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第十二話 アイリスの日常

41日目

 服を引きずり、目線を逸さずに壁を背にする。床と壁が軋む音しか耳に入らない。迫ってくる。暖かかった家は、今では牢屋のように冷たく感じる。片づけられていない服の山を押しのけ、リボンの少女が近づいてくる。


「ねぇ、大丈夫?」


 いつもより優しい声で話してくるが、底知れぬ何かを感じる気がする。震えた手がこちらに差し出される。


「お願いだからこっちに来ないで...…。」


 弱く声を出し、服で体を隠す。意味がないのは分かっていても、今は視線すらも怖い。見られているだけで、削られ、蝕まれていくような気がする。


「そう......ごめんね。」


 謝罪の後に足音が聞こえたかと思うと、リボンの少女は煙のように姿を消してしまった。顔を手で覆い、じっと考える。隙間風と耳鳴りが大きく聞こえ、手の何とも言えない匂いを感じ取る。ふと、手のひらをじっと見る。綺麗で傷一つない美しい手。無垢で何もしていない情けない手、何一つ持っていない寂しい手があった。


「なんで......涙が出てくるんだろう。」

「ちっとも悲しくないのに。」


 ただ、何もしていないだけで胸が締め付けられる。私は、何がダメなんだろう。


「ご飯......食べる?」


 そう呼ばれて初めて、時間を無駄にしてしまったことを理解する。しゃがみ込み、顔を覗きこまれているが、今はどうだっていい。お腹がすいた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 食卓に着き、缶詰が置かれる。しかし、どれも初めて見る名前のものばかりだ。琴音がプルタブに指をかけ、力いっぱい引っ張る。指と顔がみるみる赤くなり、情けない声を張り上げる。


「...私が開けるよ。」


 あまりにもあんまりなので声をかけてしまったが、首を縦に振らなかった。


「私だって...やるんだ!今まで...ずっと頼ってきたから...今度は...頼られるようになりたいの!」


 小さな入り口が開き、ゆっくりと蓋が開いてゆく。汗まみれになり、息も絶え絶えだが、屈託のない笑顔で言う。


「ほらね...できた!かして、私が開けてあげる!」


 手を伸ばし、私の缶詰も開けようとする。とっさに手を握り止める。


「え......あ......。」


「一個開けるのに無理しすぎ!さすがに残りは私が開けるよ。」


 耳まで赤くはなっていたが、さらに赤くなっていたような気がした。それはそうと、缶詰の中身は所々にお肉が入ったご飯と、棒状の肉が何本も入っているものだった。


「あ、今日は奮発して豪華に食べようかなーておもってて。どう?」

「”鳥飯”はご飯と鶏肉が入ってて、ウインナーソーセージは見ての通りだよ。」


 説明を片耳にスプーンを突き立て、口へと運ぶ。


「温かい......?!」


 冷えて硬い肉を想定していた。だが、良い意味で予想を裏切ってくれる。ホロホロの鶏肉に、味付けされたお米が幸せを加速させる。思い出せる記憶の中で、これよりもおいしいものを食べたことがない。


「え......ニコ?固まってるけど?...ニコ?」


 そういえば、まだウインナーとやらを食べていなかった。こちらはどのような味がするのだろうか。フォークで一本取り出し、一口かじる。


「あ、動き出した。」


 肉汁があふれ出る!少しだけ熱めなのが肉汁をより強くしている。それだけじゃない。不思議で独特の香りが鼻をも喜ばせる。まてよ、これをご飯に乗せたら更に旨いんじゃないか?


「え、何?怖い......怖いよ!」


 温かいだけで、こんなにもおいしくなるのか。ありがとう。作ってくれた名も知れない誰かよ...ありがとう。


「泣いてるじゃん...もしかしてまずかったのか?」

「いや、美味しすぎて固まっているのか?」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 お腹が膨れ、心がふわふわしてきたころ、琴音がそばに寄ってきた。隣に座り込み、口を開く。


「どう?少しは落ち着いた。」


 暗く、狭く、冷たかったはずの部屋は、気づけば穏やかで暖かくなっていた。


「うん。」


 少し眠い。でも、ようやく落ち着けたからちゃんと話し合える気がする。ずっと気になってたんだ。


「ねぇ、私の名前はアイリス......?」


 この一言で何かを理解したのか、優しく、それでいて悲しそうな顔をしながら、顔を見せず、琴音は語り始めた。


「昔々、あるところに。優しく強いお姉さんと、その人にs引っ付いている可愛らしい女の子がいました。ひっついていrやさしくつよい」

「二人は、魔法のように強い力で、毎日人助けをしていました。」


「ある日、怪物にいじめられている子どもを、女の子が助けました。」

「すると子どもは、”なんでもっと早く来てくれなかったの。””お父さんとお母さんも助かったのに。”と、ひどいことを言いました。」

「女の子は悲しくなり、お姉さんへ相談しました。」

「するとお姉さんは二人を連れて、お宝のように美しい景色を見せました。」

「その景色を見た子どもは自分がひどいことを言ってしまったことに気が付き、助けてくれた女の子に謝りました。」

「それから、三人はすっかり仲良くなり、楽しくらしました。」


「ある日、人助けに行った二人の内、お姉さんが帰ってきませんでした。どれだけ待っても帰ってきません。」

「昔を思い出した子どもは、怖くなって部屋に閉じこもってしまいました。」

「楽しんでほしいと思っていた女の子は、来る日も来る日も部屋の前まで行き、楽しそうな話をしました。」

「そして、女の子は、いつも通りに話しても意味がないと考えて、お姉さんの真似をすることを思いつきました。」

「すると、子どもはたちまち元気になり、二人でまた、遊べるようになりました。」


「ある日、たくさんの大人達は、怪物達を懲らしめる計画を思いつきます。」

「二人は、その大人達に付いて行くことにしました。」

「怪物との合戦は苛烈を極め、ついに、二人を残して、皆いなくなりました。」

「女の子は泣きながら、怪物の大将のもとへ行き、一騎打ちで打ち取りました。」

「しかし、女の子は記憶を失ってしまいました。」

「残された子どもはひどく泣きました。」

「しかし、女の子が悲しいことを思い出すかもしれないと思うと。」

「泣き止み、嘘をついて隠すことに決めました。」

「そして二人は、できるだけ長く幸せにくらせるように、頑張りましたとさ。」


「これが...あれ?聞いてる?」

「あぁ、もう寝ちゃったのか。」

「長すぎたかな......。」

「まあいいや。こんなところで寝ちゃだめだよ。」

「それじゃあ、おやすみ。」

「アイリス。」

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