#035_ひどい戦い
――ひどい戦いだ。
アスターが抱いた感想は、ただその一言に尽きていた。
戦闘に関する知識がない彼でさえ、今目の前で繰り広げられているものが、とてもまともな戦いと呼べるものではない、ということくらいは理解できた。
戦術も戦略もなければ、技と技のぶつかり合いもない。
本当に、ひどい戦いだった。
「爆・砕・キーーーーック!!」
戦場を少女の声が駆け抜ける。直後、轟音と瓦礫が弾け飛んだ。
ルルの飛び蹴りがまたしても決まり、出来上がった小型のクレーターの底ではミレスが一体粉々に砕け散っていた。
もうもうと立ち込める砂煙の中、得意げな顔で胸を張る少女が大声で叫ぶ。
「へへーん、これで十四体目、だッ! おらおらー、どんどんかかってこいやー! ん……っと――これで十五体、っとぉ!」
おそらく彼女は倒したミレスの数でエリカと競い合っているのだろう。
倒すたびに成果をアピールしている姿はまるで小さな子供が遊びに興じているかのようだ。
当然そんな油断しきっているようにしか見えない瞬間をミレスが逃すはずなく、彼女が喋っている間にもその無防備な背中目掛けて鋭利な爪が振り下ろされる。
だが、ルルが無防備なのは油断しているからではない。
警戒する必要がないからだ。
鋼鉄すら容易く切り裂く一撃は、実際たったの一ミリすら彼女の背中を傷つけることはなかった。
背中から伝わる振動でようやく攻撃されたことに気がついた【剛剣】の少女はおもむろにその爪を後ろ手に掴むと、そのままするりと背負い上げて地面に叩きつけ破砕音を響かせる。
こんな調子で、ルルは先程から次々にミレスを撃沈し続けているのだった。
「はぁ……別にあなたと競うつもりはないのだけれど」
一方エリカは戦果を競い合うことにそれほど気乗りがしないのか、ルルが叫ぶたびにぶつぶつとぼやいていた。
実際、彼女はルルほどには積極的に敵陣へ突撃したりはしていないし、どちらかといえばアスターやヴェロニカのいる地点の防衛に意識を割いているのだろう。
だがそれは、彼女が大して活躍していないということを意味しているのではない。
不意に、エリカの死角を狙って弾丸が飛来する。
超音速の一撃は認識すらされることなく、その脳天を穿つ――はずだった。
おそらく、この場にいた誰一人として、エリカが動いたことを認識できたものはいなかっただろう。
それは、着弾する直前、わずか数ミリ秒程度の時間のことだ。
彼女は周囲の空気の僅かな乱れ、僅かな音の変化から危険を察知すると、間髪入れずに彼女自身のあらゆる速度を限界まで加速させ、超スローモーションの世界へと一人突入した。
彼女の世界では、あらゆるものがゆっくりと、一コマ一コマぱらぱらとめくっていくかのように進んでいく。
超音速の一撃もエリカの目にはカタツムリが這っているかのように見えていたし、それ故にのんびり歩いて回避することも、狙撃手へと肉薄して斬り捨てることも、そしてそれから防衛に適した元の位置まで駆け戻ることも、全て容易く瞬く間に為し得ることであった。
エリカが能力を解除すると、弾丸はまるで彼女の身体をすり抜けたかのように地面に突き刺さり、遠くではミレスが一体、前触れもなく崩れ落ちていった。
風となった彼女を射抜く弾丸は存在しないし、彼女が斬ると決めたならばその時にはもう全ては終わっている。
そうして彼女は一歩たりとも動くことなく、とても静かに、だが確実に戦果をあげ続けているのだ。
「本当に、ひどい戦い方だなぁ……」
アスターはぼそりと呟きながら、二日前のことを思い出していた。
タ・ヒルの相談を受けがてら、彼らドサの民が普段どのように狩りをしているのか、アスターは尋ねてみたのである。
『ミレスを狩るうえで大事なのはやっぱり連携力なんだよね』
ごく普通の少年は、心底それを信じているかのように力説する。
『いくら個人の腕っぷしが強くても、奴らは連携して襲ってくるから。一対一ならなんとかなるかもしれないけど、群れ相手じゃ多勢に無勢ってやつだよ』
『一人ひとりの力が弱くたって、協力し合えば単純に足し合わせただけじゃない、凄い力を発揮できるんだ』
『それぞれがそれぞれの長所を生かして、仲間の短所を補い合って。それが僕らの戦い方だし、だからこそ絶対僕たちは負けないんだよ』
彼が言っていたことは、たしかにその通りだとアスターも強く納得していた。
ヒトは、あまりにも弱く、脆い。
ネーヴァにしたってそれは同じだろう。
けれど目の前で戦いを繰り広げている彼女たちは――違う。
あまりにも常識からかけ離れていて、それ故に誰の助けもいらない。誰を頼ることもない。
彼女たちは結局、二人で戦っているわけじゃあなかった。
それぞれがそれぞれ好きなように戦っていて、たまたま同じ場所に立っているだけ。
きっと力を合わせていれば、もっと安全に、早く、確実にこの戦いを終わらせられるだろうに。
本当にひどい戦いだ、とアスターは何度も呟いた。
「うおおぉおぉっ!?」
アスターが物思いにふけっていると、突然ルルの叫び声が聞こえてきた。
彼女にしては珍しく、焦ったような戸惑ったような、とにかく想定外の事態が起こったことを予感させる叫びだった。
「ちょっと、邪魔しないでもらえる?」
「わ、悪ぃ悪ぃ、でもよーー!」
続けざまに、苛立ったようなエリカの声が聞こえてきた。
目を向けてみれば、彼女の目の前でルルが体勢を崩している。
軽い砂煙が巻き起こっているところから察するに、おそらくルルはあそこまで吹き飛んできたのだろう。
エリカが苛立っているのは斬りかかろうとしていたミレスが彼女に吹き飛ばされてどこかに行ってしまったから、といったところか。
「何か言い訳でもあるっていうの?」
「ああ――アレにちっと不意をつかれちまって、なー? だってあんなのいるなんて知らなかったし!」
「あんなの?」
やかましく騒ぎ立てながら言い訳したルルが指差している方向を見る。
砂煙がもうもうと立ち込める中、そこには一体の人影が立っていた。
「人……? まさか」
こんな場所に、他に誰かが来るなんてとてもじゃないが思えない。
仮に普通の人間が来たとしても、だ。周りのミレスたちを無視して、優先的に彼女らに危害を加える理由がない。
それに、いくら不意をつかれたとはいえ、あの【剛剣】たるルルを吹き飛ばすほどの膂力をもっている存在なんて――。
アスターが状況を整理している間にも、砂煙は晴れていき、とうとうそこに立っている何者かの姿が顕になった。
ぼさぼさでろくに手入れのされていない長髪。背格好は標準的な女性の体型であるが、背筋がやや曲がっている。
脱力しているのか両腕がだらりとぶら下げられ、視線もどこか定まらない様子で生気を感じさせない。
そのくせ妙に肌艶は健康的で、肉付きも良い。
全てが違和感だらけのあの女性はやはり――。
「感染者、ね……」
エリカがその正体をぽつりと呟いた。
それきり、この場を静寂が支配する。
感染者。ほんの十分ほど前に話したばかりの存在。
それがこの付近にいるという予感は十分にあった。
けれど、まさかこのタイミングでやってくるなんて……都合が良すぎる。
いや、そもそもこのミレスの群れの襲撃自体が、あの感染者が率いたものだったとしたら?
――曰く、感染者は人類に牙を向くことはあっても、決してミレスに危害を加えることはない。
あの言葉の意味は、つまりそういうことだったのか?
アスターには分からなかった。
この世界の人々が戦っている存在たち。ミレス、感染者とは一体何なのか。
自分には関係がないことだと分かっていても、彼はどうしたって考えずにはいられなかった。
「エリカさん! ルル! お手数ですが、そちらの感染者を生け捕りしてもらえますか!? 感染者の生きたサンプルを手に入れる、またとない機会なので!」
思いもよらぬ闖入者に一瞬沈黙した戦場であったが、その沈黙はまた別の意外な声によって破られた。
隠れていたヴェロニカが素早く立ち上がり、大声で二人に依頼している。
いつも落ち着いている彼女とは随分と違う、ほんの少し興奮も混じった真剣な表情であった。
「――ったく、あなたのお目付け役っていうのは随分無茶な依頼をしてくるのね」
「ははっ、ニカ姉のあんな必死な声初めてきいたなー。生け捕りかー、加減できっかなー?」
「生きていれば良いんでしょう。四肢をもいでやればいいだけだわ」
対するエリカたちは、相変わらず余裕そうな表情である。
ルルも先程吹き飛ばされたばかりだというのに、既に手加減ができるかなどと心配しており、彼女たちの間では勝利すること自体は確定しているようだった。
「ははっ、そりゃ違いない……なぁっ!!」
軽口を叩きながら、ルルが先手を取った。
地面を大きく蹴り出し、弾丸の如き速度で飛び出していく。
彼女の狙いは単純明快。
大きく振りかぶった拳を感染者の顔面に叩き込む。ただそれだけだ。
だが単純だからこそ、ルルは強い。
爆発的な加速に反応できる存在など一握りしかおらず、反応できて防御できたとしても、あらゆる装甲を貫く彼女の攻撃力を前に、防御自体がそもそも無意味だ。
ルルに狙われた時点で、その敵には死ぬ運命しか待っていない。
だが。
加速した拳が着弾し、衝撃波が発生する。
周囲に砂礫を飛ばしながら激しい衝突音が鳴り響く。
それで頭蓋を吹き飛ばされた感染者は行動を停止する。そのはずだった。
「……う、嘘だろー」
衝撃に対し反射的に目を閉じていたアスターがゆっくりとまぶたを持ち上げると、そこでは信じられない光景が広がっていた。
ルルの拳が、受け止められている。
感情の全く見えない虚ろな瞳で、首を傾げながら。その少女はただ立っていた。
まるで、「今なにかしたの?」とでも言っているかのような佇まいであった。
たっぷり一秒かけて状況を理解したルルは受け止められた手を振りほどき、慌ててエリカの立っている元へと飛び退いた。
エリカの方も、意外な展開に少しばかり驚いているようだった。
「一体、どういうことなんでしょう。まさか彼女も……エンシス?」
エンシスの攻撃が通じないなんてことが信じられず、アスターは思わず隣のヴェロニカに問いかける。
すると彼女はゆっくりと首を振ってこう答えた。
「いいえ、あれは確かに通常の、戦闘型のネーヴァです」
「じゃあ、どうしてルルさんは受け止められたんでしょう。それに、最初に吹き飛ばされたのも」
「ネーヴァが感染した場合、コアに刻まれたあらゆる制約が解除される、と言ったと思いますが。ヒトと同じようにネーヴァにも、ある種のリミッターのようなものがかけられているのです」
「つまり、身体にかかる負荷を無視した最大出力を常時出し続けるようになっている、ということですか? それでエンシスの出力に匹敵するほどの力が出るんですか?」
リミッターが解除されるというのはなんとなく理解できる話であったが、それでエンシスに勝てるかと言ったらそれはまたおかしな話だと思った。
ましてやルルは力に特化したコアを持っているはずだ。
その程度で覆せるのなら、エンシスが常識の外にいるなんて話にならない。
「彼女らも通常のネーヴァと同じように、普段はある程度出力を制限しているのですよ。制限のあるエンシスと制限を解き放ったネーヴァ。単純な性能比較で言えば、おそらく互角か、後者に分がある程度にはなるでしょう」
それに、とヴェロニカは続ける。
「エンシスがこの世で最も強い存在になりうる最大の要因というのは単純なスペックによるものではありません。そのコアがもたらす、物理法則に対する改変こそがキーとなるのです。そして、ルルの特性は……攻撃力ではなく、防御力に大きく偏ったものですから」
そこまで聞いたところで、アスターはようやく理解できた。
ルルの戦いぶりからいつの間にか勘違いしていたが、たしかに最初に彼女に対して感じた恐ろしさというのは、あの異様なまでの硬さであった。
あのハチャメチャな少女は、絶対に自分が壊れないことを知っているから、特性を勘違いさせるほどに無茶苦茶な攻撃力を発揮できていただけだったのだ。
そんなルルにとって、あの感染者という化け物は相性的に最悪の相手である。
ならば、エリカはどうだろう。
アスターはヴェロニカに向けていた意識を再び戦場に戻す。
速さに特化した彼女なら、攻撃的な能力をもった彼女なら感染者にも勝てるのではないかと、アスターは期待した。
だが。
「なんか、戦いにくそう……?」
再び動き出した戦闘をしばらく見つめて得た感想は、彼女が本来の戦い方を出来ていないのでは、ということだった。
ルルの攻撃によって生まれた感染者の隙を突こうとしているように見えたが、しかしなぜか肝心なところで決めきれていない。
どの攻撃もツメが甘いのか、むしろ攻撃時に生じる一瞬のほころびのようなものを相手に気取られ、何度も何度も斬撃を逸らされているように見えた。
アスターは集中力を高め、更に見つめ続ける。
エリカの加速した動きそのものを目で追うことは出来ないが、これまで彼女の戦いを近くで眺め続けていた彼には、周囲の状況からある程度の予測ができるようになっていた。
ルルが殴りかかり、感染者がそれを防ぐために腕を持ち上げるその瞬間。
どんなに負荷を無視した出力を発揮したとしても、思考力に回す処理能力が飛躍的に向上するわけじゃない。
僅かな意識の間隙を縫うようにエリカは加速を開始し、敵が持ち上げたあの腕を斬り落とそうと駆け寄って――。
「あ、そっか……邪魔、なんだ」
脳内でエリカの動きをシミュレートしたことで、アスターは理解した。
結局、ひどい戦い方のツケが彼女たちに回ってきていた。ただそれだけの話であった。
エリカはルルの動きを見ていない。関心がない。彼女がその後どう動くのか、予想していない。
エリカが見ていたのは感染者の動きと、その未来だけで、それに合わせた攻撃をしているだけだった。
故に、ルルが生み出す点ではなく面の攻撃――すなわち加速状態のエリカにとっては無視できない強力な衝撃波に進路を妨害され、最適な攻撃経路を取ることができずにいたのだ。
いくら彼女が早く動こうとも、その動きに無駄があるのならそれだけ防げる可能性が出てくる。
ほとんど本能で動いているような状態の感染者ともなれば、ある種の直感でその可能性を手繰り寄せることもありうるのだろう。
これがひどい戦い方を選んだ彼女たちの末路である。
もしも二対一の戦いができていたなら、ここまで苦戦はしていなかっただろうに。
いま彼女たちがしているのは、一対一対一の戦いだ。
その上、エリカは感染者を相手取りながらも外野のミレスからアスターたちに向けられる攻撃を都度防いでいる。
膠着するのは、必然であった。
「っくそー、思ったよりつえーな、こいつ!」
「ええ……感染者というのは存外厄介なものね。生け捕りなんて制約がなければまた違っていたでしょうけど」
仕切り直すように敵と距離をとって二人はぼやいている。
エリカが言うように、諦めて壊してしまうのも手ではないかと、アスターはちらりと横を見る。
こんな状況にも関わらず依頼主は、「何か?」とでも言っているかのような微笑をたたえている。どうやら要求を撤回する気持ちは微塵もないらしい。
「……埒が明かないわね。うまくいくかわからないけれど、ここはあれを試すときかしらね……」
「おっ? なんか切り札でもあんのかー? そんなもんエリカ持ってたっけかー?」
「あなたは知ってるはずないわ。最近手に入れた力だもの」
「へー、おもしれー」
ふう、とエリカが大きく息を吐く。
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、あるいは空気を読んだのか、ルルが一歩後退した。
呼吸とともに、エリカの瞳がゆっくりと閉じられる。
まるで自分自身の内面に向き合うような、人が集中し始めるときのような所作。
不思議と、アスターはその姿に見入ってしまっていた。
変化は訪れない。
少なくとも、外目には何かが変わっているようには見えなかった。
だが、次の瞬間に起きた出来事は、彼女が何かそれまでとは違うことをした、ということをはっきりと示していた。
エリカが目を開いた瞬間、アスターは息を呑んだ。
それは、感染者の腕が予兆もなく吹き飛んだからではない。
いつも彼女が加速するたびに吹く僅かな風を一切感じなかったのに、エリカが攻撃を完了していたからでもない。
アスターには、彼女の中にいる別の誰かの呼吸が感じられたのだ。
先程、エリカは最近手に入れた力、だといっていた。
一体『彼女』は、彼女に何をもたらしたのだろう。
苦戦を強いられた戦いは、まもなく決しようとしていた。




