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おっさん令嬢 〜食いしん坊で呑兵衛な転生おっさん(※元刑事)は魔法令嬢になって大陸の覇者となる〜  作者: 丹空 舞
(1)姫薔薇の妖精ノエル・ブリザーグ5歳 レインハルトとの邂逅

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5年後

 さて、それから五年の月日が経った。


 ブリザーグ伯爵家の長女の寝室は、まるで御伽噺の世界に迷い込んだかのような空間だ。


 部屋の入り口には、贅沢な模様の描かれた深紅の絨毯が敷かれている。

 金箔で飾られた美しいバラの壁紙の前には、繊細な金細工が施されたチェスト。


 天蓋付きのベッドは砂糖菓子のようにフリルで覆われ、こちらも美しい薔薇の刺繍がしてある。

 柔らかなオーガンジーから透ける光の妖精が、部屋の住人にクスクスと囁きかけるようだ。


 部屋の真ん中のドレッサーには銅でできたウサギの置物がある。

 硝子ケースに入った小さな髪飾りを彩るがごとく、可憐なデイジーやプティリリーが生けられている。


 寝台から、ふわん、と羽が動くような音がした。天使のような愛らしさではあるが、人間だ。苺色の巻き毛に、きらきらしたルビー色の瞳。

 

「んぅ……」


 伯爵令嬢ノエル・ブリザーグは吐息を乱しながら、ゆっくりと目を覚ました。


 勿論、寝間着は最高級の絹である。

 ブリザーグ伯爵家の紋章の薔薇の花をモチーフにした花柄が優雅に広がり、少女を高貴な輝きに包んでいた。


「朝……」


 ぽてりとした可憐な唇で、少女が呟く。


 寝室の扉が静かに開いた。

 質の良いメイド服を身にまとった女性が優雅に入ってきた。

 彼女の服もまた繊細な刺繍やリボンで飾られており、それだけでも、ここブリザーグ家が高貴な家であることをうかがい知ることができる。


 若い女の動作や表情は快活でありつつも、落ち着いた品の良さがあった。


 伯爵家の子守係(ナニーメイド)のエリーは微笑みながら、今目を覚ましたばかりのノエルに寄り添った。


「おはようございます、ノエルお嬢様。新しい一日のはじまりですね」


 ノエルは白くすべすべした素足で床に降り、目をこすった。


 エリーはノエルを一人掛けの椅子に座らせ、真紅の髪に、薔薇の香りのオイルをなじませて梳いていく。


「昨夜はよく眠れましたか、ノエル様? お休みになる前まで、歴史のご本を読まれていたとお聞きしましたが」


 ノエルはあいまいに微笑んだ。鏡の中の花のような美貌が、ばつの悪そうに僅かに陰る。


「ちょっと大陸の歴史に興味があっただけで……お、わ、私はこの国について何も知らないから……」


 エリーは鏡越しに、にっこりした。


「あらあら。ノエル様、私に夜更かしをとがめられると思っていられるのですか? いいえ、いいえ。そんなこといたしませんよ。安心されて下さい。ノエル様が勉強家でいらっしゃることは、エリーはちゃんと知っています」

「いや、全然、そんなことない……わ」

「まあ。ご謙遜なされて」


 エリーはノエルの髪を梳きながら、まるでキスでもしかねない勢いで言った。


「五歳だというのに、歴史にご興味がおありだなんて! 本当に賢いお嬢様です。エリーは誇らしいですよ。本日は宮廷の儀式がございます。ノエル様は初めてですね。伯爵もご一緒に参られますから、早めにお支度をいたしましょう」


 エリーは夜着を脱ぐノエルの着替えを手伝いながら、その柔らかな背中に目を落とした。

 天使の羽のようなあざが、肩甲骨の間にある。

 そっと目を伏せ、エリーは快活に笑った。


「今日は昨日咲いた中庭のラナンキュラスと同じ、甘い香りがふわりと漂うような桃色のワンピースにしましたよ。お気に召しましたか」

「……ええ」


 ノエルはほっそりとした腕を通し、ふわふわした妖精のようなワンピースを身にまとう。

 その瞬間、天使が舞い降りたかのように、令嬢の美しさが一層際立った。

 部屋の雰囲気までもがパッと明るくなる。

 エリーはほれぼれして言った。


「完璧です! 今日も大変美しく、最高にお可愛らしいですわ。ノエル様」

「……ありがとう」


 ノエル・ブリザーグは、その愛らしい果実のような唇をあげた。


 どこか諦めたような、それでいて愛らしい人形のような美しさが、桃色のワンピースに包まれて、何とも言えない魅力になっている。


 エリーは、ほう、と溜め息を零す。

 ノエルは在り来たりの、考えなしの幼児ではない。五歳にして謎めいた表情さえも垣間見せる、聡明で賢い美貌の娘だ。


 赤子の時から美少女だとは思っていたが、最近日増しにノエルの容色は光り始めている。絶世の美女とうたわれる日も遠くないかもしれない。


 おまけに魔力量も多いときている。

 魔力のある者の集うこの国ゼガルドの貴族の間では、きっと引っ張りだこになるだろう。


 いや、その辺の貴族ではだめだ。

 きっと、お嬢様は王族に嫁ぐ器だーー。


 


 その時、隣の部屋から、ほにゃあ、ほにゃあと猫の鳴くような声がした。


「あら。マルク様が起きてしまったみたいですね」

「はやく行ってあげて。エリー」

「ではノエル様は先に食堂室へ。お食事を用意しております」


 エリーは重厚なドアを軽やかに開けて、静かに出ていった。





 一人になったノエルは、天使のような愛らしい容貌を金色の鏡に映した。


 鏡の中に映る幼い美貌には、どこか憂鬱な表情が浮かんでいる。

 瞳は遠くを見つめ、それはどこか遠い記憶や思い出に思いを馳せているようだ。


 絶世の美少女、ノエル・ブリザーグ。

 彼女はおもむろに、そっと自分の頬を触った。

 毛一本生えていない美しい素肌だ。


 宝石のような紅色の瞳が、己の貌を捉える。


 そして――。





「つきたての餅かよ……」




 高貴な伯爵令嬢にはおよそ不釣り合いなつぶやきが、春の陽光を浴びた花びらのような唇から漏れた。




(しかも)



 そっと目を落としていく。

 人形のような長いまつげがそっと伏せられる。


 そして、美少女は羽衣のようなパニエの上から、色白の傷一つない陶器のような手で、



 ぐわしっ!!



と、自身の股ぐらをつかんだ。



「やっぱり、無いッ……」



 そう、ないものはない。

 女性にはない。

 男性にはある。

 古今東西普遍のあるなしクイズである。




(5年経つのにまだ受け入れられん……この俺が! お貴族様の! お嬢様って柄か!?)




 男児ならまだ気持ちの切り替えができた……のかもしれない。


 だが、女。

 しかも、美少女。

 否、美幼女だろうか?


 



(こんな杵つき餅の妖精みたいな体、どうやって動かせばいいんだ……!?)



 スパコーンッ! と尻を叩いてみる。

 ぷるんぷるんの柔らかい餅だ。

 どこもかしこも、餅だ。

 取り扱いを間違えればすぐに壊れてしまうのではないか?


 アニメでよくあるロボットだかなんだかにのせられる十代のパイロットだって、もう少し頑丈な装甲でスタートする。


 こんな、華奢で筋肉がなくて、HP3みたいな身体に載せ替えられたって、どうやって生きていけばいいのか見当もつかない。




 猪瀬……ノエルは怖れていた。

 貴族のお嬢様生活には恐ろしいことばかり起きる。




 うっかり『退屈だ』と漏らせば、エリーが

「お嬢様、それではお裁縫をいたしましょうか」

 だとか言い出すのだ。



「春らしいモチーフで刺繍などいかがでしょうか。それとも、詩をお書きになってはどうでしょう」

「死……? 寝首をかく?」



「それとも庭園でピクニックをしながら、お花を摘んで冠にいたしますか。『木苺姫の午睡』や『ぬいぐるみ一家の大冒険』を持って行って、木陰でお読みになってもよろしいですね」

「……」





 こんな具合なのだ。



(どういう不手際か知らないが、転生のミスなんてあるのか!? もう死んじまってるんだから、綺麗に『前世』の記憶を消してくれ! 俺はイチゴ姫やままごとなんかよりトイチとイタチごっこの方が馴染みがあるんだ! こんな令嬢があってたまるか!)



 天に怒り、恨み辛みを祈っても、何の音沙汰も無かった。


 こうしてようやく、現実をしぶしぶ受容しつつ、ノエルはすっくりすくすくと育ってきたのである。





「義理事かよ……嫌だな……」



 宮廷なんかくそくらえだった。

 ノエルはほっぺたにパンパンに空気を入れて、ブーッと吐き出した。


 愛らしい美少女が釣り上げられた河豚(ふぐ)のような顔をしている。


 しかし、待っていても時は無情に過ぎる。


 市場へ向かう子牛のような心持ちで、諦めたノエルはのろのろと食堂室へと向かい始めた。

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