12 村の異変と勇者
王都を出て一週間。
御者の「そろそろだ」という声に、勇者は窓の外に目を向けた。辺境の村まで馬車に残っていたのは、勇者と、フードの男だけだった。
目の前に、見慣れた森の風景が広がっている。鳥のさえずりが聞こえ、柔らかな木漏れ日が地面にまだら模様を描いている。いつもと変わらない、穏やかな風景だった。
勇者は、フードの男と馬車を降りた。しかし、村へと続く道に入ると、違和感を覚えた。
いつもなら、村の入り口では子供たちが走り回っている。薪を運ぶ男や、井戸端で話す女たちの姿も見えるはずだある。だが、今は誰もいない。
勇者の心に、ざわりと不安が広がった。
勇者とフードの男は、ゆっくりと村の中へと足を踏み入れた。村は静まり返っており、人の気配がほとんどない。軒先に干された洗濯物が風に揺れ、飼われている家畜の鳴き声が聞こえるばかり。
(どうしたんだ、みんな……?)
ふと、物陰に小さな人影を見つけた。勇者はホッとした気持ちで声をかけようと一歩踏み出した。それは、勇者に「好きな女の子には花を渡すもの」と、教えてくれた女の子だった。しかし、女の子は勇者の顔を見るなり、小さな悲鳴を上げて、慌てて駆け去っていった。
「っ……!? どうしたんだろう?」
同時に、聞き慣れた声が響いた。魔族の少女との間をからかっては、よく勇者を困らせていた、顔なじみのおばさんだ。
「あんた……本当に『勇者』なのかい?」
その言葉に、勇者は戸惑いを覚えた。
「はい、多分、そうですが……。それがどうしたんです?」
おばさんは、周囲を警戒するように見回してから、勇者を家の中へと引き入れた。戸を閉め、閂をかける。薄暗い部屋の中には、おばさんの家族が身を寄せ合っていた。彼らの顔は、怯えと疲労でやつれている。
「よかった……無事だったんだな。安心したよ」
勇者が心から安堵の表情を見せると、おばさんは首を横に振った。
「違うんだ……。あんたが『勇者』なら、早く、この村から出ていっておくれ」
おばさんの言葉に、勇者は絶句した。
「なぜ……。何があったんですか? 魔族が襲ってきたんですか? 村の様子が変だ。みんな、どうして隠れているんです?」
勇者が尋ねると、おばさんは深い溜息をついた。
「魔族は、関係ない。魔族なんて、この村は怖くないんだ」
おばさんは不安に顔を歪ませ、勇者の背を押すと、戸を乱暴に閉めた。勇者とフードの男は、無言で顔を見合わせた。
勇者は疑問を抱えたまま、自分の家に歩みを進めた。
家の中に入ると、勇者はここまで黙って同行してきたフードの男に、椅子を勧めた。家の中には埃が積もっており、しばらく誰も来ていないことが窺えた。勇者は埃を払い、やかんに水を入れ、暖炉に火をくべた。やかんから湯気が立ち上り、ふつふつと音を立てる。
「……何か、異変があったみたいだ」
勇者は静かに言った。フライ返しを手に持ち、落ち着かない様子でそれをいじる。
「みんな、俺のことを避けているようだった。どうして、俺が避けられているのか分からない……。」
フードの男は、何も言わずに勇者を見つめていた。その無言の視線が、勇者をさらに追い詰める。
「俺は、ただ……この村に帰ってきただけなのに。俺は、何か悪いことでもしたのか?」
勇者は自分に言い聞かせるように、震える声で呟いた。その声には、深い戸惑いと、ほんのわずかな恐怖が混じっていた。
「知りたいか?」
フードの男は、勇者に尋ねた。
「えっ!?」
勇者は、驚いてフードの男の顔を見つめた。彼の赤い瞳が、まっすぐ勇者を見つめ返した。
(なぜ彼が、村のことを知っているのだろう?)
そう思いつつ勇者が頷くと、一口茶を口に含み、フードの男が語り始めた。
「三代目の勇者は、魔王を討伐し、王都から追放された後、せめてもの罪滅ぼしとして、人間と魔族が共に暮らせる村を創った。それがこの村だ。
そしてその勇者は、一部の村人たちに『もし、再び勇者が召喚されることがあれば、彼とかかわるな』『勇者は、破滅をもたらす不吉の象徴なのだから』と、言い残したそうだ……。」
勇者は眉をひそめた。だが、フードの男の次の言葉に、勇者の心臓が凍りつく。
「勇者には、魔族を殺戮する『隷属の呪い』がかけられている。それは、勇者の意思とは関係なく、勇者の手で魔族を殺させるという、恐ろしい呪いだ……。」
(それじゃあ、魔族の少女と会うことができない? )
勇者は、自分の手を見つめた。呪いがかけられている自覚はない。だが、『隷属の呪い』がかけられていれば、魔族の少女と会うことは危険だ。そう思うと、気持ちが沈む。
「奇妙だと思わないか?」
(奇妙とは何が……? )
フードの男が薄く笑った。勇者はしばらく考えると、気がついた。
「本当だ、奇妙だな」
声に明るさを取り戻し、コップの茶を一気に飲むと、勇者も笑みを浮かべた。
「俺は、必ず、あの子に会いにいく。そして勇者という存在は、魔族たちが思うようなものじゃないって、証明してみせる!」
勇者は、フードの男にそう告げると、外に出た。村の静けさは、勇者にとって、もはや不安の象徴ではなかった。それは、これから自分が成すべきことへの、静かな決意を促すものだった。




