第六章
カリルと別れたワイズリーたちは、細い路地裏を抜けながら、大通りに向かっていた。
汐は今、目立たない容貌の青年の姿になっている。兵士のままで逃げるには目立ちすぎるため、一度離れ、近くにいた一般人の身体を拝借してるのだ。
「ワイズリー、大丈夫かい?」
「ああ・・・申し訳ない。汐さま」
「気にしなくていいよ。軽いもんだ」
肩を貸したまま、青年は朗らかに笑った。
カリルたちが上手く足止めしてくれたらしく、兵士は追ってきていない。だが追っ手が来たということは、すでに城下中に伝令が回っていると見ていいだろう。
「・・・あの少女は、本当に大丈夫なのだろうか?」
「カリルかい?あの子には響がいる。滅多なことがない限り、大丈夫だよ」
ワイズリーは横目で青年を見た。
「・・・ひとつ気になっていたのだが」
「なんだい?」
「あの少女は・・・ティティンの皇女なのか?皇子がいたことは知っているんだが・・・」
何がおかしかったのか、青年は盛大に吹き出した。肩を震わせて笑いをかみ殺している。
「汐さま?」
「あ、ああごめんよ。カリルが皇女ね。確かに響が一緒ならそう思うだろうけど・・・っくく」
「違うのか?」
「まぁ残念だけど、違うね。ちょっと事情があるんだよ」
「事情?」
ワイズリーが聞き返した時、ふと遠くから何かが聞こえてきた。人が争うような喧噪の声。
青年が表情を消した。
「その話は後だ。また今度、カリルたちから聞くといいよ」
「では、そうしよう。・・・この音は?」
「ワイズリーはちょっとここで待ってな。様子を見てくる」
青年はそう言いおくと、ひとり先に向かった。ふたりがいる細い抜け道から大通りへ出る角。そこからそっと大通りを伺う。
戻ってきた青年は、考え込むように眉をひそめていた。
「汐さま?」
「・・・あちこちで民が暴れてるみたいだ。暴動・・・といっていいんだろうね。兵士が取り押さえにかかってる」
「なんだって?」
血相を変えたワイズリーに、いや、と汐がつぶやいた。
「丁度いいね。紛れ込むには十分さ。幸い兵士も事態の収拾に精一杯だろうし、利用させて貰おう」
ワイズリーはうなずいた。
「当初の予定通り、港に向かうのか?」
「そうしたいのは山々なんだけどね・・・追っ手がかかったってことは、そっちも手が回ってる可能性もある。一か八か、様子を見に行くのもありなんだけどね」
その時、カツン、と高い靴音が路地裏に響いた。
「港ならもう封鎖されてるわよ」
「!」
後ろから突然聞こえた少女の声に、青年はワイズリーを背後にかばった。
大通りからではなく、自分たちが通ってきた道から、ひとりの少女が歩み寄ってくる。・・・いや。正確には一人じゃない。
青年は目を見はった。少女の隣上には、見覚えのある姿がある。まごうことなく自分たちと同族の者。
「レイアさま・・・!?」
「レイア、だって?」
ワイズリーのつぶやきに、青年は顔をしかめた。ではこの少女が、トランドと婚姻を結んだというクールの皇女か。守護霊の紅がいるのだから間違いない。
それにしてもなんだってこんなところに。内心で舌打ちする。ここで騒がれれば、兵士が来てしまう。
「レイアさま。どうしてここに・・・?」
「・・・」
レイアはゆっくりと近づいてくると、青年の前で足を止めた。
「港に向かう抜け道なら、よく使ったから詳しいのよ。前ばかり気にしてないで、後ろも気をつけた方がいいんじゃない?」
青年は黙ったまま、レイアを見下ろした。下手に口を開けば、紅に気づかれるおそれもある。今更ながら、人間に憑いていたことが幸いしたようだ。
「そこをどきなさい。わたしはその人と話がしたいの」
「・・・」
青年はちらりとワイズリーを見やった。彼はうなずいて進み出ると、レイアの前に片膝を折った。臣下の礼だった。
「どうして逃げたの」
「・・・死ぬわけにはいかないからです」
レイアはくちびるをかみしめた。押し出すように言葉を紡ぐ。
「・・・あなたが・・・間違ってるとは言わない。わたしには言う資格がない。わたしだって、あいつらに復讐してやるってずっと思ってきたんだから」
「今は違うと・・・そういうことですか?」
「今だって、あいつらが憎くない訳じゃない。でも、」
「でも?」
「・・・復讐なんて意味がないと思ったの。トランドに刃向かえば、今度こそこの国は滅ぼされてしまう」
手を握りしめてレイアがつぶやいた。
「義父さま・・・王も、政府も、トランドと共にいることを選んだの。わたしも・・・クールを守るためにそうするつもり。あなたがしてることは、この国を混乱に陥れるだけでしょ?」
「レイアさまはクールを守るためにトランドに従うと・・・」
ワイズリーは穏やかに微笑んだ。
「わたしも同じです。この国を守るため、戦っているつもりです。クールがクールとして存在し続けるため。そしてクールの民草の誇りのために」
「誇り・・・」
レイアは息をのみこむと、痛みをこらえるかのように顔をゆがめた。
「レイアさま。わたしもレイアさまも同じ道を目指しております。それだけは分かっていただけるでしょうか?」
「・・・あなたはクールの王権を奪おうとしてる。それならわたしたちの敵でしょう?」
「いいえ。わたしたちはクールの民です。レイアさま、あなたがクールを思う限り、我々はあなたの臣下なのですよ」
「・・・」
レイアはゆっくりと目を閉じて、大きく息を吐き出した。しばらくして開いた目は、わずかに潤んでいた。
「・・・分かったわ」
「レイアさま」
「紅、戻ろう」
レイアはきびすを返したが、すぐに立ち止まった。背を向けたまま、ぼそりとつぶやく。
「・・・さっきも言ったけど、港は封鎖されてるわよ。あちこちで暴動が起きてるから、それに紛れてしばらく隠れているほうがいいわ」
「レイアさま・・・」
さよなら、とつぶやいてレイアは歩き始めた。紅はこちらを見つめた後、小さく微笑んだ。
「死ぬでないぞ」
そう聞こえた気がした。
「カリルさんカリルさん、大丈夫ですか?」
必死にのぞきこんでくる響がうっとうしい。うっとうしいが、それを言う気力すらなく、ただカリルは「ああ」とだけ答えた。
響の守護のおかげで怪我をしないとはいえ、さすがにあの人数を相手にするのはきつい。怪我をしないのと疲労しないのは別物らしく、全身が鉛のように重かった。
血を吸って重くなった外套を捨て、剣をおさめるとカリルはのろのろと歩きだした。後ろは見なかった。見ると、動けなくなる気がしたから。今でさえ血の臭いに酔ったような感じがしているのに。
「・・・おまえがいなかったら、死んでたな」
ぽつりとつぶやくと、響が目を見張った。正直守護がなかったら、今頃生きてはいなかったと思う。
剣に切りつけられたと思っても痛みはなく、矢が刺さったと感じても触れたところからは血すらでていないのだ。
それは守護がなければすべて自分が背負うはずだったもの。
響が顔をゆがめて、からかうように笑った。
「もしかして落ち込んでます?カリルさん?」
「んなわけねーだろ」
「ですよねぇ・・・」
落ち込んではいない。落ち込んではいないが、まだまだだなとは痛感した。まだ自分は弱い。それがもどかしい。
「カリルさん。カリルさんが無事で、良かったです」
「・・・」
おう、とつぶやいてカリルは顔を背けた。
立ち止まっている暇はない。汐たちは無事に逃げられただろうか。探して合流しなければ。
汐とワイズリーの姿を探して市街に出たふたりは、そこで見た光景に目を疑った。
「なんだ、これ・・・」
街の中は混乱を極めていた。暴れる民に、それを取り押さえようとする兵士。その兵士にまた体当たりを食らわせる民。そんな光景が入り乱れ、訳のわからないことになっている。
「ど、どどどどうしたんでしょうかこれは・・・」
「おれが知るかよ・・・」
「カリルさま!!」
聞き覚えのある声に振り返ると、喧噪の間をぬって、ロットが走ってくるのが見えた。
「ロット?」
「良かったです、ご無事で・・・汐さまもワイズリーさんもすごく心配されてましたよ」
「!会ったのか、ふたりに!?」
はい、とロットはにこやかに笑った。
「ご安心ください。おふたりともご無事ですよ。怪我一つありませんでした」
「そうか・・・」
それを聞いてカリルはほっと息をついた。どうやら何とかなったらしい。これで肩の荷が降りる。
安心したのも束の間、あたりにざわめきが走った。空気が緊迫する。
目を向けると、軍隊がカリルたちのいる大路地にたどり着いた所だった。統率された動き。
ロットが声を潜めた。
「・・・どうやら本格的に軍隊が動き始めたようですね。行きましょう。ここにいるのは危険です」
「ちょっと待て、あいつらはどうなるんだ?」
カリルは慌ててロットを止め、未だに暴動を続ける人々を指さした。ロットが微笑む。
「大丈夫ですよ。暴動を起こしている民の、半分以上はわたしたち解放軍の仲間です。鎮圧のための軍隊が出てきたら、すみやかに手を引くよう指示してあります」
「ロット・・・じゃ、この騒ぎはおまえがやったのか?」
ロットは照れくさそうにうなずいた。
「はい。暴動で兵士が足りなくなれば追っ手も少ないでしょうし、混乱に乗じてワイズリーさんも逃げやすくなるかと思いまして。・・・なんて、もっともなことを言ってますが、本当は解放軍のみんなが行くと言って聞かなかっただけなんですけどね」
カリルはまじまじとロットの顔を見つめた後、苦笑した。
「そっか。あいつ、いい仲間持ってんだな」
「失礼ながら。カリルさまと響さまも、もうわたしたちの仲間だと思っておりますよ?」
「・・・だってさ、響」
横にいた響にふると、彼は嬉しそうに満面の笑顔を浮かべた。
「では、すぐにでも移動しましょう。安全な場所までご案内します」
カリルはうなずいた。ロットの誘導で移動を始める。
ちらりとそちらを見やると、兵士たちが無駄のない動きで暴れる人々を取り押さえていた。
「本当に大丈夫なんだな?あいつらは」
「いくら軍でも、丸腰で抗議活動に及んだだけの民を処罰などできませんよ。捕まればしばらく拘束されるかもしれませんが、それ以上の処罰は民衆の非難を浴びるだけです」
それに、とロットは言葉を続けた。
「あれはクールの軍隊ではありません。国旗からしてトランドですね。他国の軍隊ならなおのこと、易々と民に暴力はふるえないはずです」
カリルはぴたりと足を止めた。
「カリルさま?」
怪訝そうにロットが振り返る。カリルは視界に入ったある一点を凝視した。目をこぼれんばかりに見開いて。
あれは。
ーーーまさか。
「カリルさま?どうかしましたか?」
「・・・ロット、今どこの国だって言った?」
「あの国旗はトランドだと・・・そう申し上げましたが」
カリルがくちびるをつりあげた。気づいた響が息をのむ。
「カリルさん!?」
「・・・それじゃ、あれはおれの見間違いじゃないな」
カリルは目を細めてくちびるをかみしめた。拳に力を入れる。視界に飛び込んできたただひとりをにらむ。
視線の先、軍隊の奥のほうに立つひとりの少年。見間違えるはずがない。最後に見た時と同じ軍服を着て。苛立つほど前と変わらない姿が。
「リオッッ!!!」
カリルは思い切り怒鳴りつけた。
この喧噪でも聞こえるように。




