第八章
クールに入って三回目の戦闘に入ったとき、反乱分子による思わぬ反撃があった。どうやら今回の首謀者が潜んでいたらしく、混戦状態が長く続いたのだ。
フォリオは刃と前戦に赴いたが、レイアは陣営の中で、紅とシルバと共に残るしかなかった。威勢良くついてきたものの、正直何もできない状況が歯がゆかった。
いや、とレイアは周りをそっと見やった。
何もできないどころか、足手まといになっているかもしれない。自分ひとりのために、シルバや兵士が陣に残るはめになっているのだから。
ついていくといった時のフォリオの反応を思い出すと、余計に落ち込んでしまう。
「レイア、どうしたのじゃ?気分でも悪いのか?」
「なんでもない・・・」
無表情で立っていたシルバが、ふと顔をあげた。陣営に兵士がひとり入ってくる。シルバに礼をとり、何かを報告すると、また外へ出ていった。
レイアはシルバを見た。
「なにかあったの?」
「勝敗がついたそうです。どうやら首謀者らしき男が捕まったようですね」
「首謀者・・・」
「様子を見て参ります。姫さまはここでお待ちを」
シルバは礼をとると、颯爽とした足取りで出ていった。
シルバが出ていって三十分ほど経った頃、ようやく彼女は戻ってきた。シルバに続いて入ってきたフォリオの姿に、思わずレイアは立ち上がった。
彼の軍服は血で真っ赤になっていた。顔も同じ色で汚れている。
「あんた、それ・・・怪我?」
震える声で問うと、フォリオは目元を歪めた。いえ、と堅い声で答えが返ってくる。
紅が感情を消した声で吐き捨てた。
「レイア、刃がおるのだからあいつは怪我などせんよ。あれはクールの民の血じゃ。そうじゃろう?」
「紅、やめろ」
刃の制止に、紅はふんとそっぽを向いた。レイアはフォリオから視線が外せない。凝視するレイアに、堅い表情のままフォリオが話しかけた。
「姫。もうご存じかもしれませんが、今回の首謀者を捕らえました。お会いになりますか?」
「えっ?」
「本人は姫に申し開きがしたいと言っていました。ですが、お会いになるかどうかは姫が決めてください」
「わ、わたしは・・・」
レイアは手を握りしめた。心臓がどくどくと鳴っている。みんなの視線が集まっているのが分かる。
ぎゅっと目を閉じた。
「姫?」
「・・・会うわ。連れてきて」
「・・・分かりました」
フォリオがうなずいた。
再び外に出たシルバが、兵士を引き連れて戻ってくる。
兵士に囲われるようにしてレイアの目の前で膝をついたのは、四十前後の男だった。腕は後ろで括られている。全身が汚れ、あちこちから出血していた。
ぼろぼろの姿になってもなお、強い目をしていた。
「姫さま。お会いできて光栄でございます。このような姿での拝謁をお許しください」
レイアはぎこちなくうなずいた。
「・・・なぜこんなことをしたの?」
「恐れながら姫さま。今のこの国はトランドの属国と化しつつあります。ここ数年であがった税金は全てかの国へ流れ、不条理な交易を押しつけられる。この国は緩やかに衰弱していっているのです」
男は苛烈な目でフォリオをにらみつけた。
「トランド王からすれば、敗戦国である我が国の主権など認めていないのかもしれないが、それでも我々は独立した国なのです!かの国の言いなりになる必要などありません!」
「・・・それが理由?」
「今のままではやがてクールは滅びるでしょう。そうなっては遅いのです」
レイアは細く息を吐き出した。
「あなたの気持ちは分かるわよ。でも、こんなやり方は」
「正しくないと?姫さまは、悔しくはないのですか。王を殺され、民が虐げられているというのに」
責めるような口調にカッとなった。
「悔しいに決まってるでしょ!」
いきなり大声を上げたレイアに、周囲が驚いている。レイアは男をにらみつけ、なおも怒鳴った。
「だからって力ずくでなんとかしようなんて、バカじゃないの?トランドが動くくらい予想ついたでしょ!反乱なんてね、どんなに正義があっても勝てなきゃ意味ないの!逆賊扱いされるじゃない」
そうだ。勝てなければ意味なんてないのだ。レイアは震える息をのみこんだ。
トランドが憎いのは自分だって同じだ。復讐しようとしたことだってある。そこで唐突に気づいた。
あの時、もしフォリオを殺していたとしたら。そんなことになったら、トランドに格好の名目を与え、今度こそクールは滅びていただろう。それこそ叩き潰されていたに違いない。
レイアは目を見開いたまま、拳に力を入れた。紅がそっと名前を呼びかけている。
静まりかえった室内で、最初に動いたのはフォリオだった。兵士に指示を出し、男を外へと連れていく。
レイアは慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「姫」
「あの人、どうするつもり?まさか殺すんじゃ」
フォリオは目を伏せて告げた。
「・・・これはクールの問題ですから。首謀者の処遇はルベルト王に任せます」
「そんなことしたら殺されちゃうじゃない!義父さまだって、所詮トランドの人間なんだから!」
「姫!」
怒鳴られ、びくっと肩が跳ねた。信じられない思いでフォリオを凝視する。この少年が怒鳴ったのを初めて聞いた。声を上げたフォリオも自分と同様、驚いたように目を見開いている。
「・・・すみません、大声出して」
フォリオはそう謝って目をそらすと、陣営を出ていった。刃も肩をすくめ、ついていく。
残されたシルバが、どこか冷めた視線をレイアに向けた。
「姫さま。国というのは法で成り立っています。たとえ王族でも法を犯すことはなりません。それはお分かりですか?」
レイアはくちびるをかみしめた。
「・・・そんなこと、分かってるわよ」
それならば結構です、と言いおくと、シルバも外に出ていった。
「フォリオ、」
主を追って陣営を出た刃は、すぐにフォリオの姿を見つけることができた。
全身に浴びた返り血のせいで、顔色の悪さが一層目立つ。
「大丈夫か?」
大丈夫じゃないことくらい分かりきっているのに、そう聞くしかない。案の定フォリオは、ああ、とつぶやくと、視線を動かした。そこには兵士に押さえられたままの男がいる。
フォリオの視線に気づいたのか、男がくちびるを歪めた。
「・・・愚劣な蛮族め」
声は深い侮蔑に満ちていた。
「それだけ人を殺めれば気が済む。そんなに己の領土を広げたいか。この強欲奴めが」
フォリオが息を呑んだのが分かり、刃は渋面した。
「は、所詮おまえと父親と同じだ。争いを求め、民を踏みにじる。卑怯にもレイアさまを城に抱え込み、盾にしようとするなど・・・」
「貴様!」
男を捕らえていた兵士が、男の肩を強く押さえつけた。低いうめき声が聞こえる。
「やめろ」と、兵士に命じると、フォリオは毅然とした口調で言った。
「あなたの処罰はルベルト王がお決めになる。正当な言い分があるのなら、その時に主張するといい」
兵士たちに連れていくよう言うと、彼らは男の腕を強引に引いて立ち上がらせた。引きずられるようにしていく間
、男はずっと口汚い罵り言葉をわめき散らしていた。
やがてそれも静かになる。フォリオは疲労と共に息をそっと吐き出した。しんどそうだな、と刃は思う。
「平気か?」
「・・・ああ」
「顔、洗ったほうがいいぞ。あと服。血だらけだ」
「ああ・・・」
茫洋とした表情で答えたフォリオは、自分の掌に視線を落とした。他人の血で汚れたそれを、じっと見つめている。
刃は顔をしかめた。
「おい、フォリオ」
返事はない。彼は自分の手を見つめたままだ。刃は舌打ちした。どうせ余計なことを考えているに違いないのに。
「おい、フォリオ!」
「・・・」
声を上げると、フォリオはゆっくりと顔を上げた。刃と目が合うと、彼は笑おうとしたようだった。
ようだった、というのはうまく笑えてないからに他ならないのだけど。
ルベルトに詳細を報告し終え、フォリオたちは翌朝トランドに戻ることとなった。
夜中、馬の様子を確認して部屋に戻ろうとしたフォリオは、厩の外にいた人影に気づいた。
「姫」
そこにいたのはレイアだった。むっすりとした表情をしていて、隣には同じ表情の紅もいて、刃が、げ、と顔をしかめた。
「お休みにならなくていいんですか?出発は朝ですよ?」
「あんたこそ」
「おれは目が冴えてしまって」
フォリオは隣に行くと「中に入りましょう」と促した。
レイアはおとなしく後ろをついてくる。
「・・・あの人、どうなったの?」
「とりあえずは法令通り、審問にかけられるそうです。気になるのなら、ルベルト王に聞いてはどうですか?」
「聞いてもどうせ同じことしか言わないでしょ」
とレイアは素っ気なく答えた。
薄々感づいてはいたが、やはりルベルトとは上手くいっていないらしい。
城の中に戻ると、フォリオは階段に向かった。確かレイアの部屋は最上階のはずだ。夜も遅いし、紅がいるとはいえ一応送り届けたほうがいいだろう。
歩きながら黙り込んでしまったレイアに目を向ける。彼女は気まずそうにうつむいていた。
「姫、さっきはすみませんでした。怒鳴ってしまって」
「べ、別に・・・」
どうでもいい風を装っていたが、動揺しているのは見て取れた。フォリオは静かに尋ねてみる。
「・・・姫は今もトランドが許せませんか?」
「あ、当たり前でしょ?」
レイアは顔を上げると、フォリオを下からにらみつけた。でしょうね、とフォリオはうなずく。
「では、ここに残りますか?」
隣にいたレイアが立ち止まった。足を止めて振り返ると、彼女は立ち尽くしたままこちらを凝視していた。唖然とした顔。
「え?」
「婚約のことは、おれからもう一度父上に話してみます。ですから」
「トランドに戻らず、このままここに残れって?」
「はい」
そもそも今回の婚約はトランド側が強引に決めたものだ。無理に従うようなことでもない。クライスはしばらくうるさいだろうが、母国へ帰った姫を追うほど執着しているようには見えなかった。何が何でも結婚させるつもりならば、とっくにそうなっているはずだ。
つまり、レイアがここに残ること、極めて最善の選択といえる。
「姫?」
こちらを見つめたまま動かないレイアを怪訝に思い、フォリオは顔をのぞき込んだ。その目がわずかに赤くなっていることに気づいて、びっくりする。
姫、と呼びかけようとした途端、レイアの目がつり上がった。頬に衝撃がきて、叩かれたのだと遅れて気づく。
そんなに痛くはないが、これにはかなり驚いた。
「姫・・・?」
「ふざけないでよ!なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのよ?わたしのことはわたしが決める。ほっといてよ!」
大声でまくしたてると、レイアはきびすを返して走り去っていった。紅もこれみよがしに舌打ちをすると、彼女を追っていく。
フォリオは呆然とそれを見送った。なんだったのだろう?
「あー・・・悪いフォリオ、油断してた。大丈夫か?」
「ああ・・・」
フォリオは側に来た刃を見た。彼はなんともいえない微妙な表情をしている。強いて言うなら苦笑を堪えているような顔。
「刃、姫は何を怒ってたのか分かるか?」
「あー何となく分かるような分からんような・・・」
刃は曖昧に答えて頭をかいている。
フォリオは息をつくと「女の子って、強いよな・・・」とつぶやいた。もちろんレイアだけのことではない。紅もしかり、シルバもしかり。それから。
思い出すと、ほんの少しだけ息が苦しくなった。
「女の子って、強いよな・・・」
そう小さくつぶやいた時のフォリオは、どこか遠くを見ていて、何を考えているのかすぐに分かった。
「・・・あのさ、フォリオ」
声を低めて話しかけると、彼はすぐにこちらを向いた。
「うん?」
「その・・・」
言うべき、なのだろうか。カリルのことを。未だに気にしている主に。
あれから二回ほど、刃はフォリオに内緒で守護の島を訪れていた。もちろんカリルを探すためだ。
小さな島とはいえ、すみずみまで探すとなると時間がかかる。一晩では到底足りないのだ。かといって朝までに戻らないと、フォリオに感づかれてしまう。
シルバなら、そんなの放っておきなさい、などと平気で言いそうだな。刃は苦笑した。
「刃?どうかしたのか?」
「あー、あれだ。なんかもう面倒だし、さっさと結婚しちゃえば?」
「・・・刃」
にらみつけられ「悪い。冗談だ」と謝った。
結局言い出せないのは、まだ自分の探していないところにいるんじゃないのか、という思いがあるからだ。あるいはただ単に自分が信じたくないだけか。
誤魔化されたのに気づいているのか、フォリオはしばらく刃をじっと見つめていた。




