デビュタント 01
13歳の春、フィオレンティーナは社交界デビューをすることになった。
エランティアでは10歳から16歳までの貴族の子女は王都エル=ウェーネで開かれる舞踏会へ参加し、社交界への仲間入りをすることがステイタスとされている。その多くが良縁を結ぶためであったり、家同士のつながりを得るためであるため、早いうちに婚約者がいるフィオレンティーナや家督を継ぐわけではないアッシュは急いでデビューする必要がなかった。
今回の社交界デビューは翌年の魔法学園入学前にラ=トラッソ家とグレフォード家の婚約を広く知らしめることが目的であり、同じ学園へ通う予定の子女とつながりを持つためでもある。だから、アッシュの魔法学園入学に合わせて2人で社交界デビューをしようということになったのだ。
アッシュとはあれから一度も会っていない。互いに手紙や誕生日プレゼントを贈り合ったりはしていたが、直接顔を合わせるのは約2年ぶりになる。
この2年の間、フィオレンティーナも必死に勉学に励んだ。今のところ”予知”はおおよそ当たっているため、学園で『主人公』とアッシュが出会うことになるのは避けられないだろう。正直、学園へ行かないことも考えたが、一定以上の魔力量を持つ以上はそのコントロールを正しく学ぶべきであるし、学園へ行かないことで『主人公』と親友にはならないかもしれないが、アッシュが『主人公』に恋をするかもしれない可能性は残っている。そのときに、学園に居なければきっと後悔するだろうと思ったのだ。
「フィー、とっても似合っているわ!」
「ありがとうございます。お母様」
「そうしているとすっかりお姉さんね。綺麗よ、フィオレンティーナ」
この日のために新調したドレスはスタンダードなAラインのもので、淡いペールブルーの生地にビーズが縫い留められており、裾にレースでできた花が散りばめられている。春の湖をイメージしたドレスだ。フィオレンティーナの黒い髪と白い肌に良く映える。
13歳になったフィオレンティーナはあどけなさが抜け、朝露に濡れた花のごとく瑞々しい美しさを備えていた。領地からほとんど出ることがないためその評判は薔薇会への招待客たちから噂で広がってゆき、フィオレンティーナの意図しないところで「コスタクルタの薔薇」と呼ばれているのだが、本人はそれを知らなかった。
「これだけ綺麗なんだから、アッシュくんだって惚れ直しちゃうわよね」
「お、お母様…」
「そういえばアクセサリーはアッシュくんが用意してくれるんだったわね。どんなアクセサリーかしら…やっぱり自分の瞳の色に合わせてルビーやガーネット?でも今日のフィーのドレスには合わないし…でもシルバーだと冬っぽい印象になっちゃいそうよね。フィーは顔立ちが私に似ているから、冷たい感じが出すぎちゃうかも…」
「お母様、アッシュ様へは事前にドレスの色とコンセプトを伝えてあると聞いていますから…」
ドレスを身に着けたフィオレンティーナを眺めながら楽しそうにしゃべり続けるダニエラに困惑していると、ドアがノックされメイドが顔を出す。
「奥様、お嬢様。グレフォード伯爵とご子息様が到着されました」
「あら…もうそんな時間?さあさ、行きましょうねフィオレンティーナ」
「は、はい……」
心の準備をする間もなくフィオレンティーナはダニエラに腕を引かれて部屋を出る。応接室からはリエトとカルロの声が聞こえてくる。今日は父であるランベルトは外せない仕事のため後から会場で合流することになっているから不在だ。その代わりにリエトが来客の相手を買って出てくれたのだとは思うが、それ以上に自分の知的好奇心を満たすために出て来たのがわかる話の様子にドアの前でひっそりため息をついた。
「まったくもう、リエトったらお客様を質問攻めしてはダメよ」
「母上、僕はただお客様と楽しくお話していただけですよ」
「ええ。リエトくんは以前にも増して聡明になられて驚きました」
ダニエラが声を掛けながら部屋へ入ると、ソファで談笑していたリエト、カルロ、アッシュが立ち上がって礼をする。アッシュの姿を目にした瞬間、フィオレンティーナははっと息を飲んだ。
以前は伸ばして結っていた銀色の髪はすっぱりと短く切られ、以前の美少年然とした容姿からはすっかり線の細さが消えており、短くなった髪と相まって精悍な印象へ変わっていた。2年前はフィオレンティーナより少し高いくらいだった背もぐっと伸びて、ヒールを履いていても見上げるほどの高さに成長していた。パーティーへ出席するために盛装をしているからか、年齢以上に大人びて見える。
それは、”未来予知”で見たアッシュの姿とほとんど変わらない、フィオレンティーナが恋をした”アッシュ・グレフォード”だった。
呆然と見上げていると、アッシュの紅い瞳とかち合う。しばらくの間何も言えずに見つめ合ってしまったアッシュとフィオレンティーナは、周囲がにやにやと自分たちを見ていることにまったく気づかなかった。
「…ほら、アッシュ。フィオレンティーナさんにご挨拶は?」
「そうですよ。見つめ合ってたらパーティーに遅れちゃいますよ」
「え?あ、ああ……」
「フィーもほら、見惚れてないで」
「お、お母様…」
カルロとダニエラ、それぞれの親に背中を押されて一歩ずつ踏み出したアッシュとフィオレンティーナは改めて互いを見る。僅かに赤くなったアッシュの様子に照れているのだとわかるが、それ以上に真っ赤になっている自分を意識してフィオレンティーナは落ち着かない。
「…フィオレンティーナ」
「は、はい」
「久しぶり、だな」
「あの…こうしてお会いするのは2年ぶりですね」
「あ、ああ。その…背が伸びたな」
「はい。アッシュ様も、背が伸びて…大人っぽくなられました」
今日に至るまで何度も手紙を交わしてきたというのに、文字では綴れても口に出して喋ろうと思うとうまく言葉が出てこない。しどろもどろに話しているフィオレンティーナとアッシュの横でリエトとカルロが笑いを堪え、ダニエラは呆れたように腰に手を当てていた。
「もう。二人とも、今日から大人の仲間入りをするのだから、もっとちゃんとお喋りなさいな」
「お、お母様…」
「大きくなっても口下手なところは中々直らないようで…ほら、アッシュ。フィオレンティーナさんにお渡しするものがあるだろう?」
それぞれの父母に窘められて少しうなだれていたアッシュはカルロの言葉ではっと顔を上げ、手にしていた箱をフィオレンティーナへ差し出す。深い青のベルベッドに包まれた箱は明らかにアクセサリーケースだ。期待の滲む視線でアッシュを見上げると、少し目元を和らげてから箱を開いて見せた。
箱の中にあったのは、真珠の連なるネックレスと雫型の真珠のイヤリングだった。
「……きれい…」
「アクセサリーのことはよくわからなかったんだが…君のドレスは春の湖のイメージだと聞いていたから、あまり強い色の宝石はよくないんじゃないか、と…姉上が」
「クロエ様が?」
「…相談したんだ。君のデビュタントなのだから、下手なものは贈りたくなかった」
「まあ…!」
照れた様子でボソボソと言うアッシュにフィオレンティーナも頬を上気させる。話すのが得意ではないはずのアッシュが自分のために姉に相談して決めてくれた、という事実が甘く胸を締め付ける。嬉しくて思わず微笑むと、アッシュも恥ずかしそうにしながらはにかんだ表情を返してくれた。
「その、身に着けてもらえるだろうか?」
「もちろんです。ありがとうございます、アッシュ様」
「フィー、せっかくだからアッシュくんに着けてもらいなさいな」
「そうですよ、姉上。アッシュ殿も良いでしょう?」
「え?あ、ああ…フィオレンティーナが良いなら」
横で見ていたダニエラが満足げに促し、リエトも満面の笑みで後押しする。完全に状況を面白がっているようだとわかるが、真に受けたアッシュが大真面目な顔で問いかけてくるので、フィオレンティーナは頷くことしかできなかった。
「……じゃあ、少し我慢してくれ」
箱を持つ手をカルロが代わり、アッシュは手袋を外してネックレスをつまみ上げた。留め具を外して少し迷ってからフィオレンティーナの背後へ回り、腕を回して首元にネックレスを掛ける。
こんなに至近距離でアッシュと触れ合ったことがなかったため、フィオレンティーナはどぎまぎしながら身を縮める。後ろから抱きしめられているみたい、と一瞬考えてしまって顔を上げていられないほど恥ずかしくなってしまった。
しかし、俯いたことで留め具を付けやすかったのだろう。ほんの少し指先がうなじに当たって驚いてしまったが、それ以外は特に何事もなく無事にネックレスを付け終えた。
「イヤリングは…自分でつけた方が良いだろうか」
「は…はい、そうですね……」
「あら、着けてもらえば良いのに」
「まあまあ、お母様。男の指ではイヤリングを付けるのは難しいでしょう」
「私も妻のイヤリングを付けるときは場所が悪いだとか力加減がなってないだとか文句を言われたものですよ」
「アンナ夫人は繊細な方でしたものね」
カルロたちが会話している間に使用人に鏡を持ってきてもらい、火照った頬を見て恥ずかしくなりつつもフィオレンティーナはイヤリングを着け終えた。
「ええと…どうでしょうか?」
「素敵よ!フィー、本当に湖の妖精みたいだわ。こんなにかわいかったら、水の女神様に連れていかれてしまうんじゃないかしら」
「真珠が水しぶきのようで良いですね。女神に連れていかれないようしっかりアッシュ殿に捕まえておいていただかないと」
「とても可憐ですよ、フィオレンティーナ嬢。アッシュ、お前もそう思うだろう?」
鏡からアッシュたちへ向き直ると、ダニエラはすっかり感激した様子でため息をつき、リエトは相変わらず猫のような笑みを浮かべて頷いている。カルロの言葉でアッシュへ視線を向けると、不思議な熱を帯びた紅い瞳とかち合った。
「……良く似合っている」
「あ…、ありがとう、ございます」
「フィオレンティーナ、手を」
差し出された手は、いつかに触れたときよりもずっと大きく骨ばって、男の手になっていた。フィオレンティーナの細い手が乗せられると、そっと壊れ物に触れるように包まれる。
それと同時に使用人が馬車の準備が整ったことを報せ、アッシュのエスコートで部屋を出る。身内のお茶会にしか出たことのないフィオレンティーナにとって、これが初めてのエスコートだ。
アッシュと触れたところから感じる体温に胸を高鳴らせながら馬車へ乗り込んだ。




