第二章
サガを交えての綿密な打ち合わせの結果、カリルたちがクールに入るのは処刑日の二日前となった。出発は明朝。クールに潜伏している密偵が出迎えてくれるらしい。
事前に渡された城の見取り図を頭に叩き込んでいると、響がそっと手元をのぞき込んできた。
「どうですか?カリルさん」
「どうも何もねーよ。何だこの城。迷路か?この見取り図所々空白があるし」
「ああー。内部の詳細は、城の使用人ですら伏せられていることもありますからね」
「こんなんでどうしろってんだ」
カリルは不満そうにぶつぶつとこぼした。まぁ今更文句を言っても仕方がないか。
「あのですね、カリルさん」
「何だよ?」
「実際どうなんですか?」
「何が」
「何がって、決まってるじゃないですか!フォリオさんの婚約ですよ!」
カリルは見取り図から顔を上げた。妙にわくわくした顔の響と目が合う。なんだその顔は。
カリルは顔をしかめた。
「リオの婚約がどうしたって?」
「いえ、実際カリルさんはどう思ってるのかなーって」
「どうって」
カリルは顔をしかめたまま面倒くさそうに答えた。
「びっくりしたけど?」
「・・・それだけですか」
「他にどう反応しろと?」
響は、はあーっと長いため息をついた。なんだかムカつく。
「カリルさんってよく分からないです・・・」
「おれはおまえの方が分かんねーけど」
「何言ってるんですか。他の皆さんだって気にしてらっしゃったじゃないですか!」
言われて、ああ、とカリルはうなずいた。そういえば婚約の話が出たときに、やたら伺うような視線を感じた気もするが。
「何なんだ、いったい」
「・・・ぶっちゃけ、カリルさんってフォリオさんのこと、どう思ってるんですか?」
「どうって」
このやりとり、ついさっきもしたな、なんて考えながら、カリルは面倒くさそうに答えた。
「ダチ」
「言葉づかい悪いです」
「分かりやすいだろ」
「それだけですか?」
「何が言いたいんだ、さっきからおまえは?」
響は頬を膨らませている。やめろ。
「普通のご友人だって言うのなら、こんな風に追いかけたりはしないと思うのですが」
カリルは眉間にしわを刻んだ。
「・・・・・・・そんなことないだろ?」
「一般論で言えば、ありませんね。フォリオさんを憎んでいるとかなら話は別ですが」
「おまえに一般論を語られてもなー」
カリルは息をついて、見取り図を横に置いた。
フォリオを憎んでいるかと問われれば、それは違うと言える。なので響が何にこだわっているのかがよく分からない。
「リオは友達なんだ。守護の島でできた最後の友達。それを追いかけるのっておかしいか?」
友達なら守護の島にいくらでもいたけれど、誰もいなくなってしまった。フォリオは守護の島に暮らしていた『カリル』の最後の友人だ。
響は何故か耳を垂らしていた。
「カリルさんにとって友達って何なんですか?」
「響?」
「サガさんとかエンさんとか汐さんとかウィリアムさんは?ご友人じゃないんですか?」
「あいつらは、まぁ一応仲間だろ?」
「では、ぼくは?」
「おれの付属品」
「なんなんですかそれは!!」
声を上げた後で、響は堪えきれないように吹き出した。カリルもおかしくなって笑う。
しばらくして響が「そのほうが、カリルさんらしいですね」とつぶやいた。
その時、扉をノックする音がした。
返事をする。入ってきたのはサガで、手に荷物を持っている。
「城の内部は覚えたのか?」
「今覚え中。牢は地下でいいんだよな?」
「そうだ。牢に入る入り口が、城の西側にある」
室内に足を踏み入れながら、サガが持っていた物を差し出した。革袋と細身の剣だ。
「何だよこれ」
「持って行け。最低限の物は入ってる。向こうで密偵と合流したら、中の手形を見せろ。それで分かる」
カリルはそれを受け取って、中を覗いてみた。旅に必要な物は一通り入っているようだ。
「んじゃ貰っとく。でも珍しいな。あんたが持ってくるなんて」
普段のサガなら、そのあたりの使用人を捕まえて届けてきそうだ。言外にそう言うと、サガは少し躊躇うような表情を見せた。
これまた珍しい顔だ。
「・・・ウィリアムさまに言われたんだ」
「は?ウィル?」
「『おまえはエンや自分を危険なことから遠ざけて、すべてカリルに押しつけるつもりか』とな」
カリルは目を丸くして響を見た。響も同じようにびっくりした顔をしている。
響がおずおずと尋ねた。
「えっと、でもそれはウィリアムさんの誤解、ですよね?」
「誤解とは言い難いな」
「えっ?」
カリルは息をついた。さすがのサガも、ウィリアムには弱いんだな、などと思いながら。
「そんなん今更だろ?エンは他国の王族だし、ウィリアムだってたったひとりの跡継ぎだ。危険なことはさせられないっていう、あんたの考え方は間違ってないと思う」
「おれもそう思う。だがウィリアムさまは納得できないようだな」
ふーん、とカリルはつぶやいた。思い出したのは響の処遇をめぐって彼と勝負したときのことだ。あの時確かにカリルは、島に隠れたウィリアムのことを非難したが・・・。
「あー煽りすぎたかな・・・」
「なんだ?」
「いや、こっちの話」
カリルは手を振って誤魔化した。正直に言えば、余計なことをするなと怒られるのは目に見えている。面倒くさい。
「おれはあんたの部下なんだろ?仕方ねーからある程度の命令は聞いてやる。リオを殺せ、以外ならな」
「それは残念だな」
サガはくちびるをあげて笑うと、「頼んだぞ」とつぶやいた。
その朝、フォリオがクールに出立すると聞いたレイアは、慌てて城門前に向かった。
夕べまでは出立の話どころか、フォリオは目を覚ましてさえいなかったのに、一体どういうことなのか。混乱した頭のまま先を急ぐ。
城門前には随行の兵士たちが馬と共に集まっていた。その中にいた金髪の少年の姿を見つけ、レイアは驚きのあまり固まってしまう。フォリオだ。
動けないまま凝視していると、視線に気づいたのかフォリオがこちらを向いた。目が合うと微笑み、しっかりした足取りで近づいてくる。
「姫、おはようございます」
「あ、あんた、いつ目が覚めたの?昨日まで意識なかったじゃない」
「ついさっきです。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。姫も看病してくださったそうですね」
「べ、別にわたしは何も・・・」
微笑んだままのフォリオが、ふとレイアの手を取った。手の甲にくちびるを寄せられ、レイアの思考回路は完全に停止する。隣にいた紅も、ぽかんと大きく口を開けた。
「ありがとうございました、姫。・・・姫?」
バッチン、という、もの凄い音が響いたのはその直後だった。その音でレイアは、自分が思いきり頬を平手打ちしたのだと気づく。ああ、手が震えている。
「いってー」
「あ、あああああんたね!いきなり何するのよ!」
フォリオは赤くなった頬をこすり、呆れたような表情を浮かべると、
「姫さん、そりゃやりすぎだって。これ一応フォリオの身体だからさー」
と言った。フォリオの口から突然飛び出した砕けた口調に、レイアは愕然とする。
紅が目を見開いた。
「おぬし・・・まさか刃か!?」
指さされたフォリオは、にやりと笑みを浮かべた。おおよそ普段のフォリオらしからぬ表情が、肯定を意味している。
「貴様、何を考えておるのじゃ!主に憑くなど、気でも狂ったか?」
「失礼な奴だな。おれは正気だって」
「どこがじゃ!」
フォリオ(正確には刃だが)はため息をついた。
「仕方ないだろ?ギリギリまで待ったけど、フォリオ起きないんだからさ」
「ギリギリって、まさかクールに行くために?」
「ああ」と答えたフォリオを、紅は怪訝そうに見た。
「解せんな。なぜそこまでしてクールに行く必要がある。代理を立てれば良い話ではないか」
「そ、そうよ」
フォリオはまたひとつため息をついて、内緒話をするように顔を寄せた。近い。思わずレイアは後ずさってしまう。
フォリオは声をひそめて言った。
「姫さん。トランドの軍隊のうち、どれくらいがフォリオの直轄か知ってるか?」
「そ、そんなこと知るわけないでしょ?」
というか、近い!顔が!叫びたいのを必死で堪える。
「大体三分の一くらいだな。あとは軍に所属してる将軍たちの管轄だ。クライスは前線から退いてるから、それほど多くもない」
「そ、それが何だって言うのよ?」
「簡単に言うと、知られるわけにはいかないんだ。フォリオが昏睡状態だってことを、他国の奴らにな」
「な、なんでよ?」
「じゃあ仮にティティンがこのことを知ったとしたら、どうなると思う?」
「どうって言われても」
いきなりの質問返しに、レイアは戸惑った。そんなこと言われても分かるわけがない。
紅が助け船を出すように口を開いた。
「ティティンからしたらまたとない好機じゃろうな。軍の三割を保持し、なおかつ指揮までとる皇子が動けんのじゃ。攻めてくださいというておるも同じじゃろう」
「そういうこと」
フォリオは腰に手を当ててうなずいた。
「実際、もう外ではフォリオの不在を怪しむような噂もあるらしい。ティティンが動く前に手は打っとかないとまずいんだ。フォリオが起きたら負けてました、じゃ洒落にならないからな」
「つまりおぬしが皇子の振りをすることで、国内外に健在を印象づけるいうことじゃな?」
「まぁ大体そんな感じだな。分かったか、姫さん?」
「い、いちいち確認しなくても分かってるわよ」
レイアはぼそぼそと小声で答えた。そこまで考えつかなかった自分が恥ずかしい。
「それで、貴様はいつまで振りとやらを続けるつもりなのじゃ?」
「うーん?フォリオが起きるまで?」
「それなら永遠という可能性もあるわけじゃな。レイア、よいのか?このままでは刃と結婚する羽目になるやもしれぬ」
「えっ!?嫌よ!」
反射的に拒否ったレイアに、フォリオが「さすがにそれは傷つくな」と苦笑する。
「さっきのは冗談だって。そんな心配しなくても、クールから戻ったら身体から出るさ。おれだってずっと敬語で愛想振りまいてたら死んじまうからな」
「そのまま死んでしまえばよいのじゃ」
「それは遠慮しとく」
朗らかに嫌みをかわしたフォリオに、レイアが尋ねた。
「そもそも何をしにクールに行くのよ?」
「何ってそりゃ・・・」
言いかけて、フォリオは口ごもった。それで何となく察しがつく。自然と声が低くなった。
「・・・何か、あるの?言えないようなことが」
「うーん。あるっちゃあるんだけど」
「はっきり言いなさいよ」
語尾を強めて促すと、渋々ながらフォリオは口を開いた。
「まぁ隠してもいずれ分かるから言っておくけどさ。・・・処刑が決まったんだよ。例の暴動の首謀者の男の」
レイアは小さく息をのんだ。紅は痛みをこらえるように眉をひそめている。
「・・・嘘。聞いてない」
「教えたら行くとか言うだろ姫さん」
「行くに決まってるでしょ!どうして早く言わないのよ!?」
フォリオはため息をついた。中身が違うと分かっていても、その姿でため息をつかれると苛ついてしまう。
「姫さんは見ない方がいいと思う」
「なんでよ!」
「本当に分かってるか?処刑だぞ?大勢の人間の前で、首を落とすんだ。立ち会う以上、おれたちは目をそらすことなんて許されないし、泣くのも喚くのも論外だ。おれはともかく、姫さんにそれができるのかよ?」
「・・・」
レイアは返す言葉を失った。想像してみる。自分にできるだろうか?平静を保ったまま、最後まで見ていられるだろうか?
口火を切ったのは紅だった。
「レイア、出立の用意をするぞ」
「おい紅」
苦い顔で止めたフォリオを、紅は冷ややかに見やった。
「刃、おぬしは勘違いをしておる。レイアはそんなに弱くはないぞ?それに、他でもないわたしたちの国の問題じゃ。レイアだけではない。わたしも見届ける責任があろう。違うか」
「本当に可愛げがないよな、あんたは・・・」
呆れたようにフォリオはつぶやくと、レイアに視線を戻した。
「姫さん、どうする?」
「・・・行くわよ」
レイアは気丈に答えた。躊躇いはもちろんあったが、ここで行かなければ、今後同じような事態をずっと逃げることになる気がしたから。
フォリオは肩をすくめると、出発時間を教えてくれた。




