終わらぬ後悔
ひんやりとした石の床に響く、重苦しい足音。一面灰色の殺風景なその場所を、ナイフのように尖った静寂が支配していた。男はそれを気にする様子もなくただ歩いていく。足音は段々と遅くなり、やがて聞こえなくなった。大きな扉の前を警護する兵士は、男の顔を見るなり敬礼をした。
「アフィーノ将軍、お疲れ様です。」
「ご苦労。それで、『彼』はこの先にいるのだな?」
兵士は首を縦に振り、それまで背を向けていたその扉を開けた。アステム王国の将軍、レヴォルテ・フォン・アフィーノは兵士と視線を交わした後、扉の向こうへと再び歩き出した。大きな扉は、大きな音を立てて閉じられた。
扉の先には数えきれないほどの牢屋がギチギチに詰め込まれている。殆どの牢屋は誰も収容されていないので、良い意味でスペースの無駄使いだ。だが今、その内の一つには一人の少年がいた。
「カルシュト。少し良いか?」
レヴォルテが声をかけると、壁に寄りかかっていたカルシュトの体がピクリと動き、レヴォルテの方を向いた。どうやら眠っていたらしい。救助されて直ぐに牢屋に送られた彼の体は、あちこちの皮膚が爛れたりめくれたりしたままだ。
「何か、用ですか。」
「上の命令でね、事情聴取だよ。」
本来罪人に課される刑罰は逮捕して直ぐに実行されるため、牢屋に入れる期間は極めて短い。しかし、今回の事件はあまりに規模が大きく、更に不明な点も多々あるので、国王直々の命令で尋問をすることとなったのである。
レヴォルテはカルシュトと目線を合わせながら考える。彼はあの時、自身も火事に巻き込まれ死ぬつもりだった。救助に当たった人物の証言からもそれは明らかだ。目の前にいる少年は何か恐ろしい歪みを抱えている。問題はそれをどのようにして引き出すかだ。
「では最初に、何故君は屋敷に火を放った?」
「単に嫌いだっただけですよ。あの家が、家族が。」
「そうか。だが姉君と父君は逃げおおせたようだね。」
その瞬間僅かにカルシュトの眉が動いたのを、レヴォルテは見逃さなかった。
「それは……残念、です。」
「あぁ。そしてあの火事で複数の使用人が死傷したそうだが。」
「私の目的は果たされました。何かを達するためには常に犠牲が不可欠。そうは思いませんか。」
「それは人が進んで犠牲になる程のものであればの話だ。」
「では彼らは犠牲になるべき人々だったということです。」
カルシュトは表情を変えない。やはりこの程度の問いでは動じないようだ。だが、レヴォルテは真実を知らなければならなかった。そのために、まずは彼の根幹にある感情を揺さぶる。彼の「恐怖」を。
「次の質問だ。火事場から君を救助したとき、近くに君の母君の遺体があった。全身に深い刺し傷があった、それも十数か所。単刀直入に聞くが、」
不意に下唇を噛みそうになった。言葉を止めてはいけない。思い出せ、為すべきことを。自分は今からレヴォルテではない、王国の秩序を守る将軍なのだ。
「母君を刺している時……どう思った?」
カルシュトは一瞬目を丸くしてレヴォルテを見た。その直後、右手で口元を、左手で服の裾を押さえてうずくまった。
「うっ!?……っはぁ、はぁ!」
カルシュトの呼吸が次第に荒くなっていき、指先も痙攣して壊れた人形のようだ。将軍は鉄格子に顔を近づけ、そっと囁く。
「そうだ。奪った命の形を脳裏に焼き付けろ。それが君の犯した罪だ。」
「ヒューヒュー、ひっ。はっ、はぁ!あっ、あ。」
「恨みのままに殺して、君の願いは叶ったのだろう?」
「ち、ちが……!」
「嫌いだったから燃やした。家族皆を道連れにしようとした。全て君が言ったことだ。」
「違う!」
カルシュトの叫び声が響き、辺りは途端に静かになった。少しして顔を上げた彼は、顔全体がぐしゃぐしゃに濡れていて、汗なのか涙なのか分からなかった。
「確かに憎かったし、嫌いだった。でも、でも殺そうだなんて思っていなかった!あのナイフを握って、全てが許せなくなって。気が付いたら、火の海だった。」
カルシュトは胸に手を当て、ゆっくりと息を吸って吐き始めた。暫くの間それを見守っていたのは将軍ではなく、紛れもないレヴォルテ自身だった。
「ごめんなさい。こんなのただの言い訳です。オリヴィア様とメイドたちを殺したのは、私なのですから。」
「いや、お陰で確信が持てたよ。」
レヴォルテはカルシュトを少しでも安心させようと、優しく微笑んだ。今の彼にはそれしかできない。彼の傷を抉っただけで禄に寄り添えないなど、もどかしい限りだ。
「魔法研究家たちの見解では、君が持っていたナイフには強い呪いがかかっていた。呪いは死者の思念を強く反映し、所有者の負の感情を爆発的に増大させる。あれに手が触れたことで、君の抱える憎しみが増大し、事件が起こったというわけだ。」
カルシュトは驚いたり疑ったりする様子もなく、静かにレヴォルテの言葉に耳を傾けている。心のどこかではカルシュトもまた呪いについて何か勘づいていたのだろう。
「この事件の直接の原因は呪いだ。カルシュトでない。」
「人としての道を踏み外したことには変わりありませんよ。私は許されるべきではない。断罪されて当然の人間です。」
「そうだな。到底許されないものだ。でもな、君の姉君の、ラヴィーネ君は、決して君を見捨てたりしない。私も、決して君のことを諦めたりしない。君には死を以てではなく、生きて罪を償わせるべきだと思っている。だから教えてくれないか。カルシュトが抱えているものを、全て。」
カルシュトはコクリと頷き、ポツリ、ポツリと話し始めた。あの錆びついたナイフに宿っていた、カルシュトを産んだ母の記憶を。
「オリヴィア様は、子供ができにくい体質でした。実家の地位向上のためにガーチェ家に嫁がされてから、二人の間に後継ぎが中々産まれなかった。そのことで私の父はオリヴィア様に辛く当たったそうです。オリヴィア様にとって、ただ一人のメイドが心の支えでした。名はティエッタ、私の父の剣を振るう姿に憧れを抱いていたそうです。苦労の末、オリヴィア様は子を産みましたが、その子は世継ぎになれない女の子。だから、私の父は……ティエッタと、子を作ることにしたのです。ティエッタは無事男の子を産みましたが、それ以降オリヴィア様はティエッタを激しく憎むようになりました。結局、ティエッタは精神を壊して邸を追われました。邸には、オリヴィア様が産めなかった男の子と、オリヴィア様が産んだ用無しの女の子が、残りました。」
全てを語り終え、カルシュトは不意にため息をついた。自分が知ったことを一字一句言葉に表して、少しずつ彼自身も冷静になってきたのかもしれない。
「誰からも、私は生を望まれていなかったのだと。そう分かって、何もかもどうでも良くなってしまったのです。」
「……話してくれてありがとう。後は大人の仕事だ。安心して待っていてくれ。」
レヴォルテは力強くそう宣言し、牢屋を後にした。段々と遠ざかっていく彼の背中を、カルシュトはただ見ていた。自身の頬に、一滴零れ落ちていることにも気づかずに。




