縺れ⑥
「それで、どのようなお話なんです?」
前の晩と同じ部屋に移ると、信二が聞いて来た。
二人の娘は俺とは距離を取っていたが、信二は前夜と同じ場所に堂々と座っていた。
「言うつもりはなかったんですがね、信じられない話かもしれませんが、俺は日下部条ノ進なんですよ」
「それは知っています」
「いいえ、そうではありません。俺は日下部条ノ進の子孫でもなければ、ずっと前の爺さんの名を貰ったわけでもなく、正真正銘の日下部条ノ進なんですよ」
一瞬、信二は考え、それから怪訝な顔をした。
「どういう冗談です?」
「冗談ではありませんよ。当人だからこそ、あなたの曾祖母である紫織の名を知ってもいたんです」
「まさか、そんなことあるはずがないでしょう」
「そう考えるのが普通だと思いますよ。でもね、遠野さん、世の中には到底信じられないことってのもあるもんです。
あなたの曾祖母である真壁紫織、旧姓で言えば草野紫織と俺、それに真壁仁介は幼馴染みでした。もっとも、二人と違って俺は貧乏郷士の次男坊でしたから釣り合いという面ではまるで取れていませんでしたが」
「どういう趣向か知りませんが、それを信じろと?」
「別に信じていただかなくとも構いませんよ。ただ、お嬢さん方が俺のことに気付いたようなのでこうして説明しているだけです」
ふむ、と頷いた信二は腕を組んで考え込んだ。
「しかし、それが事実とするならあなたはとうの昔に100歳、いや150歳は超えていることになる」
「ええ、そうなりますね」
想像力豊かで思考に柔軟性のある二人の娘は俺がそういうものだと納得というか、分かっていたようだが、信二は年齢を重ねている分だけ常識人であり、また疑り深かった。
無論、それは責められるべきことじゃない。
分別を弁えた大人なら当然のことだ。
「はっきり言いましょう。日下部さん、あなたが今おっしゃったことを真実とするなら、あなたは齢150歳超。それでいて20代の若さを保っていることになる。そんな人間は存在し得ない」
まったくの常識的な発言に俺は微笑した。
「昔々のことです。絵師を志す若い男がいました。侍の端くれにして剣は立たず、軍略を学ぶでもなく、絵に見入られた男はあるとき馴染みの商家が隠し持っていた、当時はまだ御禁制だった西洋絵画を眼にしたのです。日本画技法も素晴らしいが、初めて眼にする西洋画にすっかり見せられた男は、なんとかその技法を学べないかと考えていました。
時同じくして男には恋仲になった女がいました。上級藩士の娘で許嫁もいる娘でした。今のように自由恋愛など無いのが当たり前の世。いつかは引き裂かれるだろうことは二人とも承知していましたが、そこは若い二人です。藩を捨てることすら考えていました。
娘の親もそのことに薄々ながら気が付いていました。そして、男が西洋画に傾倒していることも。だから、男に言ったのです。極秘に異国に渡る手引きをしてやる、とね。
簡単な話ですよ。男を娘から遠ざけるための方便です。無論、藩の重役でしたから異国船に男を乗せてやるまではできた。だが、向こうでの生活や帰りの話はすべて嘘。娘の前から男が永久に消えさえすれば良かったわけです」
「ええっと、だからその人は騙されたってわけだよね?」
千絵の言葉に俺は薄く笑った。自嘲だ。
「そうとも言えないだろうな。男も分かってはいたんだ。分かっていて、そのことは考えないようにしてた。人間、自分に都合の良いことしか考えないものですよ。
娘には3年したら戻るからと約束し、海を渡った男はそこで放逐され、けれど環境適応性があったんでしょう。その日喰うにも大変な生活ながらなんとか生き抜いていた。そして生活が安定し始めた頃になって死んだんです。死んで、怪物として生き返った」
俺は信二の背後へ移動していた。
ちょっと速めに動いただけだが、その場の三人を驚かせるには十分だった。
「化け物になってから、男は絵に対する情熱を失いました。女を待たせてまで、遙か遠い異国の地にまで赴いたのに、どうでも良くなってしまった。それでも、女に対する想いだけは残った。
男はそれから数年をかけて郷里へ、女の下へと戻りました」
そう、俺は戻った。
それがどれだけ残酷なことであるか考えもせずに。
紫織は嫁ぐのを引き延ばしていた。
勿論、紫織の一存でできることでもない。時代の裂け目のことでもあり、藩の中央にいた仁介が多忙だったせいもあるが、俺の死の報せを聞いても紫織が諦めずいたのを仁介も分かっていて、彼女の気持ちが落ち着くまでは、と人の良いことに待っていたんだ。
いつかは、紫織も俺の死を受け入れるだろう、と。
その引き延ばしも限界に来ていた。
古い時代のことだ。結婚は当人たちの問題ではなく、周囲の人間も巻き込む。
そして紫織もやっと気持ちの整理をつけかけた頃、俺は彼女の前に姿を見せた。
紫織は驚きはしたが、すぐに俺を受け入れてくれた。
もっとも、最初は俺が人間でなくなったことは伏せてはいたが。
「少し、お変わりになられましたね」
月夜の晩、紫織が俺に言った。




