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  縺れ⑦

「変わりましたか?」

「はい。いえ、悪く取らないでください。少し、逞しくなられたように思います。体格などではなく、その」

「異国での生活で性根が据わったのでしょう」

 そう誤魔化したが彼女の言葉は俺には槍で突かれたように辛かった。

 紫織は曖昧に笑い、その話題を二度と口にしなかった。

 鈍い女ではなかったから、そこを追求することの危険性を本能的に感じていたのだろう。二人の時間を大切にしたければ、それは問うてはいけない、と。

 やがて、婚儀を控えた娘の下に男が通っている噂が立つと、草野家の人間は人を頼んで紫織を見張らせた。

 そしていつも通り俺が紫織の下を訪れたとき、五人の藩士が俺を取り囲んだ。

「条ノ進、おまえ、生きていたのか」

 どいつもこいつも俺の生存に驚いていた。

 そして、紫織の下へ来ているのが俺だと知って合点すると同時に、侮りもした。

 知った顔ばかりだったから、俺の腕前のほども知っていたんだ。

 連中は容赦することなく俺に斬りかかって来た。上役の娘に夜這いをかける下級郷士の小倅に対して、なにを遠慮することがある。それにどうせ死んだと思われていた男だ。俺が連中の立場でも同じことをしたさ。だから恨みはない。ただ、あいつらにとっては相手が悪かったがな。

 草野家の庭先は刹那の間に血の海となり、俺は吸血鬼の本能のまま奴らの血を啜った。

 そして気が付けば、茫然とする紫織の姿が縁側にあった。

「変わって、しまわれたのですね」

 彼女は哀しそうに言った。

 俺は手にしていた死体を投げ捨て、その場から逃げた。何度も紫織が俺の名を呼ぶのが聞こえたが、振り返ることもできなかった。

 恐かった。

 人の生き血を求める浅ましい姿を、人を殺してなんら躊躇いを覚えぬ自分を見られることが。

 それから3日、俺は山に入り、独りで過ごした。

 山狩りでもされるかと思っていたが何事もなく、3日目の晩にもう一度だけ紫織に会おうと決めた。

 待ち伏せを覚悟していた。

 当然、そうなるものと思っていたのだが、草野家の壁を乗り越えた俺を待っていたのは紫織一人だった。

 縁側に座していた紫織は俺の姿を見ると足袋のまま地面に下り、駆け寄って来た。

「他に誰もいないのですか?」

 俺はどこかに誰か潜んでいるのではないかと警戒したが、紫織は激しく首を横に振った。

 庭先にはまだ血の穢れが残っていた。

「誰もいません。皆、恐ろしがっています。わたしに係わると、鬼に喰われると」

「仁介はどうしました?」

 俺が殺したかつての同輩たちの中には仁介の姿がなかった。本来ならば、仁介が先頭を切って紫織を守るべきであったのに、だ。

 仁介は一刀流の皆伝まで得ていた。

 紫織の守りには当然いるべき男が何故いなかったのか。

「真壁様はお上の言いつけで江戸表に参っております。それも明日には戻られるとのこと。ですから、今夜条ノ進様がお出でにならなかったら、もう機はないものと思っておりました」

「機?」

「このまま、国を出ましょう」

 俺は息を飲み、俺に縋る女の眼をマジマジと覗き込んだ。そこに迷いはなかった。

 もともと芯の強い女であったが、そのときはそれを再確認させられた思いだった。

 俺は怪物で彼女は単なる人間の女であったのに、俺は気圧されてすらいた。

「出る? 本気ですか?」

「本気です。あなたが帰られたら、きっとそうしようと思っておりました。条ノ進様は、私を捨てるおつもりでしたの?」

「私は物の怪と成り果てました。人を殺し、血を吸わねばならぬのです。鬼と落ちたこの身で、どうしてあなたと一緒になれるのか」

 またも、紫織は首を振った。

「条ノ進様はお忘れですか。いかなことがあろうと夫婦となろう。そう二世を誓ったではありませんか。あなたが修羅道へ落ちたというのなら、私も落ちしょう。あなたが畜生道を歩かれるのなら、私も共に歩きましょう」

 彼女の覚悟は本物だったと言っていい。

 俺が同輩たちを無残に打ち殺すのを目の当たりにしていながらも、それを選んだのだから。

 俺の胸の奥で激しくざわめくものがあった。

 喉がひりつき、牙が疼いた。

 俺に身を預ける女の白い喉頚を、さあ咬め、と言わぬばかりに月光が照らしていた。

 紫織を俺と同じ境遇にすることは難しいことではなかった。俺はその方法を知っていたし、その力も備わっていたのだから。

 そっと彼女の頸部を撫でると、彼女は俺の意を察したのか自らそこを晒した。透き通るような白い肌。その滑らかな皮膚の下には甘美な赤い血が流れている。

 内心では葛藤を続けながら俺は口を開いた。

 牙を剥いた様は獣のそれだったろうに、彼女は恐れた風もなく俺を見ていた。

 どうせ、鬼に魅入られたと噂の立った女。真壁仁介が帰参したとして、真壁家の方からこの縁談は取り消されるに違いない。鬼憑きの女など、俺以外の誰が愛してやれる。そう己に言い訳した。

 そのとき、左肩に衝撃を感じた。

 咄嗟に振り向いた俺はそこに旧友の姿を認め、なんと間の良い奴と苦笑した。

「真壁様」

 紫織が驚いた顔をした。

 彼女と仁介で俺を嵌めたわけではなく、紫織もまた仁介がその晩に帰参しているなど思ってもいなかったのだろう。

「紫織殿が物の怪に憑かれたと聞き急いで戻ってみれば。迷って出たか、条ノ進」

 真壁仁介は厳しい顔で俺を睨みながら、二の矢を弓に番えた。

 俺の側には紫織がいて、彼女に当たる危険性は低いものではなかったが、弓術に関しても自信のある仁介は躊躇なく二の矢を放った。

「久方ぶりの挨拶にしては手荒いな、仁介」

 矢を受け止めてへし折り、先に刺さった矢も引き抜いた。痛みはあったが、それもじきに消えた。

「おのれ、化け物」

 矢が通じないと分かると、仁介は弓を捨てて刀を抜いた。

「落ち着け仁介。物の怪ではあるが、おまえの友でもある。俺の話を聞け」

「我が友を穢すな。条ノ進は気の優しい男であった。藩士たちを惨殺して平然としてなどおらぬわ」

「お待ちください、真壁様。この方は間違いなく条ノ進様でございます。先夜のことも、あの方々から仕掛けたこと。条ノ進様のせいではございません」

 紫織が俺と仁介の間に割って入った。

 月光に煌めく白刃を微塵も恐れぬその様に仁介もたじろいだようだったが、それでも構えを解きはしなかった。

「どちらが先にかは関係のないことです。条ノ進は同輩たちを無残に殺した。池中も角田も、おまえは昔から知っていたろう」

「ああ」

「角田は先月父親になったばかりだ」

「だから?」

 そう、だから、だ。

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