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迫真空手部・哲学の裏技  作者: そのまんま東のような人物のイラストをイメージ画として自身が一種の淫夢系のキャラクターとして扱われている、近年ではイワナ系朗読やFXで有り金を溶かしたりしている朗読兄貴
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ニーチェレイプ!超人と化した空手部

木村「先程は実存主義についてやりましたね。自分自身とは一体何なのか、と言う事を敷き詰めた学問なので、最も哲学らしいと言えます。…今回は、哲学者の中でも一位二位を争うほど有名な人についてやっていきます」


野獣「それって俺も知ってる人か?」


木村「絶対知ってます」


三浦「俺はどうかゾ?」


木村「多分知ってます」


三浦「どうして野獣は"絶対"なのに、俺だけは"多分"なんだ…(絶望)」


野獣「あっ、三浦先輩!!死に至る病に陥ってますよ!神の前の単独者になりましょう!!」


三浦「やだよ、おう」


木村「今、三浦先輩は神の前の単独者になることを拒否しました。それと同じように、神を拒絶した哲学者が居ます。その人が言った『神は死んだ』は今でも有名ですね」


野獣「ニーチェですね間違いない…」


三浦「GO is not GOD.」


木村「そうです、今回やるのはニーチェです。まず最初に、産業革命が起こってからというもの、公害や格差拡大など、多くの問題が生まれました。それまで進歩する事は"人類を幸せにする"と考えられてきましたが、果たして本当なのでしょうか?」


野獣「新たな世界に進めば、新たな問題に直面する。はっきりわかんだね」


木村「ええ。ですから、今までは当たり前のようにあったキリスト教の道徳も価値を失っていくのです。何故なら、今までのキリスト教の道徳では新たな問題に対処出来なかったからです」


三浦「つまり文明に置いて行かれたのかゾ…?」


木村「はい。そういった事が背景にあり、多くの人々は判断の基準を失ってしまいました。そして何を信じて行けばいいのか分からなくなったのです。だから人々は今まであった価値を信じられなくなりました。こうした「今まであった価値を否定する考え方」を『ニヒリズム』と言います」


野獣「キリスト教でさえ置いて行かれた以上、人々が彷徨うのは目に浮かびますね…」


木村「そこで出てきたのはニーチェです。彼はキリスト教の道徳が見失われたことを見て、今までの神でさえ価値を失った事を知ったのです。今まで当たり前のように救いを与えていた神でさえ、文明の進歩には逆らえなかった―――こうして生まれたのが『神は死んだ』です。つまり、神の価値は無くなったのです」


三浦「つまりキリスト教の道徳を否定したのか…たまげたなぁ」


木村「そうだ。かつては神を冒瀆することが最大の冒瀆だった。しかし、神は死んだ。そして神とともに、冒涜者も死んだのだ…」


野獣「KMRなんかヤバくなってますね」


三浦「一旦落ち着けゾ」


木村「…ああ、少々取り乱してしまいました。そうです、彼はキリスト教の道徳の頽廃だけを見て『神は死んだ』と言ったワケではないのです。彼はプラトン哲学のイデアや形而上学と言った、見えない真理に根拠はないという意味も含めたのです」


野獣「つまりニーチェは超越的なものを否定し、ただ物質的なものだけを望んだ…。…だから『神は死んだ』のか」


木村「はい、そうです。また、このニヒリズムにも「生きる気力を失ってしまう」と言う『受動的ニヒリズム』と「今まで信じていた価値が間違っていたならば新たに価値を作ろう」と言う『能動的ニヒリズム』の二つに分けられるのです。無論、ニーチェは能動的ニヒリズムのほうが良いと言います」


三浦「新しい価値を作る…つまり人間としての実存を、神や真理から切り離して見たんだな」


木村「なので、神が人間に与えていた道徳は極めておかしいものになります。それは「弱者」が「強者」を悪に仕立て上げて敵視する道徳です。つまり、弱い人が正しくて、強い人が悪い人、と言うキリスト教の道徳を拒絶したのです」


野獣「たしかキリストも『金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通りより難しい』と言ってた気がするな」


木村「事実、そう聖書に書いてあります。こう言った"強者を悪に仕立て上げる弱者の考え"を『ルサンチマン』と呼びます。このルサンチマン的な考え方を『道徳』と言い張ったからキリスト教は広まったのだ、とニーチェは考えたのです」


野獣「信じれば救われる、と言うのも弱者のためのようなものだからな。真の強者は神の救いなんて必要ないし…」


三浦「ルサンチマンは逃げてるだけにしか見えないゾ…」


木村「ですから、沢山お金を持っている人は地獄に行き、貧しい生活をしている人は天国に行く、なんて考え方はルサンチマンに過ぎないのです。しかしキリスト教はルサンチマンを「道徳」と言いました。なので価値観が捏造されたのです」


三浦「そうだゾ!弱者が救われ、強者が救われないなんて都合よすぎるゾ!」


木村「……唐突に質問ですが、腹が減って死にそうなライオンはシマウマを食べます。果たして、このライオンは悪者でしょうか?」


野獣「生きるため仕方ないでしょ。これは悪ではない」


木村「そうです。自然界ではいくら強い存在が弱い存在を倒したからと言って、そこに善悪は存在しません。しかし人間界には善悪が存在し、強者は悪なのです」


野獣「これもうわかんねぇな」


三浦「稀に見かけるけど、蜘蛛の巣に捕まった虫を助けようとした母親を子供が止めるという光景を見たことあるゾ。母親は『捕まっている虫が可哀想』と言うけど、子供は「それでは蜘蛛の食べ物が無くなってしまう」と言ってたゾ。こうした日常にもルサンチマンは宿っていたんだな」


木村「今、三浦先輩の例えで挙げられた母親の考えのように、弱者は正義なのです。ですから人間の弱者は、強者に対して『思いやりが無い』などと言うことで精神的に上に立とうとするのです。この考え方は、多数の弱者が少数の強者に対抗するための生存本能なのです」


野獣「本能的な考え方だったからこそ、それを『道徳』と偽ったキリスト教は広がったのか…」


木村「お察しの通りです。この生存本能こそを『畜群本能』と言います。ですから、キリスト教は本来の価値を反転させたものなのです。よってキリスト教の道徳は『奴隷道徳』だ、とニーチェは言ったのです」


三浦「甘えが道徳になったから広がったキリスト教だからこそ、ニーチェは批判したんだな」


木村「はい。ですから人間は強くなろうとするのです。強者になれば神の救いなんて必要ありません。これも人間の本能的なものです。…なので、全ての行動や感情は「強くなりたい」と言う意思が宿っていると彼は考えます。これこそを『力への意思』と呼びます」


野獣「生徒が挨拶をしないと、先生は『挨拶ぐらいしろ!何を教わったんだ!』と怒る。でも本当は、自分が無視されて悔しいからだ、と言いたいんだろ?」


木村「そうです。どんな行動や意見にも「力への意思」は存在します。それを隠すために、一般的な常識や道徳を持ちだします。さっきの先生の例では、『何を教わったんだ!!』と言うのが常識や道徳に当てはまります。普通に『俺を無視するな、挨拶しろ!』と言えばいいのに、意見をもっともらしくするために常識や道徳が駆り出されるのです」


三浦「はえ^~」


木村「そして、ニーチェは世界について考えます。ここでも質問ですが、地面に落ちていた小石を蹴ったとします。それを何度も行い、延々とし続けた場合、小石は元の場所に戻りませんか?」


野獣「あくまで可能性の話だけど、確かにそうですねぇ!!」


木村「また、時間は無限に存在すると考えた場合、世界全体に存在する力の量は変わって行きます。しかし世界は原子の組み合わせで出来ていて、それの組み合わさり方で物事は変化します。なので、力の量は変化するはずがないのです。ここでニーチェは、「世界は同じ出来事を永遠に繰り返しているのだ」と考えます。これを『永劫回帰』と言うのです」


三浦「つまり今、こうやって三人で話していることも、本当は何千回目であった可能性が微レ存…?」


野獣「なんか怖いですね…」


木村「なので彼は、永劫回帰を受け入れ、既存の価値に囚われずに新しい価値を生み出す人を『超人』と呼びました。超人は奴隷道徳を持った人間たちには理解されないでしょう。何故なら、奴隷道徳を持った人間は永劫回帰を知らないからです」


野獣「これって能動的ニヒリズムなのか?」


木村「いい所に勘付きましたね、鈴木先輩。…『これが生だったのか。よし、もう一度。』と考え、肯定的に永劫回帰を受容する考えを『運命愛』と呼びますが、こうした生き方こそ『能動的ニヒリズム』なのだ、と彼は言ったのです」


三浦「つまり能動的ニヒリズムを目指せばいいのかゾ!!」


木村「そして、人間から超人に至る前には三段階あるのだ、と彼は言います。一段階目は「ラクダ」であり、"キリスト教などと言った伝統を背負う"ことです。二段階目は「ライオン」であり、自由を求めてドラゴンと戦います。ここで言うドラゴンは「ラクダ」で背負った伝統です。そして三段階目に「子供」になります。子供の無垢な心になって、新しい価値を想像するのです」


野獣「つまり子供こそが創造者なんだな」


木村「ええ。そして超人へ目指す時、やがて人間は自分が超人になれる存在の一人であることを自覚し、永劫回帰に触れるきっかけが訪れます。これを『大いなる正午』と言い、この一瞬の自覚こそが永遠に味わう苦しみ…つまり永劫回帰を受け入れる力となるのです」


野獣「俺にも大いなる正午が訪れてほしいけどなぁ~俺もなぁ~」


木村「しかし、そんな超人を迫害するのは自分を「正義の味方」だと思い込んでる人たちです。彼らは超人を「犯罪者」と呼びます。彼らにとって、道徳を破壊して石の板を壊す人たちは「悪者」なのです」


三浦「ここでもルサンチマンは宿っているのか…」


木村「その通りです。こうした自称の「正義の味方」を『善くて義しい人』、別称として『末人』と言います。そしてニーチェは「悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない」と言うほど正義を嫌ったのです」


野獣「その正義も奴隷道徳の産物だからなぁ…仕方ないね」


木村「そうだ!この世界は力への意思であり、そしてそれ以外の何ものでもない!!しかもまた、君たち自身がこの力への意思であり、そしてそれ以外の何ものでもないのだ…」


野獣「今日はよく燥ぎますね…」


三浦「まあ分からんことは無いゾ」


木村「…やっぱりニーチェの言葉って格好いいですよね。こうしたニヒリズムから影響を受けた哲学者は大好きです。」


野獣「分かります分かります」


木村「今言ったニーチェの書いた本として、『ツァラトゥストラはこう言った』があります。この本は彼の思想そのものであり、他の本はこれの解説書に過ぎない、と言わせるほどです。ぜひ読んでみては如何でしょうか?」


野獣「ん、おかのした」


三浦「暇があったら読んでみるゾ」


木村「今回はここで終わりにしますが、最後に一つだけ。…『善人たち――かれらは常に「終りのはじまり」であった。』」


三浦「こわいな~とづまりすとこ」

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