プロローグ 雪が降る夏
あの夏、東京に雪が降った。こんこんと降る雪は熱されたアスファルトをおおい、街を真っ白に染めた。けど、みんなこの空もようをフシギに思ってない。空は高く、太陽は輝き、青々とした木々には真っ白な雪が乗っているのに——。
「本日の東京の気温は――」
テレビのなかのお天気お姉さんが、今日もニコニコと天気予報を告げる。あくびをしながらリビングに入ってきたわたしに、お母さんが言う。
「おはよう」
「………おはよ」
わたしはダイニングに座り、テーブルの上を見る。今日のご飯はスクランブルエッグとチーズがのっているトースト――わたしの大好物だ。マグカップを手に取ると、飲み物もめずらしく紅茶が入れられていた。………いつもは2分も待てないからってお水か牛乳が出てくるのに。
そういえば、昨日の夕ご飯もわたしが好きなハンバーグだった。なんだか、最近のご飯はわたしの好きなものばかり出ている気がする。
何かあったのかな。わたしは焼きたてのトーストにかじりつきながら、お母さんの方をちらりと見た。
「和風、今日は学校に行く?」
エプロンで手を拭きながら、お母さんがわたしに聞いた。わたしはお母さんからあわてて目をそらし、静かに答える。
「………行かない」
あの日から学校を休んで、もう2週間は経つ。最初の方は先生から電話が着てたみたいだけど、最近はどうなんだろう。家にいるのが怖くて、日が沈むまでお外に出てしまうわたしには知る勇気がなかった。
お母さんがまだこちらを見ている気がする。次は何を言われるんだろう。
これ以上何も聞かれたくなくって、わたしは急いでご飯をかきこんだ。慌てたせいでただでさえパサパサの食パンが喉にからみつく。おいしいはずなのに、今日のご飯はなんだか味がしなかった。
「ごちそうさまっ!」
「和風」
席を立つわたしの背中にお母さんが声をかけた。
「外に出るならみやちゃんにおはようをしてから、ね」
みやちゃんとは私の2つ下の妹のことだ。わたしたち家族はいつでもみやちゃんのことを大切にしてきた。毎朝のあいさつも決められた習慣の一つだった。
「………はーい」
私は返事をしてリビングを出た。
私はお外に出る準備を整えてからみやちゃんの部屋に訪れた。みやちゃんは昔から体が弱くて、ここ最近はずっとベッドで寝ていることが多い。
だからか、夜中にせきをするみやちゃんのお部屋はいつもドアが開いている。
私はドアをノックしてみやちゃんに声をかけた。
「みやちゃん、おはよう」
「おはよう、お姉ちゃん」
みんなには雪が降り始めたころから、みやちゃんの体調がいい日が続いている。
「夏なのに雪が降ってるの!」
——そう伝えようとして階段をかけ上がったあの日、ベッドから体を起こしているみやちゃんの姿を久しぶりに見て、わたしは雪が降ったことよりもびっくりした覚えがある。
「今日も寒いよね?」
「そうかな?」
みやちゃんが軽いせきをしながら窓をのぞきこんだ。
みやちゃんはお外が好きだ。起き上がれる日はこうやって外を見ようとするし、よく私におみやげをねだる。——桜の花びら、ひまわりの種、紅葉した落ち葉、降り積もった雪。
私はいままで、みやちゃんにいろんなものをささげてきた。その度にみやちゃんはお外の温度を確かめるようにお土産を両手で包みこんで、お外のにおいがするってわたしに笑いかけるのだ。
「今日もお空からみぞれが降ってるの。」
「みぞれ?」
目線の先のベランダ。わたしならお外を見下ろせる高さの手すりは、みやちゃんの背丈よりまだ少し高いはずだ。はたしてお外は見えるのか。いや、そもそもこの雪は――。
「ほんとだ!今、冬なんだ?」
そう心配していたけど、空と手すりのすき間からみぞれが見えたらしいみやちゃんがわたしにたずねる。
「ううん、夏だよ。」
この雪、みやちゃんにも見えるんだ。
そう思って、わたしはすごく安心した。お母さんも、お父さんも、お天気お姉さんも、ここ数日積もっている雪をフシギに思っていない。それどころか、雪なんか降ってない、って。
「………やっぱり降ってるよね?」
念を押すようにわたしはみやちゃんに聞き直す。
「お外に雪、降ってるよね?」
だっておかしいよね?!夏なのに最近ずっと積もっている雪。お家でもお外でもテレビでも誰もそんなこと気にしてなくて。でも外は冷蔵庫のなかみたいに寒いのに、マフラーを付けているのはわたしだけ——。
「みやちゃん」
だからみやちゃんにお空の雪が見えて安心した。わたしとみやちゃんにしか見えない雪。わたしたちにしか見えない理由はわからないけれど、今はただ、降ってるって、見えるのはわたしだけじゃないってもう一回言ってほし――ボスン。
「みやちゃん?」
けれどみやちゃんはわたしの質問には答えずに、いきなり大きな音を立ててベッドにたおれた。糸が切れたように、電池がなくなったように。そうしてまた、いつものようにあのことばをつぶやく。
「あめゆじゆとてきてけんじや」
最近のみやちゃんは——変だ。話してるとき、こうして急にたおれる。そうして次に必ずわたしに言うのだ。熱に浮かされたような目で、何かを欲しがるような声で、
「あめゆじゆとてちてけんじや」
——と。こうなってしまうとみやちゃんはなぜかこのことばしか言わなくなってしまう。
いったいあめゆじゆとてちてけんじや、ってなんなんだろう。次のおみやげのリクエストだろうか?




