0060. 生産職のこだわりと、うっかり〝やらかし〟
絵図を描くと父上に約束してから、数日が過ぎた。私は自室で、筆と格闘していた。
前世ではPCのマウスとキーボードしかまともに扱ったことのない私にとって、毛筆という道具はあまりにも難易度が高かった。墨が滲んでせっかく引いた線が太くなりすぎる。
二歳児の乏しい腕力では、定規もなしにまっすぐな線を引くことすら至難の業。細かな部品を描こうとすれば、すぐに穂先から墨が垂れて、全てが台無しになる。
「あー、もう!」
私は何枚目かの失敗作をくしゃくしゃに丸めた。そのたびに、背後で私のお世話をしてくれている侍女のたきの、静かだが冷たい視線が突き刺さる……気がする。彼女は何も言わないが、その目は「姫様、この時代、紙は大変貴重なものでございます……」と雄弁に語っていた。
だが、そのプレッシャーと試行錯誤の甲斐あって、ついに納得のいく絵図が完成した。
「よし、できた!」
私は、二つの道具の設計図を満足げに眺める。二歳児が描いたとは思えないほど、妙に構造的で、寸法や材質に関する注釈が細かく書き込まれた、我ながら完璧な仕上がりだ。
……と、その時。
絵図の横に、最終確認として書き添えた寸法指示の文字を見て、私の血の気が引く音がした。
【わたゆみ:ぜんちょう 90cm】
【はんどかーだー:いたの大きさ 15cm × 30cm】
(……やっっっってしまったぁぁぁあああ!)
脳内で警報がけたたましく鳴り響く。『コード・レッド!コード・レッド!致命的情報漏洩発生!』
癖で、ごく自然にアラビア数字とセンチメートル単位を書いてしまっている! 終わった……私の穏やかなスローライフ計画が、こんなしょうもないミスで頓挫する……!
慌てて墨で塗りつぶそうかと思ったが、もう遅い。不自然な墨の染みは、かえって怪しまれるだけだ。
(……こうなったら、腹を括るしかない。いつもの〝アレ〟で、強行突破だ! そうよ、ピンチはチャンス! これすらも神託にしてしまえばいいのよ!)
絶望からの開き直りは、私の得意技だ。
私は覚悟を決めると、完成した絵図を手に、父上と母上の元へと向かった。
「ちちうえ、ははうえ! せんじつのどうぐのえずが、できました!」
私の声に、二人は嬉しそうに顔を上げる。
「おお、早いな、琴。どれ、見せてみよ」
父上は私の描いた絵図を手に取ると、ほう、と感嘆の声を漏らした。
「なるほど、これが綿弓と……〝はんどがーだー〟か。単純な作りだが、実に理に適っておる。この綿弓、構造は単純だが、弓の反発力を利用して繊維を打つとは…武具をこのようなことに使う発想はなかったわ。このハンドカーダーの櫛の角度も、物を梳きとるのに最も効率的な角度だ。偶然にしては出来すぎている……やはり神々の知恵か」
(よし、第一関門はクリア!)
だが、父上の太い指が、私が最も恐れていた箇所を、的確に指し示した。
「しかし、琴よ。この絵図の横に書いてある、奇妙な文字と記号は何じゃ? まるで算木のようだが、見たこともない形だ。これも、神々の国の言葉か?」
(――来た!)
私は、練習してきた通り、さも当然のように、そして少し誇らしげに答えた。
「はい、ちちうえ。それは、このどうぐのすんぽうにございまする。ゆめまくらにて、かみさまが『なんばんでひろくつかわれるすうじとたんいである』といってました。『せんちめーとる』というと」
「南蛮の!? なんと、稲荷様は遠い異国にまで御神託を授けておられるのか!」
父上は目を輝かせると、とんでもないことを言い出した。
「真里よ、これは素晴らしいことじゃ! 南蛮との交易を考えれば、いずれ我らもこの単位を知らねばならぬ時が来る! 神が今、これを示されたのは、未来への備えをせよとのお告げに違いない! 我ら里見家も、この神聖な数字と単位を正式に採用すべきではないか!」
(話がデカくなったぁぁぁ!)
私のうっかりミスが、まさかの国家規模の度量衡革命に発展しようとしている。まずい、まずいぞ!
「ち、ちちうえ、ははうえ。かみさまは、『まだ、はやい』と、おっしゃっておりました。まずは、このたんいがわれらのくにの〝しゃく〟や〝すん〟と、どれほどちがうのか、きじしのかたとたしかめてからでないと、こんらんしてしまいまする……」
私は必死で話を逸らし、時間を稼いだ。内心では「一尺≒30.3cmだから、ほぼ30cmでいける! 一寸≒3cm! よし、これで乗り切るしかない!」と、冷や汗だくだくである。
「おお、そうじゃな。琴の言う通りだ。まずは道具作りが先じゃった」
父上は素直に納得すると、すぐさま小姓を呼んだ。
「誰ぞある! 腕利きの木地師、源蔵を呼んでまいれ!」
ほどなくして、源蔵と名乗る、いかにも頑固そうな老齢の職人がやってきた。その指は節くれ立っているが、ひとたび道具を握れば、神業のような仕事を見せると評判の、この国一番の木地師だ。
私は彼に絵図を見せ、身振り手振りを交えながら、道具の構造と使い方を説明する。
「……この〝はんどがーだー〟のくしのかくどは、すこしだけ、こう、ななめにするのです。そして、はりのさきは、ほんのすこしだけ、かぎのようにまげて…その、かえしが、せんいをひっかけるのです」
二歳児の私が、老練な職人に極めて専門的な指示を出す。そのシュールな光景に、源蔵は最初こそ「姫様の戯れ言か…」と戸惑っていたが、私の的確な指示と、絵図の合理性に気づくと、次第にその眼差しが真剣なものに変わっていった。
「……なるほど。姫様、この角度と返しが肝要と。なんと…!これは面白い!姫様、お任せくだされ!この源蔵の生涯の技を懸けて、必ずや最高の道具を打ち上げてご覧にいれまする!」
職人魂に火がついたのか、源蔵は目を輝かせて請け負ってくれた。
打ち合わせを終え、源蔵は「姫様の仰せの通り、十日ほどで試作品をお持ちいたします」と深く頭を下げ、意気揚々と退室していった。
その後、何度も試作と改善を繰り返した。源蔵が持ってきた試作品に、私が「もっと、こう!」とダメ出しをする。二人の間には、いつしか年齢や身分を超えた「ものづくり」の仲間としての奇妙な絆が芽生え始めていた。
そして、満足のいく道具が完成したのは、さらに一ヶ月後のことだった。
特にハンドカーダーの出来は素晴らしく、これなら、いつか狐火ちゃんの毛並みを整えるブラッシングにも使えそうだ。
私の「ものづくり革命」は、うっかりミスから始まった、度量衡の標準化という、とんでもない副産物を生み出しながらも、確かな一歩を踏み出した。この小さな道具が、この国の冬を、人々の暮らしを、ほんの少し温かくするかもしれない。そう思うと、胸が熱くなった。




