第六章
トランドが世界でも指折りの軍事国家だということを、レイアは改めて知った。
クールの内乱鎮圧に従軍した兵士は、少ないほうだったと思う。にも関わらず彼らは精鋭ぞろいで、あっという間に反乱軍の根城を壊滅させていった。
その手際の良さに嫌悪感を覚えるほどだ。
反乱分子が拠点としていた場所を二つ潰した後、今後の物資補給のために、フォリオたちは一度王宮に寄ることになった。
レイアにとっては生まれ育った我が家だが、トランドに敗北したあの日から、どこかぎこちない空気で満ちた場所。
城下に戻ってきた軍隊を仰々しく迎え入れたのは、現王だった。レイアの義父で、名前をルベルトという。
フォリオはルベルトに正式な礼をとった。
「お久しぶりです、ルベルト王」
「フォリオさま!お久しぶりです。ああ、顔を上げてください」
顔を上げたフォリオは微笑んだ。知り合いのようなやりとりをレイアは怪訝に思ったが、すぐに合点がいった。
ルベルトは元トランドの高官なのだ。フォリオと面識があってもおかしくない。
「本当にお久しぶりですね。クライスさまはお元気でしょうか?」
「はい。書簡を預かってまいりましたので、後で」
「ああ、それは楽しみだ。ありがとうございます」
普段は敬語など滅多に使わない義父の態度に、吐き気がした。母国の皇子なのだから当然なのかもしれないが・・・それでも嫌だった。気持ちが悪い。
レイアは義父が苦手だった。父を殺され、無理矢理母と結婚して王になった男など好きになれるはずがない。
ルベルトが自分のほうを見たのと同時に、レイアは目を反らした。ルベルトが苦笑したのが気配で分かった。
「レイアも、おかえり」
「・・・ただいま」
「疲れただろう?部屋を用意したから休むといい。フォリオさまもお部屋にご案内します」
「ありがとうございます。でも先に厩を開けてもらえますか?」
「そうですね。すぐに準備させましょう」
ルベルトはすぐに手近にいた使用人に指示をとばした。慌ただしく人が動いていく。レイアはそっと心の中で息をついた。
「レイア、大丈夫か?疲れた顔をしておるぞ?」
紅にのぞきこまれ、ベッドに寝転がっていたレイアは顔を隠した。
「ほんと?ひどい?」
「割とな。顔を洗ってきてはどうだ?」
「ん。後でいいや」
紅に言われた通り、全身がだるい。慣れない行軍と戦闘で気を張っていたのかもしれない。
「・・・それにしても嫌なものじゃな」
「紅?」
「確かにトランドは強い。この数日でそれを証明してみせおった。手を借りねば、クールの王権はひっくり返っておったかもしれぬ」
レイアは顔を出して紅を見上げた。紅は複雑そうな顔をしている。
「だが、これは内乱じゃ。トランドの兵士が戦っておるのはクールの民じゃ。それを思うと・・・嫌なものだと思ってな」
「・・・うん」
レイアは子供のように丸まってつぶやいた。人が死ぬのはいつだって嫌なものだ。それが自分に近しい人間なら、なおさら。
そのとき、誰かが部屋のドアを叩いた。
「姫さま、お食事の用意ができたそうです」
シルバの声だ。夕食に呼びに来てくれたらしい。
レイアは身体を起こし、こっそりとため息をついた。顔を洗いにいこう。
義父とフォリオ、三人でする食事は、レイアにとって苦痛の時間だった。フォリオはいつもどおり静かだが、ルベルトがここぞとばかりに話しかけている。それがうっとうしい。
メインの料理が出てきたところで、ルベルトが唐突に尋ねた。
「ところでフォリオさま、レイアを連れてきたということは、あの話が正式に決まったということでしょうか?」
「あの話というと?」
「ふたりの婚約です」
レイアは思わずせきこんでしまった。呼吸困難に陥るレイアに、給仕をしていたシルバが水を渡してくれる。
それを飲んで、ようやく声が出せるようになった。
「そ、そんなわけないでしょう!義父さま!」
「・・・違うのですか?フォリオさま」
ルベルトに訊かれたフォリオは、ええ、とうなずいた。
「そういう話があることは知っていますが、おれも姫もそのつもりはありません」
「そ、そうよっ・・・」
ここぞとばかりに同意するレイアに、ルベルトは首を傾げた。
「しかしレイアはそのつもりでトランドに行ったはずだが・・・」
「一方的な強要で決められることではありませんから。おれが考え直すように言ったんです」
同意を求めるように視線を向けられ、レイアは慌てて首を縦に振る。
ルベルトはふたりをじっと見つめると、おもむろに手にしていたフォークとナイフを置いた。
「そうですか。では改めて、フォリオさま。ふつつかな娘ですが、貰ってやってはくれないでしょうか?」
いきなりの発言に、レイアは机を叩いて立ち上がっていた。
「な、なな何言ってんのよ!義父さま!」
「だってレイア、こういうことはちゃんとしておかないと」
「やめてよっっ!!」
なんなんだ、なんなんだ、この男は。本当の父親でもないくせに。一瞬で頭が混乱する。ああもう、恥ずかしい!
「残念ですが」
ふと、静かな声が聞こえた。
「おれはまだ結婚するつもりはないんです。少なくとも国情が落ち着くまでは。それに、姫にはもっといい相手がいらっしゃると思いますよ」
「・・・」
レイアは何度も何度もまばたきをした。
混乱していた頭が急に冷えて、ぺたんと椅子に座る。そうですか、残念ですね。義父の声が聞こえる。
ああもう。ぎゅっと目を閉じた。なんなんだろう、いったい。
一方、その光景を離れたところで見守っていた紅は、これみよがしに大きなため息をついた。
「・・・何というか・・・気に入らんな」
隣にいた刃が仕方なく聞き返す。
「なにがだよ?」
「そんなの皇子に決まっておる」
「は?フォリオ?」
そうだ、と紅は語尾を強めた。
「皇子とレイアが結婚など言語道断じゃが、ああもさっぱり否定されると逆に気に入らん!」
「はぁー?」
「皇子はレイアの何が気にくわんのじゃ?言っとくが、ちょっと気が強いだけで、本当はすごく可愛い奴なんじゃぞ?見せるつもりはないがな!」
「あーはいはい」
面倒くさくなり、刃は適当に手を振ってあしらった。フォリオがレイアに向けるものが、好意でも無関心でも怒るのだから手に負えない。
「適当に答えるな!皇子はレイアの何が気にいらんのじゃ?」
「いや、姫さんがどうこうって問題じゃないと思うけど・・・つか本人に聞けよ」
「阿呆め、そんなこと聞いたら結婚してほしいと言っているようなものではないか!」
「あーはいはい、そうだな」
相手するのも面倒になって、刃はまた適当に相槌をうつと、離れたところにいる主を見やった。
これはただの憶測だが、フォリオは結婚などという、いわゆる<人並みの幸せ>など望んでいないような気がする。それが例え王族の義務だとしても。
いや、義務だと言われればフォリオのことだ。納得するだろうが、それにしても今はまだ無理だろう。
「カリルのことがあるしなー・・・」
ぼそっとつぶやいた声を、耳ざとく紅が聞きつけた。
「は?カリルとは誰じゃ?」
「あ?いや、こっちの話。ただの独り言」
再び適当にあしらおうとしたが、今度は逃がさないとばかりに肩をつかまれた。
「ちょっと待て!今のは聞き捨てならんぞ?今のこのタイミングで出すような名前なのか?白状するといい!」
「いや、別にあんたに関係ないし」
「あほう!わたしに関係なくとも、レイアには関係あるかもしれぬではないか!」
紅はさらに声を大きくした。
「あーはいはい、分かった分かった。カリルってのは昔フォリオが飼ってた犬の名前な。はい終わりー」
「堂々と嘘をつくな!」
思いっきり殴られた。




