一年前の話
勇美、鞍馬の二人を駅まで送り、続いて双葉姉妹を家まで送り届けた後。
剛羽、美羽、優那の三人は、一般寮を目指して麓に広がる市街地を歩いていた。人気のないしんと静まり返った夜道では、等間隔で並ぶ外灯にすら温かみを感じてしまう。
「お兄、ちゃん……」美羽は小さく欠伸をしながら目をごしごしする。「眠たいよぉ……」
「美羽、ほら」剛羽は腰を落とし、首だけ動かして後ろの美羽をいる。「兄ちゃんの背中で寝てろ。着いたら起こすから」
肌と肌が触れ合って女の子特有の柔らかさを感じながら、剛羽はすっと立ち上がる。
「美羽ちゃん、ずっと頑張ってるからね」
「最近は八個操作までできるようになったって言ってました」
「すごい!? まだ始めたばっかりなのに」
「部屋に戻ってからも練習してるみたいですよ……ちょっと心配です」
「こうくんはいいお兄ちゃんだね~」
「や……やめてくださいよ」
「こうくん、照れてる~」にこにこしながら顔を覗いてくる優那。
「照れてないです」剛羽は歩くペースを上げる。「置いてきますよ」
「……こうくん」
とそこで、不意に声を掛けられ、剛羽は立ち止って振り返る。視線の先では、優那が胸の前で手を重ねて心配そうな表情をしていた。間違いなく、何かある。それに気付かないほど、剛羽は鈍くない。
「……は!」
空気の変化のようなものでも感じ取ったのか、背中で寝息を立てていた美羽が眠たそうに目を開き、二人を交互に見た瞬間くわっと目を開く。そして急に元気を取り戻した美羽は、兄の背中から勢いよく下りて両目を爛と見開き「お兄ちゃん、わたし、先行ってるね♪」とサムアップする。
「いや、でも、暗いから一人じゃ危な――」
「――わたし、もう中学生なので。大人なので」
ばっと右の掌を突き出しながら愛妹。最近、耀の胸を張るポーズなどを真似するので兄としては心配だ。
「何かあったらすぐに《IKUSA》で連絡するんだぞ。神動たちにも迎え頼むから」
「了解であります」
敬礼した美羽は鼻歌を歌いながら一般寮に向かってスキップし出す。
足元は暗い。転んで怪我でもしないか心配だ。
「ごめんね、すぐ済ませるから」近くにあった公園のベンチまで移動した優那は、隣に座った剛羽に心配そうに声を掛ける。「こうくん、なにかあったの?」
「守矢ですか?」
「それは内緒」優那は人差し指を口元に当てる。
「あのク……昨日、九十九先輩と話したんですよ……それでちょっと、まあ、なんというか……」
ちょうどいいタイミングだと、剛羽は出稽古から戻って来たときに玲とした会話で気になったことを訊ねる。
「九十九先輩、なんでああなっちゃんたんですか? それと……守矢から少し聞いたんですけど、一年前なにがあったんですか?」
「そっか、れいちゃんが……。九十九くんのことはよく知らないんだけど、一年前のことなら……」少し間を置いてから、優那は困ったような笑みをながら続ける。「実は私ね、高二の春まで九十九くんのチームにいたんだ」
「え?」突然開示された事実に、剛羽は驚きを隠せない。「なんで辞めちゃったんですか? 先輩の実力なら……」
と言いながらも、何となくその原因は分かった。
「辞めた理由は……玲ちゃんの言ってた揉め事、かな。一年前にね、九十九くんのチームで二つの意見がぶつかったんだ。一つはチームでまとまって練習しようって意見の人たち。もう一つは、全体練習は最低限にして個人個人のやりたい練習を中心にしようって意見の人たち。それでみんなで時間を掛けて話し合ったんだけど、このままじゃ決まらないからって、結局砕球の試合で勝った方の意見を採用することになったの」
「……個人個人で練習しようって言ったのは、九十九先輩ですか?」
「うん、九十九くんと砂刀くん、それから駿牙くんとか今高二の子たちが中心だったね」
実際のところ、どちらの意見が正しいかは明言できない。全体練習ばかりやるのも非効率だし、個人練習を中心にするのも考えものだ。
だが、剛羽が一番疑問を持ったのは二つの意見の正当性についてではなく、何故そんなに偏った意見が出たのかということだった。
はっきり言って、全体練習も個人練習もバランスよくやればいいだけの話である。
「私も他の子たちも、時には個人個人で練習することには賛成だったんだけど……九十九くんたちの意見はそういうことじゃなかったの。簡単に言うなら、個人練習をしようっていうのは、練習をサボる口実づくりだったんだよ。その頃から九十九くんたちは練習にもあんまり顔出してなかったから」
「じゃあ、先輩はまとまって練習しようって意見に賛成したんですか?」
「うん、真面目に練習してる子たちが中心だったからね。れいちゃんもそう。全国優勝目指そうって毎日遅くまで練習してたから……やっぱり肩入れしちゃうよ――でも、負けちゃった。完膚無きまでに」
当時のことを思い出したのか、少し俯く優那。それでも笑顔を絶やさないため、余計に心が痛む。
優那の話が聞いた通りだとすれば、それは剛羽が一番聞きたくない部類のものだった。
怠けものな天才が努力してきた人間をねじ伏せる――そんな光景を、砕球では見たくない。そんな思いを、努力した人間たちに絶対させたくない。
その張本人があの闘王学園にいた九十九だとういうのだから、余計にショックである。怒りすら込み上げてくる。
「それで、優那先輩たちはどうしたんですか?」
「ほとんどの子が……他の学校に転校したよ。私も……その子たちの期待に……応えられなかったから……九十九くんのチームを抜けて……新しいチーム、つくったんだ。そしたら、れいちゃんが残ってくれて……すごく嬉しかった」
ついに笑顔が消え去り、沈痛な面持ちを浮かべる優那。
剛羽は知る由もないが、優那が九十九のチームを自主的に辞めて新しいチームをつくったのは、試合に負けて立場がなくなった先輩や同輩、後輩たちを引き留めるためだった。
「あの子たちを……勝たせて……勝たせてあげたかったよ……っ」
剛羽は隣で肩を震わせている優那の手を取ってそっと握る。
何と言葉を掛けていいか分からなかったから、そうしたのだ。
「ありがとう……こうくんは優しいね」
そう言って、優那は剛羽にもたれ掛り、ぎゅうっと抱きしめた。
剛羽も彼女の背中に手を回して抱きしめ返し、宥めるように背中を擦る。
それからしばらく身体を密着させ合っていると、優那の震えが次第に収まってきたのが分かった。
「ごめんね……年上なのに取り乱して」
「年齢なんて関係ないですよ。俺でよければ、相談乗りますから。超ウェルカムです」
「それじゃ私が泣き虫みたいだよ」
「俺は先輩の泣く顔、もっと見たいです」
「それってどういう意味!?」
そんなふうに駄弁っていると、優那はすっかり落ち着きを取り戻したのか、その表情にいつもの笑顔が戻る。
「決定戦、勝ちましょう」
「うん。れいちゃんにいい思いさせてあげるまで、私は負けないよ」
「優那先輩……」
剛羽は、玲の言っていた「あの人」が誰なのか、今更ながら分かったような気がした。
そして二人の絆のようなものに、少し目頭が熱くなる。
これは確かに、いい思いをさせてやりたい――どちらにも。
「勝ち続けますよ。優那先輩、そう簡単には辞めさせませんからね」
夜の公園で一年前の揉め事について優那から明かされてから三日後。代表決定戦開幕を一週間後に控えた土曜日。
「さてと、始めますか」
生徒会長室で豪奢な椅子に腰掛けていたその少年は、朝の清々しい陽光に照らされながら、子どものような無邪気な笑顔を浮かべていた……!?
少年の笑顔の意味とは一体!?
ついに来てしまった……




