第53話 何を悩んでいるの?
「ん? どれどれ」
不意に後ろから聞こえてきた明るい声に、ユウヤと緑谷は思わず振り返った。
「なによ、その顔は……」
一転して蔑むような冷めた声を上げながら、コノハは二人の顔を見る。
「「いや、何でも……」」
思わずハモるユウヤたちに、コノハは眉を寄せますます不審そうにし二人へ視線を送る。
だがすぐに「まぁ、いいか」と一言つぶやくと素早く二人の間をくぐり抜け、緑谷の端末を奪い取っていた。
「あっ!?」
一瞬遅れて、驚きの声を発する緑谷を無視して、コノハは端末を手早く操作する。
早い速度でスライドしていく資料。コノハは無表情で目だけで追い続ける。
やがて画面中央にEOFと表示されるのを見てユウヤが声をかけた。
「それで、コノハから見てコイツはどうだ?」
「ふ〜ん、そうね……」
コノハは端末をデスクの上に置き、手を胸の前で組みながらつぶやいた。
閉じたまぶたが僅かに震える。
恐らくコノハは資料を元に頭の中でゲーム画面を再現しているのだろう。
「うん。いいんじゃない」
しばらくして目を開いたコノハは答えながら、僅かに頬を歪め笑みを見せる。
その顔を見てユウヤは引っかかるモノを感じた。何がとは言えないがどこか不自然なものがあるような気がした。
「とりあえず、このまま進めていいんじゃないかな」
そんなユウヤの思案に気がついていないのか、コノハは明るい声で緑谷に告げる。
ユウヤの表情が一瞬だけさらに厳しくなるが、すぐに「ならやりますか!」と明るい声を上げた。
「そ、そうですね。じゃあさっそく設計に入ります!」
突然ユウヤが大きな声を上げたことに驚いたのか、目を大きく見開いた緑谷が慌てて頷くと足早に自分の席へと戻る。
その姿をユウヤとコノハは無言で見送った。
「じゃあ〜、わたしもやるかな〜」
両腕を上げ、伸びをした姿勢でコノハが少し大きな声で言う。
その声に反応したユウヤの顔がそちらに向けられる。
「ん? なに、私の顔になにかついている?」
「いや、何も……」
「ふ〜ん」
ユウヤは敢えて何も問いたださなかった。自分の違和感に確信を持てなかったからだ。
ともかくユウヤはそのまま言葉を濁し、そのまま彼女が席に戻る背を見続けた。
「どうしたの?」
「っ!?」
不意にかけられた声に、ユウヤは飛び上がらん程に驚いた。
かろうじて叫び声を噛み殺しながら振り向けば、目を丸くしキョトンとした顔でスズナが立っていた。
「な、なんだ〜、スズナかよ……」
ユウヤは心底安心したとばかりに深いため息をつきつつ、身体を丸め両手を自分の膝の上に乗せた。
「あれぇ〜」
不意にスズナが声を上げる。普段とは異なる少しからかうような口調だった。
ユウヤが声に反応し顔を上げると、スズナの流し目が目に入った。
「な、なんだよ?」
「えへへへぇ」
慌てて声を上げるユウヤに、スズナは楽しそうに笑みを浮かべる。
「ほっんと、お兄ちゃんは怖いのダメだよね〜」
いきなり図星を突かれたユウヤは「お兄ちゃんって言うな」と返すのが精一杯だった。
「ホラーゲームやっていても『うわっ!』って敵が出てくるとコントローラー放り出しているしね」
「いつの頃の話だよ……」
両手を頬の横で開いて驚かすような仕草をするスズナに、ユウヤは呆れたような視線を向ける。
「……でも、ホラー苦手でしょ?」
大きな目をパチクリと瞬かせたスズナは、両手を後ろ手に組みながら体を傾けた。
その姿を見ながらユウヤは素早く周囲を見回した後、「お前なぁ……」と大仰にため息をついてみせる。
「外で迂闊にそんなポーズ取るなよ」
わざとぶっきらぼうに突き放すように言うユウヤにスズナは更に小首を傾げる。
「お、天然モノとはいいねぇ〜」
不意に声が掛けられる。
椅子を回転させたコノハが顔をにやつかせて、ユウヤたちを見ていたのだ。
思わず顰めっ面になるユウヤだが、それはコノハの嗜虐心をくすぐる。
「おや〜蒼馬く〜ん。なに顔を赤くしてるのかなぁ?」
軽い音を立ててコノハは椅子のキャスターを利用して近づいてくる。
「君もウブだねぇ〜。お姉さんが可愛がってあげようかぁ?」
おおよそコノハには似合わない口調で近づいてくる。
「さあさあ、洗いざらい吐いて楽になっちゃいな……ぶべ!?」
間近にまで迫ったコノハに思わずユウヤが突き出した右手が、勢いづいたコノハの顔面に押し当てられる形になった。
「いっ、た〜」
小さな声を上げながらコノハは座り込む。
両手で顔を押さえていることから、それなりに痛かったのだろう。
一方のユウヤは己の右手を見つめる。
やや呆けたような表情で手を軽く握った。
「だ、大丈夫ですか!?」
ユウヤの脇をすり抜けたスズナが、慌てた表情でコノハに駆け寄る。
「だ、大丈夫。鼻血とか出てない……と思う」
押さえていた手を開きながらコノハは答える。
その言葉に安堵の息をもらすスズナの横で、ユラリとコノハが立ち上がった。
油の切れた歯車のようにぎこちなく首を動かし、コノハはユウヤの方へと向ける。
その顔には怒気をまとわせているが、ユウヤは気がつく様子はない。
「そ、う、ま、く〜ん?」
瞳に暗い炎を灯らせコノハが、ユウヤに声をかける。
その時分になってようやく気がついたユウヤは「ん?」と気の抜けた声を上げながらコノハの方を見た。
「『ん?』じゃあ、ないわよ?」
地の底から這い出るような声が響いた。
その圧にユウヤは思わず後退りする。
「これ以上、鼻が低くなったらどうしてくれるのよ!」
先ほどより大きい声でコノハが抗議する。
その声に引きずられるようにユウヤが改めて相手の顔を見る。
僅かに赤くなった鼻が目に入った。
「あ、悪い!」
慌てて頭を下げるユウヤ。
だがコノハの目には怒りは宿ったままであり、僅かに片足を後ろに伸ばしていた。
(アッ、まずい)
ユウヤがとっさに危険を感じると同時に、コノハが飛び掛ってきていた。
小さな身体のバネを全力で引き絞ったように飛び上がるコノハ。
勢いよく跳躍したコノハがユウヤへと突き進む。
ユウヤは思わず半歩横へと身をよじっていた。
その横を勢いづいたコノハが飛び去る。
その瞬間、ユウヤは驚愕に目と口を開きこちらを向く顔を見たような気がした。
ともかく、目標を見失ったコノハの身体は勢いを失わずに突き進む。
その先には一人の人物が立っていた。
「あっ!」
目の前の人物に気がついたコノハが小さな叫びを上げる。
だが、一度付いた勢いは止まらない。
――衝突は避けられない。
諦めて目をつむろうとしたが、閉じられない。
その視線の先でスズナが驚きの表情で立っていた。
ふとコノハの視界が暗くなる。
続いて何かに当たる衝撃と共に身体を包み込むような感覚に包まれた。
「いや〜、危ない危ない」
聞き慣れない声にコノハは顔を上げる。
そこには見慣れない女性の顔が有った。
「あ、えーと……?」
人見知りの気があるコノハは、突然の登場人物にうまくつなげない。
見上げた先に有る顔がメガネの奥で微笑んでいる。それにどう対応すればいいのか混乱していたのだ。
「あ、紗倉さん」
不意にユウヤが声を上げる。
同時に女性はそちらを向き、「はあい」と軽く片手を上げた。
抱きとめていた手が緩んだ瞬間、コノハは慌てて数歩距離をとる。
「ケガは無いみたいね」
一瞬驚いたように目を大きくした紗倉だが、すぐに微笑みながら頷くと視線をユウヤへと向ける。
「それより蒼馬君!」
やや語気を強くした紗倉がユウヤを指さす。
思わず上半身を反らしたユウヤに紗倉が距離を詰める。
その姿をコノハとスズナは一様に興味半分、困惑半分と言った様子で見つめていた。
トン。
ごく自然にユウヤの目の前まで歩み寄った紗倉は、人差し指でユウヤを小突いた。
「女の子への扱いが、雑じゃなくて?」
「え……っと、それは」
紗倉がユウヤの顔を見上げながら片眉を上げる。そこには少し意地悪そうな笑みが浮かんでいた。
女性としては背が高い紗倉の顔は思った以上に近く、ユウヤは思わず生唾を飲み込んでいた。
「い、いや……。さっきのは偶発的な事故というか……アハハ」
しどろもどろになりつつ弁明するユウヤは額に冷や汗をかきそうになり、思わず愛想笑いがもれる。
そのままゆっくりと紗倉から離れようとした瞬間、伸びてきた腕に首を絡め取られた。
「ぶべっ!?」
ユウヤは勢いに負け身体を前のめりにした。その勢いで肺から押し出された空気が声帯を鳴らしたため、口から変な声がもれ出る。
ここに至ってようやくユウヤは紗倉の腕によって、自分の首がガッチリと極められている事に気がついた。
「さ、紗倉さん! ギブギブ!!」
首に巻き付いた腕を必死に叩きながら、ユウヤは悲鳴に近い声を上げる。
実際に頸動脈がゆっくりと狭くなっていく感触がある以上、ユウヤも必死だった。
「だったら、私より前に謝罪する相手がいるでしょ?」
あくまで笑顔を崩さず答える紗倉。その顔に周囲のコノハやスズナが恐怖を覚え一歩、二歩と後ずさった。
「分かった、分かったって!」
「分かればよろしい」
か細い声に反応してようやく紗倉の腕が解かれる。
前かがみのまま数回深呼吸をしたユウヤが一瞬、紗倉の方を見た。
仁王立ちでこちらを見返している。胸の前で組んでいるその両腕はユウヤが知っている頃より一段と引き締まっているようだった。
「あ、あ~。……コノハ」
「コノハ?」
姿勢をただしたユウヤがコノハに声をかけようとしたが、その瞬間に紗倉が鋭く言い、睨みつける。
「赤根さ、いや赤根ディレクター」
「は、はい!」
緊張しきり、うわずったユウヤの声に、コノハもまた同じような口調で応えていた。
「さっきは悪かった! 悪気はなかったんだが、鼻痛くないか?」
言葉を発するうちにリラックスしてきたのか、最後の方はいつもの口調に戻っていた。
その声色にコノハも少しだけ微笑む。だがすぐに意地悪く口元が吊り上がる。
「今はもう大丈夫だけど……、怪我していたらどおしてくれるのよ?」
強い口調に気圧されたユウヤは窮する。
しかし、コノハはすぐにクスクスと笑うと「じょ〜だんよ」と笑顔で返した。
「そっか、ならいいんだ」
心底安心したように大きく息を吐くユウヤに、思わずスズナや紗倉も笑い声を上げる。
ひとしきり笑い声が響いたが、やがて笑いも治まり沈黙が訪れた。
話題も切れてしまい、何から話せば良いかとお互いを見やる一同。
なんとも居心地の悪い沈黙が数秒続いた。
「さてと、赤根さん?」
「わ、わたし!?」
沈黙を破ったのは紗倉だった。
再び話を振られコノハは自らを指さし目を丸くする。多人数に対してのプレゼンならまだしも、慣れない人と面と向かって話すのが苦手なのだ。
そんな感じで視線を泳がせるコノハに向かい、紗倉は一言告げた。
「赤根さんは、何を悩んでるの?」




