12 退屈な男
アイヒベルガー公爵家といえば王族と血縁的なつながりが強くない家柄でありながら、代々受け継がれてきた魔術の才能と、未来を知っているかのような商才を持ち、王国随一の権力のある貴族と言われている家柄だ。
しかしアイヒベルガー公爵家の栄華には、古くから家臣として仕えている貴族の献身的さが幸いしているのだという意見も多く存在する。
たしかにその側面も大きいだろう。
父であるアイヒベルガー公爵は、現にこの王国にいない状態でも領地の仕事や社交界での立ち位置まですべてを維持したまま居られるのは忠誠心の強い彼らのおかげだ。
けれどもそれと同時に、アイヒベルガーの血筋の力もよほどのものだ。
王族にはとある特殊な力があるために彼らの地位を揺るがすことはできないが、同じように王族にだってアイヒベルガーの土地や事業を邪魔することはできない。
それがたとえ当主である父がいない状況でも同じことだ。
それにしようとしたとしても跡取り息子のフェリクスがいることによって、様々な問題に対処できる。
しかしながらアイヒベルガーの血筋を色濃く受け継ぎ、魔法も受け継ぎ、商才も受け継いだフェリクスにはとある欠点があった。
「……つまらないな。まるで名前以外はすべて判で押して量産しているみたいだ」
抑揚のない声でフェリクスは呟いた。その手の中にあるのは一枚の書類であり、フェリクスの花嫁候補の情報が載った書類だった。
彼女たちの特徴とアピールポイントなども書いてあるその紙束をフェリクスは面倒になって机の隅の方に置いた。
従者であるハーゲンが淹れておいた紅茶を口に含み、それから、きつく目を瞑ってから大きくため息をついた。
フェリクスの欠点とは、一向に嫁を娶って所帯を持たない事だった。
すでに成人を過ぎて二十代の半ばになる。
後継者教育など十代前半で終わっているし、新しい事業を始めたり、印刷所をつくり色々な芸術家や作家のパトロンになったりと様々な活動をしているが、それらに対する目新しさもいまいち感じることができない。
そして結婚というのはフェリクスにとってそのつまらない事項の最たるものだった。
なんでもできる天才だとフェリクスはよく言われるし、実際できないことなど自分にはないと思う。
見た目もよく体格も鍛えてもいないのにそれなりに整う。もうそういう星の元というか、そういう血筋にうまれたのだから当たり前のようにそうなった。
そのうえできない事がないとなるとフェリクスの人生は歳を重ねるごとに退屈を極めていくだけのものになった。
フェリクスの心を揺さぶるものなど何も存在せず、ここに自分が本当に存在しているかどうかという実感すらわかない。
何に触れても何を見ても何も感じない、世界は酷く色あせていて、透明に透き通っている幻のようなのだ。
そんな幻の世界が多少変わろうがフェリクスにとってはすべてが想定内で多少の差異にしか見えない。
「ただいま戻りました。主様。花嫁候補のリストには目を通されましたでしょうか?」
耳心地の良い声がしてフェリクスは顔をあげて、世界が透明で何も感じないという気持ちを抑え込んで彼に応えた。
「君は俺に似たような女性のリストをすべて読ませて何がしたい。暗記でもさせたいのか?」
なんとも虚しく苛立たしいその気持ちをどうにか抑えつけてハーゲンに言葉を返そうと思ったが、口から出たのは本音と嫌味だった。
「そのようにおっしゃられましても、ご当主様より次に帰宅するときまでに花嫁を選定しておけと言われたではありませんか。私に当たってどうしますか」
「……その通りだが、こんなもの読んだところで何にもならない。くだらない」
「くだらないですか。主様は本当に不思議なことをおっしゃいますね」
そういいつつもハーゲンは人の好さそうな笑みを浮かべ、ティーテーブルの隅に追いやられた花嫁候補のリストを手に取り、確認するように紙をめくった。
「私から見ても本当に素敵なご令嬢ばかりだと思いますよ。もういっそ、選べないというのであれば、ご当主様に任せてしまうのがよろしいのではないでしょうか?」
「それでまともな相手になると思うか? あの父親だ。俺と自分をまるで同じ人間のように考えてる」
投げやりなことをいうハーゲンに、フェリクスは低い声でそう返した。
フェリクスの父、つまり現アイヒベルガー公爵は現在、大陸の外に出て大海原をわたり新たなる刺激を求めて冒険の旅に出ている。
母はそんな父を愛してその旅に同行している。
はたから見れば、貴族の娯楽としてスリルを楽しんでいるように見えるかもしれないが、そうではない。
アイヒベルガーの男は大体退屈に頭がおかしくなって、危険を冒してでも何か刺激を求める方向へと突き進むのだ。
そしてその兆候がフェリクスにも出ているし、アイヒベルガー公爵もそのことを理解して何かと妙なことを仕掛けてくる。
冒険先で仕入れてきた猛獣を連れて帰ってきたり、公爵の仕事をさせてみたり、別の事業をやらせてみたりと自分と同一の性質を持つとわかっているからか、他人に迷惑になることなど考えずに刺激的なことをする節がある。
そんな父親に花嫁など選ばせたら大変なことになるに決まっている。
フェリクスだって退屈で死んでしまいそうなほどの状態が続いているが、流石にまだ良心というものがある。
人を不幸にしたいとは思っていない。
まぁ、不幸にしたところで何も感じないだろうということは容易に想像できるが、それでも何とか善良な跡取り息子という体を保っていた。
「どうせ、こんな趣向はどうだとばかりに、幼妻を連れてきたり逆に何か妙な事情がある人間を無理やり引っ張ってくるかもしれない」
「……」
「そんな行動、誰も幸せにならないだろう。ハーゲン」
「……たしかに言われてみると、そういうことになりかねないような気もしますね」
「だろう? ……はぁ、ただ、君に当たったのは悪かった。俺もいよいよ退屈でイラつきが抑えられなくなってきたらしい。そのうち退屈で死ぬかもしれない」
「御冗談を。人間は退屈で死ぬことなどありえませんよ。甘いものでも召し上がられますか? 少しはイラつきが収まるかもしれませんよ」
「ああ、そうしたい。頼む、ハーゲン」
「はい、少々お待ちくださいませ」
そういってハーゲンはフェリクスの部屋から出ていく。
その後ろ姿を見て、フェリクスは流石にそろそろ自分もふてくされていないで身を固めなければならないと考えた。
退屈で仕方がないという気持ちを抱えつつもフェリクスは、家臣たちを安心させるためにも、それなりの相手とそれなりの結婚をするべきだと思うぐらいには理性的な男だった。
……しかしだからと言って、リストの中から選ぼうという気にもならない。
せめて、多少なりとも興味が持てる相手がいい。面白いと思える相手は今までに一人も出会ってなかったか……?
記憶を掘り起こして、社交界で出会った女性たちを思い浮かべる。
彼女たちがどういう意図をもってフェリクスと接していようがそこは加味せず、つまらない世界の中でほんの少しでも興味の持てる相手を探してみる。
……もういっそ俺の事を嫌っていそうな令嬢を娶って共に暮らしてみるか……?
そうすれば、少しぐらい彩のある人生になるかもしれない。
しかしそれでは人を不幸にしていないとは言えないだろう。嫌っている相手と一緒になってはかわいそうだ。
では好意的な気持ちを持っている令嬢に限られてくる。
しかし直近の出会った女性たちは誰もかれも皆同じことを言って、同じような形のドレスに身をつつみ、同じような愛情や恋慕を向けてくる。
それらには一切興味がわかない。
ならばともっと昔の事を思い出した。まだ異性として意識することもなく友愛を向けてくれた相手ならどうか、子供の時に出会って少しでも興味を持てた令嬢ならばどうか。
するとぼんやりとなんだか興味をそそる変わった子がいた気がする。
そしてあまり交流があったわけではなかったが、短い時間だったが一緒に過ごした記憶をふと思い出した。
しかし、彼女はたしか婚約したらしいといつだか聞いたような気もするのだ。
フェリクスは渋い顔をして思いだすために目をつむって眉間にしわを寄せた。
そもそもそんな子供の頃にすこし遊んだことのある程度の年上の男が迫ってきたら覚えてないと言われるだろう。
それに結局育った彼女と会ってみて他の令嬢と変わらないと幻滅してしまったら意味はないのだ。
……ああ、そういえばディーブルグ伯爵家は今年の祭りで大失敗をやらかしたんだったか?
その話をうわさに聞いたから、あの家の次女ラウラのことを思い出したのかもしれない。
その関係で婚約破棄されて結婚相手を探しているなんて都合のいい事がおこらないだろうかと夢想するとドサッと何か音がして、もうハーゲンが戻ってきたのかとフェリクスは確認するように瞳を開いた。
「……?」
けれどもフェリクスの部屋には自分以外の誰もいない。
まったくもって不可解な現象に、例えば物が落ちただとか、何か倒れたなどそう言った原因を探そうと少し警戒しつつもあたりを見回した。
しかし何もない。
テーブルに視線を戻すと、花嫁候補のリストの上に文字がぎっしりとかかれた紙束が置いてある。
その様子にフェリクスはぞっとした。
なんせ、記憶にないものが突然目の前に出現したのである。
再度、部屋の中をくまなく確認した。
目をつむっている間に誰か来たのか、もしくは、フェリクスが気がつかなかっただけであらかじめこの場所にこの紙束は存在していたのか。
しかしどちらの可能性も非常に低く、簡単に侵入されるような屋敷の作りもしていないし、テーブルの上にあるものを見間違うわけもない。
とにかく、どうあってもあり得ないものが目の前にあった。
それに理由をつけるとしたら例えば何かの魔法か精霊のいたずらか、もしくは神の思し召しか。
「……ありえない。……おかしいだろ」
絞り出したような声でフェリクスは呟いた。
不気味で理解できないものに関して普通の人間は忌避したり恐怖を抱いたりする。
そしてフェリクスも例外ではなく、何か理解できない恐ろしさを感じた。しかし同時にその鼓動が早くなる感覚に、少し手が震えた。
「おかしいに決まってる。なんだこれ……」
その不気味なことがフェリクスは堪らなく感じた。嬉しいというかやっと心臓が脈打って自分が生きていることが明確に感じられて、鼓動の高鳴りが心地いいのだ。
「っ、こんな得体のしれないもの捨てるべきだろう」
言いつつも手にとって、几帳面にかかれている文章を目で追う。一度読み始めると止まることはなくすらすらと頭に入ってくる。
不思議な紙束はどうやら小説だった様子で、だれが何のためにこんなものをという不可解な気持ちを抱えながら読み進めていったが結局、地方にも存在する曙の女神と闇の神の神話にのっとった娯楽小説だった。
しかしこれがなぜか奇妙で面白いのだ。
何か自分の知らない世界を知らされているようで、未知の世界をのぞき見しているような話なのに、書き手のつづる世界は人間らしく美しく優しい。
アンバランスでどうにもひきつけられるそんな文章だ。
そしてその恋愛小説はそれだけにとどまらず、色々な空想のような話が長々とつづられていて、ハーゲンが戻ってきてもフェリクスはその小説に没頭して読み続けたのだった。
最後に作者名らしき記名があり、そこにはルーラ(Rula)と女性の名前が書かれていたのだった。




