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第2話 夢と希望

訓練場を出る頃には、空は深い茜色から紫色のグラデーションへと溶け合っていた。


大通りには、日中の仕事を終えた冒険者や職人たちが溢れ始めている。武器屋の威勢のいい呼び込み、串焼き屋台から立ち上る香ばしい煙、建物の隙間から漏れ聞こえる無骨な笑い声。昼間の張り詰めた静寂とは打って変わった、冒険者の街特有の雑多で力強い日常の顔だった。

主人公は十人を引き連れ、大通りの喧騒から路地を一本入った、古びた酒場へと足を踏み入れた。

無垢材の太い柱と梁がむき出しになった、広々とした店内。すでに出来上がった大柄な戦士たちがジョッキを打ち鳴らし、フロアの隅では吟遊詩人が爪弾くリュートの緩やかな音色が漂っていた。

「おー、監督官の旦那じゃねえか!」

カウンターの奥から、エプロン姿の筋骨隆々とした店主が声を張り上げた。

「今日はえらく大所帯だな」

「新人たちを連れてきた。奥の長テーブル、空いてるか?」

主人公が指を立てて応じると、店主は十人の彼女たちへ視線を走らせ、目を丸くした。

「……おいおい、全員女か?」

「ギルドの新しい実験部隊らしい」

「へぇ……そいつは傑作だ」

店主は面白そうに髭を撫で、口角を吊り上げた。

「今夜はうちの店も賑やかになりそうだな! 一番奥を使ってくれ!」

案内された長い木製テーブルに、女性たちが思い思いの席へ腰掛けていく。最初は年季の入った酒場の空気に気圧され、どこか遠慮気味だった彼女たちだったが、次々と運ばれてくる大皿料理と果実酒、エールを前にすると、表情はあっという間にほころんでいった。

「うわ、待って! これめちゃくちゃ美味しそう!」

「あんた、昼もあんなに食べてまだ入るの?」

「模擬戦であれだけ動かされたんだから当然でしょーが!」

ギャルな子が声を弾ませながら、肉料理の皿を自分の前へと引き寄せる。その向かいでは、活発な子とボーイッシュな子がジョッキを片手に、早くも模擬戦の検証を始めていた。

「なぁ、あの監督の足運び、見えたか?」

「見えたけどさー! 飛び込もうとした瞬間にはもう軸がブレさせられてたっていうか……」

「完全にこっちの突進コースを読まれて誘導されてたよな」

一方で、魔法組のテーブルは技術論の熱を帯びている。

「そもそも射線管理の次元がおかしいのですわ。わたくしの雷撃の軌道を、前衛の背中で完全に遮られましたもの」

「あれ、絶対わざとでしたよね……」

「私の詠唱が終わるタイミング、完璧に先回りされてました……」

愚痴と悔しさが混ざり合いながらも、誰一人として下を向いている者はいない。主人公はその喧騒から少し外れた上座で、静かにエールの泡を啜っていた。

自分から会話の輪に割って入ることはしない。ただ、酒杯を傾けながら、彼女たちが互いにぶつけ合う熱量を穏やかな眼差しで見守っている。

「監督官って、普段はどこで飲んでるんですか?」

ふいに振られた問いに、主人公は肩を竦めて答えた。

「適当だな。その日、席が空いてる店にふらっと入るだけだ」

「えー、雑すぎません?」

「冒険者なんてみんなそんなもんだろ」

どっと小さな笑いが起きる。つられて主人公も、目尻に深い皺を刻んで笑った。その横顔には、昼間の圧倒的な武威など微塵も感じられない。

テーブルの端から、委員長な子はその様子をじっと観察していた。

(……不思議な人だ)

事前の書類と噂から想像していた人物像とは、印象が違っていた。過酷な戦場を生き抜いてきた歴戦の冒険者。どれほど威圧的で、近寄りがたい厳格な人物が現れるのかと身構えていたのだ。

だが、現実は違った。底知れないほど強い。十人で束になっても掠り傷ひとつ負わせられないほどに。それなのに、その力を誇示するような傲慢さが一切ない。

部下が騒いでいても咎めず、上官風を吹かせて武勇伝を語ることもない。ただ、女性陣が笑い合っている姿を、まるで自分のことのように嬉しそうに眺めている。

「……なんか、不思議な人ですよね」

ぽつりと漏れた委員長な子の呟きに、隣に座っていたヒーラー――静かな子が、小さく頷いた。

「うん」

短い、吐息のような返事。けれど、ジョッキを見つめるその横顔と声音には、隠しきれない柔らかな温もりが滲んでいた。


最初の模擬戦から、ちょうど一か月が過ぎていた。

正式稼働前の彼女たちは、制度上はあくまで研修期間中の部隊にすぎない。その間、主人公が叩き込んだ内容は多岐にわたっていた。

座学による戦術講義。各職業の長所と短所、その相互補完の理解。集団戦における間合いの管理と、射線の維持。実際の戦場で起こり得るあらゆる想定トラブルへのケーススタディ。机上にとどまらず、野外での基礎体力作りや連携の反復訓練も重ねられた。

ただし、個々の専門技術の研鑽だけは別枠だ。研修期間は剣士には剣士の、魔法使いには魔法使いの専任教官がつく。主人公は一貫して、「十人がひとつの生き物として機能するための術」だけを教え続けた。

そして、迎えた朝。

講義室の黒板には、文字がひとつも書かれていなかった。前日の夕刻になっても翌日の予定表は白紙のまま。あからさまに騒ぎ立てる者こそいないが、席につく十人の間には、張り詰めた糸のような緊張が漂っていた。

定刻、扉が開く。

「おはよう」

主人公はいつもと変わらぬ足取りで教壇の前に立った。

「予定表が真っ白で不思議に思っていた奴もいるだろうが」

そこで主人公は、意味深に口端を持ち上げた。

「今日は模擬戦をやる」

空気がぴたりと止まる。

「条件は初日と同じだ。一対十。十分以内に俺を地面へ倒せたら、お前たちの勝ちとする」

何人かの喉元が小さく動いた。脳裏をよぎるのは、一か月前の記憶だ。何ひとつ通じなかった。渾身の一撃も、磨き上げたはずの魔法も、司令塔の指示すらも。まるで子どもの遊戯のように手玉に取られ、手も足も出なかったあの屈辱。

「午前中は自由に使え。作戦をすり合わせるなり、装備の調整をするなり、好きにしろ」

主人公は抑揚のない声で続け、わずかに目を細めた。

「開始は十三時。……これで俺を倒せたら、実地任務へ移行する」

室内の空気が、目に見えて張り詰めた。

「負けたら、もう一か月ここで座学のやり直しだ」

数秒の完全な沈黙。主人公はそれ以上何も語らず、

「じゃ、そういうことで」

とだけ言い残し、背を向けて講義室を出て行った。

扉が閉まる。しばらくの間、誰も口を開かなかった。

「……どうする?」

活発な子の低い一言が、止まっていた時間を動かした。

「まず、前回の敗因を整理しましょう」

委員長な子が間髪入れずに立ち上がり、黒板の前に歩み出る。その瞳に迷いはなかった。冷静な子が腕を組んだまま前衛の動線について補足を入れ、ギャルな子は身を乗り出して射線の取り方を提案する。ボーイッシュな子は間合いの詰め方を拳を握りながら熱弁し、高飛車な子は魔法の展開順について鋭く意見を挟んだ。

言葉の応酬は激しい。だが、一か月前のような受け身の空気は微塵もなかった。今度こそ勝ちをもぎ取る。その意志が、講義室の熱気を押し上げていた。


――同じ頃。

主人公は、校舎の屋上の手すりに肘を預け、眼下の訓練場を見下ろしていた。風が吹き抜け、遠くで訓練開始を告げる鐘の音が響く。

(……さて、どこまで仕上がっているか)

負けてやるつもりはない。ただそれはまだ未完成なのだとすればの話だ。中途半端な情けをかけることこそが現場での命取りになる。

だが、逆に言えば。彼女たちが求める水準へ確かに届いているのなら、負けてやらねばならない。本物の自信を掴ませるために。

ただし――

(手加減だと悟られた瞬間、すべてが無意味になる)

それでは教育ではなく、ただの欺瞞だ。

今のあいつらなら、どう動く。誰が先陣を切り、誰が迷い、誰が無茶を引き受ける。思考を巡らせるだけで、頭の中にはすでに幾通りもの戦場の盤面が組み上がっていた。


そして、午後十三時。

食堂のおばちゃん曰く、昼食時の十人は異様なほど口数が少なく、料理にもほとんど手がついていなかったらしい。だが、グラウンドの中央に現れた十人の佇まいは、主人公の予想以上に据わっていた。

怯えはない。浮ついた気負いもない。研ぎ澄まされた、適度な緊張感。

主人公はその瞳の色を確かめ、口元をわずかに緩めた。

(いい感じだ)

「では、始めるぞ!」

合図とともに、主人公は木剣を静かに構えた。

開始の合図が響いた瞬間、空気が爆ぜた。

初動の速度が、一か月前とはまるで違う。冷静な子が刃に紅蓮をまとわせた魔法剣を一閃し、鋭角に右サイドから斬り込んでくる。主人公が木剣の腹で受け止めた、その刹那。

視界の死角から、ボーイッシュな子の低空の拳が唸りを上げて飛び込んできた。速い。さらに正面。活発な子が地響きを立てて大盾ごと体当たりを敢行し、主人公の視界を強引に塞ぎにかかる。その盾のわずかな隙間を縫うようにして、風を裂くギャルな子の矢が直撃コースを飛来した。

主人公は反射的に上体をひねり、矢の軌道を紙一重で見送る。直後、背後から凄まじい熱波が噴き上がった。

魔法組だ。だが、その狙いは主人公の肉体そのものではない。高飛車な子の放つ紫電が退路を薙ぎ払い、支配されてた子の冷気が足元を凍らせ、根暗な子の火炎が壁となって逃げ道を塞ぐ。殺傷するためではなく、動きを完全に制限し、前衛の包囲網へ追い込むための布陣。

(……なるほどな)

主人公の目が細まる。相手方の後方を見れば、愛着依存な子は魔法使い組への魔力供給バフにすべての意識を注ぎ込んでいた。支援の対象に一切の迷いがない。ヒーラーの静かな子も同様だ。魔力を消費し息を乱し始めた魔法使いたちへ、間髪入れずに回復と賦活の魔法を飛ばし続けている。

そして、最後尾から全体を見渡す委員長な子。一か月前のような、細かすぎて現場を縛る指示はもうない。

「前衛、拘束を維持!」 「魔法組、制限を優先!」 「回復は後衛固定!」

研ぎ澄まされた、簡潔な号令。何を優先し、何を捨てるべきか。迷う隙を与えない。

主人公は木剣を滑らせ、襲い来る連撃をいなしながら、心の中で快哉を叫んでいた。

(いい。……かなり、いいぞ)

一方で前衛の三人は、むしろ焦りを募らせていた。一か月前と手応えがまるで違うことは、自分たちが一番よく分かっている。誰の動きも邪魔していない。誰かが踏み込めば、別の誰かが自然と死角を埋め、魔法が退路を断つ。完璧な連動。

なのに、当たらない。

「っ……!」

冷静な子の魔法剣が、鋭く空を切る。完全に死角を突いたはずだった。だが主人公は、まるで最初から軌道を知っていたかのように半歩だけ位置をずらし、流れるように躱している。

ボーイッシュな子の追撃も届かない。活発な子がどれほど強引に押し込もうと、角度を外され、力をいなされる。矢も、魔法も、あと指一本というところで宙を薙ぐ。

なぜ崩れないのか。なぜここまで読んでいられるのか。

――九分経過。

焦燥が、訓練場を支配し始めていた。前衛だけでなく、後衛の息も荒い。タイムリミットの重圧が、彼女たちの呼吸を乱していく。

(ここまでやっても、勝てないのか……?)

弱気が首をもたげかける。委員長な子は奥歯を噛み締め、必死に自分を律していた。

(焦るな。焦った瞬間に、ラインが崩れる……!)

その時だった。前衛の活発な子が、ほんの一瞬、不自然に上体を大きく翻した。

コンマ数秒の隙。だが、委員長な子の目が見開かれる。

「そこぉぉぉっ!!」

叫びが響いた。

――九分四十五秒。

主人公の視界が、唐突に緑色の閃光で塗りつぶされた。

「っ……!」

目が眩む。その瞬間を待ち構えていたように、左右から猛烈な衝撃が叩きつけられた。

活発な子とボーイッシュな子。全体重を乗せた、同時の肉弾タックル。

主人公の巨体が宙に浮いた。受身を取る隙もなく、背中が赤土の地面へ激しく叩きつけられる。

ドサッ、と重い音が響き、土煙が舞い上がった。

静寂。訓練場からすべての音が消える。

そして――

「……九分、五十五秒!!」

喉を引き裂くような、委員長な子の絶叫。数秒の息呑むような間を置いて、

「や……」 「やったぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」

爆発的な歓声が、訓練場の空を突き破った。抱き合って飛び跳ねる者、その場に崩れ落ちて顔を覆う者、拳を天に突き上げる者。

土の上に大の字に倒れたまま、主人公は思わず吹き出していた。

「……はは、お見事」

顔だけを上げ、天井の青空へ向かって呟く。ゆっくりと起き上がり、衣服の土を払いながら、主人公は額に残る淡い熱感に触れた。

回復魔法。

(なるほどな……)

活発な子が身体を翻して作った死角。その向こうで、回復役に専念していると見せかけていた静かな子が、主人公の眼球を狙って光系統の治癒魔法を放ったのだ。回復魔法特有の優しい光を、逆手に取った目くらまし。

(大したもんだよ)

もちろん、本気で躱そうと思えば躱せた。視界を奪われようと、二人の足音と風切り音で踏み込みの軌道は読めていたし、跳躍ひとつで頭上を飛び越えることもできた。

だが、主人公は倒れることを選んだ。

役割への深い理解、研ぎ澄まされた連携、そして土壇場で見せた臨機応変な状況判断。この一か月で、彼女たちはまぎれもない「ひとつのチーム」へと羽化していた。だからこそ、さっきの「お見事」という言葉には、一ミリの嘘も混ざっていなかった。

主人公は肺腑の空気をすべて吐き出すように息を吐き、歓喜に沸く十人へ向き直った。

「よくやった!」

野太い声が響き、十人の視線がぴたりと揃う。

「正直、予想以上だった。ここまで仕上げてくるとは思ってなかったぞ」

誇らしげに胸を張る者、安堵に肩を震わせる者、涙ぐむ者。その顔を見つめながら、主人公の胸の奥にも熱いものが込み上げていた。

「明日から、予定通り実地任務へ移行する!」

おぉぉぉっ、と再び上がる歓声。主人公は豪快に笑い、手を振ってみせた。

「そして今夜は祝勝会だ!」 「やったぁぁぁ!」 「持ち物は分かってるなー?」

問いかけると、ギャルな子が満面の笑みで真っ先に叫んだ。

「夢と希望でしょ!」

訓練場いっぱいに、弾けるような笑い声が広がった。主人公も堪えきれずに吹き出す。

「ああ、それだ!」

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