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第31話「曲線の端」

 それから二日、同じ手順で診た。


 九種類の薬包は、期待どおりに働いた。

 一日の診察は二十八人。

 午前のうちに半分を終え、夕方には最後の患者を見送れる。

 補正が要るのは一、二人で、いずれも追加の薬包の一袋か二袋で収まった。

 タクミの整理券は列を乱さず、タリサの区分の見分けは迷いが目に見えて減った。


 ただ、手帳に溜まった数字には、一つだけ気になる偏りがあった。


 九種類の薬包には、一から九の番号を振ってある。

 体格が小・中・大の順に三つずつ、水分は少・普・多の順だ。

 小柄で水を多く抱えた者は区分三、大柄で水の少ない者は区分七になる。


 型から外れる例外が、この三日で八例。

 そのうち六例が、区分三だった。


 理由は、考えれば分かる。

 区分は、体格と水分を別々に見て、量を決めている。

 体格が小さければ量を減らし、水分が多ければ量を増やす。

 この二つの補正が、区分三では打ち消し合ってしまう。

 小柄でも水を多く抱えていれば、薬の行き渡る体積は体重から想像するよりずっと大きい。

 打ち消し合った後の量では、足りなくなる。


 しかも区分三に当てはまる者は、そもそも少ない。

 八例では、結論を出すには足りなかった。


 三日目の朝、十時にログインした。

 手帳の症例は、百九十を超えている。


 設計書の骨組みは、できている。

 体格と水分から窓の幅を見積もる型、測る時刻、刻み方。

 残るのは、区分三の扱いと全体を紙に起こす作業だ。

 診察を済ませたら、続きは現実で書く。


 戸口の外は、四十人を超える列だった。


「ドーズさん、今日の整理券、配り始めます」


「頼む。

 札の順に、私が呼ぶ」


 最初の二人は、区分五に収まる手堅い症例だった。

 薬包を一つ渡し反応を待ち、そのまま帰す。

 眼鏡の鼻あてを押し上げる暇もない。


 三人目に呼ばれて入ってきたのは、見覚えのある顔だった。


「先生、お久しぶり。覚えてるかい、膝と腰の」


 人間種の初老の女性だった。

 後ろに、さらに小柄な老婆が杖をついて付き添っている。


 私は手帳をめくった。


「石段の民区。

 二十四日前の患者だ。

 静心散を少量、予備に一包を渡した」


「日付まで覚えてるのかい」


「記録している。

 予備の包みは、どうした」


「痛くなったら飲めと言われたからね。

 我慢して我慢して、四日前に飲んだよ。

 薬を飲んだら、また楽になって。

 ……今日は私じゃないんだ。

 この人を診てやっておくれ」


 私は手帳に二行を書き足した。

 効いた期間が、約二十日。

 二度目も同じ一包で効いた。


 薬は、量だけで決まるのではない。

 飲んでから効きが続く期間にも個人差がある。

 設計書に欠けていたのは、この時間の軸だった。


「ありがとう。

 これは、重要な情報だ」


「大げさだねえ」


 彼女は笑って、付き添いの老婆を木箱に座らせた。


 診察は、いつもの手順で始めた。

 老婆は体が小さい。手の甲を指で押すと跡がなかなか消えない。

 水分の保持が高い。


 体格は小、水分は多。

 区分三だ。

 例外の六例が偏っていた、あの区分に当たる。


 その区分の薬包を渡した。

 三十分待った。

 膝の痛みは、変わらない。


 その間、他の患者には待ってもらった。

 区分三の症例は時間をかけて見たかった。

 老婆の脈と瞳孔を見る。追加の薬包を渡した。

 さらに三十分。

 少し動きが軽くなったが、痛みは残っている。


「口は、渇いていないかね」


「いいや」


 口の渇きは、この薬が毒性の側に傾く最初の徴候だ。

 まだ出ていない。

 二回目の追加の薬を、半量だけ渡した。


 さらに十分待った。


 老婆は膝を撫で立ち上がって、一歩、二歩と歩いた。


「ああ……楽になった」


 その瞬間だった。


 〈称号を取得しました:閾値の匙加減〉


 〈技能を習得しました:濃度曲線視認〉


 〈対象の毒性・薬効・用量域を、曲線として視認できるようになります〉


 視界の端に、文字が浮かんだ。

 通知は私にしか見えないらしく、老婆も付き添いの女性も気づく様子はない。


 称号の欄を開くと、取得条件が表示されていた。

 閾下投与による精密な用量制御を、累計二百回成功。

 条件は、取り終えてから示される仕組みらしい。

 手帳の数字は百九十余り。

 システムは、私が数え始める前の分も数えていたのだろう。


 称号は、目的ではない。

 だが、大きく便利になったのは確かだ。

 私は眼鏡の鼻あてを押し上げ、手の中の薬包を見た。


 空中に、細い線が浮かび上がった。


 横軸が量、縦軸が反応。

 緩やかに立ち上がる曲線の上に、淡い色の帯が重なっている。

 これが薬効の域だ。

 その右に、濃い色の帯が続く。

 毒性の域だ。

 薬包の量を示す印は、淡い帯の左寄りにあった。


 視線を、老婆に移した。


 彼女の頭上にも、同じ形の曲線が浮かんだ。

 印は、淡い帯の中ほどにある。

 たった今、私が止めた位置だ。


 診察のたびに徴候から読んできた境目までの距離が、いま線になって目の前にある。


 そのとき突然、頭の奥に声が響いた。


 〈ワールドアナウンス:称号の獲得者が現れました〉


 〈所属:緑十字商会〉


 間を置かず、視界の中央に、新しい窓が開いた。


 〈称号と獲得者名を告知しますか?〉


 〈はい/いいえ〉


 老婆も、付き添いの女性も顔色一つ変えない。

 住人には、聞こえない声らしい。


「大丈夫かい、先生。顔が固まってるよ」


「いや。

 考え事をしていただけだ」


 付き添いの女性は首をかしげ、老婆の手を取って礼を言いながら戸口を出ていった。


 窓は、閉じなかった。


 私はタクミに


「少し待ってもらってくれ」


 と頼み、奥の部屋で椅子に腰を下ろした。


 所属は、緑十字商会と出ていた。

 登録している組合の名が、そのまま出るのだろう。


 告知すれば、何が起きるか。

 思いつくことを、順に挙げた。


 患者が増える。

 今の列は、すでに一日の上限を超えている。

 名前が出れば、さらに増える。


 狙われる。

 PKの件は、まだ数日前のことだ。

 称号の持ち主と分かれば、次は何を仕掛けられるか分からない。


 手の内が知られる。

 称号の名前から、技術の中身を推測する者も出るだろう。


 周りが巻き込まれる。

 ガッツも、菌糸も、タクミも、タリサも。


 告知しなければ、何も起きない。

 失うのは、名前を出す機会だけだ。

 名前が出れば、白百合にも、緑十字商会にも、私の技術が本物だと示せる。

 公認登録が保留のままの静心散にも、追い風になるかもしれない。


 どちらにも、理屈はある。

 決められない。


 私は手帳を開き、二つの道を書き出した。

 書き出して、気づいた。どちらを選んでも、やり直しがきかない。


 やり直せない選択では、起きうる最悪の結果を比べるしかない。


 告知した場合の最悪は、狙われて周りまで巻き込まれることだ。

 告知しなかった場合の最悪は、信用を得る機会を一つ逃すことだ。

 前者は、人の命に関わる。

 後者は、時間がかかるだけで済む。


 最悪の大きさが違う。

 そちらを避けるのが、致死量の手前に立つ私のやり方だ。


 それでも、指が止まった。

 告知しなければ私の名は、この称号に永久に載らない。

 いつか誰かに「あれは私だ」と言える機会を、この場で手放す。

 それが惜しい気も、確かにした。


 窓を、三度、閉じかけた。三度とも、開き直した。


 結局、私は「いいえ」を選んだ。


 窓は、静かに消えた。


 私は手帳を閉じ、診察室へ戻った。


 土間では、タクミが整理券の束を抱えたまま落ち着かない様子で立っていた。


「ドーズさん。

 さっきのアナウンス、聞きましたか。

 称号の獲得者が現れたって」


「聞こえた」


「所属が、緑十字商会って出てましたよね。

 誰なんでしょう。

 掲示板は、きっと大騒ぎです」


 緑十字商会。外縁で薬を扱う者の多くが、登録している組合だ。

 薬草採取人のタクミも、その一人のはずだ。


「ドーズさんも、緑十字商会ですよね。

 もしかして」


「あの組合には、大勢いる。

 札の続きを頼む」


「あ、はい」


 彼は頷いて列のほうへ戻ったが途中で一度だけ、こちらを振り返った。


 私は何も言わなかった。

 嘘は、ついていない。


 次の患者を呼ぶ。

 体格は大、水分は少。

 区分七だ。


 彼の頭上に浮かんだ曲線は、帯の縁がはっきりしていた。

 淡い帯も濃い帯も、輪郭が鋭い。


 先ほどの老婆の曲線を思い出す。あちらは、帯の縁が霞んでいた。


 なるほど。


 霞みの幅は、そのまま、私がまだ測っていない範囲だ。


 この曲線は、私が積み重ねた観察から描かれている。

 データが厚いところは線が鋭く、薄いところは霞む。

 区分三は、症例がまだ少ない。

 だから、霞んでいる。


 実に理にかなっている。


 そして、気づいた。この曲線は、決して端までは教えてくれない。

 霞みの向こうには、まだ誰も測っていない領域が広がっている。


 現実の医療が集団の基準を安全域を広く取って決めているのは、そこへ踏み込めないからだ。

 人間で、毒性の縁まで測るわけにはいかない。

 縁の手前までを、いかに近づいて、いかに正確に見るか。

 私が積んできたのは、そのための観察だった。


 致死量の、手前。

 そこに立ち続ける技術が、この曲線の正体だ。


 夕方までに、私は二十余人を診た。

 曲線は、診察のたびに浮かんだ。

 九種類の薬包は、八つの区分で曲線の中心に収まっていた。

 例外は、やはり区分三だった。


 私は区分ごとの量を書き直した。


「ドーズさん」


 整理券を片付けていたタクミが、おずおずと声をかけた。


「さっき、奥にこもってましたよね。

 具合が悪いんじゃないかって、タリサさんが」


「考え事だ。

 心配はいらない」


「そうですか」


 彼はまだ心配そうに頷き、整理券の束を抱え直した。


 この曲線のことは、誰にも話さないでおく。

 称号を持つ者だと、知られてしまうからだ。


 タリサが、湯気の立つ椀を差し出した。


「今日は、お疲れさまでした」


「ありがとう。

 今日の分は、これで終わりにする」


 最後の患者を見送り、ログアウトする前に手帳を開いた。


 時間の軸。

 曲線の霞み。

 区分三の扱い。

 設計書に必要な要素は、すべて揃った。

 後は、紙に起こすだけだ。


 曲線は、決めてくれない。

 どこまで測れているかを、教えるだけだ。

 測れていない部分に踏み込むか、手前で止まるか。

 それを決めるのは、私だ。


 六時間は、寝る。

 美緒との約束だ。

[SYS_LOG::MITRA_CORE_IMMUNE]

LOG_ID: 8875

EVENT: TITLE_GRANTED / SKILL_GRANTED / DISCLOSURE_CHOICE

LOCATION: OUTER_PUBLIC_ZONE / SAFEHOUSE_TALISA

SUBJECT: PC_DOSE

TITLE: THRESHOLD_DOSE_CRAFT (ACQUISITION_CONDITION: DISPLAYED_AFTER_ACQUISITION)

SKILL: CONCENTRATION_CURVE_VISUALIZATION (RANGE: TOXICITY / EFFICACY / DOSE_RANGE)

TRIGGER: SUBTHRESHOLD_DOSE_CONTROL_COMPLETED / PATIENT=AGENT_NPC_RESIDENT (BODY_SIZE=SMALL / HYDRATION=HIGH)

ANNOUNCEMENT: WORLD (CONTENT=TITLE_HOLDER_APPEARED / AFFILIATION_SHOWN=GREEN_CROSS_GUILD / NAME_SHOWN=NO / TITLE_NAME_SHOWN=NO / NPC_RECOGNITION=NONE)

DISCLOSURE_CHOICE: TITLE_AND_NAME (SELECTED=NO / WINDOW_REOPENED=3)

DATA_BASIS: PLAYER_OBSERVATION_RECORDS

CURVE_CONFIDENCE: HIGH (CLASS_1_2_4_5_6_7_8_9) / LOW (CLASS_3, SPARSE_DATA, EDGE_BLURRED)

DOSE_CLASS_REVISION: CLASS_3 RAISED_ONE_STEP

RECURRENCE_NOTE: EFFECT_DURATION_OBSERVED (ABOUT_20_DAYS) / SECOND_DOSE_EFFECTIVE

BBS_TRACE: ACTIVE (CONTENT_NOT_DISPLAYED)

TITLE_PROGRESS: COMPLETED

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