10.
時は少し遡り――。
「おい! アレンが来るぞ! 賭けは締切だ!」
「来たか!」
「今夜の酒代ゲットだぜ!」
斥候が得意な冒険者が早足で舞い戻りアレンの訪来を知らせると、冒険者部門は期待に沸き立ちより一層と騒がしくなる。誰もが自分が負けることなど微塵も想像しておらず、勝ったお金でどうするかを考えている。
「皆さん! 普段通りにお願いします!」
「支部長から賭けの邪魔したヤツは降級処分とのお達しです!」
それを必死に職員たちが静める。ラドン支部長はヘソクリの全額を賭けているそうなので邪魔が入って無効試合にならないように必死だ。冒険者の等級は重い。こんな事で降級処分など受けたくはない彼らはそれでピタリと黙り、いつも通り施設内で過ごし始めた。
ギィ……。
燻し銀の髪が日の光を浴びて綺麗な銀色に煌めく。扉を開けて入ってきたのは皆が待ち焦がれたS級冒険者だ。――私からの結婚依頼や賭けを知らないアレンが生活総合ギルドへとやってきた。
この街を出たときは16歳だったアレンも今では27歳のS級冒険者だ。マリーに雑草小僧と称された彼だが、今では身長も伸びて私は見上げなければ彼の顔を見れないし、筋肉も付いてとても逞しく頼り甲斐がありそうな男になっていた。
「エレーネさん! アレンさんですよ! もうっ! 皆さんニヤニヤしすぎですよー! けど、私も期待しちゃいます!」
「……そうね」
動悸が激しい。心臓が五月蝿い。――彼から目が離せない。
そういう男らしい部分をこれまで意識していなかっただけで再会してからもずっと惹かれていたのかもしれないと……自分の中にあった彼への想いを自覚した。彼が現れてすぐに私の元へと駆け寄ってきたシャルルが横で盛り上がり続けているのもこの気持ちに拍車をかけているのだろうか。
「アレンは……今の私のことをどう思っているのかしら……」
「そんなの好きに決まってるじゃないですか! 好意のない相手にわざわざ近づく人なんて……いるとは思いますけど、そんなの少数ですよ!」
昨日の朝まではアレンとだったら結婚してもいいかなくらいの気持ちだったが、いざ依頼を出して彼を目にし、恋心を自覚すると――不安が押し寄せてきた。そんな私をシャルルは励まそうとしてくれたが、少し思うところがあったようで、言い淀みながらになっていたため笑ってしまった。
「ふふっ、何よそれ。説得力がないじゃない」
「仕方がないじゃないですかー。そういう人にも心当たりがあるんですから!」
普段とは違うギルド内の雰囲気と、いつもなら話しかけてくる冒険者仲間からの、普段通りを装いきれていないチラチラとした視線を一身に受けて不思議そうにしていた彼だったが、B級冒険者のダインが顎でS級依頼の掲示板を指し示すと彼は真新しい依頼が貼られているのに気がついた。
「あっ、エレーネさん! アレンさんが依頼を読んでますよ! あっちでスエールとダインさんが笑ってます!」
「新しい依頼書が張り出されていたらそれは読むでしょう……じゃなかったら彼は何しに冒険者部門へきているのよ」
シャルルはアレンの行動の一挙手一投足に興奮するだけでなく、私に気があると言っていたダインや他の周りの冒険者たちの反応で、さらに妄想を膨らませているようだ。
「ただいま戻りました〜。イヴァルさんが根掘り葉掘り聞いてきて疲れましたよ〜……まるで私が鑑定されてるみたいで、っと、まずはお礼ですね。シャルルにエレーネ先輩、今朝はありがとうございました! ――なんかちょうどいいタイミングみたいですね〜」
「それはご愁傷様ね。けれど、もう少し捕まっててくれたらよかのに」
疲労が目に見えるほどの疲れましたという雰囲気を出しているサリナに、恥ずかしいから結婚依頼のイベントが終わってから戻ってほしかったと伝えると「そんな〜!」と本気で悲しまれたので「冗談よ。お疲れ様」と言ってあげた。
「サリナさん! いいところに戻られましたね! 一緒にエレーネさんを応援しましょう!」
「シャルル〜! ありがとう〜! 本当にいい子!」
カノンと共に商業部門に顔を出したまま戻ってこなかったサリナだったが、本当にちょうどいいタイミングで戻ってきた。シャルルは一緒に盛り上がれる仲間が増えてとても嬉しそうだ。ちなみに結局、今朝は商業部門しか回れていないので明日、また二人で冒険者部門のラドン部門長から回るらしい。
「二人とも喜んでいるところ申し訳ないのだけれど……アレンを見てくれる?」
「エレーネ先輩、そんな自分の旦那を自慢しなくても……あれ?」
「え、依頼書を持っていない?」
さすがに旦那というのは気が早すぎる。というより、目の前の光景からあり得ないかもしれない。カノンがいる時はシャキッとしていたが、サリナは婚約した浮かれモードが今日も続いているようだけれど、そんなのことよりもアレンの方が問題だった。
「……そうみたいね。彼が依頼書を剥がさなかったから――賭けは私の勝ちのようね」
これほど嬉しくない勝利は初めてだ。ようやく恋心に気付けたというのに……早すぎる失恋でさすがに落ち込んだ。
「アレンさんが移動します。またいつものように残り物探しでしょうか?」
「きっとそうね。あんな依頼を出されて彼も呆れたんじゃないかしら――え?」
新しい依頼書を見るだけ見て剥がさずに、本来の目的を済ませようとしているのだろう。やっぱりと落胆し、気持ちが落ちていく……そんな時――何か彼と目があった。それも何故か嬉しそうにキラキラと輝いていた気がした。
「エレーネ先輩、あっちって依頼スペースですよね?」
「……そうね。今日の要件は何かの依頼かしら」
「いや、エレーネさん。アレンさん自身がどんな依頼もこなせるS級冒険者なのにどうして依頼を出すんですか……」
サリナのツッコミはもっともだったが、そんなものは私も知らない。ただ事実としてアレンは依頼を受けず、依頼書販売カウンターに向かったということだけだ。依頼書を購入した彼はその場で近くのテーブルに紙を置いて依頼を書き始めた。
「けど、アレンさんの依頼って本当にどんな依頼なんでしょうか?」
「見当もつかないわね。私も彼が依頼を書くのを初めて見るから。可能性があるとしたら……自分の依頼期限が何か間に合わない出来事が発生したとかで、金額を上乗せして代行依頼を募集するとかかしら」
「それって二次受け依頼っていわれるやつですか? 依頼の依頼みたいな……」
代行依頼、もしくは二次受け依頼と言われるものは、冒険者が依頼費用の全額を再び支払えばその依頼の達成を頼む依頼を出せるというもので、依頼報酬が倍になって美味しい依頼に変わる制度だ。当然、最初に受けた冒険者は赤字であるが、依頼失敗という事態を回避できる。また、期限ギリギリでもその報酬額の高さから、まず間違いなく達成されるものに変わる。
「まぁ、もともとアレンさんって残り物ばかり引き受けて一気にこなしていますし、移動経路かなんかで何かがあったらそういう事態になっても不思議じゃないんじゃないですもんね~」
「たしかに! たまたま今日はエレーネさんに会いたいからだけじゃなくて用事があって来たんですね!」
「ふふっ、シャルルはまだ諦めていないのね」
自分から提示した可能性だったがシャルルの言い草に笑ってしまう。どうやら彼女はまだ依頼を受ける可能性を信じているようだった。アレンを追って視界に入った販売カウンターで依頼書を売った赤髪の職員も諦めていないようで、『まだよ』と視線で伝えてきた。
「エレーネさん! アレンさんがこっちに来ますよ!」
「――そうね。けれど、それはあの依頼書を受けにではないでしょ」
興奮したシャルルが横で騒がしいが、そんな期待するようなことは絶対に怒らないと思う。だって私の書いた依頼書は掲示板に張り出されたままだから……けれど、あの時の目が気になって――どういうわけか私の心臓もまだ騒がしかった。
「アレンさん、こんにちは。今日はどのような依頼を受けられますか?」
私の受付カウンターへと一直線にやってきた彼に私はなんとか作った笑顔でいつも通りに対応する。それを見たサリナとシャルルからまたかという視線を感じた。昨日のマリーのせいで拗らせエレーネという不名誉な二つ名が付くような気がしたが、今はアレンという外部の人間もいるのでこの場で反論するのをグッと堪えた。
「こんにちわ、エレーネさん。すまないが、今日は受注しに来たわけではないんだ」
ほらやっぱり。と、心の中で落胆する。あの依頼書について聞かれるなら可能性はあるかもと思ったけれど、彼の言葉を聞いて心臓の鼓動は一気に落ち着きを取り戻していく。
「ではどういったご用件でしょうか?」
「この依頼を――」
私が用件を尋ねるとそういって彼は一枚のF級依頼書をカウンターへと置いた。
「この依頼をエレーネさんに頼みたい。受理してくれる?」
「かしこまりまし――」
先ほど依頼スペースで書いていたであろう依頼書を受け取り、文字を追い――言葉が途切れた。生活総合ギルドの冒険者部門における等級分けは危険度と達成難易度で決まる。今回のシャルルが持ってきた結婚依頼はS級冒険者であるアレンへの依頼ということもありS級依頼書で受理をした。けれど彼の持ってきたのはF級依頼書、つまりまったく危険度がなく達成が容易である依頼ということだ。そこで気付くべきだった。
「もう一度言うよ。この依頼をエレーネさん、貴女に頼みたい。受理してくれるかい?」
長い冒険をしてきた彼の顔はあの時から皮膚も固くなり、年齢を重ねて皺もよく見るとある。それでもイタズラが成功したようなその表情はとても少年のように感じた。
「筆跡ですぐにエレーネさんだとわかったよ。貴女がその気だったら達成難易度もF級で問題ないよな?」
嬉しそうな彼の顔が眩しい。私の依頼書と内容そのままなそれは依頼者がアレン、特記事項の指名冒険者がエレーネに置き換わっていた。
「……そうね。問題ないわ」
「よかった。それならあの依頼は破棄してもらえるかな?」
正直、アレンにしてやられた感が強くて面白くない。そんな気持ちになるのは彼のように私の恋心も少女に戻っているからだろうか。
「けれど、どうしてそんな遠回りな依頼を? 内容が同じなら匿名女性からの依頼を受けてくれたらいいじゃない」
なので私はどうして内容をわかっていながら受けないのかを問う。私の気持ちをどうして受け取ってくれないのかという意味も込めて。
「悪いとは思ったけど、俺も男だしね。それにみんな賭けてるんだろ? エレーネさんだったら俺が依頼を受けないほうに賭けてそうだし――全部巻き上げてハネムーンなんてどうかなってね」
どうやら彼は全部わかったうえでこの行動に出たらしい。臆病者な私が――依頼を受けない方にそれなりの額を賭けているのまで。
依頼書をよく見ると――報酬に『愛』が加わっていた。




