表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界のんびり鍛冶屋『ひっそり暮らしたい刀匠の異世界工房』  作者: 常陸之介寛浩 本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/20

第20話 町の包丁、村の包丁

ミレナが置いていった包みは、工房の空気を少しだけ悪くした。


 いや、正確には、空気というより俺の気分だろう。村の中だけで済んでいたはずの話が、町へまでにじみ始めている。その現実を、あの行商人の娘はやけににこやかな顔で運んできた。


 しかも置いていったのが、町の料理人の包丁だ。


 見なければいい。断ればいい。そう思うのに、道具台の上へ置かれた布包みが視界の端に入るたび、意識がそこへ引っ張られる。鍛冶屋にとって、使い込まれた刃物というのは妙に厄介だ。持ち主の癖も、仕事場の匂いも、使い方の無理も、全部そこに残っている。つまり「見れば気になる」が始まってしまう。


 工房の前では、リッカがあからさまに面白がっていた。


「開けねえの?」

「開けない」

「さっきから三回見てるぞ」

「見てない」

「いや見てる」

「視界に入ってるだけだ」

「それを見てるって言うんだよ」


 うるさい。


 だが反論しきれないのが腹立たしい。俺は炉の灰をならし、炭をいじり、柄材を持ってきては置き、無意味に水桶の位置まで変えてみた。どれもこれも、「包丁の包みを開けないため」の行動でしかない。


 リッカはついに隠そうともせず、椅子に頬杖をついてこちらを眺め始めた。


「なあ」

「何だ」

「町の料理人って、村の女将さんとそんなに違うのか?」

「……」

「違うから気になるんだろ?」

「質問のしかたが気に入らん」

「でも否定しねえじゃん」


 俺はしばらく黙っていたが、結局、道具台の包みを手に取った。


 負けた気がした。


 いや、べつにリッカとの勝負ではない。単純に、職人としての興味に負けただけだ。そう考える方がまだましだった。


 布を解く。現れた包丁は、昨日ざっと見た印象よりさらに「町の仕事場」を感じさせる一本だった。細身で、刃の線は村の包丁より長く、重心は前へ少し寄っている。柄の擦れ方も、毎日かなりの量を扱う人間のそれだ。


 俺は包丁を持ち上げ、少し角度を変えて光へかざした。


「どうだ?」

 リッカが前のめりになる。

「黙ってろ」

「はい」


 はい、と返事はしたが、目は完全に包丁へ張り付いている。


 刃先の減り方を見る。村の包丁と違って、刃元だけが極端に死んでいるわけではない。腹から切っ先まで、全体的に均一に使われている。つまり、細かな刻みも、長い引き切りも、両方やっている。町の料理場なら、たしかにそうなるだろう。


 だが、均一に使われているからといって、それが理想の減り方とは限らない。


「少し、重いな」

「重い?」

「村の包丁よりは軽いだろ」

「比べ方が違う」

「どう違うんだよ」


 俺は包丁を持ったまま、少し考える。


「村の包丁は“一本で何でもやる”のが先に来る」

「うん」

「だから、多少重くても頑丈さと雑に使えることが優先される」

「女将さんのやつがそうだったな」

「ああ。でも町の料理人は違う」

「違う?」

「量を切る」


 その一言で、リッカの顔が少し真面目になった。


 俺は続ける。


「村の台所は、一日の飯を作るための包丁だ。数も知れてる。だが町の料理人は違う。朝から仕込みで大量に切る。客の数も多い。しかも肉も野菜も、切り方を変えながら続ける」

「……あー」

「一本でこなすにしても、“頑丈ならいい”だけじゃ駄目だ」

「疲れるから?」

「そうだ」


 俺は柄を握り直し、実際に手首を返してみせる。


「これは悪くない包丁だ。ちゃんと仕事になる。でも、少し前が勝つ」

「前が勝つ?」

「重心が先に逃げてる。最初の一、二回は切れる。だが数をこなすと、手首と前腕に残る」

「なるほど……」

「村の包丁なら、その重みで押し切る場面もあるからまだいい。だが町で量をこなすなら、もっと流れた方が楽だ」


 そう言いながら、俺の頭の中では自然と修正の形が浮かんでいた。


 腹の肉をほんの少し抜く。

 重さを落としすぎず、だが前への勝ち方を和らげる。

 刃の入りは保ったまま、切り続けた時の疲れを減らす。

 使う人の握りと、仕事場の速度に寄せる。


 リッカが横で、感心したように息をつく。


「村の包丁と町の包丁って、そんなに違うのか」

「使う場所が違えば、最適も違う」

「でも、見た目はそんな変わらねえぞ」

「見た目だけならな」


 そこで俺は、女将の包丁を思い出した。


 あれは村の台所を生き延びてきた刃だった。一本で何でも受け止めて、切れなくなっても使われ続けて、それでもまだ働こうとしていた。今、手元にある町の包丁は違う。もっと整っている。だがその整い方のぶん、別の無理が染みついている。


「どっちが上、とかじゃないんだな」

 リッカが言う。

「上とか下とかじゃない」

「仕事が違うから?」

「そうだ」


 言い切ると、リッカは膝の上で手を組み、少し考え込んだ。


「村鍛冶と町鍛冶も、そんな感じなのかもな」

「……」

「村じゃ、とにかく“今使えるもの”を回すのが先だろ。でも町は、数も人も多いから、また別の最適がある」

「あるだろうな」

「で、おまえはその“使うやつに合わせる”のをどっちでもやろうとしてる」

「別に大げさなことはしてない」

「でもそう見える」


 そこを言葉にされると困る。


 自分では、ただ目の前の使い方へ合わせているだけだ。大した思想があるわけでもない。だが、村と町のどちらにも同じ考え方を持ち込めば、そう見えるのかもしれない。


 包丁を布の上へ置いたところで、工房の前から咳払いが聞こえた。


「……誰かいるかい?」


 声の主は、見覚えのない中年の女だった。村の人間ではあるらしいが、俺がよく顔を合わせる範囲の住人ではない。背には小さな籠を負い、腰には手ぬぐいのような布を巻いている。


「いる」

 俺が答えると、女は少し遠慮がちに近づいてきた。


「ミレナから聞いたんだけどね。町の包丁、来てるんだって?」

「……」

「いや、別にそれを見たいわけじゃないんだよ。ただ、話だけでもと思って」


 やめてほしい。ミレナが余計なことまで喋って回っている証拠じゃないか。


 だが女はそんな俺の内心を知らず、籠の中から一本の包丁を出した。


「うちは村でも漬物とか刻み物を多くやる方でね。町の料理人ってほどじゃないけど、普通の家よりは量を切るんだよ」

「ふむ」

「女将さんと同じ包丁がいいのかと思ってたけど、もしかして違うのかい」


 その問いに、俺は少しだけ目を細めた。


 いい質問だったからだ。


 女将の包丁がよく働いたからといって、それをそのまま別の人間へ写せばいいわけではない。量、使い方、食材、手の大きさ、切り方。全部で答えは少しずつ変わる。


「違う」

 俺はきっぱり言った。

「同じにはしない方がいい」

「やっぱりねえ」

「おまえは何を多く切る」

「漬け込む前の菜っ葉と根菜だね。あとたまに肉も刻む」

「押し切るか、引くか」

「引く方が多いかも」

「手ぇ見せろ」


 女が手を出す。指の長さ、手の厚み、親指の付け根の硬さ。女将ほど力任せではないが、細かな反復が多い手だった。


 リッカが横で、声を潜めて言う。


「また見てる」

「何を」

「手と包丁と仕事」

「使う道具なんだから、全部見るだろ」

「それ、もう口癖だな」


 そうかもしれない。


 だが、間違っているとも思わない。


 俺は女へ向かって言った。


「女将と同じにはしない。少し軽くして、流れを長く取る」

「流れ?」

「切り続けた時に手が止まらんようにする」

「ほう」

「ただし軽すぎると根菜で負ける。だから刃元は少し残す」

「へえ」


 女は感心したように頷いた。


「町の料理人と村の台所じゃ、やっぱり違うんだねえ」

「違う」

「でも、違うって分かる人がいるなら助かるよ」


 その言い方が、少しだけ胸に残る。


 助かる。


 最近、こういう言葉を向けられる機会が増えた。包丁、斧、鎌、戸板の金具。大きな仕事ではない。でも、その一つ一つが誰かの生活へ直でつながっている。


 町の包丁も同じなのだろう。場所が変わっても、結局は誰かの仕事がそこにある。違うのは規模と速さだけで、道具が支えている暮らしそのものは続いている。


 女が帰ったあと、リッカがぽつりと呟く。


「なんか、町ってもっと遠いもんだと思ってた」

「遠いだろ」

「いや、そうだけど。包丁見てると、村の延長みたいでもあるな」

「……ああ」

「台所があって、仕事があって、疲れる手がある」

「そうだ」

「ただ量と速さが違うだけで」


 その言葉に、俺は少しだけ驚いた。


 リッカはうるさいし、勢いで生きているところもあるが、見えてきたものをちゃんと繋げる時がある。そういう時だけは、少しだけ年相応より大人びて見えるから厄介だ。


「町を見ないと分からないこともあるな」

 気づけば、口からそうこぼれていた。


 言った瞬間に、しまったと思う。


 リッカの顔がぱっと上がる。


「おっ」

「何だ」

「今、“町を見ないと”って言った」

「独り言だ」

「いや、でも言った」

「言ったかもしれん」

「行く気になってきた?」

「なってない」


 即答した。したのだが、声に少しだけ力が足りなかった気がする。


 工房の前の椅子へ座り直し、もう一度町の包丁を手に取る。


 見れば見るほど、使う場の空気が違うのが分かる。村の包丁と町の包丁。その違いは、話を聞き、刃を見れば想像はできる。だが、仕事場を実際に見た時にしか分からないこともあるはずだ。


 食材の並び。

 作業台の高さ。

 切る速度。

 使う手数。

 料理人の身体の運び。


 そこまで見て初めて、ほんとうの意味で「合わせる」ことができる。


 ……だからといって町へ行きたいわけではない。


 ない、はずだ。


 リッカがにやにやしているのが視界の端に入る。


「なあ」

「何だ」

「今の顔、ちょっと面白い」

「どんな顔だ」

「面倒くさいのに気になってる顔」

「うるさい」


 図星を言葉にされると、本当に腹が立つ。


 だが否定しきれないのも、また腹立たしい。


 町の包丁は、村の包丁と違った。

 そしてその違いは、たぶん包丁だけで終わらない。


 工房の前を風が抜ける。沢の音が遠くで鳴る。森の中の静かな工房にいながら、頭の中だけが少しずつ村の外へ引っ張られ始めている気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ