第五章
馬車はかなりのスピードが出ているらしく、先ほどとは比べものにならないくらい揺れていた。
ワイズリーはまだ警戒の残る目で目の前のカリルという少女(少女だと気づいたのは、その声が高めだったからだ)を注視した。彼女は向かいの席にどっかりと座って、かぶっていたフードをおろしている。見事な黒髪だった。
ワイズリーは気になっていたことを尋ねた。
「・・・さっきの兵士はおまえの仲間じゃないのか?」
「さっきの兵士?」
「乗せずに置いていった方の男だ。倒れていたようだが・・・」
「いや、ちゃんとここにいるけど?」
カリルは、何を今更と言いたげな顔で答えた。ワイズリーは顔をしかめる。
「ここにいる?どういうことだ?」
「あ、もしかしてあんた見えない奴か?さっきの奴なら今おれの隣にいるから大丈夫だ」
と、カリルは隣の席を指さすが、そこはただの空席でしかない。ワイズリーは思わず額を押さえていた。
「・・・よく理解できないのだが」
「あーどう言えばいいんだ?ロットが見える奴だったから調子狂うな」
その名前にワイズリーは顔を上げた。
「ロット?ロットの知り合いなのか?」
「ああ。ロットと一緒にあんたを助ける予定だったからな」
まぁ大分予定とは変わったんだけど、とつぶやくカリルを見つめる。安堵感が押し寄せてきていた。そうか、ロットは無事だったのか。
「ということは、おまえは解放軍の仲間か?・・・見覚えはないが」
「違う違う。おれはサガに頼まれて来たんだ。サガ、知ってるだろ?」
「サガ・・・?」
ワイズリーは呆然と繰り返した。知人でその名前は一人しかいない。
「ティティンのサガさまか?」
「あーそうそうそれ」
「では、おまえはティティンの人間なのか?」
「正確には違うけどな。ちょっと訳あって今はサガの下にいるんだ」
ワイズリーはまじまじと目の前の少女を見つめた。正直信じられない思いが強いが、嘘ではないことは伝わってきた。嘘や冗談でこんな身の危険をおかすはずがない。
「・・・では、またサガさまに助けられたのだな。かたじけない」
先の反乱で援助をしてもらったにも関わらず敗北したのは、他でもないこの自分だ。それなのにまた助けられたということか。
「言っておくが、サガは役に立たない奴を助けたりしないぞ。あんたを助けるのは、この先に必要になるからだと言った。あんた、厄介な奴に目をつけられたよな。これから死ぬほどコキ使われるんだぜ」
「サガさまならば仕方がない。それだけの恩があるからな」
「そりゃ律儀なことで」
「ワイズリー、セイオンのことも忘れないでおくれよ?」
御者台の兵士が振り返って釘を刺した。もしや彼はセイオン出身だろうか、などと考えたワイズリーに、カリルが呆れたように訂正を入れる。
「ワイズリー、勘違いしてるだろ。あれ汐だからな?」
「汐?」
「そう。守護霊の汐」
守護霊、という言葉に、ワイズリーは目を見開いた。もちろん知らないはずがない。密約の際に、ロットがやりとりをしていたはずだ。セイオンの守護霊。
「汐さま、か・・・!?」
「あと一応響な。ティティンの守護霊。・・・うるせーな、紹介しただけマシだと思えって」
カリルはワイズリーには見えない何かと会話しているようだった。以前のロットと同じような光景に、ワイズリーは知らず詰めていた息をそっと吐き出した。
何とも言い表せない感情がこみ上げてくる。
「どうした?どっか痛むか?」
「・・・いや、不思議なものだと思ってな」
つぶやくと、カリルは首を傾げた。ワイズリーは小さく笑う。
紅もレイアも来てはくれなかったが、こうして他国の人間が自分を助けようとしてくれている。有り難い話だが、複雑でもあった。
シルバの言ったとおり、クールはトランドから離れるつもりはないのだと思い知らされた気がした。
「ワイズリー、」
カリルが何か言いかけたその時、馬の嘶きが聞こえた。馬車が大きく揺れ、壁に叩きつけられる。停止した。
カリルは打ちつけた頭を振って、声を投げた。
「っ、どうした汐!?」
「ち、もう追って来やがった」
汐の切羽詰まった口調に、カリルは身体を起こして外の様子を確認した。舌打ちする。
「くそ、早いっての。おい降りるぞ!」
「あ、ああ」
カリルに促され、ワイズリーはふらつく足で立ち上がった。こじ開けた扉から外に出る。港ではなく、まだ市街地の中だった。目を移すと、馬車を引いていた馬の足に矢が刺さっているのが見える。
来た、という囁き声に顔を上げる。遠くから弓を携えた兵士たちが、馬に乗って向かってくるのが見えた。
カリルが顔を隠すようにフードをかぶりなおした。
「汐、ワイズリー連れてけ」
「カリルはどうするんだい」
「あいつら、足止めしないとまずいだろ。大丈夫、響がいる」
「・・・分かった。無茶はするんじゃないよ」
兵士はうなずくと、ワイズリーの腕をとって自分の肩に回した。支えられ、ずいぶん歩きやすくなる。
「もう少し頑張りな。人が多いところまで逃げるよ」
「あの子を置いていっていいのか」
肩越しに振り返る。兵士が笑った。
「大丈夫、そう易々と死ぬタマじゃないからね」
すぐそこまで兵士たちは迫ってきていた。
ちらりと振り返ると、ふたりは街の雑踏に姿を消すところだった。上手く人通りの多いところまでいければ、人混みに紛れることもできる。そのためにも、あいつらに追わせるわけにはいかなかった。
「カ、カリルさん・・・」
不安そうな響の声。カリルは呆れたように隣に目を向けた。情けない声を出すな。
「何だよ?」
「え、いや、あの。その」
「言っとくが、おれが死んだらおまえのせいだからな?」
「はいっ!?」
素っ頓狂な返事にカリルは肩をすくめた。もっともこんなところで死ぬ気などない。
「一応、頼りにしてる」
「は、はいっ!頑張ります!」
カリルは腰に下げていた剣を抜いた。兵士を相手に戦うのなら、ナイフより剣のほうがいいと言ったヤノの言葉を思い出す。ようやく試せそうだ、と思った。
フォリオは廊下を足早に進んでいった。一階にある大広間の扉を開ける。中にはルベルトやレイア、紅の姿があった。
「フォリオさま」
ルベルトの前で片膝をついていたシルバが、慌てて身体の向きを変えた。どこか負傷しているのか、かすかに顔をゆがめる。
フォリオは中に足を踏み入れ、彼女に近づいた。
「大丈夫か?」
「はい」
「状況は?」
フォリオの問いに答えたのは、ルベルトだった。
「男を護送中、馬車ごと襲われたそうです。馬車は現在、市街地を逃亡中で、兵士が向かっています」
「申し訳ありません。わたしがついていながら・・・」
片膝をついたままのシルバの腕をひき、立ち上がらせる。
「馬車を襲ったのは、どんな奴だ?人数は?」
「フードをかぶった・・・子供のようでした。顔は隠していたのではっきり見えませんでしたが、黒髪です。わたしが見たのはその子供ひとりでした」
「子供・・・?男か?」
シルバは迷った末「おそらく」と答えた。顔が見えなかったため、断定できないということか。しかしシルバを退けて馬車を奪うなど、女には無理だろう。
「馬車は港方面に向かっています。おそらくは船で海に逃げるつもりなのでしょう。伝令を飛ばして港を封鎖させます」
ルベルトが説明する。おそらくそれが最良だろう。港を封鎖すれば袋小路だ。
その時、廊下から慌ただしい足音が聞こえ、扉が勢いよく開いた。入ってきたのは鎧をまとった兵士で、中にいた顔ぶれに驚いたように背筋を伸ばす。
「し、失礼します!」
「どうした?」
「は。急ぎご報告致します!城下にて、市民が暴動を起こしています!!」
「!」
暴動。予想もしなかった報告に、緊張が走った。次から次へとわき起こる事態に、場が混乱する。
ルベルトが声を低めた。
「詳しく報告してくれ」
「は。本日行われるはずだった処刑に抗議する市民が集まり、暴徒化したようです。城下の警備兵が鎮圧に動いていますが、市民の数が多く、場所も広範囲のため手が回らない状況であります!」
ルベルトは考え込むように眉を寄せた。牢から逃亡した男の追跡に兵をあてている以上、それほど人は割けないはずだ。
フォリオが声をかける。
「ルベルトさま。おれの部隊を出す許可を頂けますか」
「フォリオさま・・・」
「護衛に随伴したので数は少ないですが、いないよりはマシのはずです。使ってください」
ルベルトは深く息を吐き出した。
「・・・ありがとうございます。そうしていただけると助かります」
「では、部隊に指示を出してきます。こちらで指揮をとってしまって構いませんか?」
「もちろんです」
「では後で」
礼をとると、フォリオはきびすを返した。
大広間を出て、兵士の宿舎に向かおうとするフォリオを、呼び止める声があった。
「ねぇ、ちょっと待ってよ!」
振り返ると、追って来たのかレイアの姿がそこにはある。もちろん紅も一緒だ。
「姫さん」
「わたしも行く」
息を整えながら、毅然とレイアは告げた。言うと思ったんだよな、とフォリオは息をついた。
「姫さんはだめだ」
「なんでよ!?」
「危ないからに決まってるだろ。暴動だぞ?何かあってからじゃ遅いんだ」
「大丈夫よ、紅がいるもの」
ちらりと紅を見ると、彼女はわずかに顔をしかめていた。どうやら紅はこちらの味方らしい。
「行ってどうするんだ。まさか暴動を起こしてる奴らを説得するのか?」
「そ、そうよ。悪い?」
「本当にそんなことできると思ってるのか?」
「そんなの、やってみなくちゃ分からないでしょ?」
「分かるさ。いいか、暴動は、そもそも処刑を反対する動きから出てきてるんだ。トランド軍と一緒にいる姫さんの話なんて誰も聞かない。相手はクールの民だけど、とても姫さんの味方とは言えないんだぞ?」
厳しい指摘に、レイアは言葉を失った。
「姫さんが、処刑を取り消すって奴らに公約できるなら別だと思うけどな。どうする?ルベルトに言って、処刑を取りやめるよう説得するか?」
「・・・そ、それは」
悔しそうにくちびるをかむ主を見かねたのか、紅がにらみつけてきた。
「言葉がすぎるぞ、刃」
「時間がないんだ。姫さんの自己満足には付き合ってられない」
自己満足、の一言にレイアははっきり傷ついたような顔をした。紅が顔をしかめている。
言い過ぎたかもしれないが、仕方がない。時間がないのは事実なのだから。
フォリオは顔を上げ、紅に声を投げた。
「紅、後は頼む」
「・・・早く行って、のたれ死んでしまえ。この、大馬鹿者が」
返ってきた毒舌に苦笑し、悪い、とつぶやくと、フォリオはその場を離れた。
うつむいたままの主に、紅はそっと声をかけた。
「レイア」
「・・・」
ゆっくりと上げたその顔は、わずかに歪んでいた。泣き出しそうな、でも怒っているようなそんな表情。
「レイア、部屋に戻るか?」
「・・・戻らない」
「レイア」
「無理だとか、そんなのやってみなきゃ分からないじゃない」
拳を握りしめて、レイアがつぶやいた。かと思うと、突然きびすを返して歩き出す。部屋とは反対方向だ。
慌てて紅は後を追う。
「レイア!?どこに行くのじゃ?」
「決まってるでしょ?城下に出るの」
「レイア!」
紅は行き先をふさぐように、前に降り立った。レイアは足を止め、ふてくされた子供のような目でこちらを見る。
「紅も反対なの?わたしが行くこと」
「そうじゃな・・・あまり賛成とは言えぬな」
「なんでよ!?」
紅はまっすぐ主を見返した。
「レイア、わたしらの立場は複雑なのじゃ。トランドに従うのはクールの総意じゃが、実際は面白く思わぬ民の方が多い。そしてその不満は政府や王族に向かっておる。その結果が先の反乱であり、今回の暴動じゃ」
「紅」
「・・・悔しいが、刃の言った通りじゃな。たとえクールの民であろうと、我々の理解者とは言えぬのが現実じゃ」
寂しげにつぶやいた紅を、レイアは見つめた。
「・・・わたしは、分かってるわよ。紅のこと」
ふと聞こえた言葉に、紅は目を瞬かせた。レイアは照れ隠しに顔を反らしながら、ぼそぼそと続ける。
「紅だって、わたしのことを分かってくれてるでしょ。それで、いいじゃない」
「レイア・・・」
「さ、じゃ行くわよ!」
赤らんだ頬を隠しながら、レイアは再び歩きだした。急いで後をついていく。
「レイア、本当に行く気か?」
「行くわよ」
「しかし・・・」
紅、とレイアは名前を呼んだ。
「お願いだから。・・・危ないことはしないって約束する。ちゃんと自分の目で見ておきたいだけだから」
「・・・本当じゃな?」
「わたしが約束破らないって、知ってるでしょ?紅」
挑戦的な言葉に、紅は目を丸くした後、ふっと苦笑した。確かに彼女のことなら、自分はよく知っている。理解している。おそらくレイアも。
その言葉に、少しだけ救われた気がした。




