第三章
その日、カリルを叩き起こしたのは朝日でも鳥の声でもなく、名前も知らない兵士だった。
手早く身支度を整え、会議場に急ぐ。
城内は早朝だというのが嘘のように慌ただしかった。鎧を着込んだ兵士が入れ替わり立ち替わり走りさっていく。
会議場に入ると、中は痛いほどの緊張感で満ちていた。サガとウィリアム、将軍たちが何やら難しい顔で話し込んでいる。
「カリルさん!」
ウィリアムより少し離れたところにいた響がこちらに気づき、近寄ってきた。
「どういうことだ?トランド軍が攻めてきたって本当か?」
響は神妙な顔でうなずいた。
「はい。状況が混乱しているので詳しいことは分からないんですが、東の海岸から上陸した軍隊が、王都に向かっているみたいです」
「王都って、ここじゃねーか!」
カリルは顔をしかめた。
エン率いるセイオン軍がワイズリーたちと合流したのは昨日のことだ。予定ではセイオン軍とクール解放軍が出陣した半日後に、ティティン軍もトランドに向かうはずだった。
それがまさかあちら側から乗り込んでくるとは。
「クールのほうはどうなってんだ?あっちにもトランド軍が行ってるのか?」
「いや」
それに答えたのは響ではなくサガだった。話が終わったらしく、ウィリアムと一緒に歩み寄ってくる。
「エンに確認したが、クールにトランド軍は来ていないらしい。おそらくあちらは大丈夫だろう」
「サガ」
つまりトランドの戦力を分散させて挟み込むつもりが、それを逆手に取られたということか。カリルは息をついた。
「あっちのほうが一枚上手だったってことかよ?」
「認めるのは癪だがな。問題はおれたちだ。正確な数は把握できていないが、上陸した兵は五万を越える。トランドの全ての兵力が動いていると見て間違いない」
「エンたちに戻ってきてもらうってのは?」
「・・・無理だろうな。クール軍に背後から叩かれたら、元も子もない。エンには予定通りクールを攻めてもらう」
それまで黙っていたウィリアムが嘆息した。
「あいつらの進軍を食い止めるしかないな。放っておけば周辺の村を奪われた挙げ句、拠点にされかねない」
「・・・確かにそれは困るな」
サガはうなずくと、カリルを見据えた。
「すでに将軍たちには部隊を率いて向かってもらった。おれたちもすぐに出るぞ。頭数が足らん」
カリルは分かった、と応じた後、ふとサガに尋ねた。
「ところで頭数ってどれくらい足りねーの?」
「聞いたら後悔するぞ?」
「・・・それ、逆に気になるだろーが」
低い声で言い返すと、サガはにやりと笑った。
「ざっと見て一万ほどか。元々セイオン軍との連合で互角の戦力だったからな」
「あほか!何冷静に言ってんだてめーは」
カリルは戦略は全くの素人だが、それでも一万の戦力差が大きいことくらいは分かる。
「悲観的に言っても事態は好転しないからな。なんだ、怖じ気づいたのか?」
「サガ、てめー戦場では後ろに気をつけろよ?」
毒を吐いてやると、サガは「おまえもな」と笑った。
戦況は著しくなかった。
トランド軍は兵を分け、各地の村を襲撃しながら進軍するという戦法をとっていて、物資の補給もそこでしてしまうため、勢いが衰えることがないのだ。
進軍してくる部隊を止めるには、どうしてもこちらも兵を分ける必要がある。だが兵を分ければ数が多いあちらのほうが有利だ。しかもティティン軍は村を守りながら戦うというハンデまで背負わされることになる。
状況はじりじりとティティン軍の不利なほうへ追い込まれていた。後退し続ければ、いずれ王都に攻め込まれてしまうというのに。
カリルは水を張った桶の中に、頭をつっこんだ。冷たい水のおかげで、髪に染みついていた血のにおいが和らいでいく。
桶から出した頭を猫のように左右に振っていると、目の前に真新しいタオルが差し出された。
「ほら」
「ウィル」
立っていたのはウィリアムだ。カリルと同じく血みどろの姿をしていたが、怪我をしている様子はない。まぁ、響がいるのだから心配はしていないのだけど。
「カリルさん、・・・あの、大丈夫ですか?」
不安そうな響の声に、カリルはウィリアムの隣に視線を向けた。
響の視線は、自分のあちこちにできた細かい傷に向けられている。思わず呆れてしまった。どれだけ心配性なんだか。
「こんなん舐めとけば治る。心配すんな」
「・・・はい」
今、カリルがいるのは天幕の中だ。移動と戦闘を繰り返す間の、わずかな小休止だった。
自分がいるのはウィリアムがいる本隊なので、割り振られた兵も一番多い。それ故に負けることは許されないのだけれど。
「しっかし、どんだけいるんだ、あいつら。キリがねー」
「仕方ない。腐っても一応有数の軍事国家だからな」
「軍事国家ねぇ・・・」
タオルに顔を埋めながら、カリルはつぶやいた。疲労からか、全身が鉛のように重い。
対峙したトランド軍を思い出す。統率のとれた無駄のない動きだった。民でも躊躇いなく切り捨てるが、降伏した村には寛容な態度で接しているという。
「残念でしたね。カリルさん」
考えごとにふけっていたカリルは、ふと響の声で引き戻された。
「なにが?」
「またまたとぼけちゃって。トランド軍にフォリオさんがいないからがっかりしてるんじゃないですか?」
「あほか、おまえは」
カリルはため息をついた。
サガの話によると、今回の遠征にトランドの王族は動いていないらしい。つまりフォリオもクライスも自国の城に留まっていることになる。
ウィリアムが口を挟んだ。
「妥当な判断だろ。全軍が遠征してるんだ。この上王族まで出たら、城ががら空きになる」
「だってさ、響」
「・・・何というか、夢もロマンもないですよね。おふたりって」
「戦争に夢もロマンもあるかバカ。いいんだよ、どうせそのうち会えるんだから」
言い切ったカリルに「その自信はどこから・・・」と響はぶつぶつつぶやいている。いちいちうるさい奴だ。
食欲はなかったが、支給された水と携帯食料をとりあえず腹に納めていると、降ろされた幕を開けてサガが入ってきた。
「ウィリアムさま、こちらでしたか」
「何かあったのか?」
「少しお話が」
そう言うと、ふたりは距離をとって何かを話はじめた。雰囲気からして、ずいぶん込み入った話のようだ。聞き耳を立てるのも億劫で、カリルは積み上げられた荷にもたれて目を閉じていた。身体がだるい。
ふたりがこちらに戻ってきたのは、時間にして三十分ほど経った後だった。
瞼を持ち上げたカリルを見下ろしながら、サガが尋ねた。
「カリル、戦況は把握しているか?」
「いまいち良くないってことなら」
大雑把なカリルの返答に、サガはうなずいた。
「今のところ持ちこたえてはいるが、少しずつ後退させられているのは間違いない。消耗戦になれば厄介だ」
だろうな、とカリルは顔をしかめた。今でさえこの状態なのだ。このまま疲弊が続けば後はない。数で押し切られてそこで終わりだろう。
「それで?どうすんだよ?」
「部隊を切り離して、一部をトランドに向かわせることにした。トランドの軍隊は全てこちらに来ているから、城はほとんど無防備なはずだ。そこをつく」
淡々と説明された作戦に、さすがのカリルも唖然とした。
「・・・ずいぶん思い切った作戦だな」
「捨て身は重々承知しているが、今は他に選択肢はない。これがおそらくもっとも確率が高いだろう」
それまで黙っていたウィリアムが、ようやく口を開いた。
「おれが別部隊を率いてトランドに向かうことになった。おまえはどうする?」
「どうするって」
「一緒に行くか?」
カリルは思わず笑ってしまった。
「ウィル、おれがそこで残るって言うとでも思ってんのかよ?」
「・・・だろうな」
半ば諦め顔で息をついたウィリアムに、サガは怪訝そうな顔を向けた。
「連れていくのですか?ウィリアムさま」
「カリルを残したら、その相手するのはおまえだからな、サガ」
その状況を想像したのだろう。サガはいかにも嫌そうな顔で「仕方ないですね」とため息をついた。なんだその態度はと突っ込みたくなる。
「出発は今夜だ。準備は済ませておくから、今のうちに仮眠をとっておけ」
そう言いおくと、サガは颯爽と天幕から出ていった。




