第3話
俺は式神と猫の女の子に置いてきぼりにされて部屋に一人取り残された。いや正確に言うと後ろで碁石を並べている女が一人いるから部屋で二人っきりになるのか。
それ以前に俺はこの女のせいでこっちの世界に置いてきぼりになってしまったのだった。
他の世界に干渉しないようすぐに帰ろうとしていたのに、無理やり取り残されていい迷惑だ。
「ねえ、縁史くん。碁は打てるかしら?」
「打てない。そもそもルールも知らない」
囲碁なんてテレビかネット配信でたまに見かけるくらいで詳しい事なんて知らない。
というか俺はこの世界から帰るにはどうしたら良いかを考えないといけないのだ。
大学は長期休暇中だけど課題が有るし、一人暮らしだから一時的に家を開けているのは大丈夫だが連絡が無くて心配されても面倒だ。
一刻も早くこの世界から抜け出さないと元の世界の俺が行方不明になってしまう。
「じゃあ相手してあげるから、そこに座りなさい」
この女、いや桔梗って名乗っていたよな。俺の話を聞いてなかったのか、囲碁のルールは知らないって言ったはずだがどうするんだ。
今まで並べていた碁石を崩しながら桔梗は白と黒の石を入れ物に綺麗に分けている。
「ほら、そこに座って。さっさと打ちますわよ」
俺は仕方なく碁盤を挟んで桔梗と向かい合うように胡座をかいて座った。
桔梗を見ると正しい姿勢で正座をしながら俺の準備を待っている様子だった。
その顔は喜んでいるように見えたのだが、素人の俺と打って楽しいのだろうか。
まあ適当に石を置いていたらすぐ負けるだろう。
この際だからここは接待をして機嫌を取り、元の世界に帰えらせてもらいますか。
「九子置いて始めましょうか」
桔梗に黒い石が入った入れ物を渡されながら専門用語を言われた。囲碁のルールとして線が交わる場所の上に石を置くのは知っているがそれ以外は何も分からない。
「縁史くん盤面をよく見ると九つの黒い点があるでしょ、その上にまず石を置きなさい。地は今すぐ説明しても難しいでしょうから考えなくていいわ」
相手の趣味に付き合わされるのは大変だなと思いながら俺は言われた通りに黒い石を置いていった。すでに石が九つ置かれている状態で始めているのを見たことが無い。俺はおそらくこれがハンデなんだろうと理解した。
「それでは始めますわよ」
桔梗が白石を俺の手前側にある黒石の隣にパチっと音を鳴らして打った。
桔梗の人差し指と中指の二本で挟んだ石の持ち方はひと目で熟練者だというのが伺える。
「さあ、貴方の番よ。好きな所に石を置いて頂戴」
ルールを知らなくても石を置くのは一回ずつ交代で打つというのはさすがに分かる。
しかし良いのだろうか、白石一個に対して黒石が十個になるぞ。俺はよく分からないがなんとなく右上の石と上のまん中の石の間に一つ置いた。
次の桔梗の一手はパチっと音を鳴らして置いて前進するように滑らせて指を離した。
桔梗の打ち方は美しくもあり勇ましくもあるように見えた。それに比べて俺は親指と人差し指で摘んで置いているだけだ。しかも碁石は薄い楕円になっているから指を離した瞬間にぐらぐらと揺れていて、まるで落ち着きがないように見える。
比べても仕方ないと深く考えないようにして、俺は淡々と石を置いていく作業に徹してした。
お互いの石がある程度並んだ頃に俺が石を置いた後、桔梗がルールの説明を始めた。
「縁史くん、そこに置いたらその中にある白石は貴方の物だから取って頂戴」
俺は指でこの石の事か、と桔梗に確認して白石を取った。取った石は碁石の入れ物の蓋の上に置くことを教えられた。
偶然だが相手の石を取ったということはたぶんこっちが有利になんだろうと思った。
「どう縁史くん、囲碁は面白い?」
こっちが優勢だと確信したのが顔に出ていたのか、桔梗に質問されてしまった。
しかし面白いも何も訳も分からず石を適当に置いているだけだから、正直いい感想が出てこない。
「囲碁はね、単純に説明すると盤面上で陣地を作る遊びなんだけど、人によってはここを宇宙と答える方もいるわ」
急に何を言っているんだろうと思った。俺からすれば木の上に石を並べるだけのゲーム、そこに幾つかの決まり事があってそれで勝敗が決る。それだけの事なのに宇宙とまで大風呂敷を広げますか。きっとルールを理解すれば少しは共感出来るのだろうけど今の俺にはさっぱり分からん。
「私はね、囲碁に対していろんな意見を聞いたけど、共通しているのは全て自分の世界を作るという事なのよ」
桔梗なりの哲学なのか俺に囲碁の楽しさを語り続けている。
自分の世界か……いまいちピンと来てないが自分が石を置くときに少し意識して置くようにしてみた。
そして接待で必要なのは同調する事。俺は生返事と取られないように聞いている振りをしながらしばらく石を置き続けた。
「これで終局かしら、貴方の持っている白石をこっちに渡して」
桔梗は楽しそうに終了の合図を出した。反対に俺は単調な作業がやっと終わった事に安堵している。そっちも私が整地してあげるからね、と言い今まで並べた石を動かし出し始めた。
するといつの間にかバラバラに置かれていた石が四角い形にまとめられていた。これにはさすがの俺も綺麗だなと感じた。
「黒63目 白63目」
数え方は分からないが桔梗が言った数字が一緒、つまり勝敗は引き分けという事か。
「あらぁ勝てなかったわ。縁史くん強いのね」
わざとらしく悔しさを表す桔梗を冷めた目で俺は見た。
そんなはずがない、ハンデもあり途中から石の置き方を意識したとはいえここまでピッタリ引き分けになるのはおかしい。
つまり桔梗はわざと引き分けになるようにしたのだ。
接待しているつもりが、むしろ接待されていたのはこっちの方だった。
この人は何を企んでいるか分からない、とんだ曲者だと感じた。
「さあ決着を付けましょう。もう一度勝負するわよ」
桔梗は笑顔でもう一度再戦を申し込んできた。もしかしてただ碁が打ちたいだけなのだろうか。これじゃあ、どちらが接待をしているのか分からなってしまった。
「仕方ないな。次こそは勝ちますからね」
とりあえず俺はもう一戦この人と付き合う事にした。




