0062. 届かぬ声ときみのための挑戦
私が二歳になった頃。地道な【身体強化】と、狐火ちゃんとの〝魔素ボール千本ノック〟の訓練のおかげで、私の能力値は少しだけ、しかし確実に成長していた。
【能力】
* 体力:P(10) ← Q(5)
* 丈夫さ:P(10) ← Q(5)
* 魔力:O(15) ← P(10)
ステータスの上では微々たる変化に見えるが、体感は全く違った。体が軽くなり、疲れにくくなったおかげで、長い時間走り回っても息が切れない。
そして何より体内の魔素の流れを、か細い絹糸からサラサラと流れる小川のようにはっきりと感じられるようになっていた。
この一年間の成果としては上出来だろう。そして、この成長が意味するものは大きい。何より、狐火ちゃんに新しいお友達を顕現させてあげられるかもしれない、という希望の光が見えてきたのだ。
狐火ちゃんはいつも縁側で静かに私を待っている。その姿は健気で愛おしいけれど、時折、ほんの少しだけ寂しそうに見えることがあった。
(私が構ってあげられない時間も、楽しく過ごせる仲間がいたら……)
その想いが、私の新たな挑戦へのモチベーションとなっていた。
そんな私の最近の日課は、庭での散歩――という名目の侍女のみきとの鬼ごっこだ。
「みきちゃん、つかまえて!」
「姫様〜、お待ちくださいませ! そんなに速く走ると転んでしまいますよ〜!」
まだおぼつかない足取りながらも、【身体強化】をうっすらと纏った私の走りは、同年代の子供よりずっと速い。
私を追いかけてくるみきは、甲斐の国から買い付けられてきた孤児の一人。最初は怯えたように俯いてばかりだった彼女も、今ではこんな風に、心からの笑顔を見せてくれるようになった。この他愛ない時間が、今の私には何よりの息抜きだった。
《琴ちゃんが、楽しそうだ! ぼくも、うれしい!》
琴ちゃん。琴ちゃんが笑うと、私の心もぽかぽかしてくる。あの「みき」という人間の子も、琴ちゃんとよく遊んでくれる、いい子だ。
「琴様! また走って! いつも申し上げておりますが、姫たるもの、お庭を静かに歩くだけで十分でございます!」
私の専属世話係、たきの雷のような厳しい声が飛んでくる。彼女は、私の母である真里様の一番の腹心であり、私にとっては母以上に手強いラスボスのような存在だ。
「たぁ〜きぃ〜、いいでしょ〜? ちょっとだけ!」
私が甘えた声で言うと、たきの柳眉がぴくりと動いた。
「言葉を伸ばすのは、はしたのうございます。それと、ダメなものはダメです」
その殺気にも似た冷たい視線に、私は慌てて背筋を伸ばした。この人には、どんな愛嬌も通用しない。だが、知っている。
私が転んで怪我をした時、叱りながらも誰より早く駆けつけ、その顔に心配を滲ませて手当てをしてくれるのは、いつもたきなのだ。
そんなやり取りを数ヶ月続けたある日。私は自分の魔力が、器から水が溢れるように、一段階上のレベルに達したような、確かな感覚を得た。
(……今なら、いけるかもしれない)
私は庭の隅にある大きな木の下に腰を下ろすと、意識を集中させた。
ずっと先延ばしにしていた、未知のスキル――【神威顕現】に挑戦する時だ。
《ん? 琴ちゃんの雰囲気が変わった》
みきと遊ぶのをやめて、目を閉じている。琴ちゃんの中から、今まで感じたことがないくらい、強い力が静かに湧き上がってくるのがわかる。
《なにか、すごいことをするんだ! なんだろう、わくわくする!》
琴ちゃんの邪魔にならないように、少し離れた場所で、固唾をのんで見守った。
(まずは、体内の魔素を丹田の一点に集めて、圧縮する……イメージは、油搾り機! ギリギリまで圧力をかけて、魔素の純度を高めるのよ!)
私は、体中のエネルギーの小川を、お腹のあたりにぎゅーっと集めていく。霧のようだった魔素が液体になり、さらに圧力をかけると、硬い宝石のような小さな核に変わっていくのが分かる。
(よし、ここからだ! この圧縮したエネルギーが、新たな〝命〟に変わるイメージ……! そう、狐火ちゃんみたいに、可愛くて、賢くて、モフモフな子!)
私は、脳内で理想の幻獣の姿を思い描きながら、心の中で叫んだ。
『神威顕現! 神威〜顕現! いでよ、我が眷属! し・ん・い・け・ん・げ・ん!』
…………しーん。
何も、起こらない。
圧縮した魔素の核は行き場を失い、ぷしゅー、と気の抜けた音を立てるように、霧となって体内に霧散していった。
「……はぁ」
私は、がっくりと肩を落とした。やっぱり、スキル名を唱えるだけじゃダメか。
身体強化の時もそうだった。ただ力を込めるだけでなく、「体を軽くする」「硬くする」という明確な〝イメージ〟が必要だった。きっと、このスキルにも何か特別な〝コツ〟や、もっと具体的な〝設計図〟が必要なんだ。
でも、それを教えてくれる人は、ここにはいない。
(……ごめんね、狐火ちゃん。もうちょっと、待っててね)
新しい友達を、と期待させてしまったかもしれない相棒に、心の中で謝る。
また、振り出しだ。トライ&エラーで、地道に答えを探すしかないのか。
《……琴ちゃん、しっぱいしちゃったみたい》
すごく頑張ってたのに。肩を落として、しょんぼりしてる。琴ちゃんが悲しいと、私も悲しい。胸の奥が、きゅーってなる。
《だいじょうぶだよ、琴ちゃん。きみは、ひとりじゃないよ》
私は、落ち込む琴ちゃんのそばに駆け寄ると、その小さな頬に、まだ触れることのできない自分の姿をそっとすり寄せた。想いよ、届け。
その時、頬にふわりと温かい感触がした。まるで陽だまりのような、優しくて懐かしい温もり。
私は、その温もりが来た方へ、顔を向けた。
そこには相変わらず、完全には実体化していないけれど、心配そうに私を覗き込む、狐火ちゃんの気配があった。その温もりから、言葉にならないメッセージが流れ込んでくる。「大丈夫だよ」「ぼくがいるよ」と。
「……そっか。一人じゃない、もんね」
私は、まだ触れることのできない親友に向かって、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう。もう一回、がんばるよ」
失敗したって、構わない。
この温もりがある限り、私は何度だって立ち上がれる。私たちの挑戦はまだ始まったばかりなのだから。




