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第29話 到着と入浴。熱の悪化

 受付で鍵を貰って3階のお部屋に入る。時間は午後の4時だった。

 電車が止まって、百瀬くんがいなくなって、追いついて……思い出すと忘れてた疲れが一気にくる。


 それに、まだ4時なんておかしい。絶対もっと時間がたってるはず。


 雨に濡れて時間が経ったから、シャツから生乾きっぽい臭いがする……気がする。百瀬くん、どうか気づかないで。


「……お風呂入っちゃいたい」

「僕も」


 バッグを玄関の隅に寄せて、ずぶ濡れの靴と靴下を脱ぐ。ふやけた足にひんやりした空気が触れて、すごい解放されたって感じがする。


「私は下のお風呂に行ってくるけど、百瀬くんはどうする?」


 百瀬くんは少しボーっとした表情をして、ハッとして答えた。


「もう元気ないから、部屋でシャワーだけ浴びるかな」

「そっか、熱あったもんね……分かった」


 焦点が変になってる百瀬くんは申し訳なさそうにほっぺを掻いた。博多でホテルを探してるときもこんなだったなぁ。

 本当は一緒に入口まで歩いて行きたかったけど、本当にグッタリしてるししょうがない。


 押入れから浴衣と帯を取って、次は着替えの下着を用意する。中のものは濡れてませんように、そう祈りながらチャックを開けると内側はしっとりしていた。


 でも、服と下着は全部ビニール袋で覆われてて乾いた新品のままだ。


 そういえば仁科さんがやってくれたんだ。お礼言わないと。


 それにしても、あんな大雨だったのに全く濡れてないなんて……神様は見てるって感じがする……仁科様だけど。


「じゃあ、行ってくるね。すぐ戻るから」


 袋に全部まとめて、ドアノブに手をかけた時――


「犬井さん、待った」


――振り返ると、百瀬くんがそばまで歩いてきて……


「うあっ!」


 ポフッと、頭にふんわり柔らかいものが乗せられる。


「バスタオル忘れてる」


「あっ、ありがとっ!」

「僕は大丈夫だから、ゆっくり温まってきな」

「……うん!」


 ふんわりとした優しい声だ。

 目が細められてて、口の端っこもゆるくなってる。

 髪を上げたから見えるように……って――


「百瀬くんが笑ってる!?」


 うそうそ!? あの頑固な百瀬くんが!?


「うるさい、早く行ってこい」


 クルリと後ろを向いて、百瀬くんはどんどん奥へ引っ込んでいく。


「えーっ! ねぇ! こっち向いて!」

「……はぁ」


 バタッとふすまを閉められた……恥ずかしがらなくていいのに。





「はふぅ……」


 ふんわりしたお湯の匂いと雨で冷えた体にお湯の温かさが染み込むみたいで、思わず声が出る。


 もう一生お風呂から出なくてもいい、なんて思うくらい気持ちいい。


 足を伸ばして、指をグー、パーと動かしながら百瀬くんのことを思い出す。


 最初は何を考えてるかよく分からない男の子。

 一人ぼっちが嫌で声をかけたら、嫌そうな顔してたけど一緒に回ってくれて、嬉しくて、好かれたくて色々してみたけど、ぜんぜんダメ。


 バスに置いて行かれてからはずっと怖かった。怒ってると思ったら、死ぬって言いだしたり、大金を渡してきたり。


 どうしようもなくって、どうせこの先に良いことなんて無いだろうからって……私の体をあげるって言ったら、優しく注意してくれたし。


「……頑張って一緒にいて、よかったなぁ」


 何もあげられない私を、今も旅行に連れていってくれて、しっかり気をつかってくれる。


 とにかく、優しいところはたくさんあるけど、怖いところもすごくあった。


 どうして優しくしてくれるのか分からないし。驚いたときか、ご飯食べてるときしか表情は変わらないし。

 理由を知らなかったのが悪かったけど、昨日はいきなり怒るし。



 それが、今は――



「変わったなぁ、百瀬くん」



――死なずに、そばにいてくれる。



 辛い秘密も教えてくれて、頼ってくれて、しっかり笑ってくれた。


 何にも持ってなかった私でも百瀬くんを助けられたのが、笑ってくれたのがすごい嬉しい。


 もう、消えちゃいそうなよく分からない男の子じゃない。ちゃんと、ここにいてくれる、優しい男の子だ。


「……明日も、あるよね」


 だから一緒に、一生分のいっぱい思い出を作りたい。

 もっと笑ってほしいし、辛いことを忘れさせることはできなくても……大切に、幸せにしてあげたい。


 明日から、百瀬くんが笑えるように、全力で思い出を作ろう。


 だから、もし明日晴れたら……あのワンピースを着よう。


 褒められたいのはあるけど、今の百瀬くんの隣に立つなら……あれくらい綺麗で、可愛くないとダメな気がする。


 あれを着れば頑張れる気が――


「んん?」


 綺麗? そういえばあれを買ったのって……


「……ああっ!」


――無駄遣いしちゃったこと、言うの忘れてた!





「お待たせ!」


 早く言わないといけない気がして、一階から走ってきたから少し汗が出てきた。

 気持ちよかったから、後でまた入ろうかな。


「百瀬くん、今大丈……」


 ふすまを開け――


「百瀬くん!?」


 顔色が真っ青、ひどい。


「ねぇ!? 大丈夫!?」

「犬井さん……けほっ」


 ガタガタふるえながら鼻をすすって、ふにゃっと笑ってるけど――涙が出てる。


「おでこ触るね……ッ!? さっきより熱いよ!?」

「ごめん。いきなり熱が、ぶりかえしたみたいで……」

「薬と水、もってくるね! カバンいじるね!」


 百瀬くんが答える前にチャックを開けて、ビニール袋をひっぱり出す。


「はい! 口開けて!」


 シートから薬を2つ押し出して、開いた口に入れる。


「ちょっと体起こすね!」


 枕だとペットボトルを顔にかけそうだったから、百瀬くんを膝の上にのせる。

 服は変わってるけど、髪の毛がぐっしょり冷たく濡れてる。多分、お風呂に入れてないんだ。


「お水飲んで!」

「んっ……ありがとう……」


 頭がいい感じに傾いて、一口だけ飲むと百瀬くんはもう一度笑った。

 まだ効かないはずだけど、心なしか少しだけ震えが減った気がする。


「百瀬くん……その、どうしたの?」


 何も敷かないで毛布に包まってる百瀬くんに、もう一枚かける。


「すごく、うぷって気持ちわるくて……天井がぐるぐるして……」


 百瀬くん、子供みたいに……


「やなことばっかり思いだして……とまらなくなって」

「あの……お母さんのこと?」

「……うん」


 そんなすぐに良くならないのは分かってたけど……こんな辛そうにするなんて。


「大丈夫だよ。百瀬くんは悪くない、絶対!」

「そうじゃないんだよ」


 百瀬くんは隠そうとしてるみたいだけど、うるっとして、鼻をすする音が増えてる。


「心配しな――」

「とめられなかったんじゃなくて……」



「僕が、僕がやっちゃったんだよ。ママを……」



 えっ。



「……そんなわけない」


 百瀬くんは、自分からそんなことする人じゃない。


「話せてないんだよ……ほんとのこと」

「どうして?」

「……」


 体がビクッとして、喉がヒクヒクしてる。


「話せないなら――」

「……」


 唇をブルブル震わせて、何か言おうとしてる。

 こんな百瀬くん、見たことない。


「こわかった……言うの。引かれたく、なくて」


 ポロリと、百瀬くんの目から涙が一粒だけ流れた。


「ねぇ……聞いてくれる?」


 こんな時に思っちゃいけないのはわかってるけど……しっかりしてる百瀬くんが今はこんな風に……可愛い。


「うん、大丈夫だよ」

「引かないで、くれる?」


 こんなこと、いつもの百瀬くんなら嫌がるだろうけど――


「引かないよ、絶対に」


――頭を、撫でてあげたくなった。


「んっ……」


 毛並みにそって撫でると、百瀬くんは甘えた声で目をギュッとした。

 百瀬くんが大変なことになってるのに可愛いとか、思っちゃいけないのに。でも本当に……可愛すぎる。


「百瀬くんは私のこと、嫌わないでくれたでしょ?」

「……ぅん」

「私も、なにがあっても百瀬くんを嫌いなんて思わないよ」

「ほんとに?」



 毛布から心配そうに私のそばに出して、迷子みたいに動かす手を、優しくとる――


「うん、本当に。約束する」


――でもしっかりと、『ここにいるよ』と、私の体温が伝わるように、ギュッと握る。


 百瀬くんの手は私を握りかえすと、動かなくなった。探してたものを見つけたみたい。



「……だから、教えて?」



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