第50話 イストリゲーム
「ほーら、遊んでんじゃない」
不意にコノハの頭が叩かれた。
軽い音と共に「痛いっ!」と、さほど痛くもなさそうなコノハの声が響く。
「ちょっとお兄ちゃん! わたしが馬鹿になったらどうしてくれんのよ!」
頬を膨らませたコノハが、立ち上がりながら振り向く。
そんなコノハの頭を軽く撫でながら、レイトはユウヤの方へと歩き始めた。
「蒼馬君、OJTの途中で悪いんだけど、ちょっと来てくれるかな?」
レイトが肩越しに自分の後ろを指差した。
釣られて指の先へユウヤは視線を向ける。
そこにあるのは部長室。
珍しく出社している五嶋が、一色と共にドアの中へと消えていく。
「了解ですけど……、なにか猛烈に嫌な予感がするんですが」
レイトへと視線を戻すと、ユウヤは少し不機嫌そうに顔を歪める。
「まあ、僕たちが一緒に呼ばれるんだ。大体予想どおりだよ」
あくまで気楽な笑顔と声色で返すレイトだが、その目は当然のように笑っていない。
その鋭さに一瞬視線をそらしたユウヤだが、「分かりました」と小さくため息をつきながら答える。
レイトに呼び出された時点で、面倒ごとであることは確定しているのだ。
ならば、自主的に動いた方が良いと思う。
それがユウヤの心境だった。
「おや、別件ですか?」
「ええ、まあ野暮用というか、オレも内容は分かっていないんですが部長室へ呼ばれたので」
端末を持ち立ち上がると声をかけてきた緑谷に、ユウヤはなるべく軽めに返す。
十中八九重い話になるのだろうが、それを周りに伝えても意味はないという心遣いだった。
もっとも緑谷はただ「はぁ」と、彼にしては締まらない言葉を返すだけで、ユウヤの意図をを理解したかは分からなかったが。
「お待たせしました!」
「じゃあ行こうか」
ノートを小脇に抱えユウヤはレイトに声をかける。
レイトもまた小型のタブレットを手に立ち上がると、右脇を見る。
「ほ〜ら、コノハも立つ」
「えっ!? わたしもぉ?」
レイトに肩を軽く叩かれ、コノハが驚きの声を上げた。
それを見ながらレイトは無言でうなずく。
「あ、え〜と……はい」
嫌そうに顔をしかめコノハは立ち上がると、両手で端末を抱え小走りに部長室へと向かう。
「ほ〜ら、2人ともとっとと行くわよ!」
振り向き叫ぶコノハに、ユウヤとレイトは一瞬視線を合わせる。
「「はいはい」」
互いに口元を緩めたユウヤたちの返事は重なっていた。
**
「先輩!?」
部長室へと入ったユウヤが声を上げた。
先ほど入室を確認した一色、五嶋の両課長や、部長の浅川がいるのは分かる。
だが、IT事業部である倉科がいることに驚いたからだ。
しかし倉科自身はさも当然と言った顔で口元を歪めた。
「君たちも早く座りなさい」
部長室はその場で会議が行えるように小さいながら、長机と6脚の椅子が置かれている。
浅川にうながされた3人は空いている席に着いた。
「さっそく本題に入るが……」
浅川が口を開くと視線を倉科に向ける。
「IT部の倉科です……が、皆さんご存知ですね」
立ち上がった倉科が軽く頭を下げる。
同時に部屋が暗くなり、ホワイトボードに幾つかの資料が浮かび上がった。
ホワイトボードは拡張ディスプレイとして、倉科のPCの内容を表示していたのだ。
ユウヤは素早く視線をホワイトボードの右下へと向けると、『Confidential IT department』の文字。
背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。
これはIT事業部の内部資料。
同じ会社とはいえ、この場で倉科やユウヤ以外の人間が覗いていい代物ではないのだ。
「せ、先輩……!?」
思わずユウヤが声をかけようとするが、倉科はサッと手を挙げ、先の言葉を遮った。
黙ってみていろという意思表示にユウヤは口をつぐみ、周囲を見る。
皆一様に映し出された資料を目で追っていた。
「これは堅実な案だね」
最初に声を上げたのは浅川だった。
穏やかな一言だが、硬い響きが宿る。
「ええ、これは業界再編に合わせた組織改編計画です」
大きくうなずく倉科だが表情はどこか陰鬱としている。
倉科は学生時代から豪放磊落、落ち込む姿など見たこともない。
先日の講読館の一件の時すら、慌てこそしたが普段から発散していた陽の気は衰えることはなかった。
だが今はどうだ、一言一言が重く迷いを感じる。
「でもこれ、先輩の居場所が……」
口にするか迷った言葉。
だがユウヤは倉科の意図を知るためにも確認せざるを得なかった。
「ああ、セキュリティ部門は解体だ」
そして返ってきた回答にユウヤは下を向く。
「気にしなくていい、問題はそこじゃないからな」
静かにそう言うと、倉科は室内の全員の顔を見る。
「確かに事態に適応するプランだが、どうにも気に食わないね」
ボソリと呟く声に視線が集まる。
五嶋がいつものように、ボンヤリとした視線をプロジェクターに向けていた。
言葉から感情は読み取れないが、鋭い棘が含まれた言い方だった。
「気が付かれましたか」
倉科が口元をニヤリとゆがませる。
五嶋はその顔に一瞬だけ視線を向けると、再び資料に目を戻した。
「基本的戦略は二階堂との取引、特に納品を行っていた業者への商品納入先へのアプローチ」
「でも、そんなことしたら社内に在庫の山ができるんじゃあ?」
発言を続ける五嶋にコノハが疑問を投げかけようとした。
だがすぐにユウヤが小声でささやく。
「二階堂は自前で資材を用意できる複合企業だ、外部からの納品は少ないんだよ」
「な、なるほど。ならなんで納品元にアプローチするの?」
一度、納得しても、すぐに次の疑問が浮かぶ。
コノハの思考の早さは説明側には非常に助かる。
すぐさま倉科が次の資料を映した。
「二階堂に納品されていた資材は、質の面で保証されたものと評判が高いので、高級商品として売ればワグテイルの利益も上がります」
「そのうえ、先方の受けた相談ごとを引き取れば、さらに利益が見込めると」
倉科の後を浅川がつなぐ。
コノハはウンウン頷きながらキーボードを叩き続ける。
「だが、それだけだ」
五嶋の声が再び響く。
「ええ、この計画は一見、販路拡大を目的としていますが全てが受動的。自ら動いて何かをする計画ではないんです」
ヤレヤレと倉科は大仰に頭を振る。
周りのペースを乱さず、最後には自分のテリトリーへと引き込む。
新人時代、ユウヤが倉科に教え込まれたテクニック。
それを彼は実践していたのだ。
「ルート営業を馬鹿にする気はありませんが、新規開拓を外部依存にしたら、その企業に未来はありませんよ」
一堂が静まり返る。
倉科の主張に異議を挟む余地が無いことは間違いない。
だが……。
「結局、我々に何を話したいのだね?」
それまで黙っていた一色が口を開いた。
彼もまた一組織を預かる長である。
要件が何であるかを明確にされなければ動けるものも動けないのだ。
「一色課長のご意見はごもっとも、ここからが本題です」
画面上のスライドが閉じられ、一枚のテキストが表示された。
覗き込むようにその内容に魅入る一同。
初めは好奇心に満ちていたものが、次第に暗い影が覆い被さっていく。
「これはなんの冗談だ?」
再び一色が声を上げる。
もっともそれはその場にいる皆が同じ思いだ。
コノハに至ってはその場で大きく頷きを繰り返している。
「ご存知のように以前より社内では人員整理の噂があります」
倉科の視線がユウヤに移る。
数ヶ月前、半出向となる前、あの噂を話した時と同じ物をユウヤは感じた。
アレが本当に動くのか?
じんわりと、背中に嫌な汗が出てくる不快感。
まるで暗い穴が足元に開き、生暖かい風が吹き付けてくるような不快感が全身を襲う。
「これを強く推進する動きがあるのか……」
ため息交じりの声。
ユウヤがそちらを見ると、一色が疲れた顔で眼鏡を外し眉間を揉んでいた。
「一色さん、この手の話は苦手ですよね」
「そう言う五嶋君は……」
ふと一色は五嶋の顔を見て、一瞬固まる。
そのまま口のあたりに手を当て、視線を泳がせつつ言葉を続けた。
「何かとても楽しそうだ……」
「ええ? そう見えますかぁ」
片頬を歪め不敵に笑う五嶋の顔は、確かにとても楽しそうに見える。
「……と、ともかく本題はこれからです」
話が反れそうな気配を感じた倉科は、咳払いをしつつ再び口を開いた。
「ここからが、皆さんに関係しますから」
わずかに引きつる頬と、痙攣する眉が内心で「困った人たちだ」と思っていることを隠しきれていない。
「では早く進めてくれますか」
その実直なところも倉科が気に入られる要素なのだが、一色は少し不服そうに口を尖らせていた。
「先ほども申し上げたように、今回の件はいわゆる『集中と選択』です」
再度、倉科は資料を表示させると、立ち上がりホワイトボードの横へと移動する。
「幸田専務はこれを全社的に展開し、事業の統廃合を画策しているようです」
ホワイトボードの一角に幾つもの四角形を描き、それぞれを線で結び図を作り上げていく。
「ただ、我が社は事実上、複数の業態複合体です」
書き上がったのは、『経営部』を中心に広がる図解。
それは組織図というより配電図のように見えた。
「それぞれが異なる目標のもと動いており、経営部は大まかな方針だけを打ち出すだけでした」
「それを、専務たちはよろしく思っていなかった」
浅川の言葉に倉科が深くうなずく。
「ええ、なので彼らは業務整理の名目のもとに会社改革を目指しているようなのです」
「だから、ゲーム開発事業部も解散させたいと」
横から口を挟まれ倉科が驚きのあまり目を丸くする。
そして室内の視線もまた発言主、五嶋へと向けられた。
つまらなそうな顔に銀縁メガネをかけ、手元にある紙束を見ている。
「い、五嶋課長、それ、どこで……」
倉科の顔が青くなる。
わずかにめくれた紙の端から覗いた「社外秘」の文字をユウヤも見逃さなかった。
「倉科君、君、やり手らしいけど随分と奥歯に物の挟まった物言いだね」
まるで「新規開拓なんてできるのか」と言わんばかりの口調で五嶋が問いかける。
表情と裏腹に視線は鋭く倉科へと投げかけられていた。
「俺も幹部会には顔が利くから、その手の情報は手に入るんだよね」
紙束をひらひらと振る。
今度こそユウヤにも内容が見えた。
そこにあるのは、先ほどプロジェクターに映し出されたものと同じ内容。
「なら、なんで五嶋さんは黙っていたんです?」
思わずユウヤは声を上げた。
そこには、非難の色がやや混じっている。
「いや〜、だって向こうさんのお膝元から、わざわざリークしてくれるんだから、俺の知らない情報もあるかなって」
首を傾げ、悪気のなさそうな顔の五嶋。
対して倉科は脂汗を額に浮かべ、何か言いたそうにしている。
「ともかくだ、専務やIT事業部は椅子取りゲームを仕掛けてくるという訳だな」
五嶋は手元に滑り込んできた紙束を手に取ると、背もたれに体重を預け、両手を頭の後ろで組む。
「なら五嶋さん、どうします?」
静かな声が室内に響く。
それまで静観していたレイトが声を上げたのだった。
その一言が混迷と、ある種の熱気に侵されていた室内の気温を一気に下げる。
「ここで声を上げるのですから、既に案はあるんですよね?」
薄く口元に微笑みを浮かべ、レイトは再び尋ねる。
どこか挑発的なその視線だが、五嶋は姿勢を崩したまま天井に視線を向けた。
「まあ具体的なプランがある訳じゃないが……」
視線を下ろし周囲を見回す。
五嶋の視線の先でユウヤやコノハが真剣な顔で見返してくる。
(期待過多だなぁ……)
思わずため息をつきそうになった五嶋だが、すぐにいつもの顔に戻す。
何を考えているか分からないぼんやりとした表情。
「相手が椅子取りゲーム。つまり残った椅子の取り合いを仕掛けてきてるんだ」
ニヤリと顔を歪めさせた笑み。
それは何かを掴んでいる証拠。
間違いなく周りはそう思っているのだろう。
「なら相手の土俵で取り合いをする必要は無いな」
自信を持って告げた一言。
だが周囲に困惑の色を浮かべる。
一人、レイトを除いて。
そのレイトの様子を見て、五嶋はゆっくりとうなずく。
「奴らが、椅子の取り合いを仕掛けてくるなら」
立ち上がるなり、五嶋は手に持った紙束を放り投げた。
「俺たちは新しい椅子を作っていけばいい」
舞い散る紙の中、五嶋は不敵に笑った。




