第37話
悪夢。この状況はそれ以外の何物でも無かった。
フィオ―レはアサルトライフルを握り締め、そして相対する偉丈夫に向かって引き金を引いた。しかし乱杭歯を打ち鳴らし、狂気に笑う男に銃弾は掠りもしなかった。
「――――弱い」
血走った目で睥睨とされれば威圧感で圧殺されそうになり、悪寒で背中を撫でられる。偉丈夫――イマレウス・マーチハウンドに虚仮威しは通用しない。
「…………聞いてない。聞いてないわよ、こんな奴が居るなんて」
ナナは憎々しげに嗚咽を漏らす。そうする事しか出来なかった。
半刻程前、ナナとフィオ―レは敵軍が進行してくるという森林へと到着した後、味方と合流して敵を迎え撃った。
その中に奴が居たのだった――――『魔帝』と呼ばれ、『マーチハウンド』の『家名』を持った狂人、イマレウス・マーチハウンドが。
敵軍はイマレウスを中心として圧倒的な戦力で以て進軍してきた。その破竹の如き勢いに呑まれ、直ぐに味方の陣形は瓦解してしまった。森林という視界が狭まり、道幅もそう広くない場所では個々の力こそ重要だ。それを理由としてナナ達、新人類は投入されているのだから。
だが敵だってそれは承知の上だっただろう。だからこそイマレウスが前線に立っているのだ。
一騎当千とばかりに猛威を振るうイマレウスの勢いを止める為、ナナとフィオーレは彼に相対し、そして直ぐに殲滅するつもりだった。この時点でナナとフィオ―レは眼前に居る筋骨隆々の男がかの有名な『家名』持ち、イマレウス・マーチハウンドである事など知らなかった。
二人とて少なくとも傭兵である身だ。『マーチハウンド』の名前くらい耳にした事はあった。
『家名』持ち――――近隣諸国に知れ渡る有名な家々の生まれを人々はそう称していた。
『家名』持ちはそれぞれがその昔――俗に『帝国』と呼ばれた国と最後まで覇権を争っていた有力な勢力の一つで『帝国』による支配が無くなった今、『家名』持ちこそが覇権を握るであろう最有力候補と言われている。
『マーチハウンド』は『家名』持ちの中でも特に勢力の強い『家名』の一つでイマレウス・マーチハウンドと言えば、『マーチハウンド』家が当主その人で間違い無かった。
「私の名はイマレウス・マーチハウンド。貴様達がかの悪名高い『金色の悪魔』と『微笑む絶望』で間違いないか?」
「ま、マーチハウンド!?」
ナナはその名を聞いた瞬間に心臓を鷲掴みにされたように怖気づいた。新人類として戦場で数々の武功を上げてきた彼女だったが、その実『家名』持ちを相手にした事は無かった。
「な、ナナちゃん! にげ、逃げるですッ!」
フィオ―レは瞬間的にそう判断した。そもそも勝てる相手では無かったのだ。幾ら彼女達が新人類と呼ばれる現人類とは別格の身体能力を持っていたところで、古代兵装と呼ばれる常識破りの武具を有していたところで『家名』持ちは本物の――――戦士、なのだから。
「こちらは名乗った。何故名乗りを上げない? 見る限りに置いて聞いていた容姿とは一致している。童女、貴様らこそ『金色の悪魔』と『微笑む絶望』で間違いないであろう?」
「そりゃあ……、そ、そりゃあ、あたし達はそう呼ばれる新人類で間違いないけれど。あんたと戦わなければならない理由は無いわ! 悪いけど……ここは退かせて貰うわよ」
「……戦場に置ける礼儀の一つも碌に知らないとは……。所詮は山猿か……」
「何とでも言うが良いわ……ッ! フィオ! 全力で逃げるわよ! ほら、走って!!」
「は、はいです!」
ナナとフィオ―レは捨てセリフを残し、踵を返して全力で逃走を図った。
確かに司令部の人間に頼りにされて戦線に投入された二人だったが、自分の身を危険に晒してまで戦う義理は無かった。故に逃げるのに躊躇する事は無い。
――――だがそんな『無作法』を誰よりも赦さないのはイマレウスだった。
「待て」
イマレウスが言葉を発した瞬間、ナナとフィオ―レは地に倒れた。脚が縺れた、なんて間抜けな理由では勿論無い。『何か』が二人を上から抑え込んだのだった。
「逃げる事は赦さぬ。戦場で敵に後ろを見せる事を辱めと思わない不逞の輩め……。貴様らは私が直々に粛清してくれる」
「……どうやら逃げる事は難しいようね」
ナナは後ろを振り返り、偉丈夫を見据えた。その瞬間、冷や汗がどっと噴き出す。まるでライオンと共に檻に閉じ込められた鼠のような心境だった。
「……ナナちゃん。『さっき』のは」
フィオ―レもナナに倣い、イマレウスを視界に収める。針のむしろの如き威圧感に足が竦む。
「うん。……さっきあたし達を上から抑え込んだ『何か』。多分、何らかの古代兵装だ。こっちも手加減している場合じゃないし、あっちも美徳だか何だか知らないけれど、どうやらあたし達を一人で相手にしてくれるらしい。あたしとフィオ、それにミーシャにも多分、こっちの状況は伝わっている……。三人が全力で当たれば、あるいはどうにかなるかも知れない……」
「万に一つ……億が一つ……。でも可能性が零で無いだけマシ……です」
「ほほう……臆せず私に向かってくるか。山猿には違いないが、その粋や良し!」
イマレウスは懐からサーベルを取り出し、構える。
空気が震えた。びりびりと近くにあった木がざわめき、葉を揺らす。その音は赤子の泣き声のようだった。雨に叩かれた土がイマレウスの狂気にあてられて、びちゃりと跳ねた。
「粛清してやる。粛正してやる。我がマーチハウンドの名の元に! 我が正義の膝元に悪しき者共の首を捧げよう! 今宵は私も存分に踊ろうぞ!」
ナナはイマレウスへと駆けだした。その手に握るのは古代兵装――『降伏せし槍』。
「――ぬ? その槍、どうやら古代兵装のようだな」
槍による突きの一撃をサーベルで弾こうとしたイマレウスはサーベルが槍に触れたや否や崩れるのを見て、瞬時に判断する。
「ハッ! 気付くのが少し遅かったね」
既に槍はイマレウスの心臓を射程に捉えている。この距離ならばイマレウスが身を捩ったところで少なくとも肩ぐらいは貫ける筈だ――ナナはそう思った。
だがイマレウスは不敵に笑うと、ナナの視界から消え失せた。
「――――え?」
「ナナちゃん、上です!」
フィオ―レがナナに向かって叫ぶ。フィオ―レの視界に映っていたのはイマレウスがその巨体を跳躍させ、一瞬にしてナナの背後へと飛んだ姿だった。
「危なッ!」
イマレウスが新たに取り出したサーベルが首元を抉り取ろうとするところをナナは間一髪、槍の柄を使って防ぐ。フィオ―レが声をかけていなければ間違い無くイマレウスの一撃はナナを絶命させていただろう。
「……あの巨体にしてあのスピード。幾ら何でも有り得ないでしょ」
顔を顰めながら、ナナはイマレウスを見遣る。イマレウスは乱杭歯から息を漏らした。
「貴様達、新人類は生まれ持った身体能力にあぐらをかいているようだが……。我々とてその気になればそのくらいの事が出来ない筈も無い。何故なら同じ人間である事に間違いなど無いのだから。理由などその程度で十分だ」
「あんたは――――」ナナは呟いた。
「あんたはあたし達、新人類を差別しないんだね」
「差別! どうも貴様らは私を誤解しているようだな」
「……誤解?」
「そうだ! 真の武人とは戦場に生きる人間を差別しない。相手が新人類であろうが、現人類であろうが! 女子であろうが、老人であろうが! 弱っていようが、降参しようが! 戦場に居る以上、皆が皆、平等だ! 皆が平等に私の剣の錆になれ! 貴様らが出来る事など私の剣が喉元を裂く迄の間、必死に祈る事だけだ!」
「…………噂通りの戦闘狂です」
フィオ―レはそう吐き捨てた。
「それで結構! 私が生きるは蛇の道よ! では、そろそろ行かせて貰う!」
イマレウスは右手を振り上げ、そして言い放った。
「『王座の顕現!』」
刹那――二人はまたも『何か』が覆い被さってくるような感覚を味わう。
胃が押し潰され、骨が軋み、結果立っては居られず地面に倒れ伏す。
「う、動けない――です」
「……そうだ。動かずに待っていろ。今、私が首を斬り落とす」
「やっぱり、そうか……。この『感覚』……ッ! あんたの古代兵装の能力は……ッ」
イマレウスの傍に立っていた大木が根から轟音を響かせて、倒れた。近くを飛んでいた虫や小鳥までもが地に没しやがて絶命していく。恐らくは『自重』に耐えられなくなったのだろう。
「気付いたか、童女。――――そう。私の古代武装、『王座の顕現』が有するのは重力の制御。民を降れ伏させる王が如き力だ」
イマレウスの右手人差し指に嵌められた指輪が夜の海のように真っ黒な光を発している。まるでルビーのように底知れない、吸いこまれるような深さを感じさせる輝きだった。
「重力……自然現象への干渉……。そんな、の……反則よ……」
苦しそうに呻くナナ。肋骨が自重で潰れる音が耳に入った。痛みが全身を熱で覆う。他の箇所も潰れるような感触を感じる。どろり、とした死への恐怖が頭を凍りつかせた。
「くッ! あ、ああああ、うう、ああああああ!!」
四肢が潰れる痛みを味わいながらも気力を振り絞りフィオ―レは右手を振った。右腕に付けられていた腕輪が右手の動きに共振するように光る。
そして次の瞬間、風がイマレウスの巨体を空へと放り投げた。
「うう、ああ……お願い、するです、ミーシャちゃん!」
「……待ち、くたびれたッ!!」
遠く二キロほど離れた場所で古代兵装、『感情起爆砲』を構えて確実にイマレウスを倒せる機会を窺っていたミーシャは空中で態勢を崩した『魔帝』へと引き金を引いた。




