事の経緯というやつ
レインハルトがモルフェに飲ませた薬は、一口だけだった。
正確に言えば瓶の三分の一程だった。
薬を口にしたモルフェが呆気なく意識を失った後、ノエルはレインハルトと一緒に緑色の瓶の中身を確認したのだった。
「どこまで効くかは分かりませんが……」
と、言ったレインハルトが、見るも無惨なモルフェの傷を見て呟いた。
刃物のように鋭く延びた氷の棒に、超スピードで殴打され、切り裂かれたのだから、無事でいるわけがない。
ノエルは、前世で初めて威嚇射撃をしたときのことを思いだした。
警察官には任意での銃の使用が認められていた。
発砲の許可など必要ない。全ては自分自身で決断しなければならなかった。
『撃つべきときには撃つべし』と教わってきたし、それを疑問に思ったこともない。
そう、だから自分たちの判断は間違っていない。
(だけど……)
ノエルは血の気の失せたモルフェの顔をじっと見た。
「無理ならそれまで、生き残れば連れて行きましょう」
淡々とレインハルトが言うのを、ノエルは黙って聞いていた。
オリテの蘇生薬は本物だ。
この秘薬を健康な人間が全部飲むと、寿命が延びるらしい。
それこそ永続的に。
しかし、瀕死のモルフェが一口飲んだなのだから、まあ、良くてちょっと、何十年か長生きするくらいだろう。おそらくレインハルトもそのように予想して、一口だけ飲ませたのだろう。
コランド曰く、『さすがに心臓が真っ二つになるような余りにも酷い損傷があれば、いくら蘇生薬を飲んだって死んでしまう』。
脇腹が欠損するというのは、『余りにも酷い損傷』に入るだろうか。
おそらく入るだろう。
ノエルはどくどくと地面に染みこんでいった青年の血液の跡をぼうっと見た。
(こいつ、悪かったって言ってたな)
そして、ふとひらめいたのだ。
(『攻撃魔法』の威力があがっている今なら、それ以外の魔法の威力もあがっているんじゃないか?)
前世では昔、少年課にいたこともある。
冷めた目をした子どもたちは、二種類いた。
一つは完全に全てを諦めてしまって思考を放棄した者たち。彼らは罪を重ねては捕まり、犯罪の度合いが日増しに大きくなっていき、成人と同時に各々の罪状で逮捕されていった。
もう一つは、非行に走りながらも、希望を諦めきれない者たち。彼らは冷えた目をしてはいたが、ある時から目に光が点り始めた。希望は自己反省に繋がり、新たな選択肢を教えてやれば、案外素直に動くようになった。
ノエル――猪瀬は、歴は長くないまでも、その光の点り始めた非行少年たちを見るのは、悪くないなと感じたものだった。恩人の上司の刑事も、いつぞやは喧嘩していた自分を怒鳴りながら補導したものだ。
(こいつのこと、見捨てたくねぇなあ)
暗殺は罪だ。
だが、奴隷の環境に置かれていた若者が命令に従ったからといって、どれほどの罪に問えるだろう。
ノエルは少し考えて、胸に手を当てた。
ゲームなんてほとんどしなかった自分でも、前世で聞き覚えのあった呪文。
学院の初等部で、初めの初めにならった詠唱。
回復魔法の初歩だ。
切り傷に貼るバンソウコウくらいの効果がある魔法。
それでも、無いよりましかもしれない。
その言葉に全ての記憶とイメージと祈りを込める。
ノエルは血だらけになって縛り付けられながら、ぐったりと木にもたれかかったモルフェの紐を解いた。
そしてしゃがんで近寄ると、そっと傷口の上に手をかざして言った。
「ヒール」
衣服の上からエネルギーが移った気がした。
が、見た目としては分からなかった。
レインハルトはノエルのしていることを見ていたが、何も言わなかった。
ノエルはレインハルトと協力して、道を進んで、なんとか街道沿いのひなびた宿屋にたどり着いた。
それほど遠い場所でなく、人通りも無かったことが幸いした。
今にも崩れ落ちそうな粗末な造りの小さな宿屋だったが、案外にも中はそれなりに清潔で、ノエルたちは胸をなで下ろした。
宿屋の主人は目の良くない老人で、ノエルはそそくさと重病人の連れをベッドに寝かせた。
うめいたモルフェの靴を脱がせながら、レインが驚いたように言った。
「腹の傷が……」
ノエルはびりっとナイフでモルフェの上半身の上着を切り裂いた。
血だらけの脇腹は、赤に染まってはいたが、ぼろぼろになった肉片ではもはやなかった。
怪我をしたはずのそこが、赤ん坊のような薄く柔らかい皮膚に覆われていた。
「本当に、助かるかもしれませんよ」
レインハルトが、信じられないというように囁いた。
それからの三日三晩寝込んだモルフェは、時折うめくものの、目を覚まさなかった。
「お前が起きるまで、毎日ノエル様が回復魔法をかけてくださっていたんだ」
と、レインハルトがモルフェに言った。
「正直、蘇生薬にも限界がある。蘇生させる肉体がなければ働きようが無いのだからな。お前が今まだ息を吸えているのは、ノエル様に生かされたからだ」
モルフェは傍らに座って、もぐもぐと口を動かしている少年を見た。
沈黙したモルフェの視線に気付いて、ノエルはごくんと咀嚼してにっかりと微笑む。
「俺のオマジナイはよく効いただろ?」
「……別に頼んでねぇ」
レインハルトが剣の柄に手をかけて、地を這うような声で言った。
「お・ま・え・は、本当ッに」
ノエルは手を出して止める。
「やめろって。いーよ、いーよ、いちいちアツくなるな」
「ですがッ……」
「非行少年あるあるだ」
飛行? と首を傾げたレインハルトを放って、ノエルはモルフェの額を撫でた。
ビクッと身をすくめたモルフェは、ノエルをギラッと睨んだ。
が、それ以上何かを言うことも抵抗もしない。
ノエルは、モルフェの汗で張り付いた前髪をそっとかき分けてやった。
「回復するまでもう少し寝ろ。ちゃんと起こしてやる。置いてかねぇから、安心して寝てな」
モルフェは眉間に皺をよせて舌打ちをした。
なんだかんだ素直に目を閉じたモルフェを、ノエルはほほえましく見守った。
(俺もこいつみたいだったんだろうなあ)
レインハルトが不機嫌そうに早口で、ノエルの耳元に囁いた。
「やっぱりこいつ、こっそりここに、置いていきませんか……」




