第15話 村の鍛冶屋と、森の鍛冶屋
朝から炭を焼き、薪を分け、柄材を削り、うるさいドワーフ娘の相手までしていると、昼前にはさすがに腹が減る。
俺は工房の前の椅子に腰を下ろし、昨日もらった根菜を粗く刻んで鍋代わりの深い器で煮ていた。塩を少し入れただけの味気ないものだが、火の前で食うとそれなりにうまい。少なくとも、森へ来たばかりの頃に比べればずっとまともな食事だった。
向かいでは、リッカが勝手に二つ目の椅子へ座っている。
それもそうだろう。いつの間にか来客用に作った椅子が増え、しかもその一つをもっとも長時間占拠しているのがこの押しかけ娘なのだから、我ながら何をやっているのか分からない。
「おまえの分はないぞ」
「知ってる」
「知ってる顔じゃない」
「半分くらい分けてもらえるかなって顔」
「分けない」
「冷たいなあ」
「俺の飯だ」
そう言いながらも、器の中を少し覗き込んでしまう。量は多くないが、絶対に分けられないほどでもない。いや、だからといって分ける義理もないのだが。
リッカは腹を鳴らしそうな顔で鍋を見つめていたが、意外にも強請ってはこなかった。代わりに、目の前に置いていた木片を小刀で削り始める。手元はまだ荒い。木目を見切るのも甘い。だが、言われたことを勝手に復習しているあたり、やっぱり本気なのだろう。
俺は匙代わりの削り木を口へ運びながら、ふと気になっていたことを口にした。
「おまえの親父」
「ん?」
「村の鍛冶屋なんだろ」
「そうだぞ」
リッカは削る手を止めずに答えた。
「なのに、なんでわざわざ森まで来る」
「それ、何回目だよ」
「今までは答えがうるさかった」
「今日はちゃんと答える!」
いつもちゃんと答えてほしい。
だがリッカは珍しく茶化さず、削りかけの木片を膝へ置いた。
「親父は、ちゃんとした鍛冶師だぞ」
「……だろうな」
「村の鍬も釘も、戸板の金具も、鍋の補修も、みんな親父がやってる。忙しいし、朝から晩まで働いてるし、手ぇ抜いてるわけじゃない」
「そう見える」
実際、これまで村人が持ち込んできた道具を見れば分かる。
粗いものも多いが、雑に放り出された仕事ではない。限られた材料と時間の中で、暮らしを回すために必要なものを何とか形にしている。その苦労は、道具の減り方や修繕の痕から見えていた。
村鍛冶というのはそういうものだ。
名品を打つより先に、明日使う鍬を直さなければならない。包丁一本に何日もかけるより、折れた蝶番と欠けた鎌と釘の束を間に合わせなければならない。生活を止めないための鍛冶だ。
リッカは少しだけ口を尖らせた。
「でもさ」
「でも?」
「それとこれとは別なんだよ」
その言い方に、俺は少しだけ目を細めた。
単なる反抗や若気の至りではない声だったからだ。
「親父の鍛冶、あたしは好きだぞ。すげえと思う。村の連中、みんな親父の仕事に助けられてるし」
「……ああ」
「でも、包丁も斧も、“とりあえず使えるようにする”の先があるだろ」
「あるな」
「女将さんとこの包丁、親父も前に直したことある。でも、おまえのは違った」
「……」
「ガロおっちゃんの斧もそうだ。使えるだけじゃなくて、“使うやつが楽になる”ようになってた」
そこまで言うと、リッカは少し悔しそうな顔になった。
「それ見たら、なんか、悔しくてさ」
「親父にか」
「違う」
「じゃあ何にだ」
「今まで、あたしも“鍛冶ってこういうもんだ”って思ってた自分に」
俺は何も言わなかった。
風が少し吹いて、炉の灰が揺れる。昼の森は静かで、遠くから沢の音が薄く届く。その中で、リッカの声だけが妙にまっすぐだった。
「親父が悪いんじゃない。忙しいんだよ。村の鍛冶屋って、何でもやらなきゃいけないだろ。鍬も釘も鎌も、雨戸の金具も、馬車の補修も。一本の包丁にずっと付きっきりなんて無理だ」
「そうだろうな」
「分かってる。でも、おまえの鍛冶見たら、“もっとできる”って分かっちまった」
その言葉には、憧れと悔しさが混じっていた。
親を悪く言いたいわけじゃない。
親の仕事を否定したいわけでもない。
でも、それとは別に、もっと先があると知ってしまった。
職人の家で育った人間には、わりとよくある話かもしれない。家の仕事を愛しているからこそ、その枠の外も見たくなる。中途半端な反発ではなく、本気の憧れとして。
俺は残りの煮物を口へ運びながら、少しだけ昔のことを思い出した。
元の工房にいた頃、俺も似たような目をしていた時期がある。
誰かを否定したかったわけじゃない。ただ、もっと知りたかった。もっと触れたかった。もっと、素材や火や刃の先を見てみたかった。そんな時期がたしかにあった。
もちろん、リッカみたいに朝から他人の工房へ押しかけて弟子入りを迫るほど騒がしくはなかったが。
「……面倒な憧れだな」
思わずそう言うと、リッカはむっとした。
「面倒って言うなよ」
「面倒だろ。親父を尊敬してる。でも違うものを学びたい。しかも相手は森に引きこもってる変な鍛冶屋」
「最後のやつだけはおまえ自身の問題だな」
「否定はしない」
するとリッカは、小さく笑ってからまた真顔に戻った。
「でも、あたし、親父のこと悪く言いたいわけじゃねえんだ」
「分かる」
「たぶん親父だって、本当はもっと細かくやりてえ時もあると思う。でも村じゃ、そうもいかねえ」
「生活が先に来るからな」
「そう」
その一言に、リッカは少し救われたみたいな顔をした。
たぶん、こいつはただ誰かに同意してほしかったわけではないのだろう。親父を裏切るような気がして言いづらかったことを、鍛冶の側から理解してほしかった。そういう顔だ。
俺は空になった器を脇へ置いた。
「村鍛冶が悪いわけじゃない」
「うん」
「生活鍛冶は必要だ。たぶん、この村はおまえの親父がいないと回らない」
「……うん」
「でも、それとは別に、使い手に合わせた鍛冶があるのも事実だ」
「うん」
リッカの返事が、少しだけ小さくなる。
「だったら、両方見ればいい」
「え?」
「親父の仕事も、おまえが見たい仕事も。どっちか片方だけに決める必要はないだろ」
「……」
言ってから、少しだけ口をつぐむ。
こういうことを俺が言う義理は本来ない。弟子でもない。相談役でもない。なのに、気づけば話してしまっていた。
リッカはしばらく黙っていたが、やがて木片を握ったまま、ぽつりと呟いた。
「親父、たぶん怒るぞ」
「だろうな」
「森の鍛冶屋んとこ通ってるって知ったら、絶対文句言う」
「だろうな」
「でも、見てえんだよ」
その声は、さっきよりずっと小さかった。
それでも、熱はあった。朝からうるさい時の熱とは違う、腹の底にあるやつだ。
「見たいし、覚えたい。親父の仕事を捨てるとかじゃなくて、もっと、ちゃんと」
「……」
「使うやつの手とか、仕事とか、疲れ方まで見て打つの、あたしもやりたい」
まっすぐだ。
面倒なくらい。
俺はそういうまっすぐさにあまり慣れていない。むしろ苦手だ。真正面から来られると、どこへ逃げればいいのか分からなくなる。
だから、わざと少し冷たく言った。
「憧れだけじゃ続かんぞ」
「分かってる」
「朝早いし、手は汚れるし、火傷もするし、炭焼きも薪割りも地味だ」
「うん」
「見たいと、やれるは別だ」
「……うん」
「しかも俺は弟子を取る気はない」
「そこに戻るのかよ!」
リッカが机を叩きそうな勢いで顔を上げる。やっと少し空気が軽くなった。俺も少しだけ息を吐く。
「大事なところだ」
「大事なのは分かるけど、毎回言う必要あるか!?」
「ある」
「堅っ!」
「そういう性分だ」
「知ってる!」
知ってるなら少し黙ってほしい。
だがリッカは、さっきまでのしんみりした空気を吹き飛ばすように、またいつもの勢いを取り戻していた。こいつは本当に感情の切り替わりが早い。
その早さに少し助けられている自分がいるのも、また面倒だった。
「でもさ」
リッカは削りかけの木片を持ち直しながら言った。
「親父にも、いつか認めさせたいんだ」
「何を」
「あたしの鍛冶」
今度の声は、はっきりしていた。
「ただ親父の真似してるだけじゃなくて、ちゃんと“あたしの仕事”になってるって、いつか言わせたい」
「大きく出たな」
「出るぞ。それくらいは」
そして一拍置いて、少しだけ頬を緩める。
「そのためにも、おまえのとこ見て覚えたい」
「断る」
「会話の最後に挟むなよ!」
工房の前に、リッカの声が響く。
だがその笑い混じりの声の奥に、さっきの言葉が残っていた。
親父にも認めさせたい。
自分の鍛冶を。
それはたぶん、本気なのだろう。
そして本気の話ほど、あとで面倒を呼ぶ。
親父が村鍛冶なら、いずれ顔を合わせることになるかもしれない。娘が森の工房へ入り浸っていると知れば、穏やかな話では済まない可能性だってある。いや、かなり高い。
俺は心底面倒そうに息を吐いた。
「……面倒な話になりそうだな」
「ん?」
「いや、独り言だ」
「またその便利な独り言かよ」
「便利なんだよ」
「ずるい!」
たしかにずるいかもしれない。
だが、今の俺にはそのくらいの逃げ道が必要だった。
火の前に戻りながら、俺はちらりとリッカを見た。木片を手に、真剣な顔で何かを考えている。さっきまでの賑やかさとは違う、少しだけ静かな横顔だった。
その横顔に、ほんの少しだけ昔の自分を重ねたことは、たぶん本人には言わない方がいい。
言ったら最後、さらに面倒なことになるに決まっているからだ。




