては大いにやりにくい事というのもあるのである。
例えば、キス。接吻、口づけ、だ。
ゴクリ…静まり返った空間に、自分の生唾を飲み込む音だけが、やたらと大きく聴こえる。そして、アミルナの熱い吐息と激しい鼓動が、新一を責め立てるかのように強く伝わってきていた。
「・・・ルナ」
そっと優しく、囁く新一。
ちょうどアミルナの左、耳元である。
囁きに弾かれたように反応して、身体を心持ち強ばらせながらも、アミルナは新一の胸に埋めていた顔を上げ、ゆっくりと瞳を閉じた。
その動きに呼応するように、新一もゆっくりと顔を寄せる。右手ではアミルナの細いあごを、そっと支えていた。
120万におよぶ観客は、その様子を固唾を呑んで見つめている。
やがて、二人の唇が、互いに引き合うかのようにして重なり……あわなかった。
『あー! これは・・・!!』
せっかくの良いところに水を差したのは、件のポンコツアナウンサーである。
レースでの前後に脈略のない実況なら聞き流していれば、まだ我慢できる。 しかし、この場面での意味のない叫びなど許容できるわけがなかった。
声が発せられた、その刹那、その場にいた全ての人は白く、冷たい目をアナウンサーへと向けた。
が、その怒りは瞬時にして恐怖にとって変わられることになる。
アナウンサーの背後に設置されていたレース実況用の大スクリーンには、後続の船、ビッキャロン男爵とピンカーソンの船が互いに絡み合うような、奇妙な動きをとっている姿が映し出されていたのだ。
それは、どう見ても正常な操縦による動きではなく、一目で制御不能になって暴走しているのだと判るものだった。恐らく、二隻とも出るはずのない速度を出そうと無理をしすぎ、機関部分が暴走を始めたのだろう。
二隻の船。グララスとタマリンドのパイロットたるビッキャロンとピンカーソンの二人が、緊急脱出用のカプセルで飛び出すのが見える。
航行能力もなく装甲もないに等しい。船から脱出することだけを考えて作られ、飛び出した後は救援が来るまで宇宙空間に浮いているしかない簡易カプセルである。
ピンカーソンはともかく、ビッキャロン男爵がこれほどまでに、追いつめられるような無理をするのは珍しい。
たが、問題なのは、そのことではなく。二隻の船が向かっている方角にあった。
その方向にはアタージョが持つ衛星の一つ、クルドがあったのである。もしこのまま、二隻の船がクルドにぶつかったりすれば、もとから重力のバランスが崩れかけている星のこと、衛星軌道を外れてアタージョへと落下することは疑いない。
そうなれば、二重外郭という不安定な地盤が崩壊して、惑星ともども無数の命が失われるであろうことも、避けようがなかった。
そうと気がつき、人々の間では細波のような囁きが拡がっていく。
このままではパニクるのも時間の問題であろう。
「これは・・・、どうしょうもないなぁ。規模が大き過ぎて手がだせんわい」
そんな雰囲気の中で平然と呟いたのは、娘のキス・シーンを見せつけられそうになっていたカンターピレ王のハリードラーである。
賞品に出したとはいえ、実の娘が知らない男とキスする姿を目の当りにするのは辛いものがある。
それよりは、衛星が落ちてくるところを想像するほうが精神的に穏やかでいられる、というのは父親として当然といえば当然のことであった。
「そうですわねぇ。この星の人たちをみんな脱出させるには、時間も船も足り無さ過ぎますものね」
やんわりと相槌をうつのは、この王にしてこの王妃あり、といった感じのフェティーシアであった。
この緊迫した状況の中で、果実からとった果汁ジュースをおいしそうに飲んでいられる。というのは肝がでかいのか単に神経が鈍いのか、どちらにしても緊張感の感じられない人である。
「さすがはルナのご両親だ。この状況でこの落ち着き、常人のものじゃぁない」
妙なところで妙な関心の仕方をする新一、その頬を細くしなやかな指が力一杯つねる。
「さすが、というのはどういう意味じゃ。わたしが常人ではない、と、そう言いたいのか? あの二人、いまやお主にとっても親なのだぞ」
笑顔で突っ込むルナ。事態の深刻さが判っていないかのような明るさである。
「わかってるさ。だからこそ、さすがなんじゃないか。いかにも、僕と君の親って気がするだろ?」
新一もまた、笑顔を絶やさずに応じる。
二人とも、この場合一家四人とするべきなのか、どうもこの家族は危機意識というものが薄いようだ。
いちばん偉い三人、王族がそろって逃げようとしない。
それどころか、この危機そのものをどこ吹く風といわんばかりに平然としているので、その場にいた者はみな、逃げたいとは言えなくなってしまった。
もしも彼らが逃げれば、我先にと120万の人々が乗るには少なすぎる船へと殺到し、収拾のつかない乱闘へと陥っていただろう。
そういう意味で、計算してかどうかは判らないが、彼らの態度はパニックを未然に防ぐこと効果絶大だった。
さらに、王族が平然としていることで、その場にいた人、テレビで見ていた人は皆、もしかしたら何か切り札を持っているのではないかと思い始めていた。
むろん、完全な買い被りなのだが・・・。
「こんなことなら近衛艦隊をつれてくれば良かったな。レース観戦には無用だと思い、いつもの移動宮だけで来てしもうたから、攻撃力がまったくないのだ」
悔やむハリードラー。それでも声の調子は実に爽やかである。
「・・・・・・もしかしたら、なんとかなるかも」
ほとんど何も考えていない国王、その王に期待している人々、どうにも不毛な状況の中、外見とは裏腹に事態の改善を考え続けていた新一が呟く。
その脳裏には突飛に過ぎるプランがあった。
あまりに危険で、ある意味捨て身の作戦である。が、今となっては他に方法がなかった。アスフォデルの能力とキッドの計算力。そして新一の閃きなくしては、実行は到底不可能な作戦である。
「やるっきゃない!」
叫ぶと同時に新一は愛機、アスフォデルへと駆け出している。
「シン? どこへ!!」
背後で上がったアミルナの叫びすらも無視して…。
「キッド! 緊急発進だ!! 衛星クルドを打ち砕くぞ!!」
アスォデルのコクピットへと文字通り飛び乗り、新一が命じる。
その時、すでにキッドの各レーダーは衛星の異状を察知しており、それによってもたらされる影響についても、完全に把握していた。ここにいては危険である、と。
だからこそ、新一が乗り込んでくる以前から、発進準備を整えてエンジンの暖気を終わらせてあったのだ。
「不可能です。この船には、あれだけの質量を持つ物体を破壊するだけの火器が備わっておりません」
そういいつつも、キッドはすぐさま機体を上昇させ、大気圏脱出速度へ移行するべく滑空を開始している。
「なにも、火器だけが武器とは限らないだろ。この船には、この船にしかない武器があるんだよ。いいから、クルドの正面に移動しろ!」
2
十数分後。新一はクルドとアタージョに挟まれる位置にいて、クルドを正面に見据えていた。
「キッド。重力場発生装置を全て艦首に集めてくれ。集めたらフル出力で稼動させるんだ! 暴走してもかまわないから!!」
ここまでくれば、S.Fアニメ好きの人なら新一の考えがある程度は判ったはずである。そう、ブラックホール砲、これを知っている人が何人いるかは疑問だが、これに代表されるような重力兵器を真似てみようと言うのである。
「艦首に高密度の重力場を発生させ、それを一点に収縮、一気に打ち出す。この船にならできるはずだ」
はず、か。
新一自身、これは相当無茶なことを言っているな。との苦い思いを胸に抱いていた。
しかし、できなければ、この船はもちろん惑星アタージョとそこにいる数千万の命が、宇宙から消えてしまうのである。
ここはできないことでもやらなければならない状況にあるのだった。
「・・・・・・・・・。理論的に可能ではあります」
新一の考えを論理演算能力を最大限使って検討したのであろう。
数瞬遅れて答えるキッド。
100ケタの計算も一秒どころか半秒以内でこなせるAI.Cのキッドにしてこれである。物理の苦手な新一には図りしえない複雑な計算をしたのに違いなかった。
「しかし、それは重力場を打ち出す。その一点のみを考えればのことで、この船が圧力や衝撃に耐えられるという保障はできかねます。第一、レースにおける損傷は考慮しておりません。考慮に入れるにはデータが少なすぎますので・・・」
一瞬期待させておいて、直後に不安をあおる。意識してやっているわけではなかろうが、神経に触るったらない。
「んなこたぁ、どうでもいい。とにかく、あれをあのまま落とすわけにはいかないんだ。急げよ!」
苛立ちを抑え切れない新一が喚く、常に冷静というか呑気だったこの男がこれだけ取り乱すのだ。
いかに切羽詰っているかが判ろうというものである。
超重力の塊、重い粒子を打ち出そうとする以上、的に当るまで数秒の間があるのは否めない。
その数秒が宇宙空間という特殊な環境では、しばしば命取りになることも事実である。
遠すぎれば何の効果も上がらず、近すぎればクルドを打ち砕くための重力場が、逆に守るべきアタージョを破滅に導くことも考られるのだ。
で、あれば実行して成果を上げるには早いうちに相互距離、とくにアタージヨとクルドの距離に気を配りつつ、タイミングを図って打たなければ失敗する確率が高くなる。
クルドを打ち砕くことには成功しても、アタージョへの影響が強くなるかも知れないのだ。そんなことになっては命を賭ける意味がない。
時間的にも、距離的にも、あまり猶予はなかった。
「重力場発生装置、移動終了。各機起動します。出力最大!」
キッドの声と共に、ホロビューには艦首に重力場発生装置を集めたアスフォデルの全体像と、しだいに膨れ上がり昂まっていく空間質量のイメージ映像が映し出されている。
やがて、そのエネルギーの昂まりは重力震を引き起こし、空間そのものをも歪曲させ始めた。それがクルドを粉砕することになるのである。
「艦首同軸上に極小のブラックホールを確認。衛星破壊レベルに到達しています。ただし、量子的安定に欠けているため長くは維持できません」
キッドの淡々とした報告を聞き、新一は密かに胸を撫で下ろした。
ブラックホールを発生させることができなかったり、発生した途端にアスフォデル自体が圧し潰される可能性もあったのである。
「だったらすぐに打ち出せ! なるべく中心を狙ってね」
中心さえ打ち抜いてしまえば、残る外側の破片などバラバラになるのは間違いない。
そうなれば、少なくともアタージョの外郭を破壊するほどの衝撃を生み出す程の質量は失われるはずである。
もっとも、アスフォデルはすでにクルドの真正面にいて、艦首の同軸上にクルドの中心点を置いてあるのだから当てるな、というほうが難しい。
新一の言葉を受けて、不安定ながらも発生し維持されている超重力のフィールドそのものが、一瞬にして斥力場モードに切り替わった重力場発生装置に弾かれ、クルドへ向かって移動する。
それはつまり、空間の歪みが移動しているということである。
これに触れたものは内側へ向かって崩壊し続け、無に帰すのだ。
「うまくいけば、ね」
理論的に可能なことと科学的に実行することの間には、一光年からの開きがある。
まして、あちこちにガタのきている機体である、最後の最後まで成功するか失敗するか、予断は許されない。
だが、今回ばかりは運命の女神も恋する若者に、その微笑みを投げかけてくれたらしい。 新一の目前で、衛星クルドは窪み、歪み、ひしゃげ、重力場の中心に向かって押し込められていき、やがて弾けた。
不安定だったブラックホールが消滅し、圧力が消えた刹那、押し込められていたクルドの破片が反動で爆発的に拡がったのである。
クルドは、水に沈められた角砂糖のように、宇宙という広大な空間の中に溶けていった・・・。
3
「奇麗だ・・・」
そのパーティーの席上、遠目に彼女の姿を見た新一は、思わず呟いていた。
カンターピレ王家専用の船であると同時に居所でもある移動宮クレッシェンド。新一のレース優勝と惑星アタージョでの活躍を讃え、アミルナ王女との婚約を祝うパーティーの席上である。
軽やかな中に厳格さと、慈愛、勇気と賞賛が入り混じるカンターピレ王家の宮廷音楽の流れる会場で、探し続けていた彼女を探し当てたとき、新一は息をすることさえ忘れて盛装に身を包んだ彼女に見とれていた。
初めて逢ったわけではない、この十日余りはほぼ毎日、その姿を目にしていたのだ。
しかし・・・。
今、改めてドレスアップした彼女を目の当りにしたとき、新一は率直に感動した。その美しさに、である。
これまでは、あの仰々しい言葉づかい以外は、これといって気にはならなかったはずの、新一の前では極力抑えられている王女としての彼女。その姿は、一日で英雄に祭り上げられたシンデレラ・ボーイの目にはまぶしすぎるものだった。
威厳が、風格が、気品が、物腰が、仕種の一つ一つが優雅に洗練され、風のような自然さで発揮されているのである。
新一好みになろうと、無理に普通の女の子を演じていたときとは比較にならなかった。あえて言葉で表現するなら、前者は静かに光を投げかけられる月の光であり、後者は地上の全てに輝きを与える激烈なる太陽の光である。
同年代の地球の少女たちが千人集まっても、彼女一人の魅力には太刀打ちできないだろう。そう確信するに充分な、可憐、艶やか、といった言葉を超越した美しさである。
彼女はその夜、透き通るように澄んだ湖色のイブニングドレスを、その身に纏っていた。ドレスの上からでも、豊満で均整のとれた身体のラインが見て取れる。
ドレスの蒼と、茜色の髪とが、見事な対比を成していた。
これ以上清烈な青はなく、これ以上に鮮やかな赤はない。と、新一は思った。そして、その赤と青を心のアルバムに焼き付けたのである。
初めて逢ったときから好きだった。
今では我身よりも大切と臆面なく公言できるほどに愛している。
これまでにも何度か人を愛したことはあった、だがそれらの、かつて経験したトキメキ全てが一瞬にして色褪せてしまうほど、その胸の高まりは強烈だった。
先刻までは、これ以上に人を愛することはできない。と、思っていたのだ。自分の中に、まだこれほどにトキメク心が残っていたとは、我がことながら不思議に思えてしまう。
それ以上に、こんな美しいものが存在していいのか、そんな女性と僕なんかが結婚していいのだろうかと思う。
新一にはいささか女性不審の気がある。奇麗な女性を見ると、すぐに忘れてしまうほど軽いものではあったが、女という生き物を完全には信じられない。
その思いは常に潜在的にではあったが、存在し続けていたのだ。
極言すると女性の美しさは全て、男をたぶらかすためにあるのだと、思っていたようなところがある。とくに、涙などは演出のための小道具のようなもので、信じるに足らない。
もちろん、心の中でそう思っていただけで、言葉や表情にはおくびにも出さずにきたが、女性、とりわけ恋に対しては心に防壁を一枚張って構えていたのである。
理由ははっきりしていた。
何人もの女にフラれ続けたからである。それも、飽きちゃったとか、プレゼントがせこいとか、そんな理由で、その事が新一を軽い女性不審に陥らせていたのだ。
その自分が、心に壁を作らずに人を愛せるようになったとは、と、不思議にすら思っていた。
それなのに、今や彼女なくしては生きられない。そう思えてしまうほど彼女に心酔している。それが我がことながら、信じられない新一だった。
惚れ直すとは、こういうことか。
同じ女性に二度惚れするなど思いもしなかったことだが、新一は今その言葉の意味を嫌というほど、骨身に染みて感じていた。
「今の僕はどうかしている」
偽らざる本心であった。
このまま彼女を見ていると、どうにかなってしまいそうになる。
呼吸が熱い。
自分で自分の鼓動と呼吸がわかる、本当に、彼女が僕のものになるのかと不安になってしまう。
もし、いま誰かに今までのことが全て冗談で、文明の遅れている地球人をからかっていただけだ。もう帰れ。とでも言われようものなら、はい、と素直に頷いてしまいそうである。
「あら、パーティーの主役が、こんなところにいていいの?」
振り向くと、ミレィエ技術長であった。こちらは髪と瞳の色そのままに青一色に染め抜かれたイブニングに長手袋、同じく青色のハイヒールと、まるで海に浮かんだ流氷のように見える出で立ちである。
「早く姫様のところに行ってあげてくださいな」
「それが・・・その・・・足がなかなか前に進んでくれなくてね。・・・本当に僕なんかが相手でいいのかな?」
ついつい弱音が出る新一である。
かっこいいなどと自惚れられるほど、自分のルックスに自信があるわけではない。
確かに、レースで優勝はした。だが、それとて運が良かったと言うしかない。
無論、運だけで勝ったというわけでもないが、とにかく運が良かった。
「・・・・・・では、姫様の婚約者たる資格を放棄し、二位以下の者、ディーバ・ハマンドリアやエル・ドラゴに功をお譲りになりますか?」
言われて言葉に詰まる新一である。
その脳裏には、レース開始当初に感じたことが思い出されていた。
あの時、新一は心に誓ったのである。
誰にもアミルナは渡さない、と。
「・・・・・・それだけは、勘弁してほしいな。・・・わかりました、行きますよ。他人から見て二人がどれほど不釣合いだとしても、僕が彼女を好きな事に迷いはないのだから・・・」
アミルナは恒星のような輝きを放ちつつ、深くソファーに腰掛け、時折祝いの言葉をかけてくる王国政府の重鎮や財界の大物たちと挨拶を交わしていた。
単なる社交辞令である。
だが、自身の婚礼に対する祝辞である限り、何度似たような言葉をかけられても悪い気分なわけはなかった。
今も、彼女は政府の要人であろう赤銅色の肌で、トパーズ色の髪と瞳を持つ男性とにこやかに話している最中だった。
「お話中のところ、お邪魔してもよろしいでしょうか?」
自分の婚約者と、その臣下の者に卑屈になってどうすんだ。と、自身を叱咤しつつも卑屈になってしまう新一である。
「そなたにたいして閉ざすべき扉を、わたしは持っておらん」
思わず両手が揉み手の態勢になり、うっすらと汗さえ掻いている新一の姿に、軽く微笑んでアミルナは答えた。
「お主とわたしの間で、そのような気遣いは無用じゃ。そうであろう、もう精神的に他人ではないのだからな」
さすがに王族の血筋というべきだろう、彼女の眼力はなかなかに鋭い。新一が抱く内心の戸惑いと不安を、完璧に看破しているのである。
ただ、精神的に、という言葉がかえって新一に動揺を与えることになることまでは気が回らなかったらしいが・・・。
「姫様。では、私はこれで・・・」
と、男のほうはそそくさと場を立ち去っていく。その一瞬、まさしく刹那の刻であったが、その男は新一を見て笑った。
アミルナに向けていた相手の心を受け入れる微笑みとは違う、拒絶の意味を含んだ愛想笑いである。
その笑いの後、なにか言いたげに唇がめくれかけたのだが、結局は一言も言わずに足早に去っていった。
ま、同じ男としては自分の星の王女様が、どこの馬の骨ともわからぬ蛮人に奪われて愉快な道理がないのだから、多少の反発はやむおえないところであろう。
「・・・・・・なんか、間の悪いときに声かけちゃったみたいだね」
王女としての彼女に対する他の政府要人の当りが強くなるようなこともあるのではないかと、いまさらながら気になり、新一は恐る恐る問うていた。
「・・・気にせずとも良い。どちらにせよ反発があるのは否めないのだ。早いうちに反応を見れた分だけよしとすべきであろう」
むしろさばさばした口調で言うアミルナだが、真顔と言うか、感情の感じられない、表情のない顔が、さほど楽観視できない状態であることを暗に示している。
「そんなことより、せっかく二人になれたのじゃ。もっと夢のある話しをしようではないか」
アミルナに誘われ、新一はパーティー会場の外にあるヴァルコニーへと出た。シェークスピアの“ロミオとジュレエット”の舞台にも使えそうな、凝った作りのヴァルコニーである。
会場とは教会のステンドグラスを思わせる色彩豊かなガラス戸と分厚い真紅のカーテンに遮られていて、会場内の喧噪はいっさい耳には届かず、暖かく深みのある宮廷音楽だけが、ゆったりと控え目に染み入るばかりだ。
「後悔しているのではないか? レースに勝ってしまったことを・・・」
レースに勝ってしまったこと、つまりアミルナとの結婚を事実上望んだこと、という意味である。
彼女にしても、生まれながらに王族であり、王族のものとして育てられていながら、その生活に窮屈さ、不自由さを感じることが少なくない。
そんな自分を考え、新一にもそのような気持ちを抱かせているのではないかとの危惧があったのだ。
その問いに対して、新一は瞬間的に笑って否定しようとした。冗談ととったように演技しようとしたのである。
しかし、それはうまくいかなかった。
笑おうとした新一の目に、意外なほどに真剣な目をしたアミルナの慈愛に満ちた顔が映り、その水晶のように透き通る瞳の奥に不安と恐怖、そして何より愛が閉じ込められているのを見てしまい、彼女がどんな思いで、こんな言葉を口にしたのかに気付いてしまったのだ。
彼女は不安なのである。王族という権威が新一を束縛しようとしたとき、彼にそれを受け入れることができるかどうかが。
彼女は恐かったのだ。王族になることのプレッシャーが新一を潰すことが、押し込められた新一が王族という特権を、ひいては自分を嫌うことになることが。
彼女は自分の中にある二種類の愛の形の狭間で悩んでいるのだ。何がどうなろうと、たとえ新一が嫌だと言っても自分の愛を全うするために、それこそ首に鎖をかけてでも側に置いておきたい想いと、新一が望まぬのであれば、どんなにつらかろうとも自分の愛から開放してあげようとする想い、相反する二つの想いが、彼女の心の中を駆け巡っていたのである。
「・・・・・・そうだなぁ・・・。さっきまではそんなことなかったんだけど、今では少し後悔しているよ」
彼女から視線を外し、答える新一。
途端に泣きそうになるアミルナ。
それでも、新一を困らせたくない女心なのか、必死に涙を零すまいと耐えるあたり、健気である。
「だって、そうだろう。愛する人のために命がけで闘ったのに、肝心のその人には、僕の気持ちの強さがまったく伝わってないんだものね。こんなことなら、レースに負けた後で誘拐すれば良かった」
照れながらもそう言って、左目をつぶってみせる新一。
「! ・・・・・・」
言われたアミルナのほうは、そっぽ向いてる新一の顔をまじまじと見つめ返して、呼吸を二度するだけの間を置いた後、頬だけでなく耳たぶまで真赤に染めて、うつむいてしまった。
「・・・・・・柄にもないことを言うな。聞いてるこっちのほうが照れてしまうではないか」
上擦る声を隠すこともできずに、うつむいたまま、言葉づらだけは強がって見せるアミルナである。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
数秒の沈黙。
いぶかしんだアミルナが顔を少しだけ上げて、上目で新一の様子を盗み見る。
「・・・シン?」
先刻とは違う意味で潤んだ瞳が新一を見上げ、気を悪くしたのかと心配気に名を呼ぶアミルナ。涙と気持ちの昂まりで、ハスキーになった声が妙にセクシーだ。
「・・・・・・」
それでも新一はアミルナの上に視線を残しながら、どこか遠くを見ているような印象を彼女に与え、立ち尽くしている。
「シン。わ、わたしは、あの・・・」
照れが先走って口にした言葉が、新一の気に触ったのだと誤解したアミルナが慌てて、弁解しようと試みるのだが、何を言えばいいのかがわからず言葉に詰まってしまう。
その言葉には耳を貸さず、新一は突如、乱暴なくらいの力を込めて彼女を抱き寄せ、見上げる姿勢のままの彼女の唇に自分の唇を重ねた。
驚いて目を見開くアミルナ。その目には、二人の輝かしい未来を象徴するかのような満点の星空が映っている。
それを、夢見ごごちで心に刻み、アミルナは瞳を閉じた。
名も知らぬ星々と、穏やかに流れゆく風の中、静かにたゆる弦の音と、新一の胸に抱かれて・・・。
エクスルターテ・ユビラーテ
(踊れ、喜べ、汝幸いなる魂)




