上中下の下
翌日も早く帰り、その次の日からお盆休みになる。何もすることがない期間に、小さな女の子の面倒をみる夏かと思うと、そんなに悪くないような気もする。
最初に神社に連れて行って、この町のこの年ぐらいの子供達に会わせ、遊ばせ、面倒もこの子たちにみせようかと思ったが、夕方までは一緒に遊んでいたが、やはり彼と一緒にいたがって、帰り道に会った子供達のことより彼のことをいろいろ知りたがった。
次の日は丘に行って滑って遊んだり、浅い川に行って水遊びや魚掬いをしたりと女の子が動き回るのを見守る。
「明日は海行くか。泳げるか?」
「ううん、泳げない」
「じゃ波打ち際で遊ぶか」
花を見つけ、二人でムシャムシャ食べる。
翌日。
女の子は海水浴グッズ一式を持ってくる。
「海行くけどさ、大人になると、この町はのんびりする場所なんだよ。そんなに動き回らなくなるんだ」
「ふーん」
明日はどうするか。隣町でも案内するか、いっそ都会まで出るかと考えていたら、彼の友達が向こうから走ってきた。
「おう、どうした、そんなに急いで」
「おう、おめーか、海にな、映画のロケが来た。だからみんなに知らせないと」
「へぇ、誰が来たんだ」
友達は美少女で名が知られている二人の若い女優の名前を言った。そしてみんながたまり場にしているところへと走っていった。
「海で映画のロケだってさ。見るか?」
「うん!見る!」
この子の知っているアイドルではなさそうなんだが、まぁいいか。珍しいイベントだ。見に行こう。
海に着くと、駐車場にマイクロバスが二台停まっていて、元気なスタッフが何人も走り回っていた。
もう見物人が何人も来ていて、スタッフが数人その整理をしている。向こうで少女が二人、何をするかの説明を受けている。彼と女の子が野次馬のところまで来ると、撮影開始の号令が響いた。
背が高く男顔で顔がくっきりしている美少女と、頭一つぶん背が低い、繊細な人形のように綺麗で体の細い美少女が話しながら砂浜をこっちに歩いてくる。
十分くらいかけて歩き、話し、監督の止めの合図で立ち止まり、監督が映像を確認しているのだろう、少し間ができ、また二人は元の場所に戻り、同じことを始める。
何度もそれが繰り返され、撮すカメラの位置がその度に変わる。
彼は砂浜に置かれているボートのわきに花を見つけ、毟って半分女の子に渡すのだが、野次馬はみな美少女二人に注目しているので彼の動作に気がつかない。
二人でムシャムシャ食べていると、繊細人形の子がこっちを見たような気がした。
次の瞬間繊細人形の子は「ごめんなさい」と言って撮影が躓き、また同じことが繰り返される。
こっちを見て集中が途切れたのかと思うと、ちょっと申し訳ない気がする。
その後五回、同じことが繰り返され、撮影は無事終了したようだ。野次馬の中に到着した友達数人も加わり、美少女二人のところに移動する。
しかし女の子は二人には興味をなくしたようで波打ち際に行ったので、そちらに着いていく。
それでも歩きながら向こうを見てみると、男顔美少女はみんなにサービスを始めたが、繊細人形の子はさっさと車に戻ってしまった。暑さに体調が崩れたのだったら仕方がないが、野次馬が気を悪くしないか、他人事ながら気になった。
女の子に追いつき、持ってきたビニールシートを敷く。
女の子はすぐ服を脱ぎ、服の下に着ていた水着姿になり、波打ち際でバシャバシャ遊び始めた。彼は浮き輪に空気を入れ、女の子に渡す。
女の子は腰くらいまでの深さのところで浮き輪に入って泳いでいる。
撮影があったからでもないのだろうが、他に誰も泳いでいないし水遊びもしていない。暑いから日差しを遮るものがない海には来ないのかな、と思っていたら、後ろから声をかけられた。
振り返ると繊細人形少女がいた。後ろにはお付きのスタッフがいる。
ときどきテレビで見るのだが、本物を目の前にすると、とても細い体に驚く。そしてテレビで見るときは綺麗さに力を全振りした顔が、今では素の顔で、可愛さ七割、美しさ三割だ、生まれて初めて見る、全く違う世界のとんでもない美人だと喉が詰まってしまう。
繊細人形少女はまっすぐ話しかけてくる。
「すいません、ちょっと教えていただきたいんですけど」
「はい、なんでしょう」
力を振り絞って声を出す。彼もこの町の住民である以上荒事に全く関係ないわけではないのだが、それだけに別世界の人にはどこか萎縮してしまう。
「さっき、何かを食べていましたよね、何を食べていたんですか?」
「え?そんなことですか?」
よく見えたなとか、何を気にしたんだとか、聞かれたこととは外れたことばかりが頭に浮かぶ。
「いきなり綺麗な白が見えて、なんだろと思っていたらあなたたち二人が食べていて、美味しそうだなって思ったら、台詞とちっちゃいました。このまま解らないで帰ったらずっと気になるだろうなと思ったので、聞きに来ちゃいました」
「ああ、そうですか」
状況が解ってくると、今度は自分の姿や立場が初めて恥ずかしいと思えてきた。この子はテレビや映画で活躍していて、仕事だから嫌なことも何度もあったろうし、それでも凄いことをやっているのに、自分は無職で頭だってよくない、幼い女の子と町をぶらぶら歩いている身だ。
うーんと頭に手をやって周囲を見渡したら、ちょうど足下に花が頭をもたげて咲く瞬間が見えた。
こんなときなのに(へぇ、こういうふうに咲くのか、初めて見たな)と思いつつ、咲いた瞬間に毟るのも悪いとは思うのだが、しゃがんで毟ると、つられてその行動を見た繊細人形少女が
「どこからそれ出したんですか!」と驚きの声をあげた。
(やはり他の人には見えないのか)と改めて思い、花びらを一枚毟って
「食べますか?美味しいですよ」と見せてみた。
お付きの男が止めようと入ってきたが、
「あなたもどうです?」と一枚渡し、一枚を自分の口に入れて食べてみせる。
男は(仕方がない)という顔をして繊細人形少女を制止して、受け取った花びらを口に入れてみたが、すぐに
「あ、美味しい」と目を丸くした。
それを見て繊細人形少女も花びらの先端を口に入れ(へぇ!)という表情になり、残りを上品に食べ始めた。
「もう一枚食べますか?」と二人に一枚ずつ渡し、三人で静かに食べる。
「へぇ、美味しいんですね。この花、なんていう花なんですか?」
「いえ、よく解らないんです。摘んですぐ食べないとボロボロになってしまうんで、詳しい人のところに持って行けないんですよ」
「そうですか…あ、写真を撮ればよかった」
彼もなるほどそれは気がつかなかったと思うのだが、あまり大勢に知られたくはないので、それはしないだろうな、と思い、もうこの子にも渡さない方がよさそうだと考える。
「ありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして」
彼にしてみればこんな美少女になんて言ったらいいのか解らないので短い返事しか出来ないのだが、繊細人形少女にしてみればよくある反応なのか、
「お礼に、サインしましょうか」と自分から言い出した。
「え?いいんですか?…あ、でも色紙も手帳も持ってないです」
残念に思って言うと、繊細人形少女はお付きの男に合図をし、男は内ポケットから一行便箋と書く物を取り出し、少女に渡した。
「名前、なんていうんですか」
小さい声で言うと、すらすらと便箋にサインと為書きと日付を書いた。
そしてしゃがんで、いつの間にか彼の後ろに来ていた女の子に
「あなたはなんていう名前なの?」と目の高さを合わせて尋ねた。
女の子も初めて見るタイプなのだろう、もじもじと名前を言い、繊細人形少女から渡された便箋を受け取った。
「じゃ、ありがとね」
繊細人形少女はにこりと笑って、二人と握手をして、男と一緒に撮影隊の方に戻っていった。
途中で振り返り、離れても解るとびきりの笑顔で手を大きく振る。
彼は肘を曲げて心を奪われたまま手を振り返す。
男顔美少女に迎えられた繊細人形少女を見送り、唐突に
(勉強をしよう)と決意が湧いた。
勉強をしよう。この子に聞いて、小学生の問題集を買おう。まずは算数と英語だ。いまさら役に立つかは解らない。でもあんな綺麗な子に名前を聞かれて、なにも努力をしなければ嘘だ。それくらいやったっていいだろう。この子に教えてもらって勉強をしよう。
彼は女の子の手を強く握り、もう一つの手を、自分とは違う世界の人たちに伸ばそうとした。
2019年8月に書いた話です。メールボックスを整理していたら出てきました。




