ソフィという女
ソフィ・ゴーネッシュが学園に転入してきてから、ノエルを取り巻く人間模様が少し様変わりし始めた。
その日、生徒会室は地獄のようだった。
「お前のようなやつとは一緒に仕事ができない」
生徒会の3年生の男が、席を立って出て行ってしまった。
長机の上には生徒会の辞表がある。
「待ちなさいよ!」
と叫ぶ彼女は、高等部に進級してからずっと付き合いを公にしていた婚約者だった。
「あの女、私の彼にも手を出したのよ!」
しくしくと泣きながら怒りを吐き出す生徒会の先輩の悔しそうな横顔を、書類を揃えながらノエルはうかがい見た。
冷静で理知的な先輩がこれほど取り乱すのは珍しい。
その友人の女生徒の役員は、
「あのね……、あの子、ソフィって子。評判よくないよ。分かっていると思うけど、気をつけてね。ノエルさんは同じクラスでしょう?」
と、ノエルに忠告した。
(最近よくあるな……)
ノエルは形のよい唇を尖らせて考えた。
またあくる日。
ノエルが学校の敷地内にあるベンチに座っていると、
「あ……ノエル様……」
「ご、ごきげんよう」
目を合わせないように、令嬢たちがそそくさと立ち去っていく。
可哀相なものを見る目の男子生徒たち。
(なんだ? みんないつもと様子が違うぞ)
そう思ったものの、ノエルはのんきに本を読んでいた。
その原因に気が付いたのは、ノエルが本を読み終わり、噴水でも見て涼もうかと木陰に歩き出した時だった。
「まあ! そんなことおっしゃるなんて、殿下だぁいすき!」
ノエルは背後から聞こえる声に耳を傾けた。
この学院で『殿下』と呼ばれる対象は一人しかいない。
つまり――第二王子その人。
(おいおい、俺の『婚約者様』に手ェ出すなんて……度胸あるな、この娘ッ子)
会話がノエルの耳に届くと同時に、心には冷たい陰が忍び寄った。
ノエルはエリックを好きでも嫌いでも無かった。
だって、現在では同年代とはいえ、前世の自分からすれば十代の子どもだ。
好きとか好きじゃ無いとか、そういう気持ちになる方がどうかしている。
年齢をさしおいても、エリックはあまり賢くも勇敢でもなかった。のんびりとした良家のご子息という感じだ。
ノエルは当然のようにこの男に嫁ぐと思っていたが、この時初めて王子に批判的な感情を抱いた。
ノエルは立ったまま目を閉じ、心を静めようとした。
が、失敗した。
「でも、今日は本当に素敵な日だわ。殿下、運命って信じますか?」
ノエルは隠れながら、後ろの小道に視線を向けた。思った通り、そこには婚約者である第二王子と、ソフィがいた。
級友や先輩たちの話が本当だとしたら、ソフィという女は元々平民だったが、男爵の隠し子ということが発覚して貴族の爵位を得、学院に編入したらしい。
天真爛漫で愛らしいソフィは小動物のようでくるくると表情が変わる。
珍しい動物のように思っていたが、何ヶ月が経つにつれて、主に女生徒の間での悪評が高まっていた。
「ソフィ、殿下のこともっと癒やしてあげたいんです」
ソフィが王子の手を握った。
ベンチにかけた王子は拒まずにため息をついた。
「ノエルとは大違いだな、ソフィは。なんと愛らしいのだ」
ノエルの心臓が打ち震えた。
あの王子が、まさか他の女性にそんな言葉をかけるとは信じられなかった。
いつも意思のない、従順な子馬のようなやつだと思っていたが……。
「ソフィが殿下の婚約者だったらなぁ」
ソフィは天真爛漫に言った。
幼子がおもちゃを強請るように。
「殿下のこと、いーっぱい甘やかしてあげられるのにッ」
王子は笑って、ソフィの髪を撫でた。
「ソフィは可愛い」
「きゃあっ。殿下にそんなことを言われると、照れちゃいます」
ノエルはしゃがみこんで二人の会話を聞きながら、自分が置かれた状況を受け入れるしかなかった。
心の中には僅かな混乱と、これからどのように身をふるかという謀略が渦巻いていた。
ふと、脳裏にレインハルトの端正な顔が浮かんだ。
あいつだったら、なんというだろうか。
ノエルはそっと足音をたてずにその場を離れた。




