白銀の少年
(このままだとまずい。何か、何かないか)
周りを見渡せど、何も武器になるようなものはない。
あったとしても、幼いノエルに使いこなせるはずもない。
(――魔法)
念じる。
目の前の女性を助ける力。
信じる。
きっと何か、ここが魔法のある世界だというのなら、自分にも何か。
(何も起きない)
腹の中が熱くなるような感覚がするが、それだけだ。
どう使いこなせばいいかも分からないエネルギーが体に充満する。
余りにも無力で小さな自分の情けなさにノエルは腹が立った。
「お嬢様、お逃げ下さいッ……お父様たちの所へ!」
痛みと恐怖に眉をしかめながら、自分を逃がそうとする大人。
(情けねぇ)
5歳のノエルはキッと顔をあげた。
魔法は使えないが、このまま離れてしまえば、女性を見つけたオークは獲物を巣に連れ帰るだろう。
身の保証は何もない。
ノエルは握り拳を作って、オークに突進していった。
「おぉぉぉぉぉっ!」
獲物の腕をつかんでいたオークの手の甲に、思い切り噛みつく。
「グア!?」
オークが怯んで、本能的に突然の痛みに手を離した。振り払われて、ノエルは地面に転ぶ。
その拍子に、シーラもドサッと倒れ込む。
何が起こったか理解したオークの赤い充血した目がギラリとこちらを向いた。
首の入れ墨がオークの体液にじんめりと濡れ光っている。
オークは鼻から血を出し、怒りに満ちている。もう正気を失っているのか、それともこれがオークの本来の姿なのか。
ノエルは豚をにらみ返して不敵に笑った。
もう絶体絶命だ。
だけど、泣いたってどうにもならないなら、ハッタリで取り繕って戦ったほうが100倍良い。
オークのぶよぶよとした大きな手が、ノエルの首を狙ってにゅっと伸びてきた。
自分が息絶えるまで、噛みちぎってやる。
ノエルはシーラの悲鳴を聞きながら、涎を垂らす豚を睨みつけた。
その時、一迅の風が吹いた。
砂煙にノエルが目を瞑ったその一瞬。
バサッ!
と風の音がした。オークの体が揺らいだ。
ドォンッ!!
巨体が真横に倒れて地面に沈む。
地面に血溜まりができて、赤い水たまりのようだ。
ゆっくりと倒れたオークの体は、首を境にして二つに分かれていた。
血溜まりの後ろに、白銀の髪をした人が佇んでいた。
長めの前髪が、残像のように風になびいて揺れる。
鋭い目は凍てつく氷のようだった。
身長はそれほど高くないので女性かもしれない。
「……怪我はないですか」
声変わりをしてすぐの、高くもないが少しばかり不安定な音だった。
(若い男だ)
ノエルは目の前に現れた少年をじっと見た。
まだ幼さは残るものの、ものすごく整った顔をしている。猛禽類のような鋭さのある顔貌だ。成長途上らしく首や手足が長い。
オークの返り血を浴びた肩はべったりと濡れていたが、気にした様子はない。
頬に飛び散った血をぞんざいに指の背で拭いている。
(こいつ、血に慣れてやがる)
ノエルは感心した。
まだ10代の半ばほどだろうか。
この年齢で、これほどの剣裁きとは恐れ入った。
何よりも身のこなしが速い。
シーラはハッと我に返った。
「大丈夫です! 問題ありません。ありがとうございます」
シーラは腕をさすりながら言った。
「そう。よかった」
少年は微笑んだ。
シーラが赤面する。
ついでにノエルも見惚れてしまった。
(うっわ……)
少年の凍てついていた瞳が溶ける瞬間、ぶわっとその辺りの空気に花が咲く。
分かってやっているのかは定かでは無いが、この美貌に気が付かないでいることは誰にもできないだろう。
少年だけが、美貌を気にかけずに淡々としていた。
「まだ豚はたくさん居る。広場の方へ逃げましょう」
銀髪の少年は先陣を切って早足で歩いた。
ノエルはシーラに抱っこされながら、その後ろを着いていく。
何度もオークが出てきたが、少年はその度、ノエルたちを下がらせて剣を振るった。
豪快な剣さばきによって、オークたちは次々と倒れていく。
ノエルはその光景に圧倒されながらも、彼の勇敢さと強さに感銘を受けた。
(すげぇ、無駄のない動き)
光る刃が、そのまま人になったかのようだった。
そして、広場に着き安全を確保したころ。
「お怪我、ありませんでしたか」
と、シーラとノエルに話しかけた少年の、案外に穏やかな笑みに、ノエルの心の中には、特別な感情が芽生えていた。
(似てる)
「本当に助かりました。あの、お名前は」
「名乗るほどのことはしていません」
「いいえ! このままでは私が、帰ってからご主人様や奥様に叱られてしまいます」
シーラがくいさがる。
銀髪の少年は、困ったように笑って言った。
「レインハルトです」
(ハルさんだ)
と、ノエルが思うほどには、その少年には年齢を思わせない落ち着きがあった。




