第16話 三島家の異常
悪霊は暗い場所を好む。だから、カーテンを開けて光を入れれば安全になる。そんな単純な考えは先読みされていたようだ。
この隙間無く張られた粘着テープを剥がすのに、どれだけの時間がかかるのだろう。ましてや、キッチンには凶器を持った三島さんがいる。今すぐにでも逃げ出したい……。
「でも、私がやるしかない……」
震える指先を粘着テープの端に引っかけ、綺麗に整えたばかりのネイルで引っかいた。続いてめくれた箇所をつかみ、力いっぱいミチミチッと剥がし始める。どうか間に合いますように。無事でいられますように。
「透さん!! 伏せろぉ!!!」
背後から切羽詰まったヒロの大声が聞こえた。私は反射的にしゃがみ込んで、両手で頭を抱える。
すると、窓にガシャンッ!!!と固い何かが当たり、床へ落下した。恐る恐る視線を下に落とすと、恐ろしい代物があった。
「中華包丁……!!」
中華包丁のずっしりと重い刃は、骨すら断ち切ることができる。もし頭に直撃していたらと思うとおぞましい。今の、絶対に私を狙い撃ちにしてたよね……?
もう目を逸らすなんて無理だ。危険は目前に迫っている。
再びジャキンッ!!と音がした方角を見ると、三島さんが二本目の包丁を取り出しているではないか。怒りに満ちた目で私を見ている。きっとまた投げるつもりだ。
「さすがにやり過ぎだねぇ、人を殺すような悪霊じゃないと思っていたが……」
呟きながらヒロは呪符を取り出した。事故物件で悪霊の動きを止めたものと同じだ。
「三島さんには悪いが、しばし我慢してもらうぞぉ!!」
ビュッ!!っと風を切る音がして、三島さんに呪符が張り付いた。手に持っていた包丁が床へ落ちて、彼女は小さく「ぁぁぁぁ」とうめき声を上げながら、後頭部から倒れていく。
「おおっと、危ない!!」
ヒロはすかさず滑り込んで、三島さんを抱きかかえた。
「透さん、早く部屋に日差しを入れてくれ! 呪符は今の三島さんにとって毒でもあるんだ! 俺は霊媒の小物入れを封じる!!」
そうか、ヒロが最初から呪符を使わなかったのは、三島さんへの影響を考えてのこと。強硬手段に出た今、なるべく早く悪霊を無力化して、三島さんを解放しないといけない。
私は粘着テープをビリビリと剥がし、闇雲に放り投げていった。ガラスに多少の接着跡が残っているけど、日光さえ入ればいい。
やがて、一番頑丈に固定されていた鍵が露わになり、私は窓を開け放つことに成功する。やっとだ。新鮮な空気が入り込み、いかによどんでいたかを実感する。
あとは? あとは何をすればいい?
「よくやった、透さん」
ヒロの声が聞こえて振り返ると、彼はいつもの微笑みを浮かべていた。手には呪符に包まれた塊がある。
「それって……」
「ああ、小物入れを一時的に封じたんだよ。これで多少は持ち運べる。ただ、触れていいのは俺だけだけだ」
「呪符って便利なんですね」
「だろ?」
「封じる」と聞いて呪文や儀式を想像してたけど、こういう力業でも対処できるのね。お守りといい、数珠といい、除霊師の使う道具って効果てきめん……。
「じゃ、次は三島さんが眠っているうちに、異常を解消して回ろうか!」
「え?!」
リビングのソファには目を閉じた三島さんが横になっていた。睡眠中に歩き回らないということは、悪霊の支配からは離れたのかな。でも、顔色が悪くて呼吸が浅い気がする。
「どうして小物入れを封じても、気絶したままなんですか?」
「長い間、脳を浸食されたからねぇ。悪霊の本体を除霊する必要があるんだよ」
「じゃあやっぱり、あの事故物件にいる悪霊が……」
「あぁ、あれが本体で間違いないだろう」
彼女は今もなお、悪霊の影響を受けているんだね。心配でたまらない……。
「この家のあちこちに思念の残骸がある。俺たちで取り除いて、三島さんを少しでも楽にしてあげよう」
「思念の残骸……ですか」
「俺は危険度の高い水場を回るから、透さんは各部屋の異常を確認してくれ!」
「わ、分かりました!」
「少しでも危ないと感じたら逃げて、俺を呼ぶんだぞ?」
「はい……!!」
話し終えるとヒロはキッチンへ行き、換気扇を覆っている粘着テープをビリビリと剥がし始めた。私も同じように、リビングやダイニングの小窓を解放してみる。しかしすぐに、次に何をすればいいのか行き詰ってしまった。
というのも、私には「異常」の定義が良く分からない。
「異常って、綺麗に掃除すればいいのかな? それか……」
ゴクリと唾を飲んで、ポケットに忍ばせていたスマホを手に取る。霊的な異常を確認するには、レンズ越しに心霊写真を撮るのが一番な気がした。私はこれさえあれば霊視できるから。
室内がどんな状況なのか、知らない方が幸せな気がする。けど目をそむけたら、三島さんが回復する機会を失いかねない。
私は恐る恐るスマホのカメラをオンにして、画面を覗き込んだ。
「うっ……」
室内には、虫が這いずり回っていた。腐敗した悪霊にまとわりついていたものだ。絶対に触れたくない。近づきたくもない。でも、その虫はある一か所から来ていることに気付く。
逃げたくなる本能を抑えて虫の発生源を辿ると、そこには引き出しがあった。わずかに開いた隙間から湧いている。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
呼吸が荒くなるのを無視して、取っ手に指先を引っかける。もうどうにでもなれ。一番の危険は過ぎ去ったのだから。
覚悟を決めて引き出しを開けると、中を埋め尽くしていた無数の量の虫が、カサカサと腕を伝って這い上がってきた。
「いやぁああっ!!!」
必死にもがいて、身体から虫を払い落そうとする。スマホなんて持っている余裕はない。どれだけ服を叩いても、肌をさすっても、虫の這う感覚が消えない。衝動的にネイルで肌を掻きむしろうとした時……。
「落ち着け、透さん! そいつは見せかけだ!!」
ヒロが私の両手を握って静止していた。ものすごい腕力だけど、その瞳はちゃんと理性的だ。彼が冷静なおかげで、私は少しずつ現実味を取り戻す。
「あ……私……」
「三島さんが愛用していた品みたいだな。よく見つけてくれた」
もう一度肉眼で引き出しの中を見ると、そこには何の変哲もない櫛があった。一点だけ異常があるとすれば、黒い髪がたくさん絡んでいることくらいだ。
「虫じゃない……?」
「見た目はただの櫛だが、悪霊が憑依している時に髪をといたから、思念の残骸をまとってしまったようだ」
ヒロは櫛に絡まった髪を一本ずつ取り除き、呪符にくるんでグシャグシャっと丸め込んだ。
「よし、これで完了」
「櫛はそのまま……ですか?」
「君を驚かせたのは櫛じゃなくて、髪の毛の方だからね」
「そっか、髪の毛は怪談話の定番……。どうして気づかなかったんだろう」
「まぁ、そんなに自分を追い込まなくていいさ。責任感があるの素晴らしいけどね」
「は、はい……」
ヒロはチラリと腕時計を確認した。そういえば、呪符による封印には時間制限があるんだった。悪霊を直接封じた時は一枚で15分程度だったはず。複数枚使っているけど、そう長くは持たないよね。
「時間がない、ここからは二手に別れようか」
「えっ?」
「俺はトイレや風呂場を当たるから、透さんは二階へ行ってくれ」
「わ、私一人で行くんですか?!」
「大丈夫、二階の気配はかなり薄いから安全なはずだ。多分な」
「多分って……」
時間がないのは分かってるけど、離れ離れになるのは怖い。もしヒロの助けが間に合わなかったら、私はどうなってしまうの?




