4 もやもや
展望台に行く時間が決まっている以上、ずっとここにいる訳にも行かない。それに、立ち見の人がずっといる状態で2人だけの世界を続けるのも憚られる。
「……まだ見たい?」
「いや。陽菜がいいなら行こう?」
凛花はすっと立ち上がってクラゲの水槽がある所へと向かった。
「クラゲ、刺されたことないのに痒くなるのなんでだろう」
「小学校の時に見た、クラゲの動画のせいだと思う」
「ああ。それに、なんかぶつぶつみたいなのできてる人がいたんだ」
ぷかぷかしながら触手を揺らしているクラゲたちは、私たちがこんな話をしているとは思っていないだろう。
カップルがカメラを向けていたからなのか、凛花もスマホを取り出していた。
「綺麗じゃない?」
「うん。確かに」
私も撮らないといけない感じがしてきたので撮影した。
美味しそうなイカを横目に2階に上がっていく。ここは爬虫類や海外の魚も展示されていて、普通の水族館とはちょっと違うのだ。
お土産コーナーを素通りしてしまうのは、いつでも行ける特権なのか。でも、ちょっとしたキーホルダーぐらい買いたい気持ちはどこかにあった。
「そうだ、ショー見る?」
「うーん……」
ステージの方を見てみると、席がそこそこ埋まっていた。始まるまであと10分なのにこの感じなら、始まる頃には人だかりでアシカの姿は見えなくなりそうだ。
「凛花は?」
「別に今日見なくてもいいかな」
「うん……」
『別に』という言葉になぜかカチンときた。
何気なく使っているだけで、私を傷つけようとしている訳ではないのは分かっている。
仮に明日来たとしても、この制服を着ている訳ではないので今日見るのとは全然違う。ショーに興味はないが、大切なのはシチュエーションだ。
カワウソを見に行ったが、すやすやと眠っていた。
小さな子が『つまらないー!』と叫んでいたのは私の気持ちを代弁しているように思えた。
この気持ちの正体はなんなのだろうか。凛花が『別に』って言ったから? それとも、この制服が思っていたより普通だったから?
あのトイレでは膝に当たる質感や袖口や首元の感覚に興奮したのだが、今はときめかない。
頭上をすいすいと泳ぐペンギンを眺めながら気持ちを整理していた。
「早いね」
「うん……」
「そういえば、ペンギンも同性同士で付き合って、放棄された卵を育てることもあるんだって」
「そうなの……?」
「うん。TikTokで見た」
時計を見ると、4時半を過ぎていた。展望台の時間まで余裕があるが、この後にどこかでご飯を食べようと思ったら帰りが遅くなる。
「そういえば、ご飯、どうする?」
「お金ないし、マックでいいんじゃない」
「そうだね」
マックも安い訳じゃないが、座って食べられる保証のないファミマよりマシだ。
ゆっくりと水族館を出て、朝の電車のような混雑のエレベーターで一気に地下まで戻った。
マックはおやつの時間帯ということもありごみごみしていた。食券機の前に出来ている列の進みもとても悪い。
包装紙やポテトの箱も空になってドリンクも飲み終わっている様子なのに、どこうとしない人達にイライラしてくる。
「マックポークにしようと思ってるんだけど、陽菜は?」
「同じのにしようかな……」
飲み物をシェイクにしようかと思ったが、うっかり制服を汚したことを考えるとやめておくべきだろう。
「ふー。やっと買えた。結局、ビックマックにしちゃった」
「おお」
「晩ご飯要らないって言っちゃったし」
「そうだったんだー」
「陽菜がいいなら、遅くまでいたいかも……」
「うーん。多分ダメだろうけど……」
実は友達とだけで池袋に行くのは今日が初めて。
隣町やららぽーとに行くことは許されていたが、ここに限っては『ぱっと見は綺麗に見える街だけど、危ない人とか変な人が多いから駄目』と親に言われていた。
今回は『高校生になったから』行っていいらしいが、あまり帰りが遅くならないようにと口酸っぱく言われている。門限は8時半だと決められているので、遅くまでいると間違いなく怒られる。
「だよね。展望台行ったら帰ろうか。あっ、帰りさ、このまま帰らない? 陽菜もそのままでいいし」
「このままって、着替えないで?」
「うん。むしろ、電車に乗って帰るのが醍醐味じゃない? 通学しているみたいで」
「あー! めっちゃ面白いじゃん」
店の中の混み具合があまり変わらないことから、食べ終わったらすぐに出ることにした。
時間までは適当にお店を見たりスペイン階段でだらだらしていればいいだろう。
……実際のところは、お金を使いすぎたので買い物したくても我慢するしかないだけだけど。
「あっ、そろそろ時間」
2階のスタバ近くのベンチで休んでいたら、5時50分を過ぎていた。急いで階段やエスカレーターを使ってサンシャイン60のエレベーターホールに行く。
途中、凛花がおじさんに信じられない程じろじろ見られて薄気味悪さを覚えた。
60階で入場券を買って、改札口っぽいゲートを抜けた。窓の方へ行くと一面に宝石のようにキラキラ輝く夜景が広がっている。
「めっちゃ綺麗……!」
凛花は嬉しそうにスマホを取り出して写真を撮った。私は肉眼で遠くの方を見つめている。
ずっと先の地平線の果てまで街が続いているのはどこか途方もない気分になる。手前の建物にも、奥の方にある灰色にしか見えないものも誰かの生活の一部。
陽が落ちた時間帯ともなると、水族館にいた時よりラブラブなカップルがたくさんいる。フォトスポットにも行列ができていて、妙に浮き足だった気分になる。
「私たちもなんか撮りたいよね」
「そうなの……?」
「だって、こんなに綺麗なのに勿体なくない?」
「……そうだね」
ゆっくり歩きながら、空いているソファや足を伸ばして座れる芝生を探す。でも、いい感じの写真が撮れそうな場所には先客がいる。
「大人しくどこかで待ってる?」
「それがいいかもね」
空き待ちをするのに選んだのは、新宿の方にあるブランコ。2組ほど待つと私たちの番がやってきた。
「あの、すみません。写真、撮って頂けないですか?」
「ああ。いいっすよ」
凛花はサングラスをした男の人にスマホを渡した。真後ろにいたのはこの人だったのだが、女の人ではない方にお願いしたのは私との違いを感じた。
ブランコは2人で腰掛けるには狭かったが、嫌な感じは全くしない。
「じゃあ、撮ります。笑って〜」
何枚か撮り終えた頃になると立ち上がった。
「いやあ、2人ともいい笑顔っすね」
他人に言われるとただの社交辞令にしか思えなさそうな言葉なのだが、確かに、この写真の私は心の底から幸福感に満ちている。隣の親友も同じような表情をしていた。
「もう。今度は私たちの番なんだから、早くスマホ返してあげなよ」
「ははっ」
「ありがとうございます。あの、良ければ、お2人の写真お撮りしましょうか?」
「どうする?」
「んー。折角なんでおなしゃす」
カップルが腰をかけてしばらくすると、凛花が写真をお決まりの言葉を言いながら何枚か撮った。表情を見る限り私たちの幸福感は間違いなく彼らに勝っている。お礼を言われて別れた。
池袋駅が見える方角なら私たちの家の場所も分かるかと思ったが、暗くなっているのでどこがどこだか分からなかった。
帰りは東池袋駅から電車に乗って最寄り駅まで戻った。凛花が言っていた通り、学校から帰っているような気分になった。これでも、私が満足することはなかったことにちょっとした嫌悪感がある。
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