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【本編】転生

☆前書きをすっ飛ばして婚約破棄シーンから見たい場合は、11p「悪役令嬢ノエルブリザーグ」からでも読めます。


※この物語はフィクションです。 実在の人物や団体などとは関係ありません。

※未成年の飲酒、ダメ、ゼッタイ!



この世界に足を踏み入れたのは、誰かが悲しむ犯罪なんてものを、無くしたかったからだった。


それなのに、潜入した先で命を落とすなんて。


警察官としては、殉職になるのだろう。



ははは、と乾いた笑いが出そうになった。


まるで刑事ドラマのようだ。




「先輩ッ!」


後輩の木下が、救急車を呼んでいる。


事故です、だなんて喋る声を人ごとのように聞いた。



銃の取り締まりに踏み込んだのは、木下が先頭だった。


猪瀬はその後ろについていた。




普通ならそれなりに大人しく摘発されるのだが、半グレあがりの新入りがいたのがまずかった。


パニックになったやつが、銃をぶっ放した。



(コレはヤバい)

と思った時には、もう体が動いていた。



腕や足なら助かったのだろう。


しかし今回は、どう考えても当たりどころが良くない。



「テメェらぁぁぁ!!」

「動くな!!」

「おい……」


怒号が飛び交う中、猪瀬は首を抑えてゆっくりと革張りのソファに倒れた。


先輩刑事の春河が、血相を変えて飛んでくるのが見えた。



「猪瀬! 猪瀬、見せてみろ、どこだ」


「ハルさん」


目と目が合った瞬間、春河は猪瀬に一度も見せたことのない表情をした。


何も言わなくても、経験の長いベテラン刑事は、猪瀬が死の淵に突き落とされかかっていることを察したようだった。


その顔を見て、

(ああ、本気でまずい感じなんだな)

と、悟る。



犯罪者への借りは作らない。

取り引きはしない。

甘やかさない。


弱きを助け、強きを挫く。


春河は、時代遅れと言われようとも、そこだけは失っちゃいけないと語る人だった。


この人は、命が狙われようとも、諍いがおころうとも、決して芯を曲げなかった。


この先輩のことを心底尊敬していた。


自分もそうなれただろうか?




「猪瀬!」


ハルさんの必死な声を、初めて聞いた。


猪瀬はこんなときなのに少し笑ってしまった。



(ああ、だめだ。俺はもうだめなのか。ざまぁねえな……)



きっともうこれで自分の命は尽きるのだろう。




「猪瀬、ばかやろう! 返事しろ!」


春河の怒号が飛ぶ。



(無茶言うぜ)




返事できたらしてますよ。



言えない言葉が喉にからまるのがもどかしかった。


(こんなことなら、あんたにもっと、ありがとうと言っておくんだった……)



不思議と痛みが和らいで、ふっと過去の映像が脳裏によぎった。





血の繋がった父母の顔なんか覚えていない。


誰も帰って来ない部屋のゴミの中で放置されていたら、いつの間にか暴力で感情を表す、ゴミのような人間になっていた。


拗ねて、世間のせいにして、諦めて、この社会に馴染めなかった自分。


そんな悪ガキを拾って、剣道を教えてくれたのは、補導してくれた春河だった。


警官を目指して、巡り巡って同じ部署になった。



一緒に働けてよかった。


自然と涙が浮かんだ。




悲しみでもなく、悔しさでもなく、これはきっと感謝だ。




こんな俺でも、最期くらい何かの役にたてたのだろうか。


今となってはそれも分からない。


手を握る後輩の木下の馬鹿力を感じて、猪瀬は微笑んだ。





痛みも苦しみも、もはや感じない。


あるのは究極の眠気だけだ。


死んだことがないから分からなかった。




寄り添う死はもはや、空気と同じように透明に澄んでいて、怖いものではなくなっていた。


撃たれた瞬間の気が遠くなるような痛みと苦しみ、悲しみは、潮が引くように去っていった。



目を閉じる。


音が無くなる。


でも、最後まで、手を握っている木下の温度が心臓の真上にあった。



(木下、お前、電車の吊り革も持つの嫌だっつってたのに、俺の血で血まみれだぞ。潔ペキはどこいったんだ)


ぽたり、と落ちる涙と、後輩の手の震え。


猪瀬は渾身の力で、木下の手をあやすようにトントンと叩いた。


そして、ただ祈った。


(ハルさん。木下。安心してくれ。俺はここまでだろうけど、下向くことなんか一つもねぇんだ。頼むから俺のこと、ずっと悲しまないでくれ。前向いて生きてくれ。俺の分まで、生きて、笑って、あんたらが一日でも多く永らえてくれたら、俺はもう、満足だ。もっとも、もう声も出せねぇが……)



猪瀬いのせ 辰也たつや38歳。


皺と傷のある髭面の厳つい顔の上に落ちたのは、血だったのか。それとも汗か涙か。


自分を揺する後輩の怒鳴り声と、忙しない足音。冷徹なはずの先輩の震える腕。



ダセェなあ。


それでも刑事ですかって、軽口たたいてやりてぇなあ。



火薬の匂いの修羅場の中で、猪瀬は誰よりも安らかな心持ちで目を閉じた。










ぬるま湯の中で締め付けられている!



頭蓋骨が歪んでいるんじゃないかといえるくらい頭が痛い。



腹からどくりと流れ込んでくるような感覚。


息をしていないのに生きている直感が降ってきた。



(何かがおかしい)



熱くて苦しい。


電流が頭のあちこちで弾ける。


まるで拷問だった。



暗くて温かい布団の中にいるような気がしたと思えば、突然、信じられないほど寒い場所に押し出された。






「おめでとうございます!」




わあん、と雑音が耳を貫いた。



あたたかい何かの上にのせられた。


が、なにしろ寒い。


とにかく気持ちが悪いし、変な感じだ。




「うわあああああああっ」




耐えかねて猪瀬が叫ぶと、周りのざわめきが広がった。



(俺のことを見せしめにしてんのか?)



耳はぼんやりと聞こえるが変な感じだ。


それに、目がほとんど見えない。


うっすらと赤っぽいものや紫っぽいものが微かにちらつくくらいだ。





職業柄、死の匂いと隣り合わせに生きてきた。



(だが、今が一番だな)



死の匂いどころか、下手をすれば数分で死そのものが訪れるのではないかとすら感じる。



(怖い。俺は初めてそう感じている――)



これまでどんな修羅場でも恐怖を感じないように努めてきた。


そんな自分が、初めて今を怖いと思っている。


何しろ得体が知れない。




落ち着いて、深呼吸をしようとした。


が、できなかった。



筋肉が動かせない。


四肢に力が入らない。




横たえられた自分の腰に、誰かが布のようなものを巻いた。


口元にぬるい体温を感じる。


抗えずに口を開けると、流れこんできたのは甘露だった。



(クスリか!?)



すると、信じられないほど猛烈な眠気が襲ってきた。


何かが混ぜられていたのかもしれない。



誰が。


何のために。





(くそっ……)




猪瀬は抗おうとしたが、数秒も持たずに陥落して目を閉じた。













老人が言った。


「アイリーン。赤ちゃんのご出産おめでとう」



夫人が言った。


「ありがとう、父上」




伏せている夫人の手をとったまま、夫が微笑んだ。


「ありがとうございます。わざわざ公爵閣下にお越し頂けるとは望外の喜びです」



「そんなに改まるな。可愛い末娘の出産とあって、気がはやってしまった。すまんな、逆に気を遣わせてしまったか。名前はノエルというのだな。おお……アイリーンに似て美しい巻き毛の美人になりそうだな」



「まあ。お父様ったら」


「それに、魔力石の反応も上々だと聞いたぞ」


「ええ。額に当てるとくっきり紅く光るわ。ほら」


「おお、これは……! なんと強靭な……! これだけの魔力があるなら、この娘は公爵、いや王家に嫁げるかもしれんぞ。幸先の良い話だ! めでたい。いや、長居したな。コランド君、アイリーンを頼んだぞ」


「もちろんです、閣下」










その日、ブリザーグ伯爵家はお祭り騒ぎだった。




待望の第一子の誕生だ。


しかも、むきたてのゆで卵のような、つやつやとして魔力に溢れる美しい女の子。





乳母が疲労を滲ませながら、微笑んで呟いた。


「この子、お乳をあげたらすぐに寝てしまいましたわ。本当に……天使のようです」






こうして、ゼガルド王国伯爵令嬢、ノエル・ブリザーグは世界に生を受けた。



天使のような顔かたちの中に、荒れ狂う龍を忍ばせたまま。




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