雪の降らない夏
みやちゃんに雪をわたしてから、東京に雪が降らなくなった。
——それもそうだ。そもそも夏に雪は降らない。
わたしは窓からお外ながめる。空は高く、太陽は輝き、青々とした木々にはもう真っ白な雪は積もっていない。
「本日の東京の気温は――」
お天気お姉さんが今日もニコニコと天気予報を告げる。今日はついに真夏日を超えるらしい。あくびをしながらリビングに入ってきたわたしに、お母さんが言う。
「おはよう」
「おはよ」
わたしはダイニングに座り、テーブルの上には焼きたての食パンにかじりついた。
今日の朝ごはんはシンプルで、特に具材は乗ってなかった。
………仕事が忙しいのかな。わたしはお母さんの方をちらりと見た。
「和風、今日は学校に行く?」
エプロンを外しながら、お母さんがわたしに聞いた。わたしはお母さんと目を合わせて元気に答える。
「行く!」
わたしはトーストをパクパクと食べ進める。時計を見るとお母さんが家を出る5分前。
――知波ちゃんがくるまであとちょっとしかない!わたしは急いで席を立った。
「ごちそうさまっ!」
わたしはランドセルを取りに部屋に戻る。
ジャケットをはおりながら、お母さんがわたしに言った。
「学校に行く前にみやちゃんにあいさつしてね」
「わかってる!お母さんもカギ閉め忘れないでね!」
わたしは階段をかけ上がった。
「みやちゃん、おはよう」
みやちゃんの部屋に行き、かざられた写真に手を合わす。写真のみやちゃんのはだは健康的な色をしていた。
この写真がみやちゃんが元気な頃のものだから――というのはあるけれど、改めて見比べてみるとやっぱりわたしは人じゃないモノにみせられてたんだなって実感してしまう。
「みやちゃん、今日はね事務所にわたしの机が届くの。つまり、正式に猫の事務所の一員になるってこと!だから今日が来るのがとっても楽しみで――」
ピンポーン。
「和風~!」
玄関から知波ちゃんの声がする。時計を確認すると、今日はちょっといつもより来るのが早かったみたい。
ピンポーン。
「和風~?」
「市蔵~!遊びに来たぞ~!」
あの元気のいい呼びかけにだれも答えないということは、お母さんはもうお仕事に行ったんだろう。
ピンポーン。ドンドンドン。
「ほら、早く出てきなさいよ~!」
「——まずい、また知波ちゃんにおそいっておこられちゃう!市蔵行こっ!」
わたしはランドセルを背負って階段をかけ下りる。
「和風ちゃん、走ると危ないよ!」
後ろからわたしを追いかける市蔵が不安そうに声をあげる。
わたしは市蔵のほうにふり返って言った。
「だいじょうぶ!」
「——じゃなかったな」
あの後よそ見をして階段からすべり落ちたわたしは学校を休んで猫の事務所に運ばれた。
もちろん、運んでくれたのは李徴だ。
階段からわたしが落ちる音を聞いた知波ちゃんが半泣きで音子さんに電話し、音子さんから事情を聞いた慎司くんがわたしを家までおむかえに来てくれたのだ。
………お母さんが玄関のカギを閉め忘れてくれてくれなかったら今頃わたしはどうなってたんだろう。
「いっしょに登校するうち、三番書記くんにも二番書記くんのおてんばがうつってしまったかあ………」
たんこぶ用の氷を用意しながら音子さんがなげく。
「じゃあ、オレらはもう学校に行くから」
「慎司くん、もう行っちゃうの?」
わたしはソファーに転がったまま慎司くんに聞く。
「ふつうの学生は学校に行く時間なんだよ」
そう言って慎司くんは李徴とともに帰ろうとする。
朝のねむい時間帯だからか、今日の慎司くんの反応はいつもよりドライだ。
「ふつう頭を打った女の子を置いてきますう?どう思います、音子さん!」
「そうさなあ、一番書記くんは思春期だからなあ。あれくらい愛想がないのが通常運転だろう」
賛成してもらおうとして話しかけた音子さんの返答は意外にも冷静で。——くやしい。ここは空気を読んで味方のフリをして欲しかった。
落ちこむわたしの頭の上をパタパタと市蔵が回る。
「ぼく!ぼくは和風ちゃんといっしょにいるよ!」
「ありがとうね、市蔵」
——けど頭の上を鳥が回る光景って、あまりに頭を打った人すぎるのでちょっと止めてほしいなあ。
わたしはだれにも言えず、ひっそりと思う。
「悪いが、一番書記くん。放課後もう一度ここに立ち寄ってくれないか?さすがに三番書記くんを一人で帰らすのはなあ………」
「承知しました」
「えっ?!」
わたしはあまりの申し訳なさにたまらず声を上げる。
「だいじょうぶですよ!さすがに!一人で帰れます!」
ただでさえいそがしい朝の時間に慎司くんを呼び出してしまったのに、これ以上たよるわけにはいかない。
そう思って断ると、なぜだか慎司くんと音子さんは同時にため息をついた。
「いいや、三番書記くん。今回のことといい、この前のことといい、君の言うだいじょうぶは信用できないとわたしたちは学んだよ」
「それに知波も放課後様子見に来るって言ってたんだろ?大人しくそれまでここで休んどけ」
「和風嬢、つつましさは君の美徳だか、少しは人にたよる術を覚えるべきではないか」
「和風ちゃん、ぼくもいっしょに帰るからね!」
「………はーい」
一羽を除き、事務所にいる全員から反論され、わたしはおとなしく引き下がるしかなかった。
「じゃあ、音子さん。また放課後」
「ああ、若人らしく勉学に勤しみたまえよ。一番書記くん」
「——ああ、そうだ和風」
ドアから半歩出た慎司くんがこちらに振り返る。
何かわすれものでもしたのだろうか。
「今日からだろう、正式入所」
「そうだった!」
慎司くんに言われたことばでわたしはガバッと起き上がり
「今日、机が届く日だっ……!」
――そうしてバタンキューとソファーに再びたおれこんだ。
「………やっぱりもうちょっと仮入所にさせとくべきかあ?」
わたしの様子を見た音子さんが、ここにきて急に手のひらを反す。
「それはひどいですよお音子さん!もともとわたしの入所に大賛成だったじゃないですかあ!」
頭のズキズキにたえながらながら音子さんにすがるわたしを横目に、慎司くんは笑いながら事務所を後にする。
このドライ!思春期!愛想なし!いつもの優しさはどうした!
そう言おうと慎司くんのほうを向いたとき、閉じられるドアのすき間から一筋の風が通った。そして、その風に乗って
「ようこそ、猫の事務所へ」
――そう慎司くんの声が聞こえた気がした。




