29 説得
ラウラは、自分の小説が発端になってこんな事態が巻き起こっているだなんてまったく想像もしていなかった。
それに、なんで楽しい恋物語を書いただけで追われる羽目にならなければならないかもまったくもって分からない。
しかしながらクリストハルトの話は嘘ではないようだし、ラウラの小説は世に広く出回っている。
ディースブルク伯爵邸を出てからラウラは、色々と羽目を外して自由にやってきた。
それは今まで家族に認めてもらうために自分を押し殺していた自分を取り戻すための行為であり趣味のものを人に見せる、認めてもらいたいと望むこともまたその行為の一環だった。
だからこそ、アイヒベルガー公爵家の一人息子であるフェリクスに小説を読んでもらおうと画策したし、面白いと思ってもらえたら本にしてもらえたらいいなという淡い希望があった。
けれどもニコラ以外の誰にも見せたことがないものだったので、とても恥ずかしかったのだ。
ラウラは、人と出会う機会が多くないので昔に出たパーティーで彼がいて、香水の香りにくしゃみが止まらなくなって目が真っ赤になったらラウラを介抱してくれたフェリクスの事をよく覚えていた。
だから小説を世に出したいと思った時に、一番に彼の顔が浮かんだのだった。
けれどもはるか昔の事だし、そんなことは覚えていないはずだと思った。
けれども万が一覚えていたら、もしラウラの小説が酷い出来だった時に目も当てられない。
だからラウラは名前を暗号みたいに組み替えて、別の名前で彼に小説を渡したのだ。
もし、これに興味があったら自分が作者なのだと胸を張って言えるようにそういう細工をした。
けれどもそれから楽しい日々を過ごしすぎて、もうすっかり小説の事など忘れていた。
書くのは好きだ。しかし読み返すことはあまりないし、評価を今までされたことがないので、どうなっているかなんてあまり気にしなかったのだ。
そして、今。
何が起こったのか、大々的にルーラの捜索が行われていて、ラウラはもうなんだか怖いので、せめて原稿を取り戻してしまえば文字でラウラだとばれることもなくなるし、名前が違うのでしらを切りとおすことだってできるだろうとそういう算段だった。
「……」
けれども不注意で魔法が解けてしまい現在に至るのだ。
元々くしゃみをした反動で透明化魔法が消えるというのは知っていたし、不思議なことだが、二日酔いのせいで、こんなことになるとは思っていなかった。
目の前にいるフェリクスを見つめる。
彼は優雅に紅茶……ではなく、何かハーブティーを飲んでいる様子で、ふわりと香ってくる匂いには覚えがあって、すぐに何を飲んでいるのかわかった。
「……カモミールティー? お好きなんですか?」
思わず聞くと彼は、少し目を見開いてそれからちょっとばかり恥ずかしそうに笑った。
「いや、すこし昨日の酔いが残っていて。酔い覚ましに」
「私もいただいていいですか、焦ってここまで来たので二日酔いでくらくらしてきました」
「構わない……が、君いくつだ?」
「つい最近成人しました」
「そうか、ならいい」
出された紅茶の隣に、フェリクスと同じティーカップがならびラウラも口をつける。少し甘いようなニュアンスがあって舌触りが優しいお茶にふう吐息をついた。
『それにしても突飛な奴じゃのう。ラウラよ。こやつお主が急に現れて突然正体を言い当ておった。普通は何者だというはずじゃ』
「……じゃあ、一応。改めて俺は、フェリクス・アイヒベルガーだ。知っての通り一人息子でな。跡取りで屋敷のことなどすでに多くの事を任されている」
「……はい」
「父と母は国外視察が趣味みたいなもので屋敷に戻ってくることは滅多にない。気楽に過ごせると思うぞ」
「はい?」
「ああ、もしも結婚したらという場合だ。もちろん特異な出会いをしたこの状況に納得するためにも、君には君の行動の意図と事情をうかがいたいと思っている」
フェリクスは真面目そうな顔をしつつ、にこやかにラウラに告げた。
なぜこんなに口説いてくるのか、まったくわからないラウラはどうしたものかと思うが、何故か悪い人だとは思えない。
……そもそも、私はこの人の事を知っているし、だからこそ原稿をフェリクス様に渡した。
だから別にそれで間違っていないはず。
そう思うが、ニコラのせいだろうか何か彼に乗せられているというかペースを乱されている気もする。
そう考えると同時にニコラは、ふわりと飛び上がって向かいに座っているフェリクスの肩にちょこんと乗った。
それから笑みを浮かべて『ほぅ?』という。
『如何にも企んでいる者の顔じゃな。ラウラよ、こやつ、それなりに意図的に奇抜なことを言っている。お主のペースを乱すために故意にやっていると見たぞ』
「それに話をするためにここに来てくれたのだろ? ラウラ、俺はそれだけでも心底、嬉しい。初めて君の小説を読んだときから俺は君に惚れこんだんだ」
『嘘じゃな、ラウラが逃げようとしていたことを先ほど見ていたではないか。お主に話すことなどないと言わせないための戯言じゃ』
「ただ、意図せず君がまるで罪人のように探し回られるようになってしまったのは申し訳ない。だからこそ俺の元に来てくれてよかった。この状況になった理由もすべて説明する。
だからまずは君の状況を聞かせてくれないか?」
『ふむ。お主が知りたいであろうことをちらつかせ、その理由を説明するためにという口実でお主の情報を得ようとしておるな。こざかしい。無害そうな顔をしていてもわかるぞ。
アイヒベルガーの血筋には、厄介な加護がついているのじゃ。そのせいでどいつもこいつも碌な生きざまではない。
ラウラの小説を大人しく刷っているだけなら関係ない事じゃが、ここまで関わり合いになると、こやつらは面倒くさいんじゃ。何を考えてるかわからん』
……そうはいってもニコラ、交互に話をされると何が何だかわからないというか、結局私どうしたらいいの?
ラウラは、もう一口カモミールティーを口にしてそれから、彼を見据えた。
移動して応接室に通され、きちっとした格好で出てきたフェリクスは優し気で誠実そうだ。
隣に控えている従者すらとても洗練された雰囲気に見える。
もちろん彼に小説を読んでもらいたいと思ったラウラだが、彼に色恋の類を抱いているわけではない。
ラウラとフェリクスではものすごく釣り合わないだろうし、結婚なんて唐突に言われても意味がわからない。
「俺の事を警戒してるのか? これでも君の事を真面目に思いやっているつもりだ」
フェリクスの言葉に一切返さないラウラに、フェリクスは少し悲しそうな顔をして、そう続ける。
たしかに、ラウラも混乱しているしお互いに情報を話さなければ始まらないかもしれないし、ラウラもどうしてこんなことになっているのか知りたい。
……でも、彼のペースに乗せられるのはやめた方がいいみたい。
ニコラが言う通り彼は怪しいのか区別がつかなったので、ラウラは口元を少し抑えて、ラウラに問いかけた。
『なんて答えるべきだと思う? 私は、こうなった原因の話を知りたいと思ってるんだけど……』
『そうじゃな。わしは何故こういう話になったのか知っておる。そしてこ奴は今、それを図る前に自分の懐に入れようと画策しておるな』
『図るって何を……』
ニコラの言葉にもラウラは首を傾げた。ではどうして言ってくれなかったのかという気にもなるが、事情があっての事だろう。
事情を知っているならばラウラはニコラと話をすればいい、そう考えて、一旦お暇すると伝えようとしたところ、フェリクスはラウラを見据えて言った。
「ラウラ、君今、精霊と話をしているか?」
「……精霊?」
「そうだ。君に未知の知恵と助言を授ける者の事だ。その知識を使って書かれた小説のせいで王族が君を探している。そして手に入れようと画策している。君は王家の道具にされるかもしれない」
突然の物騒な内容に、ラウラは言葉を失ってしまった。
しかしニコラは平然とフェリクスの言葉を聞いて、ふわりと羽ばたいて飛び上がりラウラの元へとやって来た。
なのでラウラはいつもの通りに手のひらをお皿のようにして広げてそこにちょこんとニコラは座った。
「しかしそうなっては君は大変な不便をすることになるだろう。ラウラ。俺なら不便させるようなことはない。俺と関係を結んでくれればそう簡単に王家も手が出せない。そういう話がしたいんだ」
反応が悪いラウラにフェリクスは説得するようにすべてを話した。
そういう話だったら確かにラウラに利があるかもしれない。
『そうじゃとしても、出会い頭に結婚を申し込むほどの利益をアイヒベルガーが得るとは思えんな』
「ラウラ。どうか俺を信じてほしい、俺は君のファンなんだ、君が気兼ねなく創作をできる環境を用意したいと考えている。君にとって悪い事は一切ない」
『行こう。ラウラ、わしから話がある。これからのお主の話をヘルムート子爵邸に戻って話をしよう』
「うん……わかった」
二人の言葉を聞いていたラウラは、ニコラの方に応えて、静かに姿を消した。
ニコラの言葉を聞くと、彼の求婚の言葉がほんの少しだけ脅迫じみていたような気もする。
自分の手元にいてくれなかったらどうなるのかを遠回しに想像させるような言葉だった気がした。
悪い人ではないとは思いつつも、どこか怪しいと思う気持ちもやっぱり事実だ。
今回は下手をして姿を見せてしまったけれど、原稿を盗み出すことはニコラの力を借りればきっといつでもできる。それならば今はニコラと話をする方が先決だと結論付けたのだった。




