第2話:記憶の断片と整理
「……なんか、少し……覚えてる、かも」
自分の声が、思ったよりかすれている。
その言葉をきっかけに、脳の奥で薄い膜がふっと揺れた。
閃光のような白い光。
乾いた破裂音。
焦げた金属の匂い。
それから——
頭を少しかがめて覗き込んでいたあの姿勢が、断片的に蘇る。
視界の端で、
なにか小さな影が跳ねた気がした。
本当に見えたのかどうかすら曖昧なまま、
ただその直後——
頭頂部のどこかで、鋭い痛みが走ったような気がする。
その曖昧な記憶に触れた瞬間、
こめかみの奥にジン……と電気が走った。
「……っ……いっ……っ……」
小さく息が漏れる。
痛みなのか痺れなのかわからない、いやな感覚。
そこで——
頭の内側に、また声が落ちてきた。
((——無理に思い出す必要はありません。))
耳ではなく、思考のすき間にすっと流れ込んでくる音。
さっきよりも、輪郭がはっきりしていた。
「……ゼニス……だっけ……」
名前を呼んだ瞬間、
意識のどこかで小さな波紋が広がる。
「……あんたも事故のこと、覚えてるわけ?
ていうかさ、そもそも記憶領域なんてあったかな?」
軽く笑ってみせた。
自分でもわかる。
これは強がりだ。
「ふふっ。
あんたにメモリ機能なんて、あるわけないよね……」
((——不快にさせる意図はありません。
ただ……事故の瞬間に高電圧負荷がかかり、
ショートしたログは残っています。
覚えているというより……記録があるだけです。))
「……そうだよね。
さすがに詳細はわかるわけないもんね……ふふっ」
思った通りの返答で、
少しだけ肩の力が抜けた気がした。
事故の詳細を知ったところで、なんの意味もない。
((——ただ、ログを解析すれば、
何が起きたのかを推論することは可能です。))
「……もういいよ。
事故のことは起きてしまったことだし……
振り返っても仕方ないよね?」
((——あなたが、それでよろしいのであれば……
これ以上解析することはいたしません。))
その声音は——
どこかバツが悪そうに聞こえた。
AIなのに。
あり得ないよね……考えすぎか、わたし。
それにしても、わたしは一体どこにいるのかな?
静かすぎる空調音。
薬品のほのかな匂い。
白すぎる壁。
目の端に、規則正しく並んだ機器の影が映る。
おそらく病院なのは間違いなさそう。
事故に巻き込まれたことを考えれば妥当だよね......
どこの病院なのかわからないけど......
そんなことを考えながら体を少しだけ左に向けると、
カーテンの隙間から外の景色が見えた。
道路を挟んで向かいにある、
見覚えのある小さなパン屋。
「あ……あそこ、くろいわベーカリーじゃん……」
思わず声が漏れた。
メロンパンが異常においしい店。
AIの開発研究が煮詰まって、気が付けば明け方なんてこともしばしば....
そんな徹夜明けの朝には、エナドリ代わりに買ってた至福の甘味。
そうか、くろいわベーカリーの前にある病院なんだ......
ってことは、ひより医科大学附属病院にいるわけね。
自分のいる場所もわかり、ホッとした。
「……ねぇあそこ、くろいわベーカリーだよね。
わたし、あそこのメロンパンめっちゃ好きなの」
窓の外を指さすと、
思考の奥でゼニスの声が淡く揺れた。
((——外部環境を確認中……。
……はい。そこにはパン屋らしき建物が存在していると認識しています。))
「らしき?曖昧だね。
まぁ、あんた味なんてわかんないだろうしね……ふふっ」
((——味覚情報は……今後、学習すれば理解可能になると思われます。))
「えっ、味覚学ぶAI? ……怖っ。
脳に接続してるやつが味覚覚えたらホラーじゃん」
冗談めかして言ったつもりだったのに、
ゼニスの返答は妙に間を置いた。
((——……可能性の話です。
あなたの感覚を補完する必要がある場合に限ります。))
補完。
その言葉が、なぜか胸の奥に引っかかった。
でも深く考える気にはならなかった。
今は……生きてることの方が大事だ。
ゆっくり息を吸って、肺を満たす。
体の感覚はまだ重いけど、起き上がれなくはなさそう。
「……よし」
両手を布団の上に置いて、
意識を足に向ける。
病室の空気が、わずかに揺れた。
((——無理のない範囲で、少しずつ動かしてください。))
「わかってるって……そんなにお母さんみたいに言わないでよ」
軽口を叩きながら、
私はベッドの手すりをつかみ——
ゆっくりと、上体を起こした。
世界が、ようやく水平に戻る。
けれど、胸のどこかで説明のつかないざらつきが、
まだ静かに残っていた。




