始まらぬ償い
将軍が、行ってしまわれた。
今この目に映る小さな世界の中で、大勢の人が傷つき、恐怖し、そして死んだ。それを引き起こした元凶は、私の最愛の義弟。私はその義弟の身を案じている。自分の家を焼いた者の無事を祈っている。
「将軍は、どう思うのかな。」
「え?」
「命がけで助けた人が、人殺しだって知ったら。どう思うのかな。」
“人殺し”。まるで胸をチクリと刺されたかのようだった。振り返るとシトラは寂しそうな目をしながら、ただ燃え盛る屋敷を見ている。未だ苦しそうに息をする彼女の肩を、気が付くと乱雑に掴んでいた。
「違うの!あの子はそんな子じゃない、何かの間違いなのよ!」
「おい落ち着け!」
近くにいたフォルズが私をシトラから引きはがす。反動で後頭部を地面に打ち付けそうになったが、フォルズが左腕を掴んで支えてくれた。シトラは顔を歪めて咳き込んでいる。そこでようやく、私が力任せに彼女の体を揺らしていたのだと気が付いた。
「俺にラヴィーネの気持ちは分からない。でもな…弟に、みっともない姿見せるなよ。」
そう言いながら彼が指さす方向には、一人の少年を抱えた男性の姿が。血塗れのカルシュトを抱えたアフィーノ将軍の姿があった。
「将軍!よくぞご無事で、お怪我は…」
「生存者は彼で最後だ。消火は進んでいるのか?」
「いえ、それが…先程から魔術師たちが消火に当たっているのですが、どうやら彼らの水の魔法を吸収して勢いを増しているようで。迂闊に手が出せないのです。」
兵士の言った通り、轟々と燃え盛る炎は収まるどころか更に激しさを増している。それはカルシュトの行き場のない憎しみのようなものだ。そして、彼をそこまで追い詰めたのは他でもない私なのだ。
「それなのに、私は何もできない。治癒魔法を使えるのに、カルシュトの心を救えなかった。私の屋敷が崩れゆくのを、黙って見ているしかない…!」
もしここにロゼットがいたなら、どうしただろう。この状況を打開するための何かを思いついていただろうか。座学も実技も常に私が一番だった。どんな時でも自分の方が優秀だと思い込んでいた。でも違うのだ。ロゼットは私よりずっと優しいし、努力していた。彼は、私とは違う強さを持っている。今更気が付いた。こんな時に初めて分かった。
コツ、コツ、コツ。その足音で我に返る。誰かが私のすぐ横を通り過ぎた。顔を上げると、長い髪をなびかせたとても美しい女性が将軍に声をかけている。その後ろ姿と声は、何故か誰かに似ている気がした。
「将軍、一つ確認です。生存者はもう全員避難しているのですよね?」
「あぁそうだ。」
「でしたら、ここは私に任せていただけないでしょうか。屋敷への被害は最小限に致します。」
将軍は酷く驚いた表情をしていたが、やがて首を縦に振った。周辺の魔術師たちを全て下がらせた後、あの女性が一歩前へ出る。
「火の魔法を使った本人が意識を失っているのに、この威力だ。あの子、一体どれだけの潜在能力を秘めているのだか。」
消火活動から帰ってきたレイニーが呆れた口調で呟いた。
「魔術師リーベル・カシヤップの名のもとに。水の精霊ウンディーネ、我の下へ来たれ。」
女性が詠唱を始めるのと同時に、平民の家三戸分はあるガーチェ家の敷地に、更に巨大な魔法陣が出現した。魔法陣の淵からは薄い水の柱が伸び、やがて薄い膜のように屋敷全体を包み込んでいく。
「かの邪なる火炎を飲み込み、己が糧とせよ。」
女性は魔法陣へかざしていた手をキュッと握り、それと呼応するように水の膜も屋敷をすり抜け縮小を始めた。不思議なことに膜の隙間から見え隠れする屋敷は焼け跡があるのみで、本当に炎だけが綺麗に消え去っている。瞬く間に巨大な水の膜は手のひらサイズにまで凝縮され、やがて目に見えないほどの大きさに。そのまま魔法陣も跡形もなく消えてしまった。そこに残ったのは、焼け焦げた屋敷の跡だけ。今この瞬間に全てが終わったのだ。しばしの沈黙の後、様々なところから拍手が巻き起こった。
「…凄いね、あの人。火の魔法の力を吸収しながら、しかも概念だけに作用する魔法を使うなんて。僕も初めて見たよ。」
あのレイニーでさえ消せなかった炎を、名も知らない女性が一人で消してしまった。レイニー本人も信じられないという目をしている。
すると突然全身の力が抜けてしまい、私はヘナヘナと地面に倒れ込んだ。心配そうに呼びかけるレイニーの声と、鳴りやまない拍手の音を最後に、私の意識は途切れた。
次に目が覚めると、目の前にはひたすらに白い天井が広がっていた。上手く状況が呑み込めず、目線を右に向ける。そこにはベッドが二つあり、手前側にはシトラが、奥側の窓付近にはフォルズが横になっていた。シトラは私の視線に気が付くと、ニッコリと笑った。
「あっ、ラヴィちゃん。おはよー。」
「お、おはようって。随分と元気そうなのね。」
「まぁね。あたしは別に平気なのに、念のため検査するから入院だって言われてさ。」
「煙吸い込んで呼吸困難、おまけに瓦礫の下敷きで複雑骨折のどこが平気だ。」
フォルズが不貞腐れた様子でツッコミを入れる。シトラはともかくとして、何故フォルズまでベッドに横たわっているのだろう。そんな私の疑問もお見通しだと言わんばかりに、見舞いに来たレイニーが続けて答える。
「瓦礫を手刀で叩き割ろうとして大量出血も十分ヤバいと思うけどね。」
「はぁ~。おやっさんには軟弱だとか言われるし、ゴリちゃんには彼女できたのかって感動されるし。ほんっと、色々疲れたな。」
フォルズにレイニー、そしてシトラ。三人とも無事とまではいかずとも、命を失うことが無くて本当に嬉しい。嬉しいはずなのに、心にはぽっかり穴が空いたままだ。
「…ねえ。」
「カルシュトは、無事なの?」
数秒前まで楽しそうに会話をしていた三人の表情が、一瞬にして凍った。




