第19話 風の王と深緑の祝福
「――なりません。いくらリゼ様の友人であっても、ここを通すわけにはいきません」
風の国セルバンの入り口、「西の関所」。
樹齢数百年はあろうかという巨木をくり抜いて作られたその門の前で、エルフの衛兵隊長は、氷のような無表情でレオたちの行く手を阻んだ。その瞳には、異分子に対する明確な拒絶の色が宿っている。
「融通が利かないですわね。わたくしが身元を保証すると言っているのですけれど?」
風の聖猫リゼがヒト化した姿、リエリーが優雅に口元に手を添え、わざとらしくため息をついた。
彼女の言葉はこの国において法に等しい重みを持つはずだが、それ以上にこの国の「機械文明拒絶」の掟は絶対なのだ。
「リゼ様への敬意は変わりません。ですが、彼らは……」
隊長の鋭い視線が、レオの全身に向けられる。真鍮のバックルで締められたコート。そして、あちこちにあしらわれた歯車の意匠。
「……その奇妙な金属の装飾。歯車。森が最も嫌う『文明の象徴』を身につけた者を、神聖なクロロン大森林へ入れるわけにはいきません」
徹底した拒絶。レオは自身のコートに視線を落とし、小さく苦笑した。
「あら、失礼ね。これはただの飾りよ?旦那様のセンスを馬鹿にするなら凍らせるわよ」
背後で控えていたシャリーナが、不機嫌そうに目を細めて一歩前に出る。周囲の温度が急激に下がり、空気が冷気で軋んだ。
風と氷。相性の悪い属性同士の衝突に、衛兵たちが一斉に弓に手をかける。弦を引き絞る音が重なり、一触即発の空気が流れた――その時だった。
ふわり、と唐突に、風が止んだ。
殺気立っていた場の空気が、何者かの圧倒的な「静寂」によって上書きされる。
音もなく関所の上空から舞い降りたのは、一人のエルフだった。
長い金髪を風になびかせ、森の色を映したような深緑の瞳を持つ長身の男。植物の繊維と絹で織られた王衣を纏い、背には身の丈ほどもある美しい大弓を背負っている。
セルバン森林都市国国王、ヴァルグ・セルバン。
「ヴァ、ヴァルグ様……!」
衛兵たちが慌てて膝をつき、平伏する。
だが、ヴァルグは彼らを一瞥もせず、音のない足取りでレオの目の前まで歩み寄ると、至近距離で足を止めた。
その深緑の瞳が、レオの顔を、そしてその装備をじっと見つめる。値踏みするような、それでいてすべてを見透かすような眼差し。
「……リゼよ。その青年が?」
短く、感情を削ぎ落とした問い。リエリーはパァッと顔を輝かせ、スカートの裾をつまんで高らかに宣言した。
「そうですわ!!レオ・クロース様、ワタクシの新たなご主人様ですわ!!」
その名を聞いた瞬間、ヴァルグの眉がわずかに動いた。
「クロース……。あのノーマンの血族か」
ヴァルグの視線が、レオの胸元にある真鍮の歯車に注がれる。そこには明確な嫌悪の色が浮かんでいた。
「いかにもノーマンが好みそうな、鉄の趣味だ。……森に油の臭いを持ち込むつもりか?」
「いえ、陛下。これはただの意匠です」
レオは臆することなく、冷静に言葉を返した。
「機械仕掛けではありません。ただの服です。……多少、温度調節のためにマナを回す機能はありますが、森を汚すような排気も騒音も出しませんよ」
レオの言葉に、ヴァルグは鼻をひくつかせ、軽く匂いを嗅ぐような仕草を見せた。
そして、数秒の沈黙。王は微かに頷いた。
「……ふん。確かに、油の臭いはせぬな」
ヴァルグは興味を失ったように視線を外し、閉ざされた関所の門へと歩き出す。
「ついてこい」
そのあまりにあっけない決断に、平伏していた衛兵隊長が弾かれたように顔を上げた。
「お、お待ちください!!ヴァルグ様!!」
隊長が慌てて王の前に回り込み、懇願するように叫ぶ。
「この者たちはヒュマーノ族ですぞ!!あまつさえ、その身に纏うのは忌むべき歯車の意匠!たとえ機械でなくとも、そのような不浄な者を森へ入れるなど、掟に反します!」
隊長の必死の訴えに、ヴァルグは立ち止まり、ゆっくりと首を巡らせた。
その視線は冷ややかだが、怒気はない。ただ、物事の道理を解せぬ子供を諭すような、絶対的な静けさがあった。
「良いのだ。貴様らは感じぬか?」
「え?」
「風が……この森自身が、彼らを迎え入れている」
ヴァルグが片手を軽く上げる。すると、呼応するように森の奥から柔らかな風が吹き抜け、レオの銀髪を優しく撫でた。
ざわざわと木々が枝を揺らす音は、拒絶のざわめきではない。まるで待ちわびた友人を歓迎するような、穏やかな葉擦れの音だった。
「な……」
隊長が絶句し、レオを見る。歯車をつけた異質な服を着た青年の周囲には、確かに森のマナが親愛を示すようにまとわりついていた。
「風は嘘をつかぬ。……森が招いている客人を、我らが拒む道理はない」
ヴァルグはそう告げると、圧倒されていた衛兵たちから視線を外し、レオの隣に控える仲間たちへと目を向けた。その深緑の瞳が、ベージュのコートを纏った一人の少女を捉える。
「それに」
王は再び鼻をひくつかせ、懐かしい香りを味わうように目を細めた。
「そちらの淑女は今代の〝聖女〟かな?」
「えっ……!?」
シルビアが息を呑み、目を見開く。今の彼女は聖職者の法衣ではなく、レオが仕立てた機能的なハンター装備に身を包んでいる。しかも、常時漏れるマナを抑える指輪も左手の薬指に装着済みである。一見すればただの冒険者にしか見えないはずだ。
だが、千年の時を生きるエルフの王の眼力は、表面的な装いに惑わされはしなかった。
「アウローラ様を感じるよ。ようこそ、クロロンへ」
さらにヴァルグの視線は、レオの胸元のポケットへ吸い寄せられる。
「なによりも……レオ、だったか?。君の懐にいるその〝なにか〟は、聖獣かかなにかかね?」
「……お気づきでしたか。さすがは森の王ですね」
レオは苦笑してポケットを軽く叩いた。
「出ておいで、キュート。バレてるよ」
「ぷはぁっ!やっと出番だッチュ!」
レオの胸ポケットから這い出してきたのは、手のひらサイズの黒い蜘蛛だった。
つぶらな瞳に、ビロードのような質感の毛並み。見た目は愛らしいぬいぐるみのようだが、その身から放たれるマナの密度は、周囲の空間を歪めるほどに濃密だ。
闇の大聖獣カドリーの分身体、キュート。
キュートは器用にレオの肩へとよじ登ると、目の前のエルフの王に向かって、短い前足をちょこんと上げて挨拶した。
「はじめましてだッチュ!ボクはキュート。闇の大聖霊オスクネス様の眷属、カドリーの分身だッチュ! よろしく頼むッチュ!」
「……ほう」
ヴァルグは眉一つ動かさず、その小さな蜘蛛をじっと見つめた。
「闇の……アラネア・ソンブルか。本体ではないようだが、その気配、紛れもなく聖域の守護者たる波動だ」
ヴァルグは感心したように唸り、最後にレオの背後に控える涼やかな美女へ視線を向けた。
「そして、そちらのアイスブルーの髪の淑女からは〝リゼと同じ〟匂いを感じるな」
その言葉に、シャリーナは優雅にスカートの裾をつまむが、それは臣下の礼ではなく、余裕に満ちたポーズだった。彼女は氷の華が咲くような冷ややかな笑みを浮かべ、王を見据えて言い放つ。
「そのとおりよ。僅かな波動しか出さなかったのによく気付いたわね」
王を相手にしても畏まるどころか、試すような不敵な視線を返す。だが、ヴァルグはそれを無礼と咎めることはない。相手が自分と同格の「理」を持つ存在であることを瞬時に理解したからだ。
「やはりか。氷の聖猫。……どうりで、肌が粟立つわけだ」
ヴァルグは自身の腕をさするような仕草を見せ、愉しげに口端を吊り上げた。
「風は流れるもの。氷はそれを凍てつかせ、止めるもの。……我ら風の民にとって、其方の纏う空気は『停滞』を予感させる。あまり相性は良くないな」
「奇遇ね」
シャリーナは一歩も引かず、王の深緑の瞳を真っ直ぐに見返した。
「ワタシも、貴方の纏う風の気配……少しばかり『騒々しい』と感じていたの。静寂を好む氷雪にとって、吹き荒れる風は安眠を妨げるノイズでしかないわ」
視線が交差する。風の王と氷の聖猫。互いの属性の理が反発し合い、二人の間に見えない冷気と風圧が散る。
だが、そこに陰湿な敵意はない。あるのは、互いの領域を侵さないという、強者同士の不可侵の盟約めいた緊張感だけだ。
「……ふっ。手厳しいな」
ヴァルグが短く鼻を鳴らし、肩の力を抜く。
「だが、嫌いではない。媚びへつらうだけの輩よりよほど信用できる」
「あら、そう。光栄ね」
シャリーナもまた、すまし顔でふわりと微笑んだ。
リエリーは二人のやり取りを満足げに見守り、頷いた。
「相変わらず素直じゃありませんこと。……さあ、これで皆様の顔合わせは済みましたわね?」
リエリーの言葉に、ヴァルグは改めてレオたち一行を見渡し、衛兵たちへと振り返った。
未だ戸惑い、弓を下ろせずにいる部下たちに対し、王は静かに、しかし絶対的な事実を突きつけるように告げた。
「英雄の輪廻、氷の聖猫、大聖獣の分身、そして聖女」
ヴァルグは一人一人に視線を走らせ、最後にレオを見て、厳かに宣言する。
「拒めるはずもあるまい。……森も、彼らを歓迎している」
王が片手を上げると、呼応するように森の奥から柔らかな風が吹き抜け、レオたちの周囲を祝福するように舞った。
ざわざわと揺れる木々の葉擦れは、もはや拒絶のざわめきではない。千年の時を超えた客人を迎える、歓喜の歌声だった。
「開門せよ!」
ヴァルグの号令が響く。衛兵たちは慌てて平伏し、巨大な関所の門を押し開けた。
ギギ、と重厚な音を立てて、閉ざされていたエルフの国への道が開かれる。
「来るがいい。案内しよう。……ただし、くれぐれも静かにな」
ヴァルグは踵を返し、森の奥へと続く道を示す。レオたちは顔を見合わせ、静寂を約束された深緑の回廊へと足を踏み入れた。




