再会⑥
表には出さなかったが、俺は激しく動揺し狼狽し、叫び出したい気分だった。
やっと痕も消えかけた古傷を抉られた想いだった。
俺は席を立ち、じっくりとその絵を鑑賞するふりをした。
「描いたのは日下部条ノ進という人だそうです。あなたと同じ名ですね。これは偶然でしょうか?」
「偶然でないとしたら、どう説明なさるんです? 俺が100歳を軽く超えているように見えますか?」
信二の質問に俺は冗談混じりに問い返した。
信二は、「まさか」と言い、
「ただ、この絵はあなたとそっくりで、そして名も同じ。日下部条ノ進、そこらにありふれた名でもない。赤の他人と考える方が難しい」
「他人じゃありませんから」
俺はくすりと笑った。
「親父に聞いたことがあります。俺の名は、祖父だか曾祖父だかの名を貰ったって。子供に名を付けるとき、考えるのが面倒だったそうですよ。ですから、たぶんこの人は俺の先祖でしょう」
「成る程、やはりそういうことですか」
信二もそういう常識的な答えを待っていたようだ。
俺の嘘っぱちに大きく頷いた。
「しかし、日下部条ノ進は異国へ渡り、消息不明になったそうです。実際はどうなんです?」
「さあ、俺も詳しくは知りません。なにしろ昔のことですからね。先代条ノ進がどうやってどこで誰と子供を成したのか。ま、俺がここにいるってことは、どっかで血を残したんでしょう。案外、俺は生粋の日本人じゃないかもしれないですね」
絵は、100年以上も前、まだ海外との交易が規制されていた時代に、絵に没頭した若い絵描きが描いたものだ。
ある商家が持っていた宗教画に心奪われた馬鹿な野郎が。
「しかし、あなたが日下部条ノ進さんの子孫だとすると奇妙な縁ですな」
「確かに」
本当に皮肉な話だった。
大昔に決別し、捨て去ったものと再び巡り会うことがあるなんて。
俺だって注意していなかったわけじゃない。真壁たちの郷里は別の場所だ。彼らがいつ土地を移ったのか知らないが、一切の係わりを断った俺にはそれを知る術はなかった。いや、知ろうともしなかった。
「今更こんなことを言うのはなんですが」
俺は絵から信二に眼を向けた。
「もし俺に感謝しているというなら、この絵を俺に譲ってくれませんか?」
「この絵をですか?」
信二は意外な顔をした。それから考え込む素振りをして、
「一晩、お待ちいただけますか」
「一晩?」
「曾祖母が生前に大切にしていたものだそうですので、コピーを取っておきたいのですよ。いえ、この絵を描かれたのはあなたの血縁者だ。娘の恩人であるあなたにお譲りするのは構わないのですが、記録を取って置こうと思ったのです」
信二の言いたいことは分かった。
あっさりと俺に譲ってくれると言うだけでも気前のいい話だ。無名の画家の作であるから市場価値は無きに等しいとしても、遠野家にとっては貴重なお家の歴史の一部。それをくれるというなら、俺としては本来ならば文句を言うことじゃない。
だが、それでは意味がないのだ。
「コピーはしないでいただけませんか」
また、信二は意外そうな顔をした。
「何故でしょう?」
「俺が言うのも口幅ったい気もしますが、芸術品はオリジナルだからこそ意味があるものでしょう。コピーという行為は作品を冒涜する気がするんです」
口から出任せ、と言えなくもない。模造品は所詮模造品だ。製作者が意図していないコピーというものを俺は認めていない。
さすがに断られるかと思ったが信二は、うむ、と一つ頷き、
「分かりました。コピーはとりません。しかし、それでも一晩待っていただけませんか」
「何故?」
「長い間、我が家に伝わっていたものですから、名残を惜しむ時間が欲しいのですよ」
そう言われてしまうと、俺としても更に強硬な態度に出るわけにも行かなかった。
「分かりました。では、また明日お伺いします」
「ちょっと」
とクリスが不満そうな顔をしたが無視した。
「すぐに街を出るって言ったじゃない」
どうせなら泊まって行ってはどうかという信二のすすめを断り、夜の街に出た俺にクリスが食って掛かって来た。
「気が変わった。用もできた。それだけだ」
「なによ、それ。勝手過ぎ。大体、あんな絵を貰ってどうすんの? 持ち歩くわけ?」
俺が雪菜と再会して不機嫌になったクリスは、そのときもまだ不機嫌だった。
「これは俺の問題だ。待つのが嫌なら、先に街を出てろ」
突き放した物言いになったのは俺もナーバスになっていたからだ。
俺は人間でなくなり、紫織たちと別れたときに過去は消えたと思った。けれどそうじゃなかった。過去が存在した事実は消えていなかったんだ。そのことが酷く俺を戸惑わせた。
「ねえ、あれってやっぱりジョーが?」
クリスが不安そうな顔を向けて来た。
「大昔のことだ」
「ジョーは、あの人のこと好きだったの?」
「今更、どうでもいいことだ」
「答えて」
いつにない真剣な眼に、俺は肩を竦めた。
「まあ、そうだな」
「今でも?」
「相手は死人だ。好きもくそもないだろう」
「あるよ。雪菜って娘、そっくりじゃん」
「なんだ、おまえ。ヤキモチか?」
「ち、違うよ。なんであたしがヤキモチ焼かないといけないの。馬鹿じゃない」
顔を真っ赤にして言われても信憑性ゼロだが、まあ、そこがクリスの可愛いところだ。
「とにかく、昨日は飯を喰わなかったんだ。今夜は食事をしよう」
「え、いいの? この辺で狩りをすると、あの駿河って奴と揉めるんじゃないの?」
「揉めるだろうな。勝手に縄張りを荒らせば」
「だったら」
「まあ、ついて来い」




