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03


 フィオレンティーナが父親と共にグレフォード伯爵領を訪れたのは3月も半ばにさしかかる頃だった。

 前回の訪問時は冬が近かったため景色は灰色や茶色が多かったが、今は春の気配にうっすらと大地が色づき、畑に出ている人影がちらほら見えた。



「ご無沙汰しています、グレフォード卿。ご挨拶が遅くなってしまって申し訳ない。突然のこと、お悔やみ申し上げます」

「コスタクルタ卿…ありがとうございます。こちらこそ、遠いところからわざわざ来ていただいてしまって…後ほど息子たちにも挨拶をさせてください」

「ええ、ぜひ。……アッシュくんは?」

「アッシュは…ずっと部屋にこもったままでして…今日もお二人が来ることを報せてはいたんですが、申し訳ない」

「いやいや、お気になさらず」


 カルロは以前会ったときよりもやつれた様子で、フィオレンティーナたちへ向ける笑顔にも疲労が滲んでいた。妻子を一度に亡くしてしまったのだから無理もないだろう。カルロだけでなくグレフォード家のすべての人間がそうだ。

 アッシュの心情を考えて眉を下げたフィオレンティーナにカルロは微笑みかける。


「フィオレンティーナさん。よければアッシュに声をかけてやってくれないかな。アッシュは君からの手紙をいつも楽しみにしていたから」

「…よろしいのですか?」

「もちろん。アッシュも、君になら顔を見せるかもしれない」

「それなら私は先に休ませていただこうかな」

「ええ。夕食までゆっくりなさってください」


 部屋で休むというランベルトと別れ、フィオレンティーナはカルロが呼び寄せた使用人に案内してもらいアッシュの部屋へ向かうことになった。


 数か月ぶりに訪れたグレフォードの城内はとても静かで、窓から見える景色は春めいているものの、未だに冬から抜け出せないでいるようだ。フローラという太陽がいなくなったこの場所はひどく寒々しい。


「アッシュ様、フィオレンティーナ様がお越しですよ」

「……フィオレンティーナ?」


 案内してくれた使用人がドア越しに声をかけると、しばらくの沈黙の後、訝しむような声が返って来た。使用人の視線を受け、頷いたフィオレンティーナはドアの前に歩み出る。


「アッシュさま、フィオレンティーナです」

「……」


 再び短い沈黙の後ドアが開き、隙間からアッシュが顔を覗かせる。半信半疑といった表情はフィオレンティーナの姿を認めると驚きに変わった。


「…本当に来たのか」

「はい。お久しぶりです、アッシュさま」

「ああ。……」


 黙り込んでしまったアッシュにフィオレンティーナもなんと声を掛けるべきかわからず、向かい合ったまま固まった2人を見かねて傍に控えていた使用人が「お茶をお持ちいたしますから、お部屋でお話しされてはいかがですか?」と助け船を出してくれた。アッシュは一瞬戸惑う様子を見せたが、小さく頷いてフィオレンティーナを部屋へ招き入れる。


 アッシュの部屋は青を基調とした内装になっていた。本が数冊出しっぱなしになったデスク、こまごまとしたものが並ぶ棚などがあり、壁には地図や子どもの描いた絵が貼られている。木製の剣や乗馬用の手袋などが置きっぱなしになっているのが物珍しく、リエトの部屋にはない『男の子』な部分に密かに胸を高鳴らせていた。


「……来るとは聞いていたが…」

「あっ…あの、お部屋まで来てしまってすみません…」

「いや、それは…、その…おれこそ、挨拶に出なくてすまなかった」


 気まずそうにするアッシュに慌てて首を振ったフィオレンティーナは、すすめられるままデスクの椅子に腰かける。アッシュはそのままデスク近くの窓辺に立つと外へ顔を向けた。


「…アッシュさま、アンナさまとフローラのこと…」

「……ああ。きみも驚いただろ」

「はい。…突然のことで、本当に……」

「おれもまだ…もう何カ月もたつのに」


 苦し気に言いながら俯いたアッシュの横顔があまりにも悲痛で、フィオレンティーナはなんと声をかけていいかわからず口を震わせる。二人の死を受け入れられていないのはフィオレンティーナも同じだ。だが、きっとアッシュはフィオレンティーナ以上に苦しんでいるだろう。だからこそ下手な慰めの言葉を口に出せず、フィオレンティーナは唇を噛む。使用人がティーセットと茶菓子の皿が乗ったワゴンを持って戻ってくるまでその沈黙は続いた。


「……せっかく来てくれたのにすまない…」

「いえ、その…わたくしはただ、アッシュさまのお顔が見られたらと思っただけで…」


 ソファがないので椅子を持ってきたアッシュと並んでデスクに座り、温かい紅茶をいただく。夕飯前ということもあり、茶菓子は軽くつまめるクッキーだった。

 ばつの悪そうな顔で紅茶をすすったアッシュに首を振って答えるフィオレンティーナに、アッシュは少し表情を緩める。


「…きみは優しいな」

「え?」

「フローラや母上もきみのことを優しい女の子だと言っていた」


 どこか遠くを見るような様子でアッシュは話し始めた。


「……おれは、母上からあまり好かれていなかったんだ。辛く当たられることはなかったが、避けられることが多かった」


 フィオレンティーナは秋の薔薇会でのアンナとのやりとりを思い出していた。あのときのアンナの冷たさを感じる様子は、アッシュだけでなくフィオレンティーナのことを値踏みするような様子もあった気がする。あのとき、アンナはフィオレンティーナの何を見たいと思っていたのだろう。

 ぼんやりと考えながら紅茶を一口飲んだフィオレンティーナを見つめ、アッシュは言いにくそうにしながら口を開く。


「…きみのおかげだ」

「え?」


 思いがけない言葉に瞬くフィオレンティーナから顔をそらしながらアッシュは頷き、紅茶で口を湿らせた。


「秋の薔薇会できみと話してから、帰りの馬車で母上が話しかけてくださったんだ。今までだったら、きっとおれは緊張して頷くくらいしかできなかったと思う。…でも、きみと話すようになって気づいたんだ。うまく言えなくても、思っていることは言葉にしないと伝わらないって」

「わたくしは…なにも」

「いや。おれは今まで、人と会話をしようとしてこなかったんだと思う。…怖がられるから、話しかけたりするのが嫌だったんだ」

「……」


 紅い瞳が寂し気に揺れながら伏せられるのを見て、そっとティーカップを置いた。アッシュも手にしていたティーカップを置いてフィオレンティーナへ視線を向ける。


「母上とうまくお話できていたのかはわからないが、それから母上に避けられることがなくなったんだ。フローラも交えて、きみの話をすることも増えた。…だから、きみのおかげなんだ」

「アッシュさま……」

「きみがいなかったら、おれは、母上に避けられたまま…あの日を迎えていたかもしれない」


 だから、ありがとう。そう言って微笑む顔は息を飲むほどに美しく、悲しげだった。

 フィオレンティーナは思わず泣きそうになるのを堪えてデスクの上に置かれたアッシュの手にそっと触れる。


「……わたくしはきっかけになっただけです。アッシュさまの気持ちがアンナさまへ伝わったんだと思います」

「…ああ」

「パルエで見たアンナさまもフローラさまも、アッシュさまとお話するのが楽しそうでした」

「……そうだろうか」


 ぽろ、と深紅の瞳から透明な雫が転がり落ちる。ひとつの後を追いかけるように雫が溢れ、白い顎を伝って落ちる。アッシュは静かに涙を流しながら「よかった」と小さくつぶやいた。


「ずっと…ずっと、後悔していたんだ。もっと早く話をできていたら……、」

「はい」

「こんなに早く、いなくなるなんて…」

「……」

「母上、フローラ……」


 俯いて肩を震わせ始めたアッシュの手に触れたまま、フィオレンティーナは黙って窓の外へ目を向けた。陽が落ち、使用人が夕食の準備ができたことを伝えに来るまで、部屋にはずっと小さくすすり泣く声だけが響いていた。

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