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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第2章 翠嵐ヲ越ユ

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第18話 風の試練に向けて

 ベル歴995年、土の月3日。


 次元の狭間に浮かぶ「箱庭」。その地下倉庫にある扉の前には、これから始まる旅の荷物と、見送る者、旅立つ者たちが集まっていた。


「……左様でございますか。あくまで、私はお留守番と」


 感情の読めない、静水のように落ち着いた声が響く。


 声の主は、燕尾服を完璧に着こなした黒髪の青年、ノイアーだ。彼はレオ・クロースの前に立ち、表情一つ変えずに佇んでいる。だが、その背中からは、無言の圧力が冷気となって立ち昇っていた。


「仕方ないだろ、ノワル。お前にはアイゼン王国事務官としての『本職』がある」


 レオは新しいコートの袖を通しながら、努めて冷静に諭す。


「バーディアへの出張はなんとかなったが、これ以上の長期不在は怪しまれる。それに、お前にはもっと重要な任務があるだろう? 旧クプファー領の統治と……何より、あっちへ行ったじいちゃんたちの監視だ」

「……理解はしております。マルセル大旦那様を野放しにすれば、復興予算が全て怪しい巨大魔道具に消え、西の地図が書き換わりかねませんからね」


 ノイアーは淡々と肯定する。だが、その瞳の奥には、主の旅に同行できない不服さが、暗い炎のように揺らめいていた。


「ですが、この私が主の旅路にお供できぬとは。……代わりを務めるのが、この方で本当に大丈夫なのでしょうか?」


 ノイアーが視線を横へ流す。そこには、透き通るようなアイスブルーの長髪を流したクールな美女が、腕を組んで壁に寄りかかっていた。


 今回の護衛役、氷の聖猫シャルルがヒト化した姿――シャリーナだ。


「あら?失礼な黒猫ね」


 シャリーナは冷ややかな声で鼻を鳴らし、アイスブルーの瞳でノイアーを睨み返す。


「ワタシがついているのよ?旦那様に指一本触れさせるわけないでしょう。……貴方は黙って留守を守っていればいいのよ」


 突き放すような物言いだが、その瞳には強い意志が宿り、背後では隠しきれない尻尾が、レオとの旅への期待で微かに揺れていた。


 二人の視線が交差する。


「……ええ、ええ。精々頼みますよ」


 ノイアーは眉一つ動かさず、しかし室温が下がるような「執事の微笑み」を返し、手袋を鳴らすように強くはめ直した。


「ですが、万が一にも……レオ様に擦り傷一つでもつけたら、私が『影』から直接、教育的指導に伺いますからね?覚悟しておいてください」


 丁寧な言葉の裏に、底知れぬ殺気が滲む。並の者なら失禁しかねない「闇」のプレッシャー。


 だが、シャリーナは一歩も引かなかった。


「へえ……」


 彼女の周囲の空気が、凍てつく。シャリーナは腕を組んだまま、絶対零度の視線をノイアーに突き刺した。


「別にいいわよ?その前にワタシの槍が、貴方のその減らず口を永遠に凍らせてあげるわ」


 ノイアーの背後から立ち昇る漆黒のオーラと、シャリーナから放たれるダイヤモンドダストのような冷気。二つの強大なマナが衝突し、地下倉庫の空間が軋む。


「お前らなあ……」


 レオが呆れながら仲裁に入ろうとするが、二人の視線は火花を散らしたまま動かない。


 その時だった。


「――いい加減にするッチュ!見苦しいッチュよ!」


 レオの懐から飛び出した黒い影が、二人の間に割って入った。掌サイズの黒い蜘蛛――闇の大聖獣カドリーの分身体、キュートだ。


 キュートは床に着地すると、小さな前足を腰に当てるようにして仁王立ちし、二人の巨人を交互に見上げた。


「レオが困ってるのが分からないッチュか!?これからの旅立ちの時に、仲間割れなんてボクが許さないッチュ!」


 その小さな体からは想像もつかない、大聖獣の分身体としての「格」を帯びた一喝。場の空気がピタリと止まる。


 ノイアーとシャリーナは、ハッとしたようにレオの方を見た。そこには、二人の衝突に苦笑している主の姿があった。


「……ごめんなさい」


 シャリーナが、しゅんと伏せて俯いた。先ほどまでの冷徹な態度は霧散し、バツの悪そうな、しかし心からの謝罪の言葉が漏れる。


「旦那様を困らせるつもりじゃなかったの。……つい、カッとなってしまって」


 主を思うあまりに熱くなってしまった自分を恥じ、アイスブルーの瞳を揺らして反省している。


「……失礼いたしました。私も、少々大人げの無い真似を」


 ノイアーもまた、ふっと殺気を霧散させて深く一礼した。


「まったく、世話が焼けるッチュ……」


 キュートがやれやれと肩をすくめてレオの肩に戻ろうとした、その瞬間。


 レオの懐に入っていた無骨な魔導端末が、微かに震えた。


 レオは胸元のポケットから、真鍮製のケースに覆われた端末を取り出す。数色の魔石ランプと、送信相手を示すアナログな表示窓。そこには『Silvia』の文字が浮かび上がり、緑色のランプが点滅している。


「……シルビアさんからだ」


 レオが確認した次の瞬間、脳裏に直接声が響いた。


〘――よぉ、相棒。聞こえるか?〙


 光の聖猫クラルテ――クララからの念話だ。


〘シルビアが、練習がてらそっちの端末を鳴らしてみたんだとよ。「ちゃんと届いたかしら」って不安がってるぜ〙


 レオは苦笑しながら、心の中で返答する。どうやら向こうでは、聖女様が不慣れな機械を相手に奮闘しているらしい。


〘ああ、バッチリ届いてるよ。タイミングも良かった〙

〘そいつはどうも。……こっちの準備は万端だ。いつでも迎えに来な〙

〘あいよ。クララ、視界を借りるぞー〙

〘おう〙


 レオは端末をしまい、無言で目を閉じる。 意識を深く沈め、遠く離れた場所にいる眷属とのパスを繋ぐ。


 視界にノイズが走り、別の映像が重なる。


 ――高く切り取られた天井。極彩色のステンドグラス。そして、神聖な空気が満ちる祭壇。 そこは、男子禁制の聖域。トゥインクディーヌ大聖堂の最奥だ。


 レオはクララから送られてくる映像を脳裏に焼き付け、地下倉庫の空間に浮かぶドアのノブに手をかけ、出口の座標を書き換える。


 解錠音が響くと同時に、レオはドアを開け放った。


「――お待たせいたしました、レオさん!」


 ドアの向こうから飛び込んできたのは、ベージュのハンターコートに身を包んだ聖女、シルビア・スワンだ。 彼女は開口一番、盛大なため息をついてその場に崩れ落ちた。


「もうっ!大変でしたのよ!?」

「……お疲れのご様子ですね、シルビアさん」


 レオがドアを閉め、手を差し伸べる。


「聞いてくださいまし!『旅に出る』と告げたら、シスターたちが『聖女様が男と駆け落ちする!』だの『不貞です!』だのって泣きついてきて……!」


 シルビアは憤慨やる方ない様子でまくし立てる。


「クラルテ様が『聖霊の啓示だ』って黙らせてくれなかったら、今頃わたくし、説教部屋に監禁されていましたわ!」


 そのあまりの剣幕に、先ほどまでしんみりと反省していたノイアーとシャリーナが、呆気に取られたように顔を見合わせる。


「……相変わらず元気そうね、シルビア。貴女も苦労が絶えないようだけど」


 シャリーナが小さく笑って肩をすくめる。アイゼン王国の動乱で共に任務をこなした戦友に対し、シャリーナは親しみを込めて声をかけた。


「あら、シャルルさん。お久しぶりです」


 シルビアも表情を緩め、微笑む。


「アイゼンでのクーデター以来ですわね。今回は、貴女が護衛についてくださると聞いて、とても心強いですわ」

「……ま、任せておきなさい。背中は守ってあげるわ」


 シャリーナが少し照れくさそうに視線を逸らしつつも、力強く頷く。


「ははは……。まあ、聖女と男が二人旅となれば、向こうも必死になりますよ」


 レオが苦笑すると、シルビアは立ち上がり、キュートとノイアーにも視線を向けた。


「二人じゃありません!こんなに頼もしい仲間がいるのに!」


 ねー、と他のメンバーと頷き合うシルビアの言葉に、場が和やかな空気に包まれる。


 レオが皆にむけて、パン、と一つ手拍子を入れ、注目を集める。


「さあて、メンバーも揃ったし、行きますか」


 レオが再びドアの前に立つ。今回はマナトレインは使わない。相手は機械嫌いのエルフたちだ。国境まで列車で行くだけで「騒音だ」とへそを曲げられかねない。


〘リゼ〙


 レオが短く念を送ると、今度は、既に現地で待機している案内役へパスを繋ぐ。


〘はいはい、お待ちしておりましたわ、レオ様〙


 脳裏に、涼やかな鈴のような声が響く。再び視界が切り替わる。


 そこは鬱蒼とした森の中――ではない。 広大な空。風に揺れる丈の低い草。そして、遠くに見える巨大な緑の壁。


 それは、現地で待機している風の聖猫がヒト化した姿――リエリーが見ている光景だ。


 レオはリエリーから送られてくる映像を鮮明にイメージし、ドアのノブに手をかける。マナの流れを調整し、座標を固定する。


「行ってらっしゃいませ、レオ様。……お土産話、期待しておりますよ」


 ノイアーが深々と頭を下げる。その姿は、主を送り出す完璧な従者そのものだった。


「ああ。土産は……期待しないで待っててくれ。……行ってくる」


 レオがノブを回し、扉を開け放つ。地下倉庫の空気が一変し、草原の匂いと、爽やかな風が吹き込んでくる。






 

 光の向こうへ足を踏み出すと、そこは森へとつながる草原地帯だった。


 空は高く、遮るもののない青が広がっている。 足元には膝丈ほどの牧草が風に揺れ、黄金色の海原のように波打っていた。


「……気持ちのいい場所ですね」


 シルビアが目を細め、胸いっぱいに空気を吸い込む。レオもまた周囲を見渡した。


 西方には、荒々しい岩肌を晒した山脈が連なっている。獣人たちが住まう国、ティアゾンの山々だ。


 そして北東の方角。草原の果てに、唐突に世界を断絶するかのようにそびえ立つ、巨大な「緑の壁」があった。


 数百メートル級の巨木が密集し、空をも覆い隠すほどの威容を誇る、大森林。


「ようこそお越しくださいました」


 草原の中にポツンとある岩場に腰掛けていた女性が、優雅に立ち上がった。


 エメラルドグリーンの髪をハーフアップにし、動きやすい緑のジャケットとスカートに身を包んだ美女。その背には、彼女の象徴である美しい曲線を描く「風の弓」が背負われている。


 風の聖猫リゼがヒト化した姿、リエリーだ。


「お迎えにあがりましたわ、レオ様。それに皆様も」


 リエリーが、凛とした所作でカーテシーを行う。


「待たせたな、リエリー。……相変わらず、いい風が吹いてる場所だ」


 レオが草原の風を全身で感じる。


 その時だった。


 草原を渡る風が、レオたちの周囲で優しく渦を巻いた。


 それは決して攻撃的なものではない。まるで、久方ぶりの友人の訪れを喜ぶように、頬を撫で、髪を優しく梳いていく。


「……歓迎されている、ようですわね」


 シルビアが不思議そうに風の感触を確かめる。


「ええ。風の大聖霊ウィンリーフ様、そしてこの大地そのものが、貴方様方の来訪を祝福しております」


 リエリーが目を細め、風の匂いを嗅ぐように微笑む。


「英雄の魂、聖女、聖猫に聖獣……。自然そのものは、これほどの『光』を拒むほど愚かではありませんもの」

「なるほど?本当にそうならいいな」

「間違いないですわ」


 リエリーがくすりと笑う。


「ですがレオ様。風は歓迎していても、そこに住まう『隣人』たちはそうとは限りませんわ」


 リエリーが視線を北東――巨大な森の壁の方角へ向ける。


 そこには、森と草原の境界線上に、木造の古びた建造物が見え隠れしていた。


「ここから少し歩いた先に、森の結界の基点となっている『西の関所』がございます。我々は『箱庭』を経由していきなり国境の緩衝地帯に降りましたが、あそこを通らなければ、セルバンの領土へ入ったとは認められません」

「エルフたちか」

「ええ。彼らは森の声を聞く耳を持っていますが、同時に頑固な心の壁も持っています。森が歓迎していても、彼らが門を開けるかどうかは……別問題です」


 シャリーナが鼻を鳴らす。


「面倒くさい連中ね。素直に森に従えばいいのに」

「まあな。でも、彼らなりの守り方があるんだろうさ」


 レオはゴーグルの位置を直し、風が指し示す道――森へと続く一本の獣道を見据えた。


 機械文明を拒絶するエルフたちと、それを包み込むように歓迎する風。


 ここから先は、マナトレインも、マナビークルも通じない。頼れるのは自身の足と、対話の技術のみ。


「行こうか。頑固な隣人に、挨拶しよう」


 レオを先頭に、一行は黄金色の草原を踏みしめ、眼前に立ちはだかる翠緑の城壁――風の国セルバンへの入り口となる「西の関所」を目指して歩き出した。

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