亡命の旅
まだ日も昇らないうちに、木製のカウンターの上に宿泊料を置いて、ノエルたちは宿屋を出た。
モルフェもしっかり自分の足で歩いている。奇跡的にあの損傷から復活し、回復したのだ。
黙々としばらく暗い道を歩いていく。
ノエルの息が少しあがったころ、モルフェが呟くように言った。
「おまえら本気でレヴィアスに行くのか。俺も詳しいわけじゃねぇが、こっからレヴィアスまでは信じられねぇくらい遠いぞ」
ノエルが買ってきた冒険者用の服は、古着ではあるが清潔感のある物で、こざっぱりとしていた。袖が長いので、腕の入れ墨も隠れている。
ノエルは前世の職業柄、見慣れているといえば見慣れているのだが、平民として歩いていくにはあまり一般人らしくない。
苛ついた様子のレインハルトが口を開く前にノエルは答える。放っておけばすぐに喧嘩になりそうだった。
「ああ。そうだよ。色々あってゼガルドにもオリテにも居られない身分なんだ、俺たちは。なるべく速くオリテを抜けて、レヴィアスに行く。そこでどうにかして暮らせる拠点を作らねぇとな」
フンとモルフェは鼻を鳴らした。
「レヴィアスに着いたらモルフェも自由だよ。違うとこに行ったっていいし、この道を戻ったっていい」
「ふざけんな。戻るわけねぇ」
モルフェはせせら笑いながら言う。
「お前のせいで逃亡奴隷だ。ゼガルドから追っ手が来る。完全に逃げられた奴隷はいねぇんだ。みんな見つかったらしい。見つかったやつがどうなるか」
モルフェは緑がかった黄色い瞳を、消えそうな白い月に向けた。
「一度目は顔に刻印を入れられる。頬から首にかけてな」
「腕や背中より、顔や首は格段に皮膚が薄いもんな。痛みも段違いだろうよ」
ノエルは言った。
前世では、潜入捜査のために自分も足に小さい彫り物をしたことがある。
それでも最初は痛みに声が出てしまったものだ。
顔や首に彫るなんて、正気とは思えない。
月を見ていたモルフェは、ちら、とノエルに視線を移した。
「そうだ。あいつらはそれさえショーにして楽しみやがる。ゼガルドの貴族は、王族はクソだ。あの国は終わってる」
ノエルの右隣を歩いているレインハルトは石のように押し黙っている。
余計なエネルギーを使わないようにしているのかもしれない。
だが、ノエルが場所を少しでも移動しようものなら、殴り合いになるのではないかという空気だ。
(どっちもそんなに悪い奴じゃねぇと思うんだけどなあ)
と、思いながら、ノエルはデカイ青年たちに両脇を挟まれていた。
「なあモルフェ、一度目はっていったが、二度目はどうなるんだ?」
「昔、集団で逃亡を図ったやつらがいたらしい。二度目に捕まったそいつらは――鼻を削がれた」
ノエルは目を見開いた。
それは、あまりにも。
「鼻の無い奴隷たちがどうなったかは誰も知らねぇ。でも、俺が地下に連れてこられたときはどこにもいなかった。だが、周りのやつらは逃亡におびえてた。それならここにいるほうがマシだと思うくらいにはな」
サク、サクと、草や落ちた葉を踏む三人のしんねりした足音が、朝焼けを待つ草原に染みこんでいく。
ノエルは静かに口を開いた。
「もちろん、俺たちとレヴィアスにいてもいいさ。俺はその方が嬉しいぞ! でも、嫌になったらいつでも好きなところに行っていい。あ、レヴィアスまでは一緒に旅してくれよ。特に俺はその、攻撃魔法が……かなり、下手だから」
「そうだな」
「おい、そこは本音を隠せよ。隠してくれよ」
「ドヘタだったもんな、ノエル」
隣のレインハルトの雰囲気が険悪になってきた。
頼むから口を開くんじゃない、と願いながら、ノエルは急いで言う。
「そ、そう。あのときモルフェに向かって詠唱したのに、パリンって言っただろ? なんだあれ。あれもモルフェの能力なのか?」
「は? 『防御魔法』知らねぇのか?」
「えっ」
今度はノエルが驚く番だった。
「防御魔法は知ってる。学院でも習った。けど、あんなんじゃなかったぞ」
中等部のときに学院で習ったのは、『バリア』と詠唱すると半分に割った球のような半透明の膜が出てくるという魔法だ。
貴族のお坊ちゃまお嬢ちゃま向けに、加減した攻撃魔法を教師が飛ばし、それを跳ね返す訓練をした。
「バリア、じゃないのか」
「それで?」
「ん?」
「あとは?」
「え? そんだけ、だけど……」
モルフェが足を止めた。
つられてノエルも止まる。
レインハルトも嫌々ながらといったように、何歩か進んだところで止まった。
視界は開けて山の頂上だ。朝焼けの草原が遠くに見える。
モルフェの珍しい蝶の羽の色のような瞳が、一種の憐憫を含んでノエルを見ていた。
ノエルは呆然として呟いた。
「俺もしかして、全然、魔法、知らない……?」




